【二章完結】ハマーンさんじゅうはっさい   作:千年 眠

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U.C.0085 小惑星基地アクシズ

ジオン公国の敗戦から 5年

 

 アクシズ最深部に隠された秘匿工廠は、目下建造中のキュベレイを含めた、ネオ・ジオン軍の決戦兵器を開発する場として、一般将兵にさえ存在を隠された最高機密であった。

 

 そんなドックの一つへ、首を落とされた八つ腕の鉄巨人が、四方八方から伸びるワイヤーで吊られる様は、旧世紀の教養に通じる者が見れば、ガリバー旅行記を連想するだろうか。

 開け放たれたコックピットもそのままに、漂着時の現状を保存された異形のモビルスーツを、キャットウォークから見下ろす影が二つ、ある。

 

「これが、例の首なしか」

 

 ア・バオア・クーの敗戦から、アクシズへ逃れた将兵を束ね、幼いミネバ・ラオ・ザビ王女を旗印にジオンの再興を目論む女傑──ハマーン・カーン。

 

「片羽の妖精は、隣のハンガーへ収容しております。両機の解析結果を、報告いたします」

 

 宇宙巡洋艦エンドラを指揮するネオ・ジオンの若き騎士にして、ハマーン随一の忠臣──マシュマー・セロ。

 

「首なしの設計は、一年戦争末期のジオングに近く……それにしては、地球連邦軍のRX-78ガンダムと、技術的な共通点が多すぎることが判明しました」

「連邦だと? ティターンズのデッドコピーか?」

「それが、機体のシリアル・ナンバーから製造日を追うと、昨年、ジオン突撃機動軍のグラナダ造兵廠で建造されたことになっていました。もちろん、グラナダは現在、()()()の地でありますから……この機体は、存在するはずがないのです」

「あるはずがないといえば、この首なしと共に漂着した片羽の妖精……キュベレイだな。実機は未完成のはずだが」

「現状で完成しているコンポーネントと、片羽の妖精との同一性は八〇%以上。いまだ図面上にしか存在しない部位でさえ瓜二つで、検証に関わった設計局のスタッフは、不可解さのあまり倒れたとか……」

 

 側近マシュマー曰く。

 首なし(ジオング)片羽の妖精(キュベレイ)は交戦状態のまま、何らかの理由で放棄されたものがアクシズへ漂着したものと見られるが、パイロットの存在は周辺宙域にも確認できなかったという。

 それも互いに、まだ十分に戦闘を行えるだけのヘリウム3燃料と推進剤(プロペラント)を抱えたまま。

 

 亡霊。そんな言葉がハマーンの内心に浮かんだ。

 

「この漂着機らの存在を知るのは、私の信頼できる部下どもと、一部のエンジニアのみです。他には漏らしておりません」

「ただちに箝口令を敷け。地球圏侵攻を目前に、このようなものは士気に関わろう。何者の意志か知らんが、気に入らん……」

「はっ。仰せのままに……もう一つ、お耳にお入れしたいことが」

「申せ」

「ミネバ様がお呼びでありました。侍女がいうには、少々、ご立腹だそうで」

「姫様のかんしゃくにも困ったものだ……すぐに向かう」

 

 ミネバ・ラオ・ザビ王女の宮殿は、アクシズに接続された一回りほど小さな天体、モウサにあった。遠心ブロックを使わずとも、ミノフスキー粒子物理学の粋を集めたMMFフィールド技術の応用によって疑似重力を発生する、世界で最も先進的な小コロニーである。

 

 宮殿の一帯には地球のジオン残党組織から忠誠の証として献上された動植物が息づき、小高い丘の木立には、豊かな人工水源が清らかな泉を成していた。

 

 これは、水や酸素さえ自らの手で生産しければならないアステロイド・ベルトにおいて、アクシズ全体の生命維持システムに大きな負荷を与えるものである。

 

