両肩を覆う四枚のフレキシブル・バインダーを広げ、純白の異形は悠々と
キュベレイ。開発コードをキケロガⅡというそれは、私をアステロイド・ベルトから救い出した機体だった。
サイコミュ・システムはキケロガと同じく、俗にゼロナンバー・タイプと呼ばれる開発初期の実験型に属するものだが、こちらはパイロットへの精神負荷を軽減するための補助コンピューター群を完全に省くことで、強引に小型化を果たしている。
故にこれは、サイコミュによるフルコントロールを可能とする機体でありながら、数々の
「か、は」
腰部コンテナからファンネル・ビットを一斉に射出すると、常軌を逸した精神負荷が私を襲った。頭の中で何かが切れる音がしたかと思えば、片目の視界が真っ赤に濁り、鼻からは鮮血の雫がこぼれてヘルメットの中を漂う。
視界が毒々しい紅白の色彩に染まる。操縦桿の感触さえ薄く、熱いようで、寒いようで、体は鉛のように重いのに、不快な浮遊感が消えない。
サイコミュによる母機とビットの同時リモート操縦は、キュベレイ本来の仕様にない。命が削られているのが、嫌というほどわかる。
けれど、そうでもしなければシャリア中佐には届かない。
リック・ドムとキュベレイ。二機を一人で動かし、私が私のマヴになる。
「わた、しは、自由に、なるの……だから……ファンネルッ!」
その名の通り
ファンネルの群れはそのままガルバルディを包囲するも、暗緑の騎士は冷静だった。騎士槍に似た狙撃砲、ビット・ランサーを背部に懸架すると、砲尾に備えるスラスターを合わせた全速力で離脱。十字砲火を許さない。
もとよりこの程度で片がつくとは思っていない。追撃だ。ファンネルと共に、桁外れの速力を発揮するキュベレイが、ガルバルディの頭上から突っ込む。
回避運動の隙をつき、両手首に内蔵されたビーム・ガンを連射。砲口からシームレスにビーム刃を形成し、斬りかかる。
しかし。
ガルバルディが円盾を掲げると、キュベレイの射撃はおろか、ビーム・サーベルまでもが不可視の力場に逸らされる。まさか、モビルスーツにIフィールド・ジェネレーターを?
反撃は、光の特大剣。
有線で機体に直結された超大型ビーム・サーベルは、目が眩むほどの光の束を噴き出し、寸前で身をかわしたキュベレイの背後にあった小隕石を真っ二つに両断してみせた。
キュベレイの反応速度でなければ避けられなかった。やはり、私に追いつく機体はこれしかない。
気力が限界でなければ、これ単機で勝てたものを。
ビームに対して、14ドム以上の絶対的な防御力を持つガルバルディに対抗する手段は、大きく分けて二つ。
一つ。Iフィールド・ジェネレーターを内蔵するシールドの死角を突いた、ファンネルによるオールレンジ攻撃。
二つ。ヒート・サーベルによるシールドの直接破壊。
シャリア中佐には、ニュータイプとしての凄まじい洞察力がある。ただファンネルを飛ばすだけでは、先と同じように勘づかれてしまう。
そこで、旧式のリック・ドムだ。
多数のビット兵器を格納するラウンド・シールドは、盾というより複合兵装に近く、単純な強度には劣るはず。時代遅れの実体剣なら、Iフィールドを無視して本体を切り裂ける。
シールドを狙うリック・ドムに気を取られれば、キュベレイが仕留める。
キュベレイのオールレンジ攻撃に夢中なら、リック・ドムが奇襲でシールドを壊す。
操縦者はどちらも私だ。戦術はいつでもスイッチできる。
エグザベ先輩の14ドムが離脱した今、それを阻む者はいない。
「このハマーンの首、安くはない!」
サイコミュの負荷で今にも失神しそうな意識を、そう言って奮い立たせた。
羽根のように軽い体に爆発的な推力を乗せ、キュベレイは華麗に舞う。
四翅のフレキシブル・バインダーを活用した機動性は、ドムのセンサーでは捉えきれないほど高く、モニターには純白の機影が残像として映った。
キュベレイが備える全一〇機のファンネル・ビットが、ガルバルディの背部を執拗に狙い撃つ。
そちらに注意が割かれたところで、キュベレイは爆雷ビットを腕部ビーム・ガンで排除しながら、二刀で斬り込む。暗緑のガルバルディはシールドをファンネルに向けている。特大のサーベルで迎え撃つほかない。
斬り合いには取り合わず、すぐに退く。接近戦ではハイパワーなビーム・サーベルを振り回せるガルバルディが有利だが、それでもトータルでは、ビット兵器を備えたキュベレイが圧倒的に有利だ。こちらはファンネルをマヴに見立てて、数で圧殺できるのだから。
とはいえ、私もサイコミュの負荷が限界に近い。短期決戦は絶対だ。ガルバルディへの撹乱はキュベレイに任せて、私も行く。
武器はヒート・サーベル一本。他は重りだ。
全て捨てていく。
「もう少し、だけ……保って!」
リック・ドム、突撃。加速Gに抗えない。ぐらりと首が揺れる。血染めの視界に星が散った。
キュベレイとファンネルの連携を前に攻めあぐねるガルバルディは、私に気づかない。
心を鎮める。敵意を気取られないように。
目を閉じる。右の瞼からこぼれた、血と涙の混じった雫が、慣性で目尻へ流れる。濁った視界などより、シャリア中佐の気配だけを頼りにしたほうが、ずっと正確に間合いを測れた。
キュベレイとファンネルによるマヴ戦術の、前衛と後衛が切り替わる瞬間に、ヒート・サーベルを槍のように突き出し、吶喊する。
ガルバルディは寸前で気づくが、もう遅い。ファンネルと共に、キュベレイも斬り込む。
三方向からの完全な同時攻撃に、暗緑の騎士が選んだのは防御──違う! シールド内蔵の多連装メガ粒子砲! ビットの射出口に偽装されていた!
