♢はなまる
尾崎倉衣は、誰からも愛されたことのない少女だった。両親は、産んだ赤子を手放すことはしなかったものの、碌に食事も与えず、風呂にも入れさせることは無かった。
ただ、少女にとって幸運だったことは、少女の身体が常人離れした生命力を持っていたことだった。そして、少女にとって不幸だったことは、その並外れた生命力故に、死ぬことが出来なかったことだ。
碌な食事を与えられずとも、雨粒を飲み、ゴミを漁って飢えをしのげた。風呂に一回も入れてもらえなくても、病気には一切かからなかった。暴力を振るわれても、その痣は数時間後には消えた。
少女は、あらゆる存在から嫌われた。学校では、臭いからという理由でいじめられ、酷い暴力を受けたこともあった。しかし、年齢を重ねるごとに生命力と耐久力はますます常人離れしていき、暴力を与える側の拳が壊れることもあった。それからは、肉体的な暴力から、精神的な暴力へと種類が変わっていった。
少女は誰にも愛されない人生に絶望し、何度も自殺を試みた。枕に顔を押し当てて、息を止めてみた。1時間息を止めても、意識を保っていた。10階建てのビルの屋上から、地面に飛び降りてみた。膝を擦りむいただけで、その傷も翌日には塞がっていた。
その日も、少女は自殺を試みていた。10階がダメなら、もっと高いところから飛び降りてみよう。そう考えて、町一番の高さの塔から落ちてみた。結果として、少女は死ぬことは出来なかった。しかし、落下地点は偶然、魔法少女化テロが行われている現場だった。
少女が与えられた魔法は、『いつでもポジティブだよ』という魔法。いつどんな時だってポジティブシンキングでいられる、たったそれだけの魔法だ。でも、元から常人離れした肉体を持っていた少女にとって、それは何よりも必要なモノだった。それだけで、十分だった。
産まれて来てから、ずっと存在を否定され続けた。自分ですら、自分を嫌って、消えてしまいたいと呪ってきた。そんなネガティブな感情は、魔法の効果できれいさっぱり消し飛んだ。
これはきっと、神様からの贈り物だ。今まで不幸だった分、神様が幸せになれと言ってくれているんだ。ならば、はなまるがやるべきことは、決まっている。
──この間違った世界をぶっ壊して、私の世界に作り替える。そしたらきっと、皆私のことを褒めてくれる。愛してくれる。誰も自分にくれなかった“はなまる”を、自分で自分にあげて、私は誰よりも愛される、素敵な魔法少女になるんだ☆
♢さらら
「ワン!!」
乱入者であるはなまるに、真っ先に反応したのはワン・チェンジーだった。巨大化した義手が、はなまるの頭上から振り下ろされる。その拳を、回避する素振りも見せずにじっと見上げるはなまる。恐怖で動けないといった様子ではない。何か得体のしれない気配を感じ、さららはチェンジーに待ったをかける。
「チェンジー、それに手を出してはダメです!!」
しかし、忠告が少し遅れた。チェンジーの拳ははなまるの顔面に当たり、その衝撃で、チェンジーの頑丈な義手が破壊される。義手が破壊され、目を丸くしたチェンジーの頭上に跳んだはなまるは、笑顔で金属製のスタンプを構え、振り下ろした。
「おすわりっ☆」
「きゃんっ!?」
爆音と共に床に叩きつけられたチェンジーが悲鳴をあげる。咄嗟に残った義手でガードしたことで死ぬことはなかったが、人造魔法少女でありかなりの耐久力を誇るチェンジーが一発で沈められた。さららは、この乱入者への警戒をさらに高め、ジェーン・ホワイトに伸ばした髪の毛と同じくらいの本数をはなまるへと向けた。
「へぇ⋯⋯?」
そして、はなまるへ対し警戒心を高めたのは、ジェーン・ホワイトもまた同様であった。こちらは、どちらかというと好奇心の割合が高い。そもそも、こんな強い魔法少女が居て、これまで何故ジェーンの情報網に引っかからなかったのか。様子見で、魔法の本を展開し、さららとはなまるの双方へと呪文を飛ばす。
さららは、ジェーンが詠唱した呪文の内容を既存の魔法と類似するものと照らし合わせ、その性質が“炎”であることを察知。髪の毛に直接引火することがないように、回転させて風を起こし、炎を防いだ。
