「アマテ?」
顔を上げた。急に辺りの喧騒が、耳に入ってきた。
木造風の外壁に水耕栽培のツルを這わせ、瑞々しい緑に彩られたオープンモールの入り口で、アマテとその母タマキは、人々の往来から取り残されたように、足を止めていた。
「……ううん。なんでもない」
そう言うと、母はいつものように、まるで、自分のことをなんでもお見通しだとでもいうかのような、温かな目でこちらを見つめる。
アマテは、その眼差しが苦手だった。
わかった風でいるだけだ、と思うから。
その目で見られると、口をついて出そうになった反論が封じ込められて、自分の腹の中でゆっくりと腐っていくような思いがするから。
母の愛は、抑圧の形をしていた。
「あの、さ」
だから。
「今日は、ちょっと、話したいことがあって」
だからこそ、今まで諦めていた一歩を、踏み出さなければならなくて。
「私、私ね──」
──なのに。
身の毛もよだつ悪寒がした。
立っていられなくなるほどの恐怖が心を縛る。
アマテには振り返ることすらできなかった。
生気を抜かれた人形のように硬直し、悲鳴をこらえ、つまらない物体に徹することで、捕食者の興味が失せることを願う、そんな涙ぐましい努力は、
「アマテ?」
「……お母さん、逃げ、て」
天から降ってきた黄金色のビーム光が、目の前を薙ぎ払ったことで踏みにじられた。
今にも正気を失いかけるアマテに永遠の苦痛を与えるかのように、時間は長く、長く引き伸ばされる。
母が、身体の末端から、ゆっくりと、ゆっくりと、超高熱・超高速のメガ粒子に
「あ」
地面が弾け、めくれ上がった。
「う、そ」
爆炎がそこかしこで上がった。
「やだ、やだ、うそだっ、夢だッ!」
母は、アマテ・ユズリハの目の前にいて、笑っていたはずのタマキ・ユズリハは。
「嫌ぁぁぁぁあああッ!」
周囲を行き交っていた無数の人々とともに、跡形もなく、蒸発して、
「アマテッ!」
ひゅうっとか細く、息を吸う音がした。涙で滲む視界に、母の顔が見える。
信じられない速さで、痛いほど強く刻まれる心臓の鼓動が、少しずつ落ち着いていく。
「……ゆ、め」
そう口にした瞬間、背中が冷たい汗でぐっしょりと湿っていることに気がついた。
「大丈夫? 普通のうなされ方じゃなかったけど……」
「あー……ちょっと、ね」
「何か、悩んでるとか」
「ううん、違う」
「でも」
「違うの」
思いのほか、硬い否定の声が出た。自分でも少し驚きながら、ベッドから体を起こす。
……母がわざわざ、部屋まで起こしに来るなんて。一体、どれだけ酷かったのだろう。とても聞くような勇気はない。
「今日はやめようか? 体調悪そうだし、こじらせちゃったらいけない」
「や、やだよ! 中々、一緒に出かけられること、ないし……」
自分でも苦しい言い訳だと思った。それでも食い下がったのは、意地だ。この機会を逃せば、もう、何も変えられないと思ったから。
そんなアマテの覚悟を知ってか知らずか、母はそっと背中を撫でるだけで、それ以上は深堀りしてこなかった。
「……わかった。でも途中で辛くなったら、すぐに言って。約束」
「……うん」
車で向かったのは、小さい頃から家族でよく行っていた、なんてことはない屋外型のアウトレットモールだった。最近、老朽化した建物を建て直し、テナントも大きく入れ替わったことを口実に、アマテが母を連れ出したのだった。
一七歳にもなって、親子でショッピングというのも抵抗がないわけではない。他の家なら普通のことなのかもしれないが、少なくとも、ユズリハ家の親子関係とは、そういうものだった。
母タマキは、できるだけアマテと一緒に過ごそうとしてくれている。
それでも、母の仕事はあまりに多忙で、帰ってこない日も珍しくなくて。
いつの間にか、自分は二番目なのだと思うようになっていた。そして、それは仕方のないことなのだと自分に言い聞かせることで、どこか心の中にある、欠けた部分に見ないふりをしてきた。
アマテにとって、言うなればこれは、まだ乾いていない傷口を指で触れるような、そういう時間でもあった。
「それにしても、珍しいわね」
「何が?」
「アマテが友達の家に泊まったの」
「……そう?」
二人で後部座席に並んでいた。カーシェアリングサービスの自動運転ミニバンに運転席は存在しない。土地の限られたサイド6において、業務用ではない自家用車を個人所有することはそれなりの贅沢だ。ユズリハ家の家計事情ではそれも十分に可能ではあったが、公共交通機関が充実した都市部に住んでいれば必須ではない。
だから、商用車に比べて高額な課税を回避するための割り切りとして、私有車を持たないことを選ぶエリート層は珍しくなかった。
特に、アマテの母タマキの場合は、社会的ステータスより、娘の教育を第一としていたために。
「仲、いいのね。同級生?」
「一個上。一人暮らししてて、もう働いてるんだ」
「……女の子?」
「そうだけど、なんで……て、あぁー! うわ! 当たり前じゃん何言ってんの!?」
