♢ブルジョワーヌⅢ世
頭の中で、何かが崩壊する音が聞こえてきた。
きっかけは、魔法の端末の通知音だった。仲間からの連絡かと思い端末を開くと、そこには#♡ちゃんがSNSに書いた投稿が書かれていた。
『好き』
文字としては、たったそれだけ。それなのに、ブルジョワーヌⅢ世の脳裏には、#♡ちゃんが好きだった人物の顔が浮かんできていた。これはきっと、#♡ちゃんの魔法なのだ。そう理解した頭に、自然と湧き上がってきたのは、ジェーン・ホワイトへの不信感だった。
自分は、都合のいいように利用されていただけなのではないのか。今、自分がやっていることに、正当性など何一つないのではないか。数刻前までは全く抱いていなかったはずのそんな感情が湧き上がってきたことで、頭が混乱する。
おそらく、これも#♡ちゃんの魔法の影響なのだろう。#♡ちゃんが何故こんな投稿をしたのか、その真意は分からない。ただでさえ折れそうだった心に追い打ちをかけるかのように、#♡ちゃんの魔法は囁きかけてくる。しかし、完全に心が傾く寸前、ブルジョワーヌⅢ世を正気に戻したのは、周囲の魔法少女たちの怒号だった。
「おいおい、ジェーン・ホワイトってなんで俺たちにこんなことさせてんだぁ? よくよく考えたらおかしいじゃねえかぁ?」
「そうよ! あいつは屑よ!! 早速アンチスレ建てといたわ!!」
「最初から胡散臭いと思ってたんだよねぇ」
いつの間にか、ブルジョワーヌⅢ世に起きたことと同様の現象が周囲の魔法少女達にも起きているようだ。なんだか言葉が強いように感じるのは、ジェーン・ホワイトと直接接したことがない分悪感情が育ちやすいのかもしれない。ブルジョワーヌⅢ世は、慌てて旗を振り、周囲を落ち着かせるべく呼び掛ける。
「み、皆さま、落ち着いてください!! これは⋯⋯そう! 敵の罠か何かに違いありません! ここで皆さんがジェーン様に敵意を抱いて反乱を起こせば、敵の思うつぼですわよ!!」
「うるせぇ!! ジェーンの犬が何ほざいてんだ!!」
「てかあんたもずっと後方で旗ぶんぶん振ってるだけで何もしてないじゃないの!! 敵のリーダーとか前線出て戦ってるって聞いたわよ!!」
呼びかけは逆効果に終わり、ジェーン・ホワイトへの悪感情が連鎖して、旗による支配力を超えてブルジョワーヌⅢ世に対しても敵意を向けてきた。その勢いと向けられた敵意に、思わずびくりと肩を揺らす。しかも、内心引け目に感じていたことまで指摘され、何も言い返す言葉が出てこない。
「黙ってたら何もわかんねえだろ!! なんか言えよ!!」
「正しくない!!」
「あなた、お殺しになってさしあげますわ~!」
ブルジョワーヌⅢ世を囲む輪が、どんどん狭まっていく。糾弾する言葉が刃となって、胸に刺さる。もう何も聞きたくなくて、ブルジョワーヌⅢ世は旗を投げ捨て、耳を塞いだ。子供のように震えて蹲りながら、誰にも聞こえないくらい小さい声で、ぽつりと漏らす。
「⋯⋯助けて」
「はい、分かりました」
返ってくるはずのない返事に、思わず顔を上げたブルジョワーヌⅢ世は、何者かに優しく抱きしめられた。逆光のせいで、顔は良く見えない。でも、この温もりは、きっと⋯⋯。
「モルっ⋯⋯!!」
名前を呼ぼうとしたブルジョワーヌⅢ世だったが、直後、胸元に走った鋭い痛みによって遮られた。代わりに口から飛び出したのは、真っ赤な血液。恐る恐る、胸元に手を移動させると、べったりと手のひらに赤い液体がこびりつく。その時ようやく、自分が刺されたのだということを理解した。
刺されたということに対するショックより先に、ブルジョワーヌⅢ世が感じたのは、安堵だった。これで、ようやく解放される。これ以上、罪悪感を抱かなくて済む。だからこそ、刺した相手が誰かなんて疑問は捨て去り、心の底からの感謝を述べていた。
「あり、がとう⋯⋯」
「⋯⋯どういたしまして」
応えるその声は、やはりモルジャーナの声だった。きっと、苦しんでいる自分を見かねて、天国から迎えに来てくれたのだ。そんな都合のいい夢を見ながら、ブルジョワーヌⅢ世はゆっくりと目を閉じた。
♢ジュリエッタ
自分の腕の中で、ブルジョワーヌⅢ世が変身を解く。その顔は、心臓を刺されたとは思えないほど、安らかなものだった。
フレデリカの魔法で、ブルジョワーヌⅢ世の居る場所へと送られたジュリエッタは、迷うことなくその心臓に包丁を突き刺した。魔法で、彼女の苦悩を感じ取っていたから。だから、早く解放してあげたいと思った。そして、この手でブルジョワーヌⅢ世を殺した後、すぐに自分も後を追うつもりでいた。
だが、実際に最愛の人をこの手にかけた今、ジュリエッタの心は満たされるばかりか、むなしさに満ちている。結局、あの人は最期まで、自分のことを認識してはくれなかった。ジュリエッタは、いつどんな時でも、ブルジョワーヌⅢ世のことを考えていたというのに。
