【二章完結】ハマーンさんじゅうはっさい   作:千年 眠

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2025/05/14 第一話改稿に伴い、内容を一部修正しました。


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「絵を探して」

「向こう側の絵。君が見た光と同じだよ」

 

 彼の言葉が、ずっと頭の片隅にあった。

 私がその光を見たのは二回。戦争が終わった時と、四年前のアクシズだ。どちらも、つい昨日のことのように思い出せる。

 

 あれは、研究者たちに頭を切り開かれる直前のことだった。死にたくない一心で助けを求めて、私は絶叫し──そして、あの光が応えた。

 極彩色の輝きの奔流。その終端にちらつく、雪のように白い蝶か、あるいは、黒檀のように黒い影。ひょっとするとあれらは別々に見えて同じものだったのかもしれない。その正体はわからないが、それは確かに私を救った。

 

 救った、はずだ。でなければ、私はここにいない。

 ……()()()()も、ここにない。

 

「シャリア中佐のお心は、未だ陣中におありなのかしら」

 

 難民街のギャング風に言えば、アンタ、まだ戦争やってる気でいるのかい、だろうか。

 はるか上空、シリンダー型コロニーの中心軸近くに浮揚する木馬型戦艦を見た最初の感想だ。

 

 このイズマ・コロニーが属するサイド6リーアは、地球連邦にもジオン公国にも与しない中立の都市国家だ。にも関わらず、ソドンを空の真ん中に居座らせるなんて、中佐殿は一体何枚の横紙を破ったのやら。それほどの強硬策を取らせるだけのものが、このイズマにあるとでも?

 

 赤いガンダムの調査? ジークアクスの回収?

 あるいは……私の暗殺?

 一個人のために軍艦を動かすなんて、常識的にはありえない話だが、あのギレン・ザビが裏で糸を引いているなら説明がつく。

 あの男は、私の才覚を恐れている。地球連邦を宇宙から追いやることでようやく我が物にしたジオン公国を、このマハラジャ・ゾル・カーン公爵が娘、ハマーン・ウル・カーンに奪われることが、何より怖い臆病者なのだ。

 

 だから私は、辺境の地アステロイド・ベルトに囚われ、キシリア閣下すら知り得ないギレンお抱えの研究者たちに弄ばれた。

 壊しても構わない、一級品の玩具として。

 

「……ちっ」

 

 舌打ちは誰にも聞かれなかった。信号が青になったからだ。忌まわしいフラッシュバックを振り払い、人の波間を縫うようにスクランブル交差点を渡る。

 今すぐ逃げるべきか。それとも、シャリア中佐の出方を窺うか。間違いないのは前者だ。けれど、このイズマ・コロニーにはやり残したことがある。

 

 シュウジ・イトウ。唯一、私が通じ合えた少年。

 彼に一目会いたい。それが叶うなら、たとえギレン・ザビの凶弾に倒れても構わない。

 人混みの中、無差別に流入してくる大勢の思念に頭痛を覚えながら、私は次第に人気の少ない路地に逸れていった。

 

 私は彼の絵を探していた。ここはネノクニ。計画都市の郊外にあたり、難民街が形成されている治安の不安定な地区だ。私のリック・ドムが隠されているクラブも近い。

 軍警との戦闘の後、赤いガンダムはこのイズマ・コロニーに帰っていった。全高が一八メートルにも達するモビルスーツを隠すなら、古い整備用トンネルへのアクセスがしやすいこのあたりが一番いい。

 

 とはいえ、あまり感触はよろしくない。足がくたくたになるまで歩き回ってはいるものの、何しろ治安が悪いせいでどこもかしこも落書きだらけなのだ。もはや、まっさらな建物を見つけるほうが難しいありさまだった。

 

「私も焼きが回ったかしら」

 

