サイコ・ガンダムの砲撃によって蒸発した地面層が、戦時用シェルター建造のために更地と化していた無人地帯であったことは、コックピットに座す少女にとって不幸中の幸いといえた。
仮に市街地を吹き飛ばしていたなら、過剰な感度を持つサイコミュ・システムは、数百、数千にも上る死者の念を少女の精神に叩き付け、一瞬にして自我を崩壊に追い込んだだろう。
「これだけ目立てば、シュネーが気づいてくれるはず……」
ニャアンはすでに錯乱状態を脱していた。自身の絶叫と共にばらまかれた、サイコ・ガンダムが誇る
取り返しのつかないことをした後悔。強力すぎる武器が思考一つで放たれる恐怖。それらはトラウマの上塗りであると共に、彼女の生存本能をこの上なく刺激する劇薬でもあった。
心臓が痛いほどに脈を刻む。手足の血の気がない。体の震えが止まらない。
しかし頭だけは、爽やかなほどに冴え渡る。
崩壊するサイド2から単身脱出した幼少期と全く同じ感覚を抱いて、少女はサイコ・ガンダムを浮上させる。
「今度は独りじゃない。私が間違えたら、マチュは……」
ニャアンの胸に縋り、浅い呼吸を繰り返す彼女の顔色は白い。コックピット備え付けの救急キットで止血は行えたが、一刻を争う事態であることに変わりはなかった。
何としてでも、この、過剰な破壊力を秘めた黒いガンダムを穏便に軟着陸させなければならない。
軍警のひしめくコロニー内ではいけない。身元の後ろ暗い難民がコックピットから出ようものなら、テロリストとして射殺されることは確実。
自分が死んで、マチュが助かるなら、それも悪くない。しかし万が一、流れ弾にマチュが巻き込まれては、死んでも死にきれない。
それにみんなで海に行くと、約束した。
そこに自分がいないのは、うまく言葉にできないが──よくない気がする。
軍警の追跡をかわし、シュネー・ヴァイス率いるトゥエルブ・オリンピアンズに助けを求める。それしか手はない。ニャアンは、驚くほど回る頭でそう結論づけた。
「だからお願い、ケガしないうちに帰って!」
赤色の
それがどうした。
マチュは、キュベレイだって恐れなかった!
「ビームは絶対ダメ……」
サイコ・ガンダムの腕部装甲が、一枚、また一枚と、ためらうように剥がれ落ちていく。戦いたくない。殺したくない。身を守る鎧を捨てるのは、怖い。そんな心境が、運動エネルギー・ビットであるサイコ・フラグメントの制御にありありとにじみ出ていた。
「行って!」
飛翔する装甲塊は両腕分のみ。ザク・マシンガンの弾幕と正面から激突し、円筒形の空に無数の爆炎が閃く。ニャアンは思わず、やられた、と呟く。
しかし、サイコ・フラグメントは、一片一片がモビルスーツ以上の質量と戦艦級の装甲厚を誇る必殺の一撃。それが濁流となって襲うのだから、コロニー内戦闘用の榴弾では小揺るぎもしない。
ビット群は減速すらせず爆炎を突っ切り、軍警ザクの包囲網を一瞬にして食い荒らす。撃墜光がいくつか見えた。やりすぎたかもしれない。背筋が冷える。
「大丈夫、だよ」
ひたり。冷たいものが頬に触れた。全天周囲モニターを食い入るように見つめていた目を下げる。
マチュの青白い手が伸びていた。
「ニャアンは、誰も殺してない。私、わかるもん」
起きたの、マチュ。
良かった、マチュ。
ごめんね、マチュ。
細切れの言葉が次々に浮かんでは、結局、どれを言うべきかわからずに口をつぐんでしまう。そんなニャアンに、彼女は弱弱しく微笑んだ。
「ありがとう、ニャアン。助けてくれて」
「……うん」
「シュネーは、
そう言って、彼女はモニターに映るコロニーの終端を指し示した。
工業港。旅客船が集まる観光港とは正反対の位置にある。工業地帯に近いこともあって、避難民が押し寄せる心配は少ない。
願うだけで、機体は音もなく空を滑る。進路を定めたサイコ・ガンダムを前に、軍警ザクの編隊が再び迫るが、ニャアンは恐怖を感じていなかった。
「あれ……?」
奇妙な感覚。表現できるだけの語彙を、彼女は持ちえない。
強いて言うならば──知っている、と思った。
「まだ起きてないことが分かるなんて……ヘンなの」
そんなまさか。でも、もしかして。
もしかするのかな?
