攻撃の予兆が読めない。背後に回り込む機影に追いつけない。
「ジークアクスが、性能で負けるなんて──ぎゃっ!?」
右腕に凄まじい衝撃を受けた。オメガサイコミュのフィードバックを通じて感じていた、ザク・マシンガンの重みが消える。武器だけを狙いすました超精密射撃を受けたのだ。
その気になれば、コックピットを撃ち抜くことも難しくない技量だった。
アマテは、Ζのパイロットの手心によって生かされていることを自覚した。
劣勢にあっても、死の恐怖を抑え込み、理性的であろうと努める。焦るばかりでは、相手の気まぐれ一つで殺される現状は変えられない。
ポメラニアンズは窮地に立たされている。
百式に連れ去られたシュウジはあまりのGに失神していた。いくら彼が強くとも、意識がなくてはどうしようもない。早く助けなければ手遅れになるが、しかし。
──眼前に
「ひっ!?」
怯えながら抜き打つサーベルは、奇跡的にΖの一撃をしのぎ、鍔迫り合いに持ち込んだ。
「……え?」
その瞬間、オメガサイコミュが震えた気がした。恐怖とはまた違う。動揺が走った、というべきだろうか。
それは、ジークアクスを通して感応波を受信するアマテも同じく。
この肌触り、知っている。
「シュネー……?」
接触通信のリクエスト信号は弾かれていた。だから、姿を見たわけではない。まして、声を聴いてもいない。それでもアマテには、分かってしまった。
魂が、互いに惹かれ合っていたから。
「どうしてシュネーが、そっちにいるの……?」
戦いの中にありながら、運命的な胸の高鳴りと、とろけるような慈しみが胸を満たす。
ゼクノヴァから帰還した彼女を抱き締めた瞬間と同じだ。彼女との繋がりは、変わらずここにある。だからこそアマテには、優しい彼女が敵に回る理由がわからない。
「どうしてよ!?」
ジークアクスの腕部フレームが、Ζの馬鹿げた出力を前に、ぎちぎちと不穏に軋み始める。シュネーは頑なに答えようとしない。
それでもアマテの鋭敏な感覚は、固く閉ざされた彼女の心から滲む、身を切るような悲しみを拾い上げた。
「どうしてそんなに悲しいのを我慢して、やりたくもないことやってんだよっ!?」
返答は、側頭部への鋭すぎる蹴りだった。
マグネット・コーティングがもたらす反応速度のアドバンテージは圧倒的だ。防御の間に合わないジークアクスは風車のように吹き飛ばされた。
「……それでも!」
まだ、負けじゃない。彼の頭は、しっかりと胴体の上に載っている。
気合を入れろ、アマテ・ユズリハ。キュベレイのほうがよっぽど怖かったろ!
シュネーを止める。そのためにはまず、金ピカをやっつけてシュウジを助ける。
全部、全部、諦めてたまるか!
「ふざけんなッ! どいつも、こいつも、子供扱いしやがって!」
一瞬にして
残された武器は、二振りのビーム・サーベルのみ。そんなジークアクスを、シュネーはもはや脅威に値しないと考えたのだろう。
──ムカついた。絶対、絶対、負けてやらない。
「私は……私は、自分で戦うって決めた、アマテ・ユズリハなんだよっ!」
少女は誓った。
何がなんでも、親友の抱え込んでいるものを洗いざらい吐かせてみせると。
それがどんなに、望みの薄い戦いだとしても。
アマテ・ユズリハは、戦士だった。
§
赤いガンダムのパイロットを失神状態から叩き起こしたのは、他ならぬシイコだった。
百式の性能ならば、初撃で殺すのは容易い。しかし、それでは意味がない。赤いガンダムと、そのパイロットが持つ力。すべてを引き出し、真っ向から叩き潰す。
復讐とは、そうでなくてはならなかった。
「動け。あがけ。私を殺してみせろ。マヴを殺したお前なら、できるはずだ……!」
赤いガンダムのビーム・ライフルが鮮烈に閃く。何度も何度も、絶死の光が降り注ぐ。
しかし、数え切れないほどの同胞の命を奪ってきた桃色の光は、黄金の機体にかすりもしない。
