【二章完結】ハマーンさんじゅうはっさい   作:千年 眠

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 薄闇の中。

 鮮やかな赤髪がアマテ・ユズリハの頬をくすぐる。パイロットシートに背中を預けたこちらを間近に見下ろす神秘的な瞳は、光の入り方によっては紫紺にも群青にも色合いを変えて、銀河の彼方に浮かぶいくつもの星雲を、虹彩という名の覗き穴を通して盗み見ているような思いさえ抱かせた。

 

 雪のように白い肌を彩る、血のように赤い唇が、吐息のような言葉を紡ぐ。童話のお姫様を彷彿とさせる高貴な響きを、惚れ惚れするほどに使いこなして。

 

「動いてはだめよ」

 

 一流の職人が誂えたビスクドールもかくやというほどの可憐な美貌が、ゆっくりと、ゆっくりと近づいてくる。

 アマテは身体を強ばらせ、情けない悲鳴を漏らすことしかできなかった。

 

「う、うぇ!? 待っ、それどういう意味──」

 

 それは問い質すというよりも、どうか自分の想像するものと、彼女の考えていることが違うものであってくれ、という祈りに近かった。

 逃げなきゃ。どこに? 

 拒まなきゃ。嫌じゃないのに? 

 間違ってる。誰が決めたの? 

 私は違う。確かめたの? 

 こんな可愛い子なら、諦めちゃってもいいんじゃ? 

 ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐると。思考が回る。目が回る。

 ああ、もう、どうなっても、いいや。

 アマテは理性を投げ出した。

 

 

§

 

 

 時は、マチュことアマテ・ユズリハとシュネー・ヴァイスの二人が、難民街の一角にひっそりと建つビルに足を踏み入れた頃にさかのぼる。

 

「カネバン有限公司。ポメラニアンズね」

「え、かわいい名前。よく知ってんね」

「クラバのチームは一通り頭に入れてるの」

「おい! 聞いてんのかテメェら!」

 

 黒毛のポメラニアンを抱く、黒縁眼鏡をかけた神経質そうな男の啖呵はどこ吹く風。事務所に乗り込んだ二人を止められる者は、もはや誰もいなかった。

 

「出るんだね。クランバトル」

 

 デスクに泰然と構える妙齢の女性、アンキーが問いかける。頷いてみせると、彼女はアマテの隣に立つシュネーの姿をじっと見つめた。

 

「シュネー・ヴァイスをマヴに、かい?」

 

 事務所の床がぐらりと揺れた。直前まで、我関せずといった様子でステッカーだらけのラップトップにかじりついていた金髪の青年が、椅子の上から派手に転げ落ちたからだ。

 

「あいってて……この子が!?」

 

 強打した頭を抑えながらシュネーを見やる青年の表情は、アマテに言わせれば、憧れのスーパースターを前にして目を輝かせるちびっ子のそれだった。

 

「一度、遠目に見たことがある。間違いなくそうだよ。シュネーさんは、いつからモビルスーツに乗ってるんだい?」

「一二から。クラバを始めたのは、一四から」

「今年で一八ってわけだ。筋金入りだね」

「それで食べているから、ね」

 

 アンキーの背後に控えていた黒髪の男が、度し難い、とでも言いたげに目を細めるのを、アマテは見逃さなかった。 腹が立つより先に、彼から漂うやるせなさを察して、口をつぐむ。

 私は何をやっているんだろう、とも思った。

 犯罪を手を染めるほど生活に困っているわけでもなく、なにか遠大な使命を果たすためでもなく。ただ、自分を造り物の日常から連れ出してくれるかもしれないあのキラキラを見るためだけに、戦おうというのだから。

 

「マチュのマヴは私じゃないの。でも、私についてこられる唯一の子だから、信じていい」

「頼もしいが、お宅のファミリーに、あまり借りは作りたくないね」

「いいえ、私はただの雇われパイロット。彼女のマヴも、ファミリーじゃない」

「じゃあ、あんたはどうしてここに?」

 

 シュネーは答える前に、流し目でアマテを見た。その瞳は、不思議な星雲色をしていた。

 

「彼女はいずれ私を超える。それまでのお手伝いをね」

 

 バトルの前に、機体を見せてくれる? 

 しんと静まり返った事務所に、シュネーの凛とした声が響いた。

 めちゃ買いかぶられてんじゃん。

 アマテは心底震えた。

 

「あんた──! ──、────っている!」

 

 借り物にしては妙にサイズが丁度いいパイロットスーツに身を包み、顔を隠すためのニット帽を被らされたアマテが整備ドックに駆け込むと、何やらジークアクスのコックピット周りが騒がしかった。なんだろう、と駆け寄ってみて、気づく。

 ガンダムが、すでに起動している。まだ誰も乗り込んでいないのに。

 

「どうしたの?」

「いやぁそれが、何もしてないのに動いたんだよ。シュネーさんが目の前に立っただけで」

 

