【二章完結】ハマーンさんじゅうはっさい   作:千年 眠

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 この体はワインを飲めるのだろうか、と思った。

 強化手術の後遺症で発育の遅れた体は、一八にもなってロー・ティーンのそれにとどまっているが、だからといって酒を拒めるわけでもないのが政治だ。

 

 子供扱いなど受けて、対等な話などできやしない。

 私は大人をやらなければいけない。

 ただのシュネー・ヴァイスではなく、公爵令嬢ハマーンとして。

 

「いやはや、不幸中の幸いでした」

 

 強襲巡洋艦アーガマ。ティターンズ第一三独立強襲艦隊の最先鋒を務めるこの船は、アームで延長した居住ブロックを回転させることで、軍艦でありながら、非常に住みよい一Gの遠心重力を生み出す。

 シャリア中佐が持ち込んだヴィンテージ・ワインの澱を沈めておくには、ここの高級士官室はうってつけだった。

 

「ソドンは二度と宇宙(そら)を泳がない。しかし、クルーの命を守り切り、イズマに暮らす人々も、不時着に巻き込むことがなかった。こうして皆様に秘蔵のカリフォルニアを楽しんで頂けるのも、彼女の献身の賜物です」

「センチメンタルだな、シャリア・ブル。だが、嫌いではないぞ」

 

 答えたのはキシリア・ザビだった。この密会はジオン秘中の秘。付き人のアサーヴにさえ参加を許さなかったのは、他ならぬ彼女自身の判断だ。

 つまり、彼女はグラナダの腹心より私を信じているということ。四年前から変わらないこの容姿が、彼女の警戒を解かせているなら儲けたものだ。しかしほくそ笑むのは、まだ我慢しよう。

 

「もしやヨントヴィル、それも改暦記念ボトルではありませんか?」

「おや、分かりますか、カイ殿」

「少佐殿には及びませんが、仕事柄、勉強させて頂きまして」

 

 カイ・シデン。ジオンの大将軍キシリア・ザビを前にこの軽薄。食えない男だ、と思った。

 

 彼は反ジオンを掲げる地下ネットワーク組織、カラバの代表としてこの場にいた。

 ギレン派を主流とする、ジオン地球進駐軍へのレジスタンス活動を行うカラバは、敵の敵は味方であるとして、キシリア将軍へのパイプを欲していた。

 

 打倒ジオンのためならば、仇でもなんでも使え。

 カイ・シデンはそういう、暗く熱いエネルギーを、飄々とした空気に隠しておけるいい男だ。そうでなくては、私も手を組もうとは思わなかった。

 

「乾杯が待ち遠しいところですが、キシリア閣下に一つお伝えしたい。ソドンの代替艦は、カラバに一隻、提供の用意があります」

「ほう。ミノフスキー・クラフト搭載艦が、他にも?」

「戦後間もない頃です。ルオ商会の警備部門が、再編中で財政難の連邦軍から、スクラップ・メタル名目で用廃のペガサス級を一隻、買い取ったんですがね? 今となっちゃあ運用が特殊で、艦隊運用もしにくいってことで、手放したがってるんですヨ」

 

 シャロンの薔薇を探すなら、飛べる船はあった方がよろしいでしょう?

 彼は、ニュース番組で披露するそれと同じ、にこやかな表情を張り付けてそう言った。

 

「艦名はホワイトベース。ルナツー撤退戦で()()にも生き残っちまった……私の、古巣です」

「よろしいのですか? ジオン軍人の私が言えたことではありませんが、愛着深い船を……」

「構いません。手放す機会を待っていたくらいです。さもないと、私は自分の戦争から足抜けできないままだ」

 

 カイはそこで言葉を切り、私に視線を向けて、話の深掘りを避けた。

 

「シャロンの薔薇の捜索には、ティターンズも協力いたしますわ。アーガマを筆頭にした強襲艦隊は地球降下と共にダカールを奇襲。解放宣言の後に、カラバのアウドムラとスードリを加え、薔薇の捜索とジオン駐留軍の支配地解放を並行します」

「ほう、ギレン兄の兵を討つか」

 