 しかし、宇宙の最辺境に造られた緑の楽園は、敗走したジオン残党の寄せ集めであるアクシズの将兵に、失われたザビ家の威光とネオ・ジオンの国力を信じさせる信仰の道具として機能していた。

 たとえアクシズ内部の都市に住まう民草に苦労を強いても、ネオ・ジオンが国家の形を保つには、美しい幻が必要だった。

 

「ハマーン! 妹がいるなら紹介してくれればいいものを!」

「は……?」

 

 穏やかな春の昼下がりに()()された偽物の空の下。放し飼いにされた小鳥たちが、白亜の手すりで羽を休める。

 六歳になったミネバ・ラオ・ザビ王女は、柔らかな日差しの差すテラスに広がる牧歌的な光景には目もくれず、ハマーンのひざ下辺りでぷりぷりと可愛らしく憤っていた。

 

 ミネバ王女の微笑ましい姿に側仕えの侍女たちが思わず頬を緩める中、ハマーンだけが戦慄を隠せずにいた。

 私に妹など、いない。

 

「妹、でありましょうか……?」

「ああ! お前より一回り背が低くて、でも顔立ちはそっくりだな。とっても優しいんだ、中庭の池でボートを漕いでくれた!」

 

 侵入者か。あるいは密偵か。

 しかしここは、木星と地球の間に広がるアステロイド・ベルトの最果て。ジオンを降伏させた地球連邦が、わざわざ攻める価値もないとして見捨てた不毛の地に、今さら侵入者などいるはずがない。

 

 背中に冷たい汗が滲む。

 あり得ない話だが、アクシズに漂着した首なし(ジオング)のコックピットは、始めから開いていた。

 まさか、中に誰かが?

 ひとまずハマーンは、何も知らないミネバをあしらうことに決めた。

 

「い、妹はうつけ者ですゆえ、カーン家を勘当されたのです。くれぐれも、見かけてもお近づきにならぬよう。あれなる女は、ミネバ様の品位を損ないます」

「悪かったわね、うつけ者で」

 

 その時、ありえない声がした。

 ハマーンによく似た、しかし、いくぶん高く可憐な声が。

 

「あ、また遊びにきてくれた!」

 

 懐の銃に手をかけて振り返る。小柄な少女が、音もなくハマーンの後ろに立っていた。

 そしてある、ありえない直感が脳裏をよぎる。思わず、自分自身の正気を疑うほどの。

 ゆえにハマーンはその直感を気の迷いとして切り捨て、自分と瓜二つの少女に敵意を剝き出しにした。

 

「貴様、何者かっ!」

「わお。私って、こんなに低い声出せたんだ……」

「戯言を──」

「それはこっちのセリフだわ。聞かずともわかるはずよ、あなたもニュータイプでしょう?」

 

 同じ色の瞳が交錯する。かすかに精神が感応した。魂の表層に触れられる不快感は、どうしてか覚えなかった。

 分かっている。認めたくないだけだ。

 この少女を、排除すべき異物と断じることのできない自分自身を。

 

 彼女もまたハマーン・カーンなのだという、ありうべからざる確信を。

 

「ここじゃ私の存在って安定しないのよね。悪いけど、またいつ消えるか分からないから、手短に話すわ」

 

 彼女は人工太陽のうららかな日差しに白い手をかざした。信じられないことに、その輪郭は時たま揺らぎ、青空が透けている。

 

「あなたの憎悪と悲しみが世界をまたいで共鳴するせいで、()()()の私は迷惑してるの。このままじゃおちおち帰れもしない。仕方ないから、あなたがシャア・アズナブルへの未練を晴らすのを手伝ってあげる」

 

 シャア。その、誰にも明かしていないはずの、忌まわしい名前が聞こえた瞬間に、ハマーンは銃を抜いていた。

 人の中にずけずけと入り込む無神経さは、彼女が最も唾棄するものだった。

 

「ハマーン! 何を!?」

「お下がりくださいミネバ様! この痴れ者を撃ちます!」

 