 さすがはシュネーさんだと無邪気にはしゃいでいた金髪の青年、ケーンを除いたカネバン有限公司の面々は、赤髪の少女を遠巻きに囲みながら警戒心を剥き出していた。一方で、彼女は頭部の拘束具が外れ、翡翠色のツインアイが露わになったジークアクスを見上げて動かない。周囲の状況が全く見えていないようだった。

 

「……シュネー?」

 

 茫洋とした瞳をいっぱいに見開いて立ち尽くす彼女の肩に、アマテはおずおずと触れようとして、

 

「……なに? この音」

 

 金属の軋む音を聞いた。ぎちぎちと、ぎりぎりと、歯ぎしりのようにも、苦悶の悲鳴のようにも聞こえるそれが発されているのは。

 

「歯が!?」

 

 ジークアクスが、フェイスガードに覆われた(あぎと)を開こうとしている。

 凄まじい爆圧(プレッシャー)がアマテを襲った。キラキラの陶酔感とは正反対の、悪寒、悪寒、悪寒。

 

La

 

 歌が聞こえる。

 

La

 

 光の奔流の果て、翡翠色の星から。

 いや。あれは、

 

La──La────

 

 星ではなく、花? 

 

「……そう。私では、いけないのね」

 

 突然、シュネーが口を開いた。

 それはまるで、想い人に拒絶を告げられた乙女のような、悲痛に満ちた独白だった。

 意識が現実に引きずり戻され、アマテは薄暗いドックに立つ自身の身体を自覚した。

 ジークアクスの眼光が褪せる。拘束具がひとりでに駆動し、頭部を厳重に覆う。アマテには、ガンダムがシュネーを拒んだとしか思えなかった。

 

「シュネー!」

 

 アマテが肩を掴むと、シュネーは弾かれたように振り返った。焦点の合わない星雲色の瞳が徐々に絞られ、こちらの姿を捉える。今にも泣きだすのではないかと心配になるほど、失意に暮れた表情だった。

 

「……ごめんなさい。少し、考え事をしていて」

「ねえ、今、ガンダムの歯が……」

 

 二の句を継ごうとするアマテに、シュネーは自らの唇に白魚のような人差し指を当ててみせた。それならばと、せめて直前に見えた翡翠色の花弁はどういうことか問い質そうとするも、それはアンキーの声に遮られる。

 

「オートのスタートアップだろ、スクランブル発進用の。ねえ、シュネーさん」

「そうね。軍のセッティングがまだ残ってるみたい。乗ったついでに戻しておく?」

「ああ、そうだね。頼むよ」

 

 嘘つき! と、アマテは大声で叫んでやりたいとさえ思った。アンキーもシュネーも分かっているくせに、本当のことは何も話してくれない! 

 

「マチュ」

 

 黒いフーディの袖に半分隠れた、彼女の手が差し出される。

 

「……ちゃんと教えてよね」

 

 それでもアマテは、手を取った。彼女が頷いてくれたから。

 コックピットハッチに渡された頼りないタラップを、彼女のエスコートを受けて渡る。

 

「悪いが時間が押してる。レクチャーは五分で済ませてくれ」

「ええ。任せて」

 

 アンキーの値踏みするような視線は、ハッチが閉じたことで遮られた。

 シートに座すアマテが望めば、それだけでジークアクスの反応炉には火が入り、モニターは薄暗いドックの全景を映す。

 格納された操縦桿に代わって、頭上から下りてくる有機的な意匠のアームに備わる、掌にも似たインターフェイスに手を乗せれば、それだけでガンダムは応えてくれる。この全能感は、何物にも代えがたかった。

 

「最短でいくわね。レイカーから手を離して」

 

 シュネーはそう言うやいなや、かがめていた身を乗り出したかと思うと、そのままアマテの上に馬乗りになった。

 

「……へ?」

「あなたとなら、多分、上手くいくから」

 

 目が点になる、とはこの事を言うのだろう。

 困惑するアマテをよそに、シュネーは綺麗なウルフカットにセットされた赤髪の片方を、いくつものピアスに飾り立てられた耳にかけた。

 

 そして──冒頭に至る。

 

 こういうのって、目を閉じた方がいいんだっけ。息は、どうすればいいんだろう。鼻息が荒かったら恥ずかしい。

 シュネーは、慣れてるのかな。慣れていそうだな、と思った。

 

「……っ」

 

 ひんやりした額が触れる。

 ええいままよ、固く目を閉じる。

 すると瞼の裏に奇妙な光が生まれて、アマテはひどく混乱した。

 なんか、思ってたのと違くない?