それでも。
「届いたっ!」
開眼。
操縦系のオーバーヒート警告を無視してドムを操り、四条ものビームの隙間ぎりぎりに純白の巨体をねじ込む。
ヒート・サーベルがラウンド・シールドを貫いた瞬間、驚愕に目を見開くシャリア中佐の幻像が視えた。
ファンネルが舞う。Iフィールドの絶対防御を失ったガルバルディに、まるでシャワーのようなビームの洗礼が降りかかる。暗緑の騎士に密着したリック・ドムへの流れ弾は、一発としてない。
ジオン公国軍最新にして最強のモビルスーツ、ガルバルディが誇る、ガンダリウム・ガンマ製装甲に施された最高グレードの対ビーム・コーティングが、低出力ビームの嵐の前にじわじわと蒸発していく中、肘関節に飛び込んだ弾幕が、超大型ビーム・サーベルを握りしめた右腕を焼き切る。
戦う術を失った暗緑の騎士の前に、純白の蝶が降り立つ。キュベレイはサイコミュ・デバイスを内蔵した女性的な腕を、まるで指揮者のように振りかざし──
「……え?」
──リック・ドムの右腕と両脚が、意に反して動いたファンネルに吹き飛ばされた。
キュベレイから気配がする。
私のようでいて、けれど、私よりずっと苛烈で、深い悲しみと怒りが混じり合った、宇宙よりどす黒い闇。
誰なの?
「……これも私? 嘘、そんな事があって?」
自分と全く同じ感応波を、自分以外から感じるなんて。
ハマーン・カーンという個人が、二人に増えたとしか説明がつかない。
一体どこから。いえ、
「いつから、そこにいたの……?」
酷使するあまりに霞のかかった思考では、はっきりと声を聞くことができないが、おそらくシャリア中佐が感じているのは、困惑。彼もまた、もう一人の私に気づいたのかもしれない。
キュベレイが、私を見る。
光の奔流。終端に見える黒い虚無が、何か大きな力でこじ開けられて。
どうして、と考える間もなく、衝撃。疲れきった身体が耐えきれず、シートに後頭部を打ちつける。ヘルメットの中を漂っていた血の雫が、慣性でバイザーに叩きつけられ、視界が狭まる。
キュベレイの手が、ドムのコックピットをこじ開けていることに気づいた頃には、もう遅かった。
破滅的な音を立てて装甲の隙間を広げながら、黒い指がねじ込まれる。パイロットスーツのバックパックを通してシートに固定された私を座席ごと引きちぎり、凍てつく宇宙に放り出す。
キュベレイのコックピットハッチが、独りでに開いた。内部に設けられたサイコミュ・システム用のサブモニター群が狂ったように明滅しているのが見える。全天周囲モニターに至っては機能不全を起こし、噴き出す血潮を思わせる赤黒のノイズを描き続けていた。
いけない。あれは、良くないものだ。
本能的な恐怖に身が竦んだ。
まともに力の入らない手でなんとか背中のロックを外す。あれに取り込まれるくらいなら、デブリに全身を貫かれたほうが、まだ人らしい死に方ができる。そんな確信にも似た思いが、私に最後の力を振り絞らせた。
しかし。
身体が、吸い寄せられる。奇妙な引力が、私を少しずつ、キュベレイのコックピットに引きずり込んでいく。それはオカルトではない。辺りを取り巻く励起粒子の燐光が、ある種のミノフスキー・エフェクトであることを示している。
ゼクノヴァ。かつて、宇宙要塞ソロモンの過半を消し飛ばしたサイコミュの暴走現象。
その再現が、キュベレイただ一機によって為されