地球のコングロマリット企業、ルオ商会をスポンサーに、アマテ、ニャアン、シュウジの三人で結成したポメラニアンズだが、その運営は、アマテの地獄のようなワンオペで成り立っていた。
シュウジはキラキラの落書きと、赤いガンダムの保守整備で手が離せない。
ニャアンは経理の手伝いに大変前向きだったが、オフィスソフトの入ったラップトップPCを前に
アマテも、ルオ商会の敏腕営業マンであるジェリドに教えを乞いながらようやく、といったところだった。
「やることが……やることが多い……!」
クランバトルは非合法ゆえに、税金周りの厄介なタスクがはなから存在しないことはありがたかったが、それでも試合へのエントリーや、ルオ商会に委託したジークアクスのメンテナンス等、金銭のやり取りは無数に存在する。もちろん、それに伴って発生する書類の往来は数倍に上る。
──これ、休学してなかったら一人で回すの絶対ムリじゃん。
イズマ事変で負った
ちなみに、クラン運営のために時折顔を合わせるジェリドは、アマテの日に日に死んでいく目を見て以来、妙に優しくなった。
サラリーマンの悲しいシンパシーだった。
そんなある日、ユズリハ家の呼び鈴が鳴らされた。
「元気そうね、マチュ」
「おうおうどこ見て言ってんだ、どこ見て……」
「本当に元気ない人って、一周回ってテンション上がるのよ? いつぞやのジェリドもそうだったわ」
「怖いこと言わないでよ!」
「あはは! そんなあなたに、今日はいいものがあるのよ。はい!」
ころころと無邪気に笑うシュネーが、ドーナツの大きな箱を差し出したその時、アマテには、彼女が女神に見えた。
「ニャアンはバイト?」
「一緒に買い出しも行ってくれるって。今日はニャアンがご飯当番なんだ」
もはや仕事場と化したリビングのソファに寝転がり、手土産のドーナツを頬張る。もっちりした米粉の生地に、粉砂糖を振ったシンプルなそれが、アマテの一番のお気に入りだった。
この間、たまたま会話に出ただけの好物を覚えていてくれたことが、なんだか照れくさい。
「お仕事は終わりそう?」
「なんとか。ギリギリ。かろうじて……アンキーたちってすごかったんだなあ」
「あっちは四人いて、それが本業だもの。無理ないわ」
「でも、これで三連勝。ニャアンの家は手に入る。ずっと住むには、まだ戦わなきゃだけど……あーあ。地球は遠いや」
「マチュも、地球に行きたい?」
口に運びかけた食べかけのドーナツが、思わず止まる。
日常に感じる閉塞感。コロニーの回転に伴う悪酔い。シュウジと見たキラキラ。
頭から血を流す母の姿。そして……応えてくれたジークアクス。
色々なことを考えた。そして、
「私は……行っちゃいけない。またこの間みたいなことが起きたら、みんなを守れるのは、私だけだから」
そのためには、漠然とした気持ち悪さや、普通の人々からの疎外感なんて、心の奥底に押し込めなきゃいけなくて──
「違うわ、マチュ」
──え?