 泥色の水が音もなく流れる、ごく細い運河のほとりで、私はぼそりと呟いた。

 本当は透き通っていたのだろう。かつて地球に存在した水上都市ヴェネツィアのように、観光用ゴンドラも行き来していたに違いない。けれど今や、川に浮かぶものは何もない。みな、底へ沈んでしまった。

 

 日差しを避けて、石造りの小さな橋の下に入る。アーチの裏には、当然のように落書き。うんざりするほど見たやつらだ。意匠の違いはさっぱりわからない。まだお父様が集めていた旧世紀のパイプコレクションの方が見分けがつく。

 

 川岸の錆びた手すりにハンカチを乗せて、軽く揺さぶる。体重をかけても折れないことを確かめてから、私はそこに寄り掛かった。

 ……疲れた。視線の先には、砂埃に汚れた黒のスニーカー。半日足らずでこれだ。ため息も出るというものだった。

 物語の主人公じゃあるまいし、そう都合よく物事が運ぶはずもないか。赤いガンダムと、あまりにも運命的な出会いをしたばかりに勘違いをしていたのかもしれない。

 

 まったく。しゃんとなさい、ハマーン。こんなの大したことないわ。

 母国の独裁者に命を狙われて、辺境の研究所で監禁の果てに死にかけて、なんとか逃げ出した先で心から通じ合える男の子に出会えたと思ったら、一年戦争最強の撃墜王(灰色のおじさま)が乗った軍艦が追ってきただけじゃないの。

 そう、そうよ。立って、隠れ家の荷物をまとめて、また()()()()で逃げるの。立ちはだかる敵はみんな撃ち抜いて、どこまでも。

 

 そうやって、なんとか活を入れて立ち上がり、視線を上げた。

 信じられないものを見た。

 橋の幅いっぱいに描かれた、極彩色の燐光。輝きの奔流。最果てに佇む翡翠色の星。

 確かにそれは、私がかつて、アステロイド・ベルトで見たもの。

 間違いない。これは、

 

「キラキラだわ!」「キラキラだ!」

 

 全く同じタイミングで誰かが叫んだ。隣を見た。とっても可愛らしい女学生がいた。

 ……訝しげな眼差し(例のジト目)を向けられてしまった。

 

「あなたも見たのね」

 

 とっさに先手を打てた私を、誰か褒めてほしい。

 

「あ、うん……君もそうなの?」

「ええ、見たわ。私はシュネー。あなたは?」

「えーっとぉ……」

 

 彼女は急に困った様子で口ごもりだした。私は思わず小首をかしげ、両耳のピアスがちりんと鳴ったことで気づく。

 派手な赤髪をウルフカットにして、(いか)めしいピアスをじゃらじゃら付けて、オーバーサイズの真っ黒なフーディとスキニージーンズで完全武装して、思わせぶりなセリフを吐く怪しい小娘に、安心して名前を明かせるわけないじゃないの。

 

 抜かった。ここ数年、柄の悪いギャングと娼婦の少女たちに囲まれていたせいで、すっかり感覚が麻痺していた。

 ごめんなさいね。この格好は私なりの自衛なのよ。

 

「……その人、シュネーの彼氏さん?」

「え?」

 

 赤面を通り越して、耳まで桃色にした彼女の視線は、私の隣を向いていた。つられてそっちを見てみると。

 赤い瞳の、とってもカッコいい男の子が私の頭に顔をうずめて、すんすんと髪の匂いを嗅いでいるところだった。

 え? なに?

 私は状況の理解が追い付かなくて、彼が体を離すまで動けなかった。

 ……なるほど、なるほど。こちらの育ちのよさそうな女学生さんがジークアクスの起動者で、赤い瞳の彼が、私の探し人ということ。ちょっと一度に物事が起こりすぎてついていけないわね。

 

「いえ、違うわ」

「はぁ!?」

「また会えたね」

「ふぁ!?」

「ふふ、そうね。ずいぶん探したのよ?」

「へあ!?!?」

 

 彼と存分に語り合いたいのは山々だけれど、それでは、私と彼をものすごい勢いで交互に見やる女学生さんがかわいそうなので、一旦彼女に目を向けた。

 

「あなたが、ジークアクスのパイロットさんね」

 

 断定に等しい口調で言うと、彼女は図星のようだった。ころころと表情の変わる、愛らしい子だ。同級生は放っておかないでしょうね。

 

「通報なんかしないわ、私だってクラバの選手だもの」

「……マチュ」

 

 彼女は観念したように、口をとがらせて偽名を名乗った。それでいい。本名なんて明かすものじゃない。

 

「紹介するわ、シュウジよ。軍警と戦った時、あなたも赤いガンダムを感じたのではなくて?」

「あ、あの時の!? ていうか、どこまで知ってんの……?」

「向こう側の光を見るってそういうことなのよ。望むと望まざるとに関わらず、ね」

 

 私が話すそばで、シュウジはふらっとマチュに近寄ると、彼はまた頭の匂いを嗅いだ。マチュはなんというか、うまく文字に起こせない高音を発した。あれが普通の反応よね、と私の理性が考える一方で、衝動的な部分が、何かささくれ立つ。

 

 私、こんなに面倒な女じゃないはずなのに。まるで古典の授業で習った旧世紀の小説ね。何と言ったかしら。

 ああ、そうだ。ジキル博士とハイド氏──自転車のブレーキ音。

 振り向くと、運河に捨てられているものと大差ないくらいに傷んだ自転車に跨る女の子がいた。

 一見して女学生のようだが、濃紺のブレザーは妙に生地が薄く、ブラウスもアイロンをかけていないのか、しわが寄り始めている。多分、変装だ。

 

 彼女、なんだかとっても気まずそう。三人で騒がしくしているところに、中々入りにくいようだ。

 あ、私の顔を見て露骨にビビった。

 

「こんにちは。何かご用?」

 

 私はできるだけ優しい表情で話しかけてみた。

 

「え、えっと……こんにちはおいそぎですか」

 

 絶望的なまでの棒読みだった。

 

「べつにいそいでいませんよ」

 

 シュウジもびっくりするほど棒読みだった。

 

「……取引に友達を連れてきたの?」

「ううん。いま知り合った」

「え、そう……」

 

 なんだろう。猛獣の巣にうっかり飛び込んだ小動物というか、なんというか。すらりと背の高い美人さんなのに、とても不憫な気配がする。

 

「シュウジ、インストールデバイス買ったの? 赤いヤツ用?」

「きのう壊れたんだ」

「あなた、本当に五〇〇〇ハイトも払えるの?」

 

 所々ほつれた作業服の上下に身を包んだシュウジの出で立ちを見た彼女は、不満をこぼすように見えて、代金が払われないことを恐れているらしい。箱状の小包みを取り出したリュックはフードデリバリー用だし、懐の寂しい様子がうかがえる。

 この子、実は相当か弱いのではなくって?

 

「ん」

 

 マチュの方から向き直ったシュウジが、作業手袋をしたままポケットから何かを取り出そうとした。

 取り出した、ではないのは、彼の指からモノがきれいに滑り落ちていったからだ。

 あっ、と誰かが言った。黄金色に光る小さなコインは、そのまま石畳の上を何度か跳ね……運河を流れる汚水に落ちた。

 

「……なくなっちゃった。全財産」

「え、えぇ……じゃあ、取引はどうすんのよ!?」

「お腹すいた……」

 

 お腹を鳴らしてしょぼくれるシュウジ。運び屋の少女はその何倍もしょぼくれた。

 私を雇っているギャングなら、代金として臓器をいくつか持って行ってしまうところだ。シュウジもまずいし、彼女の立場もまずい。

 

「じゃあさ。それ使ってクラバに出ようよ」

 