もし、最期の時、ブルジョワーヌⅢ世が自分を憎みながら死んでくれたら、ジュリエッタはすぐ後を追えた。だって、それはジュリエッタを見てくれた証拠だからだ。でも、そうはならなかった。
最愛の人の傍にいられないならと、心中することを決めたはずだったのに。殺すその時くらいは、ジュリエッタのことしか考えてくれないと、そう思っていたのに。ふつふつと、湧いてくるのは、怒りの感情だ。それは、ブルジョワーヌⅢ世への怒りではない。自分と最愛の人を引き裂き、このような最悪な別れしか与えなかった、すべての元凶、ジェーン・ホワイトへの怒りだ。
「やった! 偉ぶってる奴が死んだぞ!!」
「悪は死ね、死ねぇ!!」
「誰か分からんがサンキュー!」
うっとおしい、ただ他人を罵ることしか能のない魔法少女たちの声はどうでもいい。殺してもいいが、今誰かに敵意を向ければ、それは自分に返ってくる。さっきまでは死ぬつもりだったが、気が変わった。あの人の元へ向かうのは、もう少し先だ。
ブルジョワーヌⅢ世の死体から転がり出た本を、そっと胸に押し当てる。すると、包丁を握りしめていた手と反対側の手に、装飾の施された旗が顕現した。この旗の使い方は、さららから聞いてよく知っている。旗を天高く掲げてやれば、魔法の効果でジュリエッタへと視線が集まる。
「戦いは終わりです!! 私たちの戦うべき相手は、他にいます!! 撃ち倒すべきは、すべての元凶⋯⋯ジェーン・ホワイトです!!」
ジュリエッタの声に反応し、周囲の魔法少女たちは雄たけびを上げる。#♡ちゃんの魔法に抗っていた数少ない魔法少女も、旗との相乗効果で完全にこちら側に傾いただろう。誰にも傷つけられないよう、丁寧にブルジョワーヌⅢ世の死体を運びながら、旗を掲げ、人の波を掻き分けて、戦場の中心へと進んでいく。
声が届かずにまだ戦っていた魔法少女たちも、旗を見ると戦闘の手を止めた。そして、その最前線で暴れていた幼い見た目の魔法少女が、ジュリエッタを見て眉を上げる。
「お前、誰だ? 敵の大将か?」
「ゲンゲンさん、ですよねぇ? 私はジュリエッタ。さららさん達の仲間です。戦いはもう終わりました。テルツナさんとやらを、呼んでくれませんかぁ?」
スノーホワイトにフレデリカと接触していることを知られることを警戒し、途中から作戦会議などには参加していなかったので、ゲンゲンと直接会うのは初めてだ。しかし、作戦会議の内容や、ゲンゲンの存在はさららから個別に聞いていた。そして、その部下と、使用する魔法のことも。
「テルツナを呼べ? それに、戦いは終わったって、いったいどういうことたい」
「無駄話をしている暇はありません。私の話を信じてください。それに⋯⋯貴女ももう、戦える状態じゃないでしょう?」
ちらりと、ゲンゲンの身体に目を向ける。そして、『
驚くべきことに、ゲンゲンは既に死んでいた。しかし、何者かの影響により、死体に意志が宿ったことにより、生前と同じように動き続けることが出来ている。本人は自分が死んだことには気が付いておらず、気合で何とか踏ん張っていると思い込んでいるだけのようだ。
そして、瀕死の重傷を負いながら、ゲンゲンが何故そこまで踏ん張っているのか。その答えは、ゲンゲンの後ろに倒れる魔法少女たちにあった。戦闘が終わり、落ちてきた磯野とマチルダ。そして切斬舞と雪美ふくふくの死体。それらがこれ以上傷つけられることがないよう、気合で前線を張り続けていたのだ。
「⋯⋯貴女の愛も、深いですね」
「ああ? なんか言ったか?」
「いいえ~? なんでも。それよりも早く呼んでください。今私たちが呑気におしゃべりしている間に敵が襲ってこないことからも、私の言葉は信頼できるって分かりますよねぇ?」
「⋯⋯確かにな。どうやら、あんたの言ってることは正しいらしいや。テルツナぁ!! ちょっとこっちまで来んね!! 死んどったらぶっ殺すぞ!!」
「ちょ、ドイヒ~! 俺っちは死んだらヤバいからって後方に置いてたの、忘れたんすか、組長~!!」
ゲンゲンが大声で名前を呼ぶと、後ろの方から似たような格好の幼女がやってきた。どうやらこの軽薄な喋り方をする魔法少女がテルツナらしい。こいつの魔法なら、ジェーン・ホワイトと戦っているさららの元へ行ける。
早速テルツナに魔法を使ってもらおうとしたその時、背後で気配を感じ、咄嗟にしゃがんだ。頭上すれすれ、数センチのところを足が通過する。その蹴りを放ったのは、山伏風のコスチュームを着た魔法少女、もな子だ。
「急に戦いが止まったから何事かと思ったけれど、これ、お前のせい? てか、お前って敵なん?」
「どっちでもよくない? 私ら、好き勝手暴れていいって言われてるし」
相方のエイミーも来た。ここでもめている暇はない。ジュリエッタはテルツナの肩を掴み、急かした。
「早く!!」
「わ、分かったっすよ~!!」
ジュリエッタの剣幕に負けたテルツナが慌てて魔法を発動する。その手に引かれ、端末の中に吸い込まれながら、ジュリエッタは旗を力強く握りしめた。復讐と怒りの刃を、しかるべき相手に突き刺すために。