 さて、せいぜい歯の浮くような口説き文句を説いてやろう。優秀な長兄へのコンプレックスをこじらせた女将軍殿の自尊心を痛烈にくすぐるような、いじらしい愛を囁こう。

 

「カーン家は建国の曙、危険を顧みず木星圏のヘリウム3資源を開拓し、ジオン公国へ独占供給してまいりました。それは民の生活を支え、戦時には軍を動かす血潮ともなるもの。ゆえに我が家は、鉱脈を守る忠臣でありながら、刃を執る武家としての名をも負っております」

 

 貴様の記憶に残る私は、無垢な少女の姿しかあるまいよ。

 だから見落とすのだ。

 

「地球は、キシリア様がかつての戦功により正当に得られた地。であるならば、剣と戦策にて取り戻し、正しき主のもとへ還さねばなりません」

 

 イズマ・コロニーの難民街に潜んだ私が、今日までどんな手段で生き残ってきたか。

 難民街に潜み、横暴な軍警察と、薄汚れた大人たちの欲望に傷ついた友人たちを、どうやって守り抜いてきたか。

 

「キシリア様。これは閣下が、幾度も私をお救いくださった御恩への、ささやかながらの報い。

また、建国期よりジオンの根を支えてきたカーン家の名にかけて──ギレン・ザビ総帥の暴政に終止符を打つ戦端を、私自らが切り拓くことを誓いますわ」

 

 そんな理不尽にさらされる子供たちと手を取り合い、一日一日を命懸けで生き延びて──開戦の元凶たるザビ家に、私がどれほどの憎しみを募らせたかなど。

 貴様は、夢にも思うまい。

 

「いつの日か、正しきジオンの大星図を前に、閣下と並び立って語り合えることを願って──私は進軍の先に、光ある未来を見据えております」

 

 親愛なるキシリア・ザビ。

 

「そうか。そうか。なんと、まあ、健気なことか……よかろう。地球の()()()、そなたに任す。遂げてみせい、ハマーン・カーン」

 

 貴様の滅びの道筋は、私が整えてくれよう。

 

「シャリア・ブル。祝杯を」

「はっ。閣下」

 

 濃密な赤の酒精が、一Gの遠心重力に引かれて落ちる。滑らかな放物線の輪郭は、夕日色のランプの光を集めて艶めかしく浮かび上がり、四つのワイングラスを等しく満たす。

 やがてシャリア・ブルは、他の三人がグラスを手にするのを待ってから、最後の杯を取った。

 

「私は、才女との再会、その奇縁に」

 

 キシリア・ザビが恍惚と目を細める。

 

「小官は、ソドンの勇敢なる最期に」

 

 シャリア・ブルが上品にグラスを掲げる。

 

「皆様との友諠を願って!」

 

 カイ・シデンがキシリアへの憎悪をひた隠しにおどける。

 そして、私。ハマーン・カーンが宣言すべきは。

 

「我が君に、薔薇の綻ばんことを祈って」

 

 乾杯。

 血のように赤いワインは、一〇〇年近い長熟を経て、どこか土のようなニュアンスを含んだ。

 それはきっと、地球の味だった。

 

§

 

『こちらブリッジ。核パルスエンジン点火時刻より、三時間前をお知らせします。荷役作業中の乗組員は、一時間以内に作業を終了してください。繰り返します。こちらブリッジ……』

「いいかあ! ()()()()のベースジャバーを優先! 積み荷は後だ! 間違っても下りたがってる奴らを戦争に連れて行くんじゃないぞうっ!」

 

 メカニックと技術者を兼ねる異端の天才、アストナージ・メドッソのよく通る声は、彼が誘導棒を振り回すタキシング・スペースより遠く離れたキャット・ウォークにすら届いた。 

 ジェリド・メサは私物をまとめたキャリーケースを片手に振り返った。同じ出で立ちのシイコ・スガイが、くすりと笑う。

 

「カーゴ・ブロック中に響きそうね」

「あいつの怒鳴り声でイレブン・オ・クロックが分解するが早いか、俺たちがベース・ジャバーでサイド6に帰るが早いか……」

 

 ラビアンローズ級自走ドック艦、二番艦トゥエルブ・オリンピアンズ号。改め──超大型仮装空母トゥエルブ・オリンピアンズ号は、地球へ針路を向けていた。

 

