【二章完結】ハマーンさんじゅうはっさい   作:千年 眠

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 午前三時。激しい地鳴りに、アムロ・レイは跳ね起きた。

 突っ伏していたテーブルから顔を上げると、庭に面したリビングのカーテンは開け放たれたまま。短く刈り込まれた庭の芝生は、夜闇に塗りつぶされて数メートル先も見通せない。 

 ソファを見れば、ミノフスキー博士が深く腰掛けて、うたた寝をしていた。客人とやらを待っているうちに、二人して微睡んでしまっていたらしい。

 

「しまったな……」

 

 博士を起こそうとアムロが立ち上がった、まさにその時だった。静寂を切り裂いて、玄関の呼び鈴が鳴らされた。

 

 アムロの脳裏に浮かんだのは、博士のいう客人などではなく、強盗の類であった。

 シドニー・クレーターのほとりなどという、何かといわくのある辺境に佇む屋敷だ。わざわざ押し入る輩など相当の物好きだろうが、逆に言えば、警察の到着は街中より遅れる。それくらいの理屈はアムロにも簡単に想像がついた。

 

 キッチンの戸棚を開けた。生活雑貨の雑多な並びの中に、弾の込められたリボルバーが一丁、場違いな黒い光沢を放っている。

 アムロに人を殺める覚悟はない。しかし手当たり次第に撃ちまくれば、ひょっとすると恐れをなして退散してくれるかもしれない。青年にとって、銃とはその程度のものだった。いやに冷たいそれを、ジーンズの背中側のベルトへおっかなびっくり挟み込む。

 

「ちくしょう、何だってこんな時に……」

 

 こわごわとインターホンのモニターを覗き込んだアムロは、思わず目を疑った。

 深夜の玄関口にたった一人で立っていたのは、真紅のパイロット・スーツに身を包んだ、せいぜいローティーンにしか見えない少女だったのだ。

 

「こ、子供……!?」

 

 先ほどの地鳴りが脳裏をよぎる。思えば、スペース・デブリが落下してきた時にも似ていたかもしれない。まさか、学生の乗ったシャトルが不時着でもしたのだろうか。慌てて玄関へ駆け出そうとしたアムロの背後で、博士が静かに目を覚ました。

 

「私が出よう」

「博士!?」

 

 制するアムロをよそに、老学者は杖を突いて真っ直ぐに玄関へ向かう。困惑を隠せないまま、アムロもその後を追うしかなかった。

 マホガニー材の重厚な自動扉が、音もなく左右に割れる。

 

「待っていたぞ。黙示録の赤き竜よ」

 

 それが、ミノフスキー博士の開口一番の挨拶だった。

 

「人を終末の先触れ呼ばわりとは、ご挨拶ね。お会いできて光栄ですわ、ミノフスキー博士」

「私もだ。ハマーン君」

 

 少女は苦笑をこぼし、祖父と孫ほどに歳の離れた二人は、しかし対等な同志のように、ごく自然に、そして固い握手を交わした。

 その不思議な光景に呆気にとられるアムロに気づき、ハマーンが形の良い眉をわずかに上げる。

 

「そちらの方は、博士の教え子かしら?」

「アムロ・レイ君だ。私の最も優秀な直弟子として、この老骨のもとで学んでくれている」

「初めまして、アムロ君」

 

 ハマーンはアムロに向けて、小さくほっそりとした手を差し伸べた。その洗練された一挙手一投足に、アムロの背筋はわずかに緊張する。少女はどこか浮世離れした品格を纏っていて、自分と同じ世界の住人にはとても見えなかった。

 

「私はハマーン・ウル・カーン。博士の、そうね……個人的な友人とでも思ってちょうだい」

「ハマーン、さんって……あのハマーン・カーンさんですか?」

「ええ。ジオン公国、カーン公爵家が次女にして、地球連邦政府、独立治安維持組織ティターンズ総帥。あなたも知っての通りよ」

 

 連日に渡ってニュースを騒がせる最高権力者が、なぜこんな辺境に、護衛も連れずたった一人で現れたのか。何より、その巨大な組織の頂点に立つ人物が、どう見ても自分よりもはるかに年下の少女にしか見えないという事実に、アムロの内心は激しく揺さぶられていた。

 

「博士。この辺りに、モビルスーツを隠せる場所はご存知かしら」

「モビルスーツを、ですか?」

 

 思わず問い返したアムロを置いて、博士は事も無げに応じた。

 

「地下に、非常電源代わりのザクを置いているバンカーがある。アムロ君、案内しておやりなさい」

「え、あ、はい……」

 

 事態の進展に頭が追いつかないまま、アムロはつっかけのサンダルを履き、冷たい夜気が満ちる外へ出た。そして、屋敷の真正面、塀の外で膝を突いて駐機する白い巨影を見上げた瞬間、さながら雷に打たれたように身を固くして、その場に立ち尽くした。

 

「父さんの、ガンダム……!?」

 

 夜闇の中で妖艶に浮かび上がる、純白の専用識別色(パーソナル・カラー)

 それは地球連邦の敗戦後、アナハイム・エレクトロニクスへと移籍した父テム・レイが、持てる技術のすべてを注ぎ込んで開発していた最新鋭機、Ζガンダムに違いなかった。

 

 なぜティターンズ総帥である彼女が、父の最高傑作を駆ってここにいるのか。

 

「ゲストルームの鍵はここに置いておく。シャワーは部屋の物を使うがよろしかろう」

「ありがとうございます、博士」

 

 背後で交わされる二人の淡々としたやり取りを、アムロは呆然と聞き流していた。胸の内で渦巻く疑問は際限なく膨れ上がり、聞きたいことはいくらでもあるはずなのに、言葉になるものは一つとしてない。

 

(ハマーンさん、あなたは一体……)

 

 その端正な横顔を尻目に、アムロは心の中でただ一人問う。

 あなたは父さんの機体で、否。

 ミノフスキー博士の英知をもって、一体何を?

 

 §

 

 数時間後、シドニー・クレーターの広大な外輪山を、鋭い朝陽が白く照らし出し始めた。

 

 アムロは一人、キッチンのコンロの前でスープの鍋をのぞき込んでいた。

 世界中にその名を知られるミノフスキー博士は、お世辞にも生活能力があるとは言えない研究一筋の奇人だ。放置すれば平気で食事を抜いて研究に没頭してしまうため、日ごろの家事の一切は、いつの間にかアムロの役目になっていた。

 

 今ならわかる。地球に疎開する前に、機械いじりに夢中な自分にしょっちゅう世話を焼いてくれたお隣さんの少女、フラウ・ボゥの苦労が痛いほどに。

 

(……本当に)

 

 ありがとうな、フラウ。おかげさまで、今じゃシャツのボタン付けまでやってるよ。

 

 などと、かつての彼女に詫びつつ、アムロは黙って鍋をかき混ぜる。その手つきは手慣れていた。客人に出す食事を用意するのも、もはや珍しいことではなかった。

 

 好んでこのような不便な辺境に隠遁している博士だったが、その頭脳が紡ぎ出す英知を求めて、地球内外を問わず訪問者が絶えることはない。行き来だけでも一苦労の立地ゆえに、屋敷には充実したゲストルームが用意されていた。定期的に管理業者が入り、清掃や備品補充を行っているおかげで、突発的な来客であっても、迎え入れる準備だけは常に整っている。

 

 出来合いのバゲットをバスケットに盛り、温かいスープをボウルに注いでダイニングへ運ぶと、ちょうど博士と、着替えを済ませたハマーンが席に着くところだった。

 

 ハマーンが身に纏っているのは、屋敷にストックされていた客人用のルームウェアだった。成人女性向けの仕立てであるため、彼女の華奢な体躯にはいささか大きく、袖や裾が少し余っている。 何よりアムロの目を奪ったのは、朝の光の中で露わになった彼女の容姿そのものだった。

 

 メディアで見かけるティターンズ総帥としての彼女は、常に上品な薄化粧を施し、髪を厳格なシニヨンに結い上げている。実年齢である十八歳と言われれば、辛うじて納得できるだけの威厳を纏っていたはずだった。昨夜、真紅のパイロットスーツ姿で現れた時も、まだ戦場の空気とともにその面影が残っていた。

 

