♢舞園桜花
「ふぅ⋯⋯。これでもう大丈夫だね。やっぱりこんなボロボロでも人手が増えたら一気に楽になるや。こんなことならブルジョワーヌさんの忠告無視して最初から連れてくればよかったなぁ」
目の前で安堵の息を漏らすマチルダを、舞園は歯ぎしりしながら睨みつける。その下半身は、氷で固められてしまっていた。
雪美ふくふくとマチルダ、この2人相手だけならまだ何とか戦えていた。しかし、そこに切斬舞の死体まで加わったことで、形勢が一気に傾いた。死体を敵に利用される怒りで吠えたものの、盾に使われてしまうとどうしても手が止まってしまう。いくら目の前に立っているのが意思のない死体だと頭では理解していても、心が傷つけることを拒否してしまうのだ。その隙をついた雪美ふくふくに足元に雪の塊を出され、そこから逃れる前にマチルダによって雪を凍らされてしまった。
上半身はまだ動けるが、この状況で下半身を固められたのはしんどい。最悪、下半身を切り離してでも敬愛するお嬢の死体を貶めた相手に一矢報いてやりたい。相手は今、勝利を確信して油断している。近づいたところを、ハサミで切り刻んでみせる。多少はあった同情の気持ちは消え失せている。たとえ首だけになったとしても、動いて喉元を噛み千切ってやる覚悟だった。
「う、あの人まだこっち睨んでる⋯⋯。めちゃ怖いから、この子に突撃してとどめさしてもらおうっと」
しかし、殺意を隠さずに向けていたのがよくなかったのか、舞園の気迫を恐れたマチルダは、自分が近づくことはせず、代わりに切斬舞の死体を舞園へと向かわせようとしている。マチルダの指示に従い、ゆっくりとこちらに近づいてくる切斬舞の全身はズタボロで、可愛らしい顔には醜い縫い目が走り、まるでホラー映画に出てくるゾンビのようなありさまだ。その姿を見るだけで、瞳に涙が溜まる。許せない、許せない、許せない。何よりも、切斬舞をこんな姿にした元凶である自分のふがいなさが、最も許せない。怒りはふつふつと湧いてくるのに、どうしても切斬舞を傷つけることは出来ない。敵の思うがままにされている自分が、情けない。
あと数歩で、切斬舞の手が舞園へと届く、まさにその時であった。突然、きゃーという甲高い悲鳴が響き渡った。聞き覚えのある声だ。でも、聞こえるはずのない声のはずだ。あり得ない状況に思わず目を見開く舞園と同様に、驚愕で目を見開いたマチルダが見つめるのは、失った腕を抑えて蹲る雪美ふくふくの姿だった。
「なんで!? なんでなんで!? わた、私、あの時死んだはずなのに! なんでこんな場所で戦っているの!? なんで腕がないの!? もう痛いのは嫌だよぉ! 誰か、誰か助けてよぉ!!」
「えっ? ゆ、ゆっきー、なんで喋ってるの? まあ、なんかよく分からないけれどよかった! これでまたおしゃべりたくさんできるね! 私、まちだよ? ゆっきー、私と一緒に悪者をやっつけようよ! さっきまでみたいにかっこよく私を守ってよ!」
「わ、わかった。これは悪い夢だ。ぜんぶ夢なんだ。夢なら、早く覚めて⋯⋯! 雪祭り、そうだ。雪祭りの雪像を、作らないと⋯⋯」
「ゆっきー!! ねぇってばぁ!! 私の話を聞いてよぉ!! 私の方をちゃんと見てよぉ!!」
一体何が起こったのか。理解が追い付かないが、死体だったはずの雪美ふくふくの意識が戻り、その結果戦意を喪失してしまったようだ。マチルダが必死に呼びかけているが、雪美ふくふくは現実逃避を続け、耳を塞いでしまっている。
そして、死体だったはずの雪美ふくふくの意識が戻ったということは、だ。はっと視線をマチルダ達から正面へと戻した舞園は、こちらに向かい微笑みかける切斬舞を見て、溜まっていた涙がつーっと頬を流れ落ちた。
「磯野。その恰好、よう似合っとるよ」
「お嬢⋯⋯!! 私は、お嬢のことを⋯⋯!!」
「謝罪も何もいらん。あたしはあたしの仁義のために動いただけたい。それよりも、なんねその情けない姿は。あたしの護衛なら、もう少し気張らんかい!」
舞園の心に喝を入れるかのように、氷で冷えた背中を切斬舞はバシッと叩く。死体には体温はないはずなのに、叩かれた箇所から、温かい何かが全身に広がるのを感じた。
背中を叩くと同時に、舞園が持っていたハサミをもぎ取った切斬舞は、懐かしい感覚に頬を緩めながら、手慣れた手つきでハサミを一閃する。下半身を拘束していた氷が霧状に切り刻まれ、自由に動けるようになった舞園の前で、切斬舞は躊躇うことなく自分へとハサミの刃を向けた。
「やれ、磯野。道を切り開くことができるのは、今を生きている人間だけたい。死人は、とっとと土に還らんとな」
「お嬢、待っ⋯⋯!」
舞園は咄嗟に止めようとしたが、その時には既に、切斬舞は自分の身体を自らの意志で切り刻んでいた。唯一綺麗に残った首の口元が動き、たった一言、舞園へと告げる。
『行け』
敬愛するお嬢からの指示に、涙を拭って頷き、放り出されたハサミを掴む。向かう先は、雪美ふくふくの肩を必死に揺さぶっているマチルダ。託された思いは、熱く心臓で燃え上がっている。もう、躊躇いも迷いも捨てた。こんな情けない従者の背中を叩いてくれたお嬢のためにも、この一撃で決める。
ジョキンと音を立てて、閉じたハサミ。その刃先が切り飛ばしたのは、本来そこに居たはずのマチルダではなく、彼女を庇うようにして突き飛ばした雪美ふくふくの首だった。
♢雪美ふくふく
最期の記憶は、恐ろしいバケモノに襲われ、車の中で自分の首が胴体から離れる光景だった。そして今、雪美ふくふくの首はその時と同じように、宙を舞っている。
隣で自分の身体をゆする魔法少女が、友人のまちであるということはすぐ気づいた。魔法少女は、変身してもどこかにその名残が残るものだ。そんなマチルダが自分に戦えと何度も頼んできたが、雪美ふくふくはその声に耳を塞ぎ続けた。
だって、戦いは嫌いだ。痛いのは嫌だ。あんなバケモノに襲われ、死んだことでその恐怖はより一層強くなった。意識が無かった時の自分がどんなに頑張っていたとしても、今の雪美ふくふくには無理だ。だから、蹲って耳を塞いで、敵がこちらに攻撃してきたらすぐ逃げられるように、手で覆い隠した隙間から、ちょっとだけ前を見ていた。それで、気が付いたのだ。敵と思わしき魔法少女の振るうハサミの先が、マチルダに向けられていたことに。
初めに感じたのは、安堵。そして、次に罪悪感。マチルダは、雪美ふくふくを肩を揺さぶるのに夢中で、ハサミに気づいていない。このままじゃ、マチルダは死んでしまう。雪美ふくふくの、大切な友達。そんな友達に、自分と同じ、死の恐怖を味わわせるのか? それは、なんか、ダメじゃないのか。
その思いは、ほんのちょっぴりの勇気になって、雪美ふくふくを動かした。もつれる足を動かし、マチルダを押す。直後、ジョキンと音がして、首が切られた。痛みは無かった。でも、やっぱり、首を切られるのは、嫌だ。
世界が反転する。泣きそうな顔のマチルダが、雪美ふくふくの名前を叫ぶ。大丈夫だよとか、安心させられる言葉を言えたらよかったけれど、うまく声が出てこなくて。雪美ふくふくは、静かに目を瞑った。
♢マチルダ・チルド
雪美ふくふくに庇われ、目の前で雪美ふくふくの首が飛ぶのを見た瞬間、マチルダの戦意は折れていた。ハサミを向ける舞園に向けて、頭を下げて懇願する。
「ごめんなさい! こ、降参、します!! これ以上、私たちを虐めないでください⋯⋯!!」
頭を下げているから、相手の表情は分からない。ただ、ハサミが振り下ろされることはなく、返ってくるのは静寂ばかり。許されたのか。そう思い、恐る恐る顔を上げたマチルダは、悲鳴をあげた。舞園は、鬼神の如き形相で、マチルダを見下ろしていた。
「虐めないで⋯⋯? お嬢の死体を利用したお前らが、どの口でそんなことを言うんだ。お嬢は最期まで誇り高かった。お前らも子供だからって許されると思うな!! けじめは、きっちり取れや!!」
舞園がハサミを振るい、マチルダの目の前で鮮血が飛ぶ。両腕が切り落とされたのだと気づいたのは、痛みが襲ってきてからのことだった。
「雪美ふくふくに免じて、命までは取らん。その腕は、お前の魔法で何とか止血せぇや。けじめは、それで、きっちりと⋯⋯」
最後まで言い切る前に、舞園はふっと意識を落とし、うつ伏せに倒れこんだ。変身が解除され、傷だらけの成人女性が姿を現す。マチルダは、痛みで朦朧とする意識を何とか保ちながら、傷口を凍らせ、倒れた舞園へと近づき、その胸元に耳を当てる。微かだが、鼓動の音が聞こえ、マチルダはほっと安堵の息を漏らした。
とどめを刺すなどは、考えなかった。自分は降参した。負けたのだ。雪美ふくふくに守ってもらい、舞園に情けをかけられ、生き残ることが出来た。もうこんな怖い思いは二度としたくないし、誰かを殺したりなんてこともこりごりだ。
舞園の傷口を凍らせ、これ以上出血が出ないようにしたところで、安堵からか眠るように意識を失い、舞園の上に覆いかぶさるように倒れこんだ。
魔法の力で生やした桜が枯れ、その上に倒れこむ舞園とマチルダは、共に地面へと落下していく。動かなくなった切斬舞と雪美ふくふくの死体も、一緒に落ちていく。雪と桜で彩られた戦場の終わりを、地上で戦う魔法少女たちは見届けることなく、戦いは続いていくのであった。