「私は、あなたが地球に
アマテの投げ出した足を避けるよう、ソファへ浅く座っていたシュネーが身を乗り出してきた。顔を覗き込まれて、思わずどきりと心臓が跳ねる。
長めのアイラインで強調された凛々しい目は、光の当たり方次第で、赤紫と青紫の間を幻想的に移ろった。アマテは彼女の不思議な瞳を、ひそかに星雲色と呼んでいた。
好きな色だった。
「トゥエルブ・オリンピアンズ号が、イズマに来ているでしょう?」
「……うん」
「私達はその名の通り、一二個のアグレッサー部隊を持っているわ。つまり、プロの軍人に戦い方を指導する、超一流パイロットの集まりよ」
もちろん私と、私のマヴもね。
「トゥエルブスは、サイド6からも有事対応の依頼を受けているの。あなたが強いられるままに戦う必要はない。もっと自由に考えてみて」
もう一度聞くわ。
「地球に行きたい?」
無性に目頭が熱くなった理由が、アマテにはわからなかった。
何度か口を開こうとして、うまく言葉が出てこなくて、息を大きく吸い込んだ。
「私、ずっとイズマしか知らなくて」
大丈夫。シュネーは、ちゃんと待ってくれる。
だから、少しづつ。ひとつづつ。
「自分の感覚をわかってくれる人がいなかったから、なんだか私、周りに馴染めないでふわふわ漂ってる、クラゲみたいで」
自分のことを話すのは、怖かった。
それでも、シュネーはかつて、ソドンで自分の身の上を話してくれた。
彼女も同じ思いをしたはずだ。だから、初めて会った彼女は、アマテの出撃を見送る時に、あんなに不安げな顔をしたのだと、思う。
「でも、今になってやっと、シュネーやシュウジみたいに、自分と同じ人に会えて。そうじゃなくても、私の変わったところを受け入れてくれる、ジェリドみたいな大人もいるんだって、わかって……」
あの時は、何も言えなかったけれど。
今は違う。
「それでも、私のことがわからなくても、お母さんは、私を好きでいてくれて、それで」
あなたに、知ってほしいから。
「私、何も知らなかった。今も、全然わかってないんだと思う。みんなのことをもっと知るには、世の中のいろんなものを見て、感じなきゃいけないんだ」
あなたのことを、知りたいから。
「私はもっと私を知りたい。私を好きでいてくれる、みんなのことも分かりたい。だから……」
そして、いつか。
「地球に行きたい」
あなたと同じ眼差しで、人を見つめたいから。
最後の言葉は、胸の奥にそっとしまい込んだ。
まるで愛の告白でもするみたいで、恥ずかしかったから。
ああ、でも。シュネーには、言わなくても読まれているかもしれない。
それでもいいな、とアマテは思った。
「行きましょう。みんなでね」
「……うん、絶対だよ」
白磁の肌をしたしなやかな手が、寝そべるアマテの乱れた前髪をそっと払う。そのまま頭を撫でられて、心地よさに目を閉じた。
「マチュ」
「なあに?」
「好きよ」
かすかに衣擦れの音がした。
「あなたも、ニャアンも、シュウジも。みんな好き」
「ふふ。知ってる」
「言いたいのは、それだけ」
「そういう人が、ホントにそれだけなことないよ」
「そうよね。でも、それだけを分かってくれたら……今は、いい」
「そっか」
「ありがとうね、マチュ」
「シュネー」
「なあに?」
「私、何があっても平気だよ。あなたと一緒なら」
シュネーの手が、一瞬、ためらうように止まった。不思議に思ったアマテが目を開けるよりも早く、再び髪を撫で始める。
疲れ果てたアマテが寝入るまで、彼女はずっとそうしていた。
§
自走ドック艦、トゥエルブ・オリンピアンズ号が備える全一二の超大型カーゴ・ブロックのうち、時計の文字盤になぞらえて、スリィ・オ・クロックと呼ばれるセクションにガイド・ビーコンが灯る。
積荷の固定や、艦載宇宙機のメンテナンスを行う上での利便性を考慮し、〇・一Gの微弱な遠心力を発生する自転システムは、その回転数の低さから、モビルスーツの離着艦に及ぼす影響も少ない。
それでも、絶えず自転し続けるカタパルトと自機の円運動を同調させ、理想的な着艦を行うためには、それなりの技量が必要なことはいうまでもない。