 やはり、この女と目を合わせるべきではなかったのだ。あの一瞬の交感で、人が秘めたる心の奥底をほじくり返すなど、心底見下げ果てた俗物めが──

 

「だから、銃! ()()()()()()()()、どうしたというんだ!?」

 

 ──言われて気がついた。側頭部に押し当てた、硬く冷たい銃口に。

 

「自分を撃つって、つまり、自害よね。拷問や拘禁もおすすめしないわ、自傷に終わるだけよ」

 

 ありえない。

 確かに、目の前の少女へ銃を向けたはずなのに。

 

「つまり。私がこの宇宙と繋がっている限り、私が死ねばあなたも死に、あなたが死ねば私も死ぬ。命を共有しているのよ、()()()()ハマーン・カーンだから」

 

 少女はそう言って、悠然と微笑んだ。

 

「よろしくね、向こう側の私」

 

 区別しにくいなら、私のことはシュネーでいいわよ?

 ハマーンは──ネオ・ジオンのハマーンは、彼女(じぶん)の優しい目が気に入らなかった。

 

 

U.C.0085 サイド6 イズマ・コロニー近傍

イズマ事変から 7日

 

 

『管制塔よりジークアクスへ。着艦申請を受理しました。ガイド・ビーコンに従い、セクション名“トゥエルブ・オ・クロック”、B-018ハンガーへ駐機せよ』

 

 ラビアンローズ級自走ドック艦、二番艦トゥエルブ・オリンピアンズ号。

 地球圏最大級のコングロマリット企業であるルオ商会が保有するその船は、名が表す通り、バラの花に似ている。

 

 全一二基の超大型カーゴ・ブロックは、メイン・エンジンと居住エリアを覆う形で円状に接続された花びらだ。艦の中央前方には他の船を係留する大規模なドックがあり、無数のガントリー・アームが雄しべのように取り囲んでいる。

 

 着艦を誘導するガイド・ビーコンの光は、艦の正面を時計の文字盤に見立てたとき、一二時(トゥエルブ・オ・クロック)にあたる区画から発されていた。

 

 アマテはオメガ・サイコミュを起動していない。通常仕様の操縦桿とペダルを慎重に操り、大口を開けたカーゴの内部へ、右腕の肘から先を失くしたジークアクスを滑り込ませる。

 

「一七番、一八番……あそこか」

 

 ノーマルスーツを着たメカニックの手信号に従って、ハンガーのロック機構に足を揃える。額には、不慣れな操縦から冷や汗が浮いた。

 

『固定よぅし! なかなか筋が良いじゃないか』

 

 誘導棒を下ろしたメカニックが、携帯型の接触通信ケーブルをジークアクスに打ち込んで言った。

 

「アストナージさんの誘導が上手いから」

『片腕なしで普通に飛べるんだから、上手いんだよ。第三ラウンジに行きな、ジェリド達もぼちぼち来るはずだ』

「はーい」

 

 全長、全幅ともに約六〇〇メートルもの巨体を誇るトゥエルブ・オリンピアンズ号の艦内は、もはや宇宙船というより、小さな街に近い。全一二基のカーゴ・ブロックはリニアの環状線で結ばれており、中央の居住区へは、その副路線を使って向かうことができた。

 

 木目調の内装に、植物の緑をふんだんに飾り、広大な庭園に誂えられたカフェを思わせる第三ラウンジは、遠心ブロックによって、艦船としては破格の完全な一G環境に保たれていた。

 

 利用者の大半はルオ商会の社員だったが、ラビアンローズ級の建造元であるアナハイム・エレクトロニクス社の開発スタッフもちらほらと見える。

 スーツの群れの中で、学生服に社員証を首に提げたアマテのちぐはぐな格好は、少なからず浮いていた。

 

「マチュ、こっちだ!」

 

 だからだろうか。ジェリドはすぐにこちらを見つけて、手を振ってくる。彼の後ろには、クラン、ポメラニアンズのオーナーであるカネバン有限公司の面々が付いていた。

 