 アナハイム社の非戦闘員はもとより、戦いを望まない者たちは降船を許された。

 特に、家庭を持つジェリド・メサとシイコ・スガイの二人は、「いい加減に親をやれ」というハマーン直々の言葉により、嘱託テストパイロットとしての契約期間を繰り上げて満了。十分すぎるほどの手切れ金を対価に、船を降ろされようとしていた。

 

「百式は誰が?」

「ヤザン・ゲーブル大尉ですよ。シュネー……いえ、ハマーンは遊撃チームに組み込むと」

「そっかあ。プロトタイプとはいえ、ハイエンドですものね」

「後任が気になりますか?」

「並のパイロットが乗っちゃあ、ただの脆い的でしょう?」

 

 あんたが気にしているのは、後任の命じゃない。次のパイロットが、自分より百式を()()()使()()()()()()()だろ。

 ジェリドはその言葉を呑み込んだ。その思いは、自分とて同じだったからだ。

 ガンダムMk-Ⅱ。あれは本当にいいモビルスーツだった。いかに自分が、戦いを降りなければならない立場であっても、見ず知らずの他人にくれてやるには惜しいと思った。

 

 結局、一度戦いに身を浸した人間はこうだ。

 命のやり取りは、一部の人間にとっては麻薬よりも効く。

 一度、それに魅入られた者は、行くところまで行くしかない。

 ジェリド・メサは、その魂のくすぶりを、ずっと見ないふりをしてきた。

 してきた、つもりだった。

 

「ベース・ジャバーは発進待て! 女王様のお帰りだっ!」

 

 アストナージの声に、ジェリドは目を逸らすことができない。キャット・ウォークから臨む巨大な格納庫の一角で、エアロックの内扉が開く。

 

 純白のΖ(ホワイト・ゼータ)。女王の玉座。乙女の白無垢。白い悪魔──様々な異名で呼ばれる可変モビルスーツが、低重力環境を滑らかに泳ぐ。

 

 トゥエルブ・オリンピアンズ号はすでにサイド6宙域を出ようとしていた。そのために、ティターンズ総帥であるハマーンは自ら、ジオン軍ギレン派の襲撃に備えて、ベース・ジャバーの航路上を哨戒していた。

 

 総帥の仕事ではない。しかし彼女は、それを執務には一切の影響を出さずして、部下たちへの当然の義理立てとして行った。おかげで彼女のカリスマは、もはやとどまるところを知らない。

 

 非合法のクランバトルに明け暮れて、それでも足らずにティターンズへ参加した、ジオン、連邦両国の退役軍人たちの心を、ハマーン・カーンは早々に掴んでいた。無敗の帝王シュネー・ヴァイスとしての顔が、意志の統一を速めたことは言うまでもない。

 

 戦士は自分を負かした強者にこそ、真に仕えようと思う。

 ハマーン・カーンはその価値観を理解していた。

 

 あるいは、そうして自分のために死ねる戦士を集めることこそが、追われる身でありながら、クランバトルという人目を引く場へ身を投じた理由だったのか──。

 

「またシュネー・ヴァイスのこと考えてる」

「思考を読むのはマナー違反って言ってるでしょう、大尉」

「白いΖをそんなに睨みつけて、わからない人いないと思うけど?」

「……」

「あはは! 面白い顔!」

「……いーから行きますよ! モタモタしてたら、ルナツーの防空圏まで連れてかれちまう!」

 

 童顔の、それも小柄な主婦にくすくすと笑われるジェリド・メサは、まるで思春期の少年が意地を張るように、肩を怒らせて歩いた。

 いつまでも自分を不良少年扱いするシイコの言い草には、真っ向から否定できない厄介な親愛がある。ジェリドはそれが、うっとうしくも嫌いではなかった。地獄のような一年戦争を正気のまま生き残れたのは、彼女がそうやって、尖った神経を和ませてくれたからだ。

 

「あら、あの子たち」

 

 そんな大恩ある彼女が、通路の先に人を見つけた。

 長い黒髪を低重力中に泳がせた少女が、頭二つは小さい──それこそ、ハマーンやアマテ・ユズリハのように小柄な少女に付き添っている。

 