「いや、その、心配で……」
「私がそんな変な男に引っかかるワケないって!」
「なんだか勘が働くのよ。若いころのお母さんみたいに──
なわけあっか! 喉元ギリギリまで出かけた言葉を、アマテは引っ込めざるを得なかった。
よくよく考えてみると、シュネー・ヴァイスことハマーン・カーンは、きらめくような赤髪と、青紫色の涼しげな目元が最高にイカしたとびきりの
そんな子が、裏社会を生き抜くための攻撃的なファッションに身を包んでおきながら、親しい人の前では貴族らしい上品な仕草と、高貴な言葉遣いを見せるのだから。
サイド6有数のお嬢様学校であるハイバリーハウス学園の純真無垢な女学生の前に引っ張り出せば、彼女たちのナニカが取り返しのつかない壊れ方をするのは、まあ、簡単に想像できた。
なんだよ。低身長で爆イケでピアスバチバチでお嬢様って。欲張りすぎだろ。
それにだ。思えば赤いガンダムを駆るシュウジも、セクシーが脇のゆるい服を着て歩いているような男の子だった。初めてのクランバトルで浮ついていた自分に、もっと自由になっていいと声をかけてくれたことは、忘れようもない。
ニャアンだってそうだ。最初に会った時なんて脚が長すぎて二度見した。並んで歩くと腰骨の位置が自分と違いすぎて遺伝子レベルで敗北を感じる。まだ私服を拝めていないのが残念だとすら思う。きりっとした顔の割にへっぽこなのがまた強烈にカワイイ。
あれ? 私の周り、美形しかいない?
「ウソだ……偶然に決まってるッ……!」
「それが母の血よ、アマテ」
母タマキは無駄なキメ顔を披露した。さすがにちょっと引っぱたきたくなった。
「え、てかお母さんそうだったの?」
「認めたくないものね。自分自身の、若さゆえの過ちというものを」
「カッコつけてんじゃないよ。親のそんな話聞きたくないよ。そもそもシュネーはそんなんじゃないし!」
「その子がアレね? アマテのハルハラ・ハル子ってわけね」
「はあ?」
「いやだから、私は少年の日の心の中にいる青春の幻影なんですよっていう、こう、ツルマキ的なアレなんでしょ?」
「何言ってんだかわかんないよ!」
なんでも旧世紀の古典文学の引用らしいが、アマテには少々難解すぎた。真面目な母が仕事のストレスにやられて、朝から酒に酔ってるとでもしたほうが、まだ呑み込める。
ていうかハルハラって誰?
「ごめんなさい。お母さんちょっと、舞い上がってるのね」
「え?」
「アマテから誘ってくれたんだもの」
母の何気ない一言が、心の柔らかいところを不意にひっかいた。自分でも、なぜそんな痛みを感じたのか、説明がつかなかった。驚いてしまった顔を見られたくなくて、窓の外に目をやった。
母にはそれが、照れ隠しに見えたようだった。
今まで、自分の要望を母に聞き入れてもらえたことはない。塾を辞めてバイトがしたいと思った時も、遠回しに話を振ったが、今は勉強でしょ、の一言で終わりだった。
別に、それが初めてではない。外交官の父が単身赴任で家を離れた時から、いや、ひょっとすると物心がついた時からずっとそうして、知らないうちに小さな望みを黙殺されてきたのかもしれない。
そのうちアマテは、母に何も望まなくなった。どうせ聞いてくれないから。どうせ、聞こえていないから。そういう、学習性の無力感があった。
なのにどうして、母は自分の誘いにこうも嬉しがるのか。そう思うと、胸の奥に、鉛のように重く、鈍い痛みが現れる。
向き合いたくない。母に。なにより自分に。
もし、この痛みの正体を探った先に。話を聞かない母が悪いのではなく、話をしない自分が悪いのだと。そんな答えが出てしまったら。
怖い。
ただでさえ価値のない自分が、もっと馬鹿で、愚かで、鈍いものだとわかってしまうことが。
「アマテ。着くよ」
「……ん」
車はひとりでにカーシェア専用の乗降レーンへ滑り込み、音もなく停車した。アマテが先に降りて、母に手を貸した。
(シュネーなら)
こんな、身を削るような自己愛の欠落に、悩まされることもないのだろうか。
「アマテ?」
顔を上げた。急に辺りの喧騒が、耳に入ってきた。
木造風の外壁に水耕栽培のツルを這わせ、瑞々しい緑に彩られたオープンモールの入り口で、アマテとその母タマキは、人々の往来から取り残されたように、足を止めていた。
「……ううん。なんでもない」
そう言うと、母はいつものように、まるで、自分のことをなんでもお見通しだとでもいうかのような、温かな目でこちらを見つめる。
アマテは、その眼差しが苦手だった。
わかった風でいるだけだ、と思うから。
その目で見られると、口をついて出そうになった反論が封じ込められて、自分の腹の中でゆっくりと腐っていくような思いがするから。
母の愛は、抑圧の形をしていた。
「あの、さ」
だから。
「今日は、ちょっと、話したいことがあって」
だからこそ、今まで諦めていた一歩を、踏み出さなければならなくて。
「私、私ね──」
変だ。私は、この会話を知っている。
どこで?