 静かにしていたマチュが突然、きょとんとした顔でとんでもないことを言い出した。

 へえ、面白いことになってきた。()()()()五〇〇〇なら私が立て替えてもいいところだけれど、ちょっと見守ってみようかしら。

 

「あっ、あなた、何言って……!」

「君もシュウジもお金がいるんでしょ。私もまだスマホ弁償してもらってないし? 私とシュウジで出ればちょうどいいじゃん」

 

 ね! そう言ってマチュは、運び屋の少女が大切そうに抱える小包みを見やった。あはは、彼女悩んでる。そうよね。ジークアクスも赤いガンダムも見ていないんだから。

 

「二人の腕は、私が保証するわよ」

 

 手すりにかけていたハンカチを畳みながら、すかさずマチュに加勢した。

 彼女は既に、ジークアクスで軍警を叩いている。彼らの捜査能力は、正規登録難民の偽装パスでイズマに滞在する私と、パイロット、シュネー・ヴァイスを結びつけられずにいる時点で察するものがあるが、だからといって、マチュがこのまま何の咎めもなく、ガンダムを捨てて平穏な日常に帰れるかといえば、それは違う。

 

 サイド6の法で定めるところによれば、モビルスーツを用いたテロに科す刑罰は、死刑のみだ。

 彼女にはほとぼりが冷めるまで、私の力が届くところにいてもらう。

 そんな打算が、私の口を開かせる。

 

「この、シュネー・ヴァイスがね」

「えっ、ええええっ!?」

 

 この名乗りは効果てきめんのようだった。クランバトルに関わる人間なら、サイド6(リーア)の白い悪魔を知らないはずがない。うっとうしいだけの肩書きのようで、役に立つこともあるからわからないものだ。

 

「シュネーってすごいの?」

「シュネー・ヴァイスは、クランバトル最強のパイロット。四年前に突然現れて、それから誰にも負けてない……女の子だったなんて」

「スッゲー! カッコいいー!」

「メンターなら任せてちょうだい。試合の日取りは?」

「う、今日……」

「基本のおさらいはできそうね」

「やった! ありがと!」

 

 運び屋の少女はついに根負けして、シュウジへインストールデバイスを手渡した。その表情は、本当に渋々といった様子だった。ついでに彼に匂いを嗅がれて、凄まじい勢いで後ずさった。

 

「ついてきて」

 

 デバイスを受け取ったシュウジは、近くのマンホールを専用の工具で開けると、真っ先にその中へ入っていった。顔を見合わせるマチュと運び屋の少女を尻目に、私も彼の後に続いた。

 シュウジの頭の上に乗っている、小さなホビーロボットのライトが暗闇を照らす。円筒形の地下道だ。下水道や雨水路の類かと思ったが、空気は乾いていて、悪臭もしない。

 先頭から、シュウジ、私、マチュ、運び屋の少女──道中で名前を聞くと、ニャアンと名乗った──が続く。

 いくつかの十字路をくねくねと曲がったところで、分厚い鉄扉に行き着いた。シュウジは勝手知ったる様子で扉を開けた。

 

 大きな空間に通じていた。扉をくぐると、頭上には宇宙用のランチ船が、船体の前後を廃材に支えられるようにして放置されていた。いや、梯子がかかっているから、これがシュウジの隠れ家なのかもしれない。

 

 薄暗いが、コンクリートの床や壁には、例のキラキラがびっしりと描き込まれている。そんな不思議な空間の中央に、赤いガンダムは身をかがめ、四肢を地につけた姿勢で駐機されていた。

 シュウジはガンダムの前に立つと、こちらへゆっくりと振り返り、

 

「戦え──と、ガンダムが言っている」

 

 胸が高鳴る。締め付けられる。

 まただ。この感情、私のようで、私じゃない。

 小鹿のように飛び跳ねて喜ぶマチュを後ろから眺めながら、宇宙の外側からひたひたと忍び寄るような悪寒を覚えて、小さく身震いをした。

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