「契約は結ばれた。ジークアクスは今日から正式に、我々ルオ商会のクラン、トゥエルブ・オリンピアンズで面倒を見る」

「え……あのスタンパ・ハロイっておじさんが、オーナーじゃなかったんだ」

「なんだ、シュネーから聞かなかったのか? そもそもトゥエルブスは、地球連邦軍の演習相手をやる戦技研究(アグレッサー)チームだ。ハロイ・ファミリーは取引先の一つに過ぎん……もっともスタンパは見栄っ張りで、自分のクランのように吹いてるが」

 

 まったくブランドイメージを損なう。ぼやくジェリドは、仕立てのいいスーツを着ていた。胸元には、ルオ商会の社章を模ったバッジが光っている。

 

「ジェリドってさ」

「あん?」

 

 シュネー・ヴァイスのマヴ、トゥッシェ・シュヴァルツのエントリーネームで知られるジェリド・メサの本業は。

 

「スーツ似合わないね」

「ケンカ売ってんのかコラ」

 

 ルオ商会サイド6支社、対外安全保障ソリューション部──すなわち、民間軍事事業(PMSC)部門の敏腕営業マンである。

 

「はぁ……ジークアクスの搬入は終わったな?」

「うん。さっき」

「よし、イズマに戻るぞ」

 

 緑豊かなラウンジに、新たな一団が列を作ってやってきた。引率役の社員の後ろにぴったりと張り付いて、物珍しそうに辺りを見回す人々の格好は様々だ。

 

「失礼ながら、私はこれで。皆様はトゥエルブ・オリンピアンズ号の見学ツアーを、ごゆるりとお楽しみください」

「良い取引だったよ、ジェリドさん。これからも仲良くやりたいね」

「今後ともルオ商会をごひいきに!」

 

 ジェリドのビジネスライクな微笑の影に隠された、アンキーへの軽蔑と怒りを感じ取ることができたのは、アマテだけだったのだろう。

 

 シュネーが消えてから、アマテのニュータイプ能力は高まるばかりだった。

 まるで魂に刻まれた未練が、彼女を探すかのように。

 

「アンキー、嫌い?」

 

 帰りのランチ船で聞いてみた。隣席のジェリドは少しだけ驚いてみせたが、ややあって、人の内心をあんまり覗くな、とたしなめられてしまった。

 彼にとって、心が読める人種とは、ごくありふれた存在のようだった。

 アマテはなんだか負けた気がして、ちょっぴりスネた。

 

「人柄はいい。やり方が好かん。会社の借金の返済に、お前とジークアクスを使おうってんだぞ? 契約書もなしにな」

「最初にザク壊しちゃったの、私だし」

「こないだはシャッターもな。それでも、損害以上に取っていい道理はない。シュネーには、アンキーが欲をかくのが見えてたのさ」

「シュネーがソドンに行ったのって、私と会ってすぐだよ。そんな時間ある?」

「逆だ。あいつはお前の雇い主を目利きしに付いていったんだ。ドムを取りに戻った時にはもう、お前の買収を決めていた。そういうことをしちまう女なんだ」

「……高かったでしょ」

「お前に心配されるほど、ルオ商会の懐は寒くない。だが、そうだな。負い目に感じるってんなら……」

 

 ジェリドは少し、口の中で言葉を探した。

 

「それが、シュネーがお前に見つけた価値だと思え」

 

 それがあいつへの、何よりの手向けになる。

 ジェリドが何気なくそう呟いた瞬間、アマテは彼を、精一杯睨んだ。

 

「シュネーは、死んでない」 

「……すまん」

 

 会話はそこで途切れた。どちらともなく、座席に埋め込まれたモニターでニュースを見始めた。

 

『イズマ・コロニーで発生したテロを、軍警察当局はアースノイド至上主義過激派組織によるものと断定』

 

