「あ、配信切れた。いいとこだったのに」
「流れ弾って雰囲気じゃないね。でも、有線のドローンが、ミノフスキー粒子くらいで落ちるわけがないし……」
その光景を目にしたのは、フィールド近辺を航行していた強襲揚陸艦ソドン、ただ一隻のクルーたちだけだった。
「……まさか」
初めに、ブリッジに立つシャリア・ブル少佐が異変を悟った。次いで、同席していたエグザベ少尉とコモリ少尉が、ソドンの広大な観測窓から見渡せる宇宙の、ある一点を凝視する。
肉眼で見える距離に、クランバトルのフィールドはない。それでも彼らには、共通した感覚があった。
底冷えするような恐怖、という感覚が。
「……ラシット艦長、ソドンの光学系をフィールドに向けられますか?」
日頃の軽妙さはすっかり鳴りを潜め、シャリア中佐は押し殺すような声音で言った。
「中佐、この船は観戦のために飛んでいるのではありませんぞ?」
「戦闘光が消えました。それにこの妙な感触……ジークアクスに何かあったのやもしれません」
「ふむ……ブリッジより観測班! 方位〇三〇、上方五度、映像回せ!」
戦術モニターに映し出された光景、それは──
「ビームを、斬ってるのか……!?」
「これを、あの子がやってるの……?」
──真紅の波動を纏う
「ジークアクスが、亜光速で飛んでくるメガ粒子を? 人の反射神経は最速〇・一秒なんだぞ? モビルスーツの動作ラグも乗せたら、その倍はかかる! どうしてそんなことができるんだ!?」
「なんだろう、雰囲気が違う。あの子らしくない……中佐は、何が起きているかご存じなのでは?」
Ζが繰り出す高出力ビーム・ライフルの正確無比な連射を、二振りのビーム・サーベルで切り払いながら一直線に突撃するジークアクス。シャリアは、その姿に奇妙な既視感を覚える。
私は、
「ジークアクスのサイコミュ・システムはブラックボックスです。仕様の詳細を知るのは、ごく一部の開発スタッフのみ。私にも、何が起きているのか……」
どちらにせよ、ここでエンデュミオン・ユニットの正体を詳らかにする意味はない。シャリアはあくまで、道化を演じる。
「艦長、出撃許可をください! ギャンが届いたんでしょう、あれなら止められます!」
「馬鹿を言うなエグザベ少尉! ここは領空だぞ、ジオンの軍用機が展開すれば、サイド6当局が何というか!」
「しかし、このままではマチュ君とハマーン様が……あれ? 僕は今、なぜΖにハマーン様が乗っていると思ったんだ……?」
それでも、エグザベ少尉の善良な、そして無謀極まりない提案が退けられたことには、安堵を隠しきれなかった。
あの二機の間に割り込めば、彼は瞬く間に死ぬ。
あるいは、シャリア自身が愛機キケロガを持ち出したとしても。
何人たりとも、
§
薄青い大気のヴェールを切り裂いて、小惑星が墜ちていく。それは刺々しい形をした恐ろしげな星の、爆破作戦によって破砕された片割れだった。
──アクシズの後部は地球の引力に引かれて落ちる。貴様等の頑張り過ぎだ!──
どこからともなく聞こえてくる男の声に、アマテは、墜ちていく星の名を知る。
あれが、アクシズ。かつて、シュネーが囚われた星。断熱圧縮の炎に巻かれ、小さな破片をあちこちに散らしていく天体を前に、アマテはただ、圧倒されていた。
恐怖は麻痺していた。破壊のスケールが、あまりにも大きすぎた。
──ふざけるな! たかが石ころ一つ、ガンダムで押し出してやる!──
アマテの付近を、見知らぬ量産機のマヴが駆け抜けた。バイザー型のカメラアイが特徴の一方には、ロンド・ベルなる部隊のマーキングがあった。しかし、ザクに似たもう一方の機体には、また違う意匠の部隊章が刻まれていたように思う。
信じられないことだが、彼らは敵同士だったのだろう。互いに損傷していた。直前まで戦闘状態にあったのだ。
いくつものモビルスーツが、崩れゆくアクシズの最下方へ集結していくのが見える。アマテの傍を通り過ぎた彼らと同じく、死を受け入れた戦士たちだった。
信じがたい光景だった。
彼らは、アクシズを押し返そうとしている。
モビルスーツの推力がいくら束になったところで、軌道の変更はもはや不可能だろう。戦艦級のパワーでさえ不足だ。アクシズを重力の井戸に引きずり込んだ核パルスエンジンでさえ、ひとたび大気圏に突入してしまった小惑星を宇宙に返すほどの出力はない。
時は、そこで止まった。
オメガサイコミュ──エンデュミオン・ユニットに刻まれた、最後の追憶だった。
「ハマーンを救えるのは、君だけだ」
背後から、男の声がした。
「自分を信じろ。アマテ・ユズリハ」
ジークアクス? そう呟いて振り返った。
しかし、黒黒とした宇宙にいたのは、少女が独りきり。
シュネー・ヴァイス。クランバトルの女帝。
真の名を、ハマーン・ウル・カーン。木星経済圏を統治する公爵の娘。人類の半分を虐殺したジオン公国、その王家に名を連ねる、血塗られた大貴族。
アマテ・ユズリハの──少女は、その先を言葉にはしなかった。
友人。家族。恋人。憧れ。ライバル。シスターフッド。ロマンシス。どんな言葉も、彼女との繋がりを誤解なく説明することはできなかった。
レッテルで関係を縛りたくなかった。
わからないものを、わからないままにしておきたかった。
「シュネー」
少女が彼女を、ハマーン・カーンの名で呼ぶことはない。いつか彼女が国に帰り、世界の誰もが女王ハマーンの名を讃える未来があったとしても、少女はシュネーと呼び続けるだろう。
アマテの目に映る彼女はいつだって、誰よりも軽やかに
「……あなたにだけは、知られたくなかった」
「教えて。どうしてシュウジを、殺さなきゃいけなかったの?」
分かっていた。彼女は、アマテを決して傷つけず、決して拒絶しない。企みを知られた今、無理を押してシュウジを殺すことも、また、しないだろうと。
「無数に分岐するプランク宇宙の、ほんの末端の枝葉である私たちの世界は、ひどく脆い。ゼクノヴァと呼ばれる別宇宙との質量転送現象の頻発が、それを証明している」
彼の抱く願いは、このちっぽけな宇宙の、破局のトリガーたりえる。
だから、私は彼を消さなければならない。
少女は努めて無感情にそう言った。
アマテの胸を痛みが突く。オメガサイコミュとバイオ・センサーの共振がもたらした、この究極の感応の中では、もはや内心を隠すことはできない。
これは、シュネーの痛みだ。
「願いって、薔薇を探してるっていう、あの?」
「そうよ」
「わかんない、わかんないよシュネー……それがどうして、世界とか宇宙とか、友達を殺すとか、そんな大きい話になっちゃうのさ!」
「それは本人が説明してくれるわ。そうよね、シュウジ」
シュネーの視線を追いかけて、振り返る。
少年は、まるで処刑台に立つ罪人にも似て、うなだれていた。やがて、彼の記憶がアマテの脳裏に流れ込む。
それは、赤い彗星シャア・アズナブルの死の瞬間だった。
白いガンダムのビーム・サーベルが、赤いモビルスーツのコックピットを焼き潰したその時、少女の絶叫が宇宙に響き渡る。
翡翠色のモビルアーマーから発され、プランク・ブレーン宇宙に流れ出していく励起状態のミノフスキー粒子は、時間方向に発生する青方偏移によって光の波長を圧縮され、極彩色に光り輝く。
ゼクノヴァ。その核となったモビルアーマー、
はじまりのニュータイプたる少女、ララァ・スンの座すエルメスこそが、シャロンの薔薇。
アマテは、その光景を前に、誰に教えられるでもなく思い知った。
「彼女は……ララァ・スンは、愛するシャアの死に耐えられなかった。彼女の絶望と祈りが生み出した、無数の分岐のひとつが、この世界」
シャアが
「ここは、彼女が無数の試行の果てに、やっとつかんだ世界。僕は、それを、彼女の夢を守りたいだけなんだ」
「それはっ、なら、戦わなくてもいいじゃん!」
「今はそうかもしれない。けれどね、マチュ。シャア・アズナブルがいつまでも、ララァの仕組んだ運命の奴隷でいるとも限らないのよ」
「だから、僕は……ララァの思い通りにならない世界を、彼女を殺すことで消し去り、何度もやり直してきた」
シュウジの告解に、シュネーはゆっくりと首を振る。
そして言った。
世界を脅かす可能性が、少しでも残っているなら、私は、私の全存在にかけてあなたを殺す、と。
「アマテ・ユズリハは、私が守る」
アマテは言葉を失った。説得の手立てが、なにもかも失われたように思えた。枯れた喉を震わせ、乾ききった生唾を飲み込んでも、二人を止める言葉は湧いてこなかった。
ふわり、ふわりと、深海から浮き上がるクラゲにも似た、痛烈な自己嫌悪が顔を覗かせた。
(私は……)
何も、背負っていない。
シュネーのような、血の責務に縛られた悲しい生き様も。
シュウジのような、一途で危うく、罪深い愛も。
二人の覚悟に勝る決意を、何ら持ちえない。
「全てを手に入れることはできないのよ、マチュ……」
シュネーの口ぶりは、たしなめるようでいて、言い訳をするようでいて。そして何より、悲痛だった。
「ごめん。皆で海に行きたかった。でも、これだけが、僕の価値なんだ……」
シュウジはあたかも、自分が裁かれるべき大罪人であるかのようにうそぶいた。
「……違う」
それでも。
「違うよ、二人とも」
少女は、
「シュネーも、シュウジも、譲れないものがあるのはわかる。今のままじゃ、どっちかを立てたら、どっちかが犠牲になる、それもわかる。だったら、だったら……」
涙を必死にこらえる。理屈ではなかった。
泣いて人の心を動かそうとしてはいけない。そう思った。
「みんなで、みんなが幸せになれる方法を考えようよ……」
私たち、友達でしょ?
シュウジが、奇跡を見たような目をアマテに向けた。
シュネーは、紫紺の瞳を伏せた一瞬のうちに、凄まじい葛藤を心の内に封じ込めた。
彼女の内心はわからない。ただ何か、アマテは大きな間違いを犯した気がした。
彼女に我慢を強いたかったのではない。しかし、優しい彼女は人の願いのために自分を犠牲にしすぎる。
彼女はアマテの理想のために、たった今、自分を殺したのだと、思う。
「……ひとつ、当てがある。確実とは、言い切れないけれど」
シュネーの心が、何らかの決意を固めて。そして、感情が急に凪いだ。怒りも悲しみも、噓のように消え去った。涼やかな森に囲まれた湖畔のように、穏やかですらあった。
ニュータイプとして文字通りに互いの心を通わせてなお、アマテに感じられたのはそれだけだった。
何がニュータイプか。何が誤解なく分かり合える新人類か。
アマテは不器用な自分を憎んだ。シュネーの存在が、指の間をすり抜けていくような思いがした。
「問いましょう」
アマテの目を真っ直ぐに射抜く彼女の瞳は、恒星の光が差し込み、紫紺から赤紫の色彩に移ろう。
ああ、なんて綺麗な星雲色。それはあらゆる偽りを見通す、清廉な眼差しだった。
「あなたは、この宇宙に生きとし生ける、全ての命を危険にさらしても、彼と共にあることを望むのね」
「……っ、はい」
「楽な道ではないわよ。あなたは世界の核心に触れる。ジオンと連邦、二つを取り巻く陰謀の渦に、自ら身を投じるということは……あなたは必ず、おぞましい戦争の現実を見るでしょう。その覚悟は、あって?」
イズマ・コロニーを襲ったキュベレイを思い出した。ビームが目の前を焼き払い、蒸発する人々を間近で見た、あの時のことを。
「……うん。私は逃げない。友達から。何より、自分から」
「二度と、故郷の土を踏めなくなったとしても?」
頭から血を流す母の姿が、脳裏に浮かぶ。
わだかまりはある。それでもまた、あの腕に抱かれたいと思った。
諦めるものか。
家族も、親友も、諦めてなるものか。
「それでも。苦しんでる友達を見捨てて、一人で逃げ出すのは……嫌だよ。私、シュネーもシュウジも、大好きだから」
今、この瞬間に分かり合えなくとも、アマテの心が折れることはない。
一度で叶わなければ、何度でも。
共存を願い続ける姿勢こそがニュータイプの在り方だと、アマテは信じる。
「シュウジにとってのララァは、私にとってのマチュなのでしょう。私があなたの立場なら、きっと同じことをするもの。いいでしょう。無二の友として、彼女を諦めろとは、もう言いません」
アマテの決意を聞き届けたシュネーは、静かにそう言った。感情を排除した声音だった。
彼女はアマテの願いのために、何かを諦めたに違いなかった。
「私もどのみち、常道では国に帰れぬ身。シャア・アズナブルより早く王座に就き、彼を
「……ありがとう、シュネー。そして、ごめん。これは僕のエゴだ」
「お礼はマチュに言いなさい、シュウジ。彼女が諭してくれなければ、私は恐れるままに、あなたを殺していたでしょうから」
時間の止まった宇宙が、少しずつ、その輪郭をあいまいに溶かしていく。
「さあ。もう還りなさい、二人とも。ちょうど、試合が終わる頃だわ」
凍り付いたような暗闇に独り佇むシュネーの姿が、次第に遠ざかる。
薄れゆく意識の中で、アマテは彼女の隣に立つ何者かを見た。
「ニュータイプなら、すべてを手にできると思ったのに……これじゃ、私は何のために戦って……」
誰だろう。地球連邦軍のパイロットスーツに身を包んだ、どこか母性的な雰囲気をまとう女性──ああ、きっと、百式の人。
彼女もまた、この場ですべてを感じたのだろう。
いつかどこかの世界で、ガンダムに殺された赤い彗星の姿を。
ララァのために全てを捨てたシュウジの苦悩を。
友のために全てを捨てる覚悟を決めた、シュネーの悲哀を。
「これで分かったでしょう、シイコ・スガイ。誰も、すべてを手に入れることはできないのよ」
「あの子があなたの犠牲を望まないのは分かってるでしょう!?」
「何かを得るためには、何かを捨てなければならない。そう……全てを救うには、全てを捨てる覚悟がなければ」
思わず叫ぼうとした。しかし、身体が鉛のように重い。意識が揺らぐ。視界がかすむ。まるで、夢から醒める間際のように。
「気が済んだなら、ここで目にしたことは全て忘れて、家族の元へ帰るがいいわ」
「私は、子供が犠牲になる不条理を断つために、兵士を志したのよ……」
シイコと呼ばれた女性が、シュネーの孤独な背中に手を伸ばすさまを、アマテは見た。
ああ、そうか。あの人も、戦争にさえ囚われなければ、良き隣人であり、人の親。
初めから誰も、倒すべき敵などでは、なかった。
少女は薄れゆく意識の中で決意した。
シュウジの願いは叶えた。
次こそは、私の大切な人──
必ず、救ってみせる。
§
「子供を手にかけるほど、落ちぶれちゃあいなかったようだな。シイコ大尉……」
隕石を模したダミーバルーンの集合体。その中心部。
巨大な拡張バックパックを背負った、漆黒のモビルスーツが一機。その身に似合わない規格外の巨砲を、クランバトルのフィールドへ向けて静止していた。
殺気に敏感なニュータイプが集う戦場を俯瞰してなお、誰にも存在を気取られない異常性こそが、ジェリドが大戦のエースたりえた理由でもある。
”不死身”のジェリド・メサ中尉。単独撃墜数、七四機。
当時のマヴにして現在の妻、"死神"ライラ・ミラ・ライラ大尉との共同撃墜数──六六。
彼が自ら、かつての戦果を誇ることはない。
「こちらトゥッシェ・シュヴァルツ、Gディフェンサー・システムの試運転を完了。これより帰投する」
『メカニック了解。Mk-Ⅱ……いいや、スーパーガンダム形態の調子はどうだ? エース殿よ』
「連邦の技術屋らしい、堅実な作りだ。しかし名前の俗っぽさまで連邦風じゃあなくていいと思うがね? Ζや百式は、同じテム・レイ博士の発明でも良い名前じゃないか」
『量産グレードなんだから我慢しな! どいつもこいつもイケてちゃ、シュネー嬢ちゃんが引き立たんだろ』
ジェリドはアストナージの返答を鼻で笑った。
「正当な
『戦争は政治なのさ。嬢ちゃんはそれをよくわかってる』
「子供が戦うのも政治かね」
『ははあ。あんた、子供が死ぬのが嫌で、テストフライトの体でガンダムMk-Ⅱを引っ張り出したってわけか』
「悪いかよ。ああそうさ、子供のためなら俺は、一年戦争の命の恩人だって撃つさ」
『……あんた、いい奴だな』
「……うるさいよ」
ワイヤーで機体に結ばれたダミーバルーンの巣をそのままに、スーパーガンダムはゆっくりと慣性航行を始める。スラスターの噴炎やジェネレータの熱反応すらも、カタログスペックを導き出す材料になりうるために、厳重に秘匿しなければならなかった。
『ん? そういえばお前、なんで赤いガンダムのパイロットが子供だってわかるんだ? 会ってないよな?』
「あ? そういえば、そうだな……なんとなく?」
『なあジェリドよ、お前やっぱり』
「俺はニュータイプじゃない!」
『まだなんも言ってねぇよ!』
黒いガンダム──Mk-Ⅱは、シュネー・ヴァイスを長とする戦技研究教導団、トゥエルブ・オリンピアンズの最重要機密である。
今は、まだ。