あまりの機動性に、撃墜王のシイコをして額に冷や汗が滲む。しかしここまで過激に振り回してなお、百式に危うげな挙動は微塵もない。
(いいえ、むしろ……)
この速さについていけないのは、私のほうか。
戦争は終わった。シイコは母になった。長年のブランクと出産の負担は、彼女の身体能力を不可逆的に衰えさせた。
歯噛みした。今の私では、もう、この稀代の名機を使い切ってやれない。
(それでも)
五年落ちの赤いガンダムを墜とすには、十分だ。
それでいい。
見せつけるようにビーム・サーベルを抜き放つ。赤いガンダムはライフルの腰部懸架が間に合わないと見るや、あっさりと手放した。思い切りのいいパイロットだ。
その殺意への敏感さが、付け入る隙を生む。
ニュータイプは、外から来る害意を読んで放たれる前の攻撃をかわすが、スティグマ戦術に使われるワイヤーそのものに殺傷力はない。
目に頼らないからこそ、殺意を感じないものへの反応が遅れるのだ。
サーベルを振りかぶると同時に、百式の左腕を思い切り引き寄せた。赤いガンダムに絡んだ極細の超高強度ワイヤーが鞭のようにうねり、上体が大きく泳ぐ。
そのまま、力づくで己の間合いに引きずり込む。ガンダムは対応できない。
シイコの片頬が、死闘の快楽に吊り上がる──ことはなかった。代わりに胸の内を占めたのは、寂しさのような、やるせなさのような、不快な何かだった。
赤いガンダムは、なすすべなく墜ちようとしている。このままサーベルでコックピットを貫けば全てが終わる。
あれだけ強大だった赤いガンダムが。
マヴを奪い、数多の戦友を殺した赤い彗星が。
全能であるはずのニュータイプが、たかが、モビルスーツの性能差ごときに轢き潰されて無様に死ぬ。
私のマヴは、こんなものに負けたのか?
私はこの程度の雑魚に、人生を弄ばれたのか?
結局、赤い彗星も、望むもの全てを手に入れることなどできはしなかった、ただの人だったのだろうか。
復讐と家族。すべてを手にするために赤いガンダムを墜とすことは、その実、すべてを手に入れられる全能の存在を否定することに等しい。
(私は……)
神に縋りながら、神を殺そうとしているのか?
「くだらない!」
そんなセンチメンタルには、仇を討ってから浸ればいい!
戦場に囚われた己の魂は、復讐によってのみ解き放たれるのだから!
「私のために死んで、ガンダムッ!」
必中必殺の刺突を繰り出す。
その瞬間、ワイヤーを引き寄せる左手が急に軽くなった。
「何っ!?」
ライト・グリーンの曲剣が視界の端をかすめる。投擲されたジークアクスのビーム・サーベルが、ワイヤーを断ったのだ。
慣性に従って飛んでいき、そのまま宇宙の闇に消えると思われたサーベルだが、ジークアクスが手首のスナップを効かせると、光刃の柄は弾かれたように手元へ帰っていく。
「ジークアクスが猿真似をした!?」
おそらく接触通信用のケーブルだろう。強度はないが、サーベル一本程度の重量ならば、確かに一度や二度なら、スティグマの真似事も可能だ。
拘束から解き放たれた赤いガンダムは、寸前で百式の刺突に、左腕のガンダム・ハンマーを割り込ませた。内蔵の推進剤タンクが炸裂し、爆炎が目をくらます。
視界の効かない中でニュータイプと斬り結ぶほど、シイコは無謀ではない。百式が誇る世界最速の反応速度をもって、即時、反転離脱。
「シュネー・ヴァイスは何をしているの!」
そう言いながらも、赤いガンダムを仕留めきれなかった原因は、己の一瞬のためらいにあったことを、シイコは自覚していた。
しかし、戦いの中に答えは出た。もう二度と、迷うものか。
黒煙をたなびかせながら後ずさる赤いガンダムは、追いついたジークアクスと背中を合わせる。火砲を失ったポメラニアンズが、百式とΖガンダムの超高機動戦闘に対応できないことは、もはや誰の目にも明らかだった。
百式とΖは、両機の周囲を悠々と旋回する。
死肉を漁る禿鷹が、死に体の獲物の息絶える瞬間を、今か今かと待つように。