 そう思った瞬間、映像でも音でもない未知の感覚が、脳裏にどっと押し寄せる。

 分かった。

 モビルスーツとは。M.A.V.戦術とは。その基礎が分かった。今なら他人にすらすらと説明することだってできてしまいそうだ。

 

「戦えそう?」

 

 目を開けると、シュネーはいつの間にか額を離していた。一気に情報を浴びたせいか、頭が少しくらくらする。間違ってもミステリアスでパンクな美少女(激マブ)に見惚れていたせいではない。ないったらないのだ。

 

「……シュネーって、魔法使いなの?」

 

 おかげでトンチンカンなことを口走ってしまったが、笑われはしなかった。彼女は静かに首を振るだけだった。

 

「あなたは、ニュータイプを知っていて?」

「いちおう歴史の授業で。ジオンで流行った、宇宙に適応した新人類がなんとかってやつでしょ?」

「私はそれの、似たようなものよ」

「似たような?」

「ダイクン首相が説いたのは人の革新だった。けれど私の力は人との闘争に特化している。全く逆だわ」

「そうかなあ。だってシュネーと私、繋がれたよ?」

「……そうね。そうだったわね。ありがとう、マチュ」

 

 長い睫毛を伏せて微笑む彼女の心情を、アマテに推し量ることはできなかった。人生そのものの重みが、まるで違うようだった。

 いったいどれだけの葛藤と苦難に晒されれば、人はこんな顔で笑えるようになるのだろう。

 

「さあ! そろそろ試合よ。勝ったらみんなでお寿司を食べに行きましょう。ご馳走するわ」

 

 シュネーはまるで催眠術を解く手品師のように、小さく手を叩いて言った。たったそれだけの仕草で、二人の間を取り巻いていた静謐な空気は跡形もなく消えた。本当に魔法にかけられた気分だった。

 おかげで気づく。

 

「……ねえ、乗ってないガンダムを動かせるくらい凄いんだったら、おでこくっつける意味あった?」

「人と通じ合えたことが一度しかなくて、確実な方法じゃないと自信がなかったのが半分。もう半分は……」

「もう半分は?」

「あなた、とってもかわいいから、ついからかいたくなっちゃって。許して?」

「ぬぁあ!?」

 

 ほんとにチューしてやろうかコイツ!?

 

「でも、おかげで緊張は解けたんじゃなくって? マチュったら、着替えてからずうっとガチガチだったわよ」

「それは……だってぇ……」

 

 何とか言い返そうとしたが、喉から絞り出されたのは不機嫌な子犬のような唸り声だけだった。そんなマチュの身体の上で、シュネーはころころと可憐に笑う。その声音は華やかながらも上品で……クソッ! カワイイ顔しやがって!

 

「……ありがと」

「ケガしちゃ嫌よ?」

「負けるとは思ってないんだ」

「勝つわ、あなたなら」

 

 その言葉を最後にシュネーは立ち上がり、後ろ手に触れたコンソールでコックピットハッチを開けた。対岸のキャットウォークから渡されるタラップに足を乗せた彼女は、機を降りる前に、首だけを傾けて振り返る。

 

「私に聞きたいことは、たくさんあると思うけれど……お願い。もう少しだけ、待っていて。話せることと、そうでないことがあるの。整理してお話できるように、頑張ってみるから」

 

 アマテは無性に、何かを言わなければいけない気がした。しかし喉元までせり上がった、青く、熱い感情は、言葉にしようと触れたが最後、崩れてしまいそうに脆く、儚くて。

 頷くことしか、できなかった。

 それでも、閉じていくコックピットハッチの隙間から見えたシュネーは、まるでアマテの葛藤を優しく受け止めるかのように、柔らかく微笑んだ。

 

「出すよ! リフト下げっ!」

 

 アンキーの号令と共に、尻に突き上げるような振動が走る。ジークアクスを乗せた足場が、丸ごと地下へ降りていくようだった。

 アーム・レイカーに両手を乗せて、しばし目を瞑る。

 初めて戦ったあの時よりも、宇宙を身近に感じた。

 シュネーが導いてくれたおかげ、だろうか。

 だったらいいなと、アマテは思った。

 

 

§

 

 

 マチュを乗せたジークアクスが地下に消える。私の笑顔は、最後まで崩れなかっただろうか。まだ憔悴から抜け出せていないから、少し自信がない。

 

 油断した。ジークアクスとの交感は、完全な事故だった。まさか、既に主を選んだオメガサイコミュが私に反応するとは思わず、心を閉ざそうとした瞬間にはすべてが終わっていた。

 人の心を無理やりこじ開けておいて一方的に拒絶するのだから、ガンダムも勝手なものだ。あるいは、(とき)の向こうに座す何者かの意志が、私にマチュたちと同じ道を歩ませまいと阻んだのだろうか。

 ああでも、存外、本当にそうかもしれない。光の最果てに、翡翠色の薔薇が見えたのは初めてだ。あれは明らかにマチュと私を別個に認識し、後者だけを弾き出した。

 あれは、私を救った白黒の蝶とは違う。

 

 いずれにせよ、オメガサイコミュに増幅された感応波(サイコ・ウェーブ)は、シャリア中佐に届いてしまっただろう。居場所を突き止めた彼は、きっと私を殺しに来る。

 わかるのだ。ひたひたと、忍び寄る殺意が。

 戦わなければ。

 

「アンキーさん。私、外せない用事があるの。マチュが戻ったら、私の連絡先を伝えておいてくれる?」

「それは構わないが、どこへ行くんだい?」

 

 私は問いに、自分の足元を指差すことで答えた。

 宇宙(そら)だ。

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