サイコ・フラグメントの機動が一変した。ザクを直線的に追い回すだけのそれが、回避先を先読みした悪辣なフェイント・モーションとともに襲い掛かる。シュネー・ヴァイスが見ていれば、その姿を猟犬の狩りに例えただろう。
軍警ザクは次々に墜ちていく。ある者は手足をへし折られ、またある者はメイン・スラスターの一部を的確に潰され、コントローラブルな不時着という形で。破滅的な墜落をするものは、一機たりとも存在しなかった。
横暴な軍警が、こんなにもあっさりと。
捜査の名目で難民街を破壊し、居住許可証を持つ難民にさえ罪状をでっち上げては賄賂を要求するような連中が、今はひどく小さく見える。
少女は己に問う。
いけないことをしているはずなのに。
なんで、私、笑って──頬を張り飛ばす。
鋭い痛み。これが、今、サイコ・ガンダムで振るった力の正体。
マチュに血を流させているもの。大切な人を奪うもの。
そんなものは、いらない。
「ダメ……こんなのに乗ってたら、私、おかしくなる……」
早く逃げて、早く降りよう。メイン・スラスターに点火したサイコ・ガンダムの加速は巨体に見合わず鋭く、ニャアンの背中はリニア・シートへ強く押し付けられた。
その背後を、メガ粒子砲の一斉射が襲った。
「えっ!?」
反応よりはるかに早く着弾した桃色の光は、機体周囲に常時展開する超高出力Iフィールドが拡散する。
砲撃の主は緑の木馬。強襲揚陸艦、ソドン。
突撃用の衝角を兼ねる両舷カタパルト・デッキは、アクティブ・ダンパーによって最大限に伸長。八発ものメイン・エンジンを全開した眩い噴炎は、正面からでも見えるほど激しい。
ラム・アタックの体勢を前に、ニャアンは反射的にサイコ・フラグメントを放とうとして──エグザベ少尉や、コモリ少尉の顔が、頭をよぎった。よぎって、しまった。
致命的な隙が生じる。
避けられない。少女は絶望とともに確信した。
同時にこうも思う。
「……マチュだけは」
しかし、その瞬間は来なかった。
サイコ・ガンダムとソドンの間に、紅白の影が飛び込んだからだ。
赤いガンダム。そして大槍の騎士、ギャン。
二機が停戦信号を示す色とりどりの照明弾を放つと、ソドンはメイン・エンジンの推力をそのままに、ノズルをリバース。両舷から爆炎を上げて船速を一気に削る。あまりの爆圧に、堅牢なサイコ・ガンダムの骨格が震えた。
「……なんで?」
困惑するニャアンをよそに、白いギャンのマニピュレーターがサイコ・ガンダムの巨大な肩に触れる。
『マチュ君! 無事か!』
「エグザべ少尉?」
『なっ、ニャアン君なのか!? マチュ君もそこにいるのかい?』
「マチュが撃たれたの! 手当はしたけど、血が止まらなくて……トゥエルブ・オリンピアンズのところに運ばなきゃと思って、それで、それでっ、こんなことになっちゃって!」
『ああ、わかった。ちゃんとわかったよ。だから大丈夫だ……本当に、よく頑張ったね』
優しすぎる声に息が詰まる。なぜだか、涙がにじむのが妙に悔しくて、目元を乱暴に拭った。
『赤いガンダムが知らせてくれたんだ。アルファサイコミュが、君の感応波を拾ったんだろうな……さあ、マチュを降ろしてあげよう。焦らなくていいから、僕の誘導に従って着艦を!』
「は、はい!」
緊張の糸が切れたその瞬間、ニャアンの胸に頭を預けていたマチュが、操縦桿を握る手を上から掴んだ。
その力は、腹を撃ち抜かれた人間のそれとは思えないほど強い。
「……ニャアン、まずい。逃げて」
「えっ? だって、みんな味方だよ?」
「違うの」
その声音は震えていた。
まるで、銃創以上に命を脅かす何かに怯えているような。
「サイコ・ガンダムを、赤いガンダムに近づけちゃいけない……!」
ばちん。
脳裏に、そんな音が響いた気がした。
一歩、遅かった。
ニャアンは、直感で理解した。
[ NT-D SYSTEM BOOT SEQUENCE INITIATED ]
>> Core Modules: ONLINE
>> Neural Interface: CALIBRATING
>> Combat Subsystems: INITIALIZING
>> Synaptic Feedback Loop: STANDBY
サイコミュから何かが流れ込んでくる。
脳のひだの一枚一枚を、乱暴な手つきが掻き分ける。
「ずっと、引っかかってたんだ。こいつはエアロック室に隠されてた。宇宙に出たければ、扉をぶち破るだけでよかったんだ」
>> Stage-III Transition: INITIATED
Neural Sync: 97.4% [ALMOST LOCKED]
Pilot-Machine Coupling: FULL BIND
どす黒い汚泥が流し込まれる。
嫌だ。来ないで。
私を
「なのに、ニャアンはコロニーの中に出た……ううん、無意識のうちに、出るように
Vital Monitoring:
Heart Rate: 148 BPM ⚠ WARNING