「フォウ・ムラサメ……もう歩けるのか」

 

 その薄荷色の髪の少女は、ハマーン・カーンと同じく、健全な身体の発育を押しとどめる術理の強化手術を強いられた被害者だった。

 ギレン派が秘匿していたそれと同じ技術を、連邦のムラサメ研は持っている。

 ジェリドはそこに、陰謀の影を見出さずにはいられなかった。

 

「あ……」

 

 ジェリドの視線に気づいた黒髪の少女が、小さく会釈をした。つられてフォウがこちらを見た。

 男の碧眼と、少女の翡翠色の瞳が交錯する。

 内心を覗かれたことを悟った。

 

「あなたも、ハマーン様と戦いたいんですか」

 

 外付けのパワーを得た子供というのはすぐこれだ。デリカシーがない。ジェリドは初対面ながら、フォウを厄介に思った。

 しかし、シイコに指摘された通り、今の自分がとても分かりやすい顔をしているのも事実。文句は言えなかった。

 

「俺はもう、火遊びをやめにしないとなんだよ。わかるかい?」

「奥さんが、大切なんですね。指輪をとても綺麗にしている」

「そりゃあもう、世界一愛しているね。だから勝手はやれんのだ」

「でも、あなたはハマーン様を打ち負かしたい」

「ああ。俺はあいつに勝てたことがない。マヴとしてさえ、あいつは俺を眼中に入れなかった……俺はシュネー・ヴァイスの強さが妬ましいし、俺を見ないことが苛立たしい。でも、もう、そんなことを言ってられる時でもないじゃないか」

「そちらの方は、考えが違うようですけど」

 

 フォウの無垢すぎる瞳が、ちらりと男の背後を見た。視線を受け止めたシイコ・スガイは、不意を突かれたように目を見開いていた。

 その反応に最も衝撃を受けたのはジェリドだった。赤いガンダムとのクランバトルを経て、憑き物が落ちたように大人しくなった彼女を知っていたからだ。

 ドミトリー警備保障のテストパイロットを辞することすらほのめかしていた彼女が、まさかと。

 

「君、そう簡単に人の心に立ち入るものじゃない。無神経と取られるぞ」

 

 ジェリドは辛うじて、大人としての世間体を取り繕って言った。

 本当にこの娘が心を読めるなら、言葉の裏を察してくれる。

 頼むから、戦いを忘れようとしている俺たちを放っておいてくれ、という真意を。

 

「ご不快な思いをさせてしまい、すみません。それでも、私はあなた方に問わなければならなかった。お二方には、万が一にも未練を残すなと、ハマーン様から仰せつかっていましたから」

「ハマーン・カーンが?」

「はい。閣下はこうも言っていました……四年分の借りは返してやるよ、と」

 

 どういう意味かと尋ねようとして、鈍い振動。はっとして右方を見上げた。キャット・ウォークの四人を、Ζガンダムの鋭い眼光が見下ろしていた。二の句を継げないうちにコックピットが開き、巨大な掌を足場にして、真紅のパイロット・スーツがひらりと躍り出る。

 

「何を恐れている」

 

 サイコミュの脳波ピックアップを内蔵したヘルメットを脱げば、燃えるように赤い髪がふわりと低重力空間に広がった。

 

「守るべきものがある。自分一人の命じゃない。ほどほどでやめておかなきゃあならない……それがどうしたというんだ?」

 

男を高みから見下ろすその目は、光の入り方によっては、青くも赤くも見える、不可思議な虹彩で。

 

「無理だろう。どんな理屈を並べても、戦いに魅入られたお前は、行くところまで行くしかないんだよ。エントリーネーム、トウッシェ・シュヴァルツ」

 

 その苛烈な声音と眼差しは、かつてジェリド・メサが、敗戦の屈辱と鬱屈を晴らすために、クランバトルに明け暮れた先で、初めて敗北を喫した時に浴びたもの。

 片腕を失くしたジャンク同然のザクから出てきた、丸刈りで性別すら定かでない子供──のちのシュネー・ヴァイスに本気で抱いた、魂が震えるほどの反骨心を、男はたった今思い出した。

 