ゆえにジェリド・メサは、黄金色の対ビーム・コーティング塗装が施された派手派手しいモビルスーツが、タッチダウンした脚部から火花の一つも散らさない様子に、悔しくも尊敬の念を覚えた。
(……馬鹿か、俺は)
黄金のプロトタイプを駆るシイコ・スガイのモビルスーツ撃墜数は、一四二。自分のダブルスコアを超える戦果を誇った真のエースを相手に、何が悔しいというのか。
「嫌だね、青くってさ……」
独白は真空を伝わらない。ノーマルスーツの通信機を点けた時には、ジェリドはもう、軍人の未練をビジネスマンの顔で覆い隠していた。
「お見事です、大尉。いいデータが得られたと、モスク・ハン氏も絶賛しておられましたよ」
『私好みのセッティングを出してくれたメカニックのおかげね。アストナージさんといったかしら?』
「彼は連邦軍時代、モスク博士と共同研究をしていましたから。マグネット・コーティングの性質をよく分かっているんでしょう」
モビルスーツのコックピットハッチから飛び降り、〇・一Gの微重力空間をゆっくりと落ちてくる彼女の声音は、すこぶる上機嫌だった。
無理もない。無双の魔女に与えられた機体は、つい先日、次世代フレーム開発のための各種試験を終えて、アナハイムのフォン・ブラウン工場から払い下げられた最新型だ。
戦中は急造品の軽キャノンに散々な苦労を強いられてきた彼女が、ようやく自身の技量に追いつくハイエンド機を手に入れたのだ。フラストレーションから解放される喜びは、ひとしおだろう。
『でもいいの? こういうピーキーなのは、ジェリド中尉にこそ合うと思うけど』
「いいマシーンに乗ると、自分は無用な戦いをしたくなります。それはライラのためによくない」
『家族思いなのね』
「家内と将来の子供を食わせるので、精一杯なだけですよ。腕は二本しかないもんで」
『どうかしら? あなたも第四四旅団にいたのだから、赤いガンダムとは因縁があるでしょう?』
「……よしましょう。自分は、ドミトリー警備保障とルオ商会の契約に基づいて、この機体を大尉に貸し出す。それだけです」
目の前に降り立った彼女は、地球連邦製パイロット・スーツのバイザー越しに、ジェリドの心中を見透かすような視線を投げる。
その深い洞察力を秘めた目は、シュネー・ヴァイスに似ていた。
ニュータイプの瞳だ。
──俺とは違う。
『私が思うに、ね』
彼女は言う。
何かを手に入れるために、何かをあきらめなきゃいけないなんて、そんなの理不尽じゃない?
「……だから大尉は、家庭と敵討ちを総取りしたいのですか?」
『ええ。私のマヴは、赤い彗星に……あのニュータイプに殺された。そのままゼクノヴァに消えてくれていたら、諦めもついたのだけどね。私はあれを、否定しなければならない』
「それでトゥエルブスに協力の依頼をした。ですがその理屈なら、あなたが赤い彗星と同じニュータイプと認めて、同じゼクノヴァから帰ってきた、うちのシュネー・ヴァイスを最初に殺さなきゃいけないでしょう。なぜあいつはいいんです?」
『彼のおかげで、私はここにいるんだもの』
硝煙の臭いを思わせるプレッシャーが、彼女の身体から立ち上る。
耳を澄ませば、降り注ぐ砲火と仲間の悲鳴が聞こえてくる。
我ら、独立混成第四四旅団のモットーは、
『シュネーさんは、クランバトルですべてを手にしたでしょう。富も、名声も、不敗の強さも。ついには、ジオンと手を組んで一五〇〇万の命を救い……そして、復活した。彼みたいな人がいるなら、私も自分を信じていいと思ったの』
ジェリドには、誰よりも彼女の苦悩がわかった。
わかりすぎた。わかりすぎるために、その願いを思い上がりと断じ、否定してやりたくてたまらない。
『そう。そうよ。何かをあきらめる必要なんてない。望みは叶う。手を伸ばし、届くまで戦い続ける意志があれば……』
俺がどんな思いで、
噛み締めた奥歯の軋みを、ノーマルスーツのマイクは拾わなかった。
『ねえ、中尉。赤いガンダムのパイロットって、どんな人?』
「少年だとシュネーは言います。なんでも、一途な男の子だとか」
シイコは相手が子供と知っても、微笑みを崩さない。ハンガーへの固定作業が進められている黄金の機影を見上げ──
『この百式なら、楽に殺せる』
──さながら恋に落ちた乙女のように、熱っぽい声音で呟いた。