Cortisol Spike: DETECTED
Adrenal Saturation: ELEVATED ⚠ WARNING
Micro-tremor: SUPPRESSED
視点が遠ざかっていく。どこか、離れた高みから、マチュを抱き締める自分の体を見下ろしている。
Bio-Neural Feedback:
Cerebral Load Index: 138% [OVER THRESHOLD] ⚠ CRITICAL
Synaptic Stress: HIGH ⚠ WARNING
Reflex Override: ACTIVE
Autonomic Override: CRITICAL ⚠ WARNING
Operational Status: Destroy Unchained [ACTIVE]
私が私でなくなっていく。
「私がビットのコントロールを奪えたのだって、うまく行き過ぎてた。たぶん、サイコ・ガンダムは探してたんだ……」
WARNING: PILOT NEUROLOAD EXCEEDING SAFE PARAMETERS
Risk of Neural Backlash: ELEVATED ⚠ WARNING
Risk of Sensory Bleedthrough: ELEVATED ⚠ WARNING
Emergency Disconnect: DISABLED ⚠ WARNING
>> Synaptic Feedback Loop: FULL LOCK
>> Reflex Assist: DIRECT NEURAL ROUTING
>> Targeting Algorithm: OVERCLOCK ×4 ⚠ WARNING
>> Response Latency: 0.011s
>> Motor Cortex Intrusion: MAXIMUM ⚠ CRITICAL
>> Autonomic Override: FULL ⚠ CRITICAL
暗闇に引きずり込まれる。
何も見えない。何も感じない。
腕に、親友の温もりを感じられない。
マチュ。あなたはまだ、そこに、いるの?
「あのドゥーって強化人間より、自分の性能を引き出してくれる
[ SYSTEM ALERT ]
DESTROY UNCHAINED MODE ENGAGED ⚠ CRITICAL
ALL SAFETY PROTOCOLS BYPASSED ⚠ CRITICAL
OFFENSIVE OUTPUT: MAXIMUM ⚠ WARNING
NEURAL LOAD: CRITICAL ⚠ CRITICAL
SENSORY INPUT: MAXIMUM FEEDBACK ⚠ WARNING
「このガンダムを作った人は、自分たちを負かしたニュータイプを殺せれば、なんだっていいんだ……」
神様。
いるならどうか聞いてください。
>> Heart Rate: 181 BPM ⚠ CRITICAL
>> Cerebral Load Index: 142% ⚠ CRITICAL
>> Synaptic Stress: EXTREME ⚠ CRITICAL
もう、盗みません。運び屋もしません。いい子にしますから、お願いします。
一人ぼっちで生きてきて、何度も死にたいと思って、それでも幸せをあきらめきれなくて、やっとできた友達なんです。
みんな、みんな、大好きなんです。
ですから、お願いします。
これ以上、私から奪わないで。
[ NT-D SYSTEM STATUS ]
Stage-III Transition: COMPLETE
Operational Mode: Destroy Unchained [ACTIVE]
Pilot Load: UNSAFE ⚠ CRITICAL
暗闇に、生白い、あるいは、赤い影。
ガンダム。
シュウちゃん?
シュウちゃんって、誰だっけ。
ああ、そうだ。
そうだった。
ガンダムは、敵。
金子詔一 / 今日の日はさようなら
「ったく。どうして俺は、いつもカッコつけちまうんだろうな……」
レザー・ジャケットの胸元に貼られた、一枚のワッペンに触れる。
部隊章だった。独立混成第四四旅団。地上から宇宙を駆け抜けた、地球連邦軍の最精鋭。
もはや、戦場に立つことなど生涯ないと思っていた。
守るものを持つ者が、己の信念や主義などという、耳障りのいい建前のために命をかけることは愚かだと、男は固く信じていた。
「とはいえ、港を吹っ飛ばされちゃあ、ライラが危ねえ。それに……」
操縦桿を傾ける。
漆黒のガンダムが、コロニー中心軸の無重量空間へ滑り出る。
「子供の不幸は、大人の責任ってな」
ジェリド・メサ、ガンダムMk-Ⅱ。
『言うようになったじゃない。不良の少年将校さんは、もういないわけね』
「勘弁してください大尉。あんたの鉄拳は、いまだに夢に見る」
シイコ・スガイ、百式。
『さぁ。囚われのお姫様を助けましょうか』
「へいへい、あんたがボスだよ」
出撃。