§
「シュウジ!」
『なに?』
「手ぇ繋いで!」
『えっ?』
「また拐われたら大変でしょ? もう勝手にどっか行っちゃダメだからね!」
そう言って、アマテはジークアクスの腕を操り、赤いガンダムのマニピュレーターを固く握った。
『……うん!』
するとやけに元気な返事が返ってきて、やや面食らう。よくわからないけど、シュウジのなんかしらの、どっかしらに深く刺さったようだ。まあ、多分、いいことだろう。うん。
さて、お互い武装はサーベルだけ。目立った損傷はないが、さんざん殴られたせいか、駆動系のあちこちが悲鳴を上げている。かたや百式とΖは、塗装にすら傷一つない新品同様ときた。
しかし、その程度のビハインドがなんだというのか。逆境を前に、アマテの戦意はますます燃え上がった。
「シュネーが言ってた。どんなにすごいニュータイプでも、初めて見る攻撃には対応が遅れる……」
『モビルスーツを操るのは人だ。どんなにマシンの反応速度が速くても、人間の反射神経を超えては動けない……と、ガンダムが言っている』
「だから、ここからは」
『手を繋いだまま』
「シュウジを」
『マチュを』
「振り回す!」『振り回す!』
シンプルな物理の話だ。
スティグマで結ばれた二機のモビルスーツを、ロープで繋がった二つの振り子と考える。無重力状態で、二つの振り子はロープのちょうど真ん中を中心にくるくると回り続けている。
二つある振り子のうち、一方の重さを倍にしてみる。すると、重いほうの振り子に回転の中心はぐっと近づく。
大げさにいえば、
百式がいかに優れたモビルスーツだからといって、二機のガンダムのパワーをねじ伏せて引きずり回せるほどの性能はないのだから。
そしてこちらは、互いを武器として振り回し、重心を盛大に狂わせてやる。間違いなく、有史以来、誰も試したことがない超変則プレーだ。普通なら自殺行為だが、マヴの考えることは手に取るように分かる。
命を預け合うくらい、なんてことはない。
それに、こうしてシュウジのガンダムと密着している間は、シュネーはこちらを撃てない。彼女はアマテ・ユズリハを、決して傷つけないから。
わかっている。自分自身を人質に取るなんて、彼女との友情に泥を塗る最低のやり口だ。それでも、今、彼女にシュウジを殺してほしくない。
私達は、分かりあえるはずだから。
決意を胸に、コンソールのサブモニターをちらと見た。タイマーの残り時間は三分。
「三分耐えれば、ドローでゲームセット……生き残って仲直りするよ、シュウジ!」
『うん。僕は死なない……と、ガンダムが言っている』
「そこは自分で言ってよー!」
『ご、ごめん』
「許す!」
飛来するスティグマをあえて受ける。思った通りだ。アマテは恐怖をねじ伏せ、引きつった笑みを顔に張り付けた。
相手は歴戦のエース。長い時間をかけて編み出した必勝法を、この大一番で投げ出すことはしない。それに、わざわざサーベルに接触通信ケーブルを括り付けたスティグマもどきで挑発までしたのだ。
百式が左腕を強く引いた。凄まじい力で引かれるジークアクスは、しかし、赤いガンダムの質量とスラスターの助けを得て踏みとどまる。
「シュウジ!」
『行くよ!』
ワイヤーで結ばれた百式とジークアクス。
その上で、赤いガンダムが、ジークアクスを
「ニュータイプが読むのは意図で、動きじゃない……!」
シュウジを振り回して、シュウジに振り回されるジークアクスの動きは、自分を含めた誰にも予想できない! これで相手は先読みの意味がなくなる!
──私もどうなるか分かんないけど! マヴが何とかするでしょ!
「どおおおりゃああああッ!」
百式が目の前に迫っている──全く見えないが──はずなので、赤いガンダムに振り回されながら、片手のサーベルを振り回す。相手の位置はもちろん、自分の体勢すらわからないが、自分の勘と、シュウジの間合いを信じた。
手応えがあった。何かが刃の先をかすめた!