 しかし、この場で化粧を落とし、肩口ほどまである赤髪をそのまま下ろした今の彼女は──どこからどう見ても、ローティーンの少女にしか見えなかった。

 単なる童顔という言葉では片付けられない、何か決定的な、発育の停滞すら感じさせる容姿。

 

 一学生に過ぎないアムロに、彼女の身にどのような過去があったのかを知ることはできない。 だが、荘厳にして苛烈な総帥の姿が、この痛々しいほどに小さな身体を隠すための精巧な擬態であったことだけは、目の前の事実が物語っている。

 

「お待たせしました。大したものは用意できませんでしたが」

 

 アムロが静かに料理を配すると、ハマーンは小さく会釈を返した。

 やがて始まった食事の席で、アムロは再び息を呑むことになる。発育の止まった少女の手元、そのカトラリーの扱いからスープを口に運ぶ角度に至るまで、一挙手一投足が絵画のように非の打ち所がない、美しいマナーで洗練されていたからだ。

 

(ジオン公国、カーン公爵家の次女……)

 

 どれほど幼い姿であろうとも、その身に刻まれた高貴な血筋の調練。それが本物であることを、アムロは彼女の静かな所作から無言のうちに思い知らされていた。

 そんな静謐な食卓の空気を破るように、ミノフスキー博士が匙を置き、向かいのハマーンへと視線を向けた。

 

「時にハマーン君。ミノフスキー物理学については、どれほどご存知かね」

「僭越ながら」

 

 ハマーンは大きめのルームウェアの袖を左手で上品に押さえ、カトラリーを音もなく皿の縁に揃えた。アムロはそれを、彼女なりの博士への敬意の表れと理解した。

 

「博士の『M物理学概論』、『M場共振理論入門』、『M空間中アーキタイプ粒子の射影として振る舞うM粒子像についての考察』、『特殊サイコミュ共振によるフェイズⅡ環境の生成メカニズム』には、一通り目を通させていただきました」

「試すわけではないが、ずばり、ミノフスキー粒子とは何か、お聞かせ願えるかな?」

 

 アムロの目には、どう見てもあどけなさを残した少女にしか見えないはずのハマーン。しかし彼女がひとたび居住まいを正すと、ダイニングの空気が不思議なほどに研ぎ澄まされるのを感じる。 カリスマ。青年の脳裏に、そんな言葉がふと閃いた。

 

「ミノフスキー粒子とは、宇宙に広がるミノフスキー場が、三次元世界で粒として観測される姿です。この粒子が高密度になると、通常の電波・レーダー・無指向通信はノイズに埋もれ、意味を失います。粒子とはあくまで見え方に過ぎず、重要なのは、空間に広がっている基盤としての場です」

「結構。では、その特性を人は何に用いる?」

「軍事用途では、通信や探知を意味崩壊させるノイズ床を作ります。ミノフスキー粒子戦の発明によって、人類は長距離誘導兵器を陳腐化させ、戦争の形態は一変しました」

「うむ。翻って、今日(こんにち)のミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉や、ミノフスキー・クラフト・システムは、その場の位相や結合条件を理解し、逆用することで、極めて高効率な熱変換や浮揚を行う機関であるといえる。サイコミュもまた、同じことだ」

 

 基礎物理から応用工学への滑らかな飛躍。静かに食事を進めながら耳を傾けるアムロの頭脳も、その論理の展開を的確に追従していく。

 

「はい。サイコミュは、ニュータイプの感応波をミノフスキー場で使える命令信号へと変換。また場の変調を受け取り、それをマシン語として復号することで、思考一つでモビルスーツの四肢やビットを操ることが叶う。すなわちサイコミュとは、ミノフスキー場の復号装置(デコーダー)です」

 

 ハマーンの小さな背筋は真っ直ぐに伸び、経験に裏打ちされたものであろうその解説には、一切の迷いがない。

 

「左様。もとよりサイコミュとは、義肢の脳波コントロールによる、身障者の速やかな社会復帰を目的に研究されていたものだった。宇宙移民の初期、地球から最も遠いサイド3にて、生きるために危険な宇宙開拓を強いられたジオンならではの発明と言える」

 

 それは、連邦では語られない切実な歴史の裏側だった。専門家顔負けの知識で博士と渡り合う少女の姿に、アムロは思わず、口元に運びかけたマグカップをソーサーに戻す。

 

「通常のサイコミュは、ですね」

 

 ミノフスキー博士は、ハマーンの言わんとすることを理解したようで深く頷く。

 ハマーン・カーン。ただの少女ではない。博士の理論を完全に理解している。アムロの内で、未知への興味が膨れ上がる。

 

「通常のサイコミュは、人と機械の間をミノフスキー場で繋ぐ。いわば特殊な通信を介した、ブレイン・マシン・インターフェースに過ぎん。しかし、君のバイオ・センサーや、ガンダム・クァックスのエンデュミオン・ユニットは、時として異なる振る舞いを見せる。ミノフスキー粒子の振動、すなわち場の振動を読むのではなく──場そのものを、()()()()()()というべきか?」

「サイコミュの共振現象ですか」

「左様」

 

 ミノフスキー博士が、わずかに身を乗り出す。とうとう学者精神に火がついた、とアムロは思った。思索にふけることを好む博士が、他者との対談に熱中することはかなり珍しい。

 

「それが、ミノフスキー粒子のフェイズⅡ。サイコミュ共振により局所的に性質を変えたミノフスキー場の、粒子的な見え方となる」

「Ζガンダムでも体験しました。メガ粒子ビームの飛び方や、出力の乗り方が普段とずれ、歪曲や異常増幅が起こります」

「うむ。私は理論と計算にしかその解を見ることが叶わない。しかしニュータイプの君は、これらの振る舞いを直感と交感によって解する。素晴らしい才能をお持ちであるな」

 

 ニュータイプ。その言葉に、アムロは一時呼吸を忘れた。

 地球連邦ではジオンのプロパガンダと一蹴されているその概念。それがただの政治的扇動ではなく、ミノフスキー粒子の振る舞いを、まるで目で見て、耳で聞くように理解する人種として、尊敬する博士の口から語られたことに衝撃を受けたのだ。

 

「ゆえにこそ、私はハマーン君に、()()()()()()()の完成を託したい」

 

 それは、博士が執筆を続ける覚書のタイトルだ。

 あまりにも高度で難解な内容に、アムロにも真意がつかめずにいる未完の理論だった。

 

「ミノフスキー粒子の、第九相(フェイズⅨ)……三次元では安定実装しえない高次操作状態、ですか」

「左様。この世界では成立せず、数学的解のみによって証明される、ありうべからざる相」

「それを成せば……私の願いは叶いますか?」

「儀式の依代が、正しく揃うならば。しかしそれは──」

 

 言いかけて、ミノフスキー博士がアムロをちらりと見る。アムロは、彼の深刻そうな顔に驚いた。

 それは、アムロが知らない表情だった。

 

「──いや、話は後にしよう。スープが冷めてしまう」

「……ええ、頂きます」

 

 ハマーンが何事もなく、再び優雅にスプーンを手に取った。

 一方、アムロは食事どころではない。

 

(博士が、スープの温度を気にするわけがない)

 

 露骨に話を逸らした不自然な態度に、アムロは内心で呟く。

 

 彼がそのような世俗的な気遣いを見せたことなど、これまで一度もありはしなかった。アムロが知るミノフスキー博士は、寝食を忘れて狂ったように研究へ没頭する姿がすべてである。なんでも、五年前に起きたゼクノヴァ現象の観測を境に人が変わってしまったのだというが、アムロはそれ以前の彼を知らない。

 

 博士はきっと、大学生アムロ・レイを、先ほどの高度な会話についていけなかった用無しと判断したわけではない。そうではなく──博士は意図的に、直弟子であるはずの自分を明確に遠ざけたのだ。この得体の知れない少女とだけ、研究の秘奥を共有するために。

 

 疎外感を感じないでもない。学徒としての自負を冷たく突き放されたような感覚も多少あった。 しかしそれ以上に、アムロを惹きつけたのは。

 

(ハマーン・カーンさん、か……)

 

 宇宙から降ってきた、見目麗しい赤髪の少女。彼女がどこでそれほどの知識を身に着けたのかも気になるが、一番は──アトロポスの刃の完成をもって何を為そうとしているのか。その一点であった。

 

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