「……認めるぜ、シュネー・ヴァイス。俺は貴様に、憧れていた」

 

 ああ、そうだ。

 

「だが、それももう辞めだ」

 

 俺はもう見てしまったんだ。

 シュネー・ヴァイスという眩い光を。

 

「初の黒星は、このトゥッシェ・シュヴァルツが刻む」

 

 一生をかけて倒すべき、宿敵(ライバル)を。

 

「フン。いい目になった。シイコ・スガイ、悪いが最後に追加依頼だ。そこのトゥッシェのマヴをやってくれるか?」

「……私が」

「貴様は赤いガンダムを墜とした次に、ゼクノヴァから還ってきた私に挑み、ニュータイプを否定してやりたかったはずだ。試合時間が残っていたら、Ζの背中を撃ったろうさ」

 

 シイコは、呆然とハマーンの言葉を聞き、そして──

 

「バレてたか」

 

 ──邪悪な魔女がごとく笑った。

 

「誰よりも強くなければ気が済まないのが、撃墜王(ユニカム)というものだろ?」

「本当、腹が立つくらいパイロットのことがわかるのね。また百式を使わせてもらえるの?」

「百式のフルスペック仕様、デルタ・アーリィさ。ヤザン大尉へ渡す前に、実働データが必要でな」

「……気に入った。あなたと私達で、最後のクランバトルというわけ」

「そうでもして吹っ切ってやらなければ、モビルスーツを自弁してでも着いて来るだろうからな、お前たちは」

 

 なに、核パルスエンジンの点火まで三時間はある。それにここはサイド6領空外。軍警の邪魔も入らん。

 

「魅せてみろ。無敗の帝王、シュネー・ヴァイスにな」

 

 エントリーネーム、シュネー・ヴァイス。

 四九二戦、四九一勝、一分け。

 その伝説のパイロットは、クランバトル黎明期より王者として君臨。引退まで、生涯無敗を貫いた。

 

 しかし、サイド6領空外の名もなき宙域にてひっそりと催された非公式戦の結末は、リーグの正式記録には残されていない。

 

 シュネー・ヴァイスのマヴ、トゥッシェ・シュヴァルツが、シイコ・スガイを加えて無敗の帝王に挑んだ、その最後の戦いは、勝負を見届けたティターンズ軍人たちの記憶にのみ、しかと刻まれた。

 

 それと、もう一人。

 

「……私には、何が」

 

 クラン、ポメラニアンズのメンバーである少女、ニャアンの心の内に。

 

 宇宙世紀〇〇八五年、某日。

 ティターンズ第一三独立強襲艦隊は、旗艦トゥエルブ・オリンピアンズを筆頭に、総勢一六隻ものそうそうたる大艦隊を率いて、地球へ向かった。

 

 緒戦の目標は、ジオン軍宇宙攻撃軍管下、ルナツー防空圏突破。

 第二次地球降下戦役──重力戦線の幕開けである。

 

 


 

 

 左手は猫の手、と言われたが、ギプスでガチガチに固められてどうしろというのか。

 どうして、このタマネギとかいう野菜は、切るたびに催涙ガスを出しやがるのか。

 そもそもなぜ、選ばれし優良種、ニュータイプたるこの()()が、こんな雑事を押し付けられているのか。

 

「よっニュータイプ! 元気してっか!」

「ニュータイプの切るニンジンは不揃いだなあ!」

「ニュータイプならタマネギ切っても目に沁みないんだよな!」

「そのゴーグル、上司にそっくりでいいと思うぜ!」

「お前らマジで覚えてろよッ……!!」

 

 そしてなぜ、こんな仕事をやらされながら、こんなコワモテ揃いのどうしようもない、戦争狂いのバカどもに、カウンター越しにイジり倒されなきゃならないのか!