「どうなった!?」
『百式のつま先が削げた! 混乱している!』
「っしゃあ! 次は私!」
あまりにも様子のおかしい戦法を前に、百式は明らかに攻めあぐねた。間合いを詰められたら危なかっただろうが、好き放題に動き回るモビルスーツが三機、何らかの手段で繋がっているのだ。誰かが動けば、誰かが引っ張られ、互いの描く機動はどんどん複雑さを増していく。
次の瞬間には、自分がどこに吹っ飛んでいくのかわからないような状態で、インファイトなど不可能。百式は少ないチャンスを見つけて一撃離脱に徹するしかない。
スティグマ戦術を──
「あと一分半……このままダラダラ引き延ばしてやる!」
『君は生き延びることができるか……と、ガンダムが言っている。ああ、生きてみせる……!』
二人は、一縷の希望に笑みを浮かべた。
極限のプレッシャーが、ほんのわずかに緩むのを感じた。
──
アマテはサイコミュ操縦系に、ほんのわずかな違和感を覚えた。ジークアクスと一体化した自分の手足に、感覚を鈍らせる薄い膜が張ったような思いがした。
普段なら気にも留めなかっただろう。気づくことができたのは、違和感を覚えると共に、シュネーとの繋がりを通して、未知の重圧を感じたためだった。
「……何?」
『マチュ?』
「シュウジはわからない? ぞわっとする感じ、あの時のキュベレイに似てる……」
『僕には感じられない……』
「──まさか」
百式の猛攻を、
おかしい。Ζが静かすぎる。
無敗の帝王を、自由にしておくべきではなかった。
その報いは、今。
「Ζが、光ってる……?」
もつれあう三機を、つかず離れずの距離を保って追っていたΖ。その、トリコロールの機体が、真紅の光を帯びている。
漆黒の宇宙から、赤い燐光が、まるで波が打ち寄せるようにしてゼータの周囲に集まり、機体に取り込まれていく。
「キュベレイと同じ……ううん、違う」
キュベレイが、Ζと同じなんだ。
爆発が起きた。と、アマテは感じた。
真空すらも揺るがし、軋ませるような、不可視の波動がジークアクスを襲った。接触通信を介して、シュウジの呻き声が聞こえてくる。ひょっとすると、百式のシイコも、同じものを感じたかもしれない。
三機の動きが、完全に静止した。
すべての機体が、一切の操縦を受け付けなくなったのだ。
『動けガンダム、なぜ動かない……!』
「オメガサイコミュが……なにこれ!?」
慌ててコンソールに目を落とす。あらゆる表示が乱れている。計器類の数値は目まぐるしく移ろい、もはや正しいパラメータを表示するものは一つもない。
ふと、焦げ臭さを覚えた。両足の間、オメガサイコミュの起動デバイスが挿入されたスロットから、薄青い煙が一筋。
呆気にとられている間に、挿入口から手帳大のデバイスが吐き出された。
真っ黒に焦げ付いていた。
「こ、壊れた!?」
励起状態のミノフスキー粒子を全身に纏い、眩い光を放つΖが、ビーム・サーベルを抜き放つ。
機体の全長をはるかに超えて、光の刃が伸び続ける。異常という言葉すら生易しい、規格外の出力だった。
呼吸が浅くなる。心臓が早鐘を打つ。宇宙が光る。
ラ、ラ。歌が聞こえる。
あのガンダムは、本当にこの世のものなの?
──gMS-
──答えは簡単。キシリア派がシャロンの薔薇を手にしたように、総帥府もまた、向こう側から漂着したオーパーツを秘密裏に確保していた──
コックピットハッチの向こう側に、彼女の姿を見た。
一人ではない。彼女の周りに、いくつもの人影が寄り添っている。
──このΖには、私がアクシズから持ち出したオブジェクトを搭載している。こちら側のキュベレイの、マスターピースが──
一二人だ。一二人の少年少女が、シュネーに憑りついて、いいや。違う?
──乗り手が狂うはずだわ。バイオ・センサーは、ビットを操るために作られたものじゃない──
力を、貸している?
──人の命を力に変える、呪いの器なのだから!──
戦艦すら両断せしめる規模のビーム・サーベルが、大上段から振り下ろされた。ジークアクスは指一本動かせない。シュネーの技量は確かだ。彼女は赤いガンダムだけを正確に消し飛ばすだろう。
「動け、動け、動け……」
駄目だ。駄目だ。それだけは駄目だ。
みんなで海に行くって、決めたんだ。誰も欠けてはいけない。
シュネーにそんな悲しみを、背負わせてはいけない。
「動け、動け、動け動け動けッ!」
私は、全部手に入れるって決めたんだ!
「君も同じでしょ、ジークアクス……!」
オメガサイコミュが息を吹き返した。
掌にも似たアーム・レイカーが少女の手を握り返す。
固く閉ざされた
「力を貸してッ!」
機体から湧き出る翡翠色の光が、頭上に迫るサーベルの一撃を吹き飛ばした。
放たれた光波はそのまま、Ζの放つ真紅の波動と絡み合い、溶け合い、爆ぜ──
──知らない声を聞いた。
ジークアクスの中に、誰かいる?
疑問を発したが最後。
アマテの意識は、眩い光に飲まれて消えた。