それに対し、はなまるは特に何も考えることなく、放たれた魔法に正面から突っ込んでいく。はなまるに向けジェーンが放ったのは、凍結の性質を持った魔法だ。しかし、本来ならばはなまるの足を凍らせて動きを止めるはずのその魔法は、はなまるの身体に当たった瞬間、光の粉となって散り散りとなり、無効化された。
「なっ!?」
予想外の光景に、ジェーンは初めて表情を崩す。はなまるは、傷一つない身体のまま、笑顔でジェーン目掛け突っ込んでくる。身の危険を感じたジェーンは、咄嗟に目の前に結界を貼った。
「どっせーい☆」
しかし、本来ならば魔法少女の肉体を弾くはずのその魔法の結界は、はなまるの力の抜けるような掛け声と共に、ガラスのように呆気なく割られてしまった。はなまるの持つ金属製のスタンプが、ジェーンの顔面に押し当てられ、その頬に花丸マークの痕を刻み込む。
さららは、その光景に驚きつつも、絶好の好機とみて追撃のために走った。髪の毛を吹き飛ぶジェーンの身体に巻き付け、猛スピードで後を追う。
「ねえ、これは私の獲物だよ?」
すれ違いざま、90°首を回してこちらを見るはなまると目が合った。割り込んできたさららを敵とみなし、排除のためにスタンプが振り下ろされる。
「きゃんっ!?」
その攻撃を、さららは先ほど床に叩きつけられたチェンジーを引っ張り、肉壁にすることで防いだ。チェンジーはまたしても悲鳴をあげて吹き飛ばされる。だが、スタンプが当たる箇所に髪の毛でガードもしておいたので、たぶん死なないはずだ。⋯⋯後でちゃんと謝ろう。
心の中でチェンジーに謝罪しつつ、さららははなまるの横を無事通り抜け、ジェーンへと追撃のため髪の毛を伸ばす。ジェーンもまた、先ほどの攻撃で歯を数本折られてはいたものの意識はさららへ向いており、伸ばした髪の毛を尽く対処してきた。
「お、惜しかったですねさらら。私へ追撃する最大のチャンスでしたのに。貴女はあともう1手、いや、もう1本足りなかったようですね!!」
ジェーンが頬を抑えながら言う通り、確かにジェーンへ向けて伸ばした髪の毛は、その全てを防がれてしまった。だが、足りない後1手は、何も自分で補う必要はない。さららは、先ほどから懐で揺れる魔法の端末が、何を意味するかを理解していた。何故ならば、髪の毛が伝えてくる着信音は、以前連絡先を交換した霧雨組の連絡係、テルツナのものだったからだ。
さららは、懐から髪の毛を操って端末を取り出し、それをジェーンに向かって蹴り上げた。さららが伸ばした髪の毛への対処によって大量の本を使い、魔法を一度に使ったことで今のジェーンには咄嗟に新たな本を開く余裕はない。宙を舞い、自分の元へと近づいてくる魔法の端末を見るジェーンの瞳のすぐそばで、端末から飛び出してきた旗の先端が、その瞳を突き刺した。
「⋯⋯よくも私から、あの人を奪いましたね。死ね死ね死ね死ね死ねぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
端末から飛び出したのは、ブルジョワーヌⅢ世の旗を持ち、怒りに震える声で叫ぶ、ジュリエッタ。
♢ジェーン・ホワイト
ジェーン・ホワイトは、片側を奪われた視界で、ぼんやりと天井を見つめていた。
「なんで止めるんですかさららさん!! 私はあいつを殺すためにわざわざここまで来たんですよ!?」
「き、気持ちは分かりますが落ち着いてください!! あれはナコの身体なんです!! 倒す前にジェーンの魂をあの肉体から離す必要があります!! 無闇に傷つけてしまえば、ナコが戻れなくなってしまいます!!」
ああ、なるほど。さららの攻め方が妙に慎重だったのに納得がいった。2人が言い争う声を聞きながら、ジェーンは思考を巡らす。失った片目は、正直どうでもいい。今、ジェーンの胸を激しく高鳴らせるのは、頬に喰らったスタンプの痛みだ。
突然現れた乱入者、はなまる。あの魔法少女には、魔法が通用していなかった。魔法を含めたあらゆる攻撃を弾く、特別な肉体。その肉体のことを、ジェーンは知っていた。
ジェーンはかつて、三賢人の手で時空の狭間に封印された。それ以降、ジェーンは魂だけの存在となって時空の狭間をさまよっていた。それでは、元々あったジェーンの肉体はどこに消えたのだろうか?
ジェーンの肉体は、始まりの魔法使いが産み出した魔導書を元にして創られた、特別性だ。だから、消滅させることはできなかった。その代わり、その肉体は、絶対にジェーンの元へ戻ることがないよう、魔法の国を追い出され、人間界で転生を重ねてきた。
ジェーンの肉体を持った人間は、3賢人からかけられた呪いにより、誰にも愛されることはない。その常人離れした頑丈さ故に自死すら選べないが、20歳を迎えた時に命を落とす。そして、また新しくジェーンの肉体を持った人間が産まれてくる。
ジェーンの肉体は、あらゆる魔法を弾く。だから、ジェーンの情報網にも、さららの髪の毛の探知にも引っかからずにはなまるはここまで来た。自分の運命すら知らず、与えられた力を神からの贈り物だと信じ、皆からの愛を求めて。
「なにごちゃごちゃ言い争ってるの? 私がはなまる、貰っちゃうよ☆」
はなまるが、さららとジュリエッタを飛び越え、ジェーンの元にやって来る。ポジティブシンキングゆえに、一切の危機感を抱くこともなく。スタンプを構え、飛び込んできたはなまるを、ジェーンは満面の笑みで受け入れた。
「おかえりなさい。私の肉体」
「⋯⋯え?」
ジェーンとはなまるの肉体が交差した瞬間、奈子の肉体から飛び出したジェーンの魂が、はなまるの肉体を乗っ取った。元々そこにあった魂は床へ捨てられ、躊躇うことなくジェーンはその魂を踏み潰す。特別な肉体を失った魂は、それだけで呆気なく消え去った。
先ほどまでジェーンの魂が入っていた肉体が、力を失い倒れる。それを、素早く髪の毛で拾い上げ、回収したさららは、はなまるの肉体を奪ったジェーンのことを凝視している。流石、気づくのが早い。
「⋯⋯貴女は、誰ですか?」
「さあ? 本当の名前はもう、忘れてしまいました。貴女が付けてくれても、いいんですよ?」
「⋯⋯ボク、ネーミングセンスにはあまり自信ないですよ」
若干の軽口を叩きつつも、さららの瞳は油断なくジェーンを見据えている。奈子の身体を取り戻すという本来の目的は果たした。だが、目の前のバケモノを放っておけない。そんな感情が伝わってくる。ジュリエッタも、事態を察してこちらに殺意を向けてくる。ダメージから復活したチェンジーも、ぐるると唸り声をあげて、こちらを警戒している。
そんな三人の魔法少女の敵意を向けられても、ジェーンは上機嫌のままだ。何故なら⋯⋯誰一人、この肉体に傷をつけられる魔法少女など存在しないのだから。
「さあ、物語の幕を下ろしましょうか」
ゆえに、ジェーンは終わりを告げる。エピローグまでは、残りわずか。その結末は、もう分かり切ったものだ。