ぞくり、と寒気が背中を這い上がる。
「……アマテ? どうしたの?」
大気が震えた。かすかに、けれど間違いなく、遠くで爆発が起こった。
身の毛もよだつ悪寒がした。
立っていられなくなるほどの恐怖が心を縛る。
アマテには振り返ることすら、
「ダメだっ!」
振り返らなくていい、走れ。じゃなきゃ一生後悔する!
そんな、猛烈な予感がアマテの足を動かした。困惑する母に真っすぐ駆け出し、そのまま全力でぶち当たる。
あまりの勢いに、二人の身体は一瞬、完全に宙へ浮いた。
その直後のことだった。
母が立っていた場所を、黄金色のビームが薙ぎ払ったのは。
地面が爆ぜる。めくれ上がる。砂埃が一瞬にして視界を潰す。余波の熱線が肌を焼く。ぐるり、ぐるりと、天地が回る。目を瞑っていても、コロニーの自転さえ感じ取れるアマテの優れた空間把握能力は、上下を見失うことがなかった。
地に叩きつけられる寸前で身をよじり、母をその腕に抱きながら受け身をとる。背中をしたたかに打ち付けて、肺の空気が絞り出された。
何度も何度も、親子で地べたを無様に転がり、やがて止まる。
全身の擦り傷が痛い。至近で浴びた熱線が、熱い。唇が砂埃でじゃりじゃりする。
ああ、でも。生きている。
お母さんは、ここにいる。
「アマテ! アマテ!」
「大丈夫、私は……うわ、お母さん血! 頭切れてる!」
痛む体を押して起き上がり、ポケットから引っ張り出したハンカチを母の額に押し当てる。冷静に対応できたのは、そこまでだった。
切っただけ? それともどこかに打った? もしそうなら動かさないほうがいい。でも、今すぐ逃げなければ命がない。
頭が真っ白になる。周囲は悲鳴で満ちていた。逃げ惑う人の波が大気をかき混ぜる。鼻が曲がりそうな煙の臭いに混じって、何か、脂っぽい臭いが。
まさか、メガ粒子のビームに焼かれて蒸発した、何人もの、
「──ぅぷ」
せり上がってくるものを、嫌な想像と一緒くたに飲み下す。
考えるな。今は、生き残ることだけを。
「アマテ!」
母が空を見上げて叫んだ。一瞬遅れて影が差す。熱風が吹きすさぶ。
知っている。
砲口に光が灯るさまが、いやにゆっくり見える。
駄目だ。ビームは光速の数割に達する。もう何をしても、逃げられない。
母が、アマテを強く抱き締めた。モビルスーツの装甲を瞬時に貫通するビームの前には、意味なんてない。
意味なんてないのに。
「……お母さん」
目を閉じて、母の肩に顔を埋めた。
しかし、その瞬間は来なかった。
ファンネルより大きな、もっともっと大きなものが、火線に割り込んでいた。
それは、ジークアクスの胴体よりも太く堅牢な、巨腕。モビルスーツを丸ごと握りつぶせてしまいそうな掌から、何か、見えない力場のようなものが発振されて、ファンネルのビームをあらぬ方向にねじ曲げていた。
逸らされたビームは、人気のない駐車場方面に突き刺さると、路面をメートル単位の深さに抉り、車の群れを木っ端のようにひっくり返した。それでも、流れ弾に巻き込まれた者は一人としていない。
防御したビームの行く先にさえ気を遣った、まさに神業というほかない技術を持ったモビルスーツ乗りを、アマテは、一人しか知らなかった。
「シュネー……!」
ジオングが、超低空を翔け抜ける。
八つ腕のうち、背部サブアーム群から切り離した四本を宙に浮かせ、
アマテは間近で、音速を超えたジオングが大気の壁を喰い破る、暴力的な衝撃波を全身に浴びた。
びりびりと、皮膚が震える。心が、震える。
私を固く抱き締める、大切な人を守れと。戦えと。
巨大な敵を、討てよ、討てよと。
アマテ・ユズリハの、魂が叫ぶ。
【挿絵表示】
ばけつ様(@baketu_desu)より、主人公シュネー・ヴァイス(ハマーン・カーン)のファンアートを頂きましたので、紹介させていただきます。
この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。