 

 強化人間ドゥー・ムラサメは強襲巡洋艦アーガマの食堂にて、仕込みを手伝わされながら割と本気でキレていた。ちなみに水泳ゴーグルは、本人としては真面目なタマネギ対策だったが、食堂のおばちゃんからは、カワイイねェ、と一笑に付された。大変不服である。

 

「ドゥー、黙って切れ」

「ゲーツはいいのかよ! ニュータイプだぞぼくら! そもそもこの手、指の骨まだ繋がってないんだぞ!」

「テロ作戦をやらかして、体のパーツが全部くっついてる以上の奇跡なんてあるかよ。ほら、今度は千切りキャベツだとさ。今日はメンチカツかな……」

「こいつ順応しやがって……!」

「あのなあ、サイコ・ガンダムを没収されただけで済んだことをありがたく思えよ……ハマーン総帥が、ジャミトフ将軍の署名を貰ってくれなかったら、俺たちはテロリスト、バスク・オムの部下としてまとめて銃殺刑だぞ?」

 

 地球じゃ懸賞金までかかってるらしいぜ、バスク少佐。

 そう続ける白金の髪の青年、ゲーツ・キャパの端正な顔立ちは無表情だった。青い眼差しは、まな板の上で超高速往復を繰り返す自身の包丁にだけ注がれている。強化人間の優れたスペックを、彼は命じられた炊事タスクに惜しみなく投じていた。

 

 最新世代の強化人間が二人、だだっ広い厨房の一角で山のようなカット野菜を量産する異様な光景に、躊躇なくカウンターから声を掛ける者が、また一人。

 

「二人とも、精が出るな」

 

 ハマーン・カーン。燃えるような赤髪に真紅の総帥服。精巧なビスク・ドールのように完成された美貌は、社交辞令的な微笑みにすら、息を呑むような魅力を与える。

 彼女を目にしたゲーツの行動は早かった。

 

「はっ! もったいなきお言葉にございます!」

「うっわお前マジかよ」

 

 包丁を置き、直立不動で模範的な敬礼を披露する彼だったが、ドゥーに言わせれば、かわいらしい花柄のエプロンをつけている時点で台無しだ。

 

「楽にしていい。ドゥーも聞け」

「……はい」

「いい知らせだ。お前たち、炊事班の手伝いはもういいぞ」

「ヤッター!」

「悪い知らせだ。お前たちは、私と共にルナツー突破の一番槍を務めてもらう」

「ヤダーッ!!」

 

 絶対後ろから撃つ気だ! ドゥーは確信した。

 あのアマテ・ユズリハとかいう世間知らずのお嬢様は、ハマーン・カーンのお気に入りだった。そんな彼女を誘拐し、あまつさえ腹に銃弾までぶち込んだ自分が、最前線でどんな扱いを受けるかなど、火を見るよりも明らか。

 

 しかし、軍隊において上官命令は絶対。ジャミトフ大将にも一度助命された身だ。脱走などしてみろ、待っているのは死より悲惨な末路だけ。

 

「そう怯えるな。何も特攻を命じるわけではない。お前の助命は、フォウ・ムラサメの願い。それを無下にはしないさ」

「じゃあ、何をするん……ですか?」

「私の補助を任せる。巨大なサイコミュ・マシンのオペレートだ。得意だろう?」

 

 まさか、サイコ・ガンダム? 直後に自分で否定する。あれは解析のため、フォウのMk-0共々アナハイム社へ送られたと聞く。

 

「インレの黒うさぎ」

 

 ハマーンの薄桃色の唇がそのフレーズを呟いた瞬間、ドゥーはわけもなく鳥肌が立つのを感じた。

 何か、何かはわからないが、よくないものな気がする。

 

「私はそう呼んでいる。超大型モビルアーマーとして建造予定だったが、連邦の敗戦で立ち消えた未完成のシステム……理想家たち(トライ・ステラー)の夢の跡、というべきかな」

 

 ハマーンは側近の将校、アナベル・ガトーとかいう銀髪の偉丈夫が恭しく差し出す一枚の紙を、食堂のカウンターへ滑らせた。

 二人に宛てられた、ジャミトフ・ハイマン将軍直々の命令書。

 キシリア暗殺作戦()()()()の日付を書かれたそれは、バスク・オムの部隊から、ティターンズへの異動を命じるものでもあり、二人の強化人間をハマーンの手駒として献上する悪魔の契約書でもあった。

 

「ドゥー・ムラサメ。ゲーツ・キャパ。お前たちは私と共に、ソロモンの亡霊を演じてもらう」

 

 

次章

逆襲のハマーン / Haman's Counterattack

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