『サイド6政府は地球連邦の統治能力を批判するとともに、ジオン公国との連帯を強化すべく──』

 

『イズマ事変では、ジオン公国軍のパイロットが身を呈して、テロリストの自爆からコロニーを守ったとの目撃情報が多数寄せられており、世論はおおむね好意的な──』

 

『──ですから私は、ジオン軍の兵器管理体制を問うているのですよ。パイロットの自己犠牲には哀悼の意を表しますが、開発中の実験兵器を奪われるなど──』

『──しかしですねえ、カイさん。今回の犯行は、スペースノイドを無差別に狙ったわけですから、ジオンだけの責任とも言い切れんでしょう。軍警察もマゼラン級戦艦の投入を渋っていなければ、そもそも領空侵犯を──』

 

『スプーンから宇宙戦艦まで。アナハイム・エレクトロニクスは人々の暮らしと安全を──』

 

 報道に真実はない。ニュースはもちろん、ネットニュースやアングラネットの匿名掲示板にさえ、ジオンの作ったカバーストーリーが浸透していた。

 

 アマテの活躍は語られない。シュネーの犠牲は知られない。

 ニャアンのような難民が何人死んだかなんて、誰も気にしていない。

 

 あの日のすべてが、自分だけが知る幻だったかのように。

 すごいことなんてない。

 ただ当たり前のことしか起こらない。

 退屈で平坦な世界が、そんな呪い(うそ)を語りかけてくる。

 

「ところでな」

 

 ずっと黙っていたジェリドが、ランチ船を降りる間際、ぎこちない口調で呟いた。

 

「このイズマが、今も崩れずに回っているのは、お前が戦ったおかげだ」

 

 あ然として、彼を見上げた。

 

「一五〇〇万の命を救ったんだ。胸を張れよ。俺も、ライラも、お前のおかげで生きてるんだからな」

 

 ありがとう。

 ジェリドは言葉を濁さなかった。どこまでも誠実に、目の前の少女に頭を下げた。

 アマテは、一切の噓を含まない彼の姿に圧倒されて、ついに何も言えなかった。

 

§

 

 地面に視線を落とした。なんでもないアスファルトの歩道が、アマテの足元を支えている。

 それが実はビーム一発で大穴が空き、人をいつでも宇宙に放り出してしまうなんて、キュベレイと戦う前の自分だったら、想像すらできなかったに違いない。

 

(……これを)

 

 私が守った。そう言われても、スケールが大きすぎて、なんだかよくわからない。

 

「あっ、アマテー! 元気してた?」

 

 車道を挟んで向かいの歩道に、アマテのクラスメイトが四人。車通りはない。

 

「まーね」

「休学ってさあ、進級大丈夫なの?」

「単位足りてればいいって、先生が言ってた」

「そっか、じゃあアマテも一緒に上がれるね!」

 

 一番に声をかけてくれた亜麻色の髪の少女に続いて、他の三人も、口々にアマテに見舞いの言葉をかけた。

 親子二人で命の危機に晒され、生身の人間がビームに消し飛ばされるさまを至近で見てしまったアマテには、急性ストレス障害(ASD)の診断が下りていた。

 

 戦場で感じた死者の念は、自覚はなくとも、心を抉っていたらしい。

 我ながら、情けない話だった。

 

「これからワンダラ行くんだ。アマテもおいでよ!」

 

 横断歩道は、すぐそばにあった。アマテにはそれが、非日常と日常の境界にかけられた、一本の橋のように思えてならなかった。

 シュネーは、いなくなった。

 ニャアンは、家を失くした。

 

 少なくとも、ユズリハ家を間借りしているニャアンが、新居に住めるだけのお金は、クランバトルで稼がなければならないと思う。

 それ以外に戦う理由が、今のアマテには見つからない。

 

 鬱屈した気持ちをずっと抱えて、普通に堕ちるべきではないかと。

 ここではないどこかなんて、どこにもありはしないのだと。

 シュネーを助けられなかったアマテの、卑屈な無力感が耳元で囁く。

 

(どうせ、私は……)

 

 妥協と諦めが、アマテに一歩を踏み出させた。

 いいじゃないか、もう。

 みんなを守ったことを思い出にして、この気持ち悪さを死ぬまで抑え込んで、自分を殺してずっと生きていけば──軽やかなクラクションが、二度鳴った。

 

 横断歩道の前で足を止めた。音のしたほうを見た。

 真っ赤なスクーターが止まっていた。クラシカルな見た目だ。レッグシールドには、Vespa S.S.(ベスパ・スーパースポルト)の銀字が躍っている。

 シートにもたれかかっていた小柄な少女が、ヘルメットを脱ぎ、ゴーグルを外す。

 

 ブーゲンビリアの花も恥じらう、鮮やかな紫紅(しこう)色をした髪が、こぼれ落ちて艶めく。

 

「そこのかわいいお嬢さん」

 

 とろけるように甘く可憐な声音は、忘れようと思って忘れられるものではない。

 

「私と、踊ってくださらない?」

 

 気づけばアマテは走っていた。

 無我夢中で胸に飛び込んだ。

 その腕に、少女の体をかき抱いて──涙をこらえられたのは、そこまでだった。

 

「シュネー……!」

「ええ。ただいま」

「もう、もうっ、会えないかと思った……!」

「私もよ。()()()じゃ本当に大変だったんだから。一時は諦めかけたけれど……あなたとの縁が、私をまた、ここに導いてくれた」

 

 こんなに嬉しいことはない。

 そう言う彼女の声は、かすかに震え、涙に湿っていた。

 

 不思議だ。シュネーとは会って数度。一緒に過ごした時間は一日とないはずなのに、一生の苦楽を共にした魂の片割れのようにすら思える。

 言葉を超えた交わりをもたらすニュータイプの力が、そうさせるのだろうか。

 

 いいや。理屈はいらない。

 背中に回す腕が。触れ合う頬が。絡め合う指が。

 今は、ただここにいる彼女を確かめることが、心地いい。

 ぱちぱちと、二人にしか見えない光が弾ける。

 涙が出るほどの幸せが交わる。

 甘やかに。甘やかに。

 

「ア、アマテ、マジか……!?」

「ちょ、あれ、あの女、じゃない、あの女の子誰!?」

「噓だ……アマテさんはそんな顔しない……悪い夢だ……」

「…………かはっ」

 

 なんだか周りがうるさいかも。

 噂、されちゃうかな。

 でも、うん。

 もう、どうなってもいいや!

 

 




数日後


 サイド6大統領ペルガミノに対面するのは、妙に取り合わせの悪い二人組だった。
 一人は白髪を後ろに撫でつけた、威圧的な老爺。かたやもう一人は、小柄な少女。

 老爺は、ジャミトフ・ハイマン。地球連邦軍大将。
 少女は、ハマーン・ウル・カーン。ジオンの姫君。

 そのどちらもが、まるで獲物を嬲り殺しにする肉食獣がごとき残虐な笑みを湛えながら、ペルガミノを追い詰めていた。

「アナハイムは協約に合意した。月の巨人を長く待たせることは、勧めんが?」

 唸るような老爺の声が、重くのしかかるように響く。
 ペルガミノはすでに、密会に他の人間を同席させなかったことを何度も悔いていた。地下賭博であるクランバトルの運営に関して、協議すべき重要な事項があるとしてセッティングされた後ろ暗い場に、余計な人目は必要無いと考えたがゆえの失敗だ。

 それがまさか、今まで判断を先延ばしにしていた、ある密約の締結を迫るものだとは。
 
「さあ、答えを聞こう。ザビか、カーンか。貴様はどちらのジオンにつく?」

 傲然と顎を上げてペルガミノを見下すハマーンの顔は──冷酷な女帝、そのものだった。

次章

暁のティターンズ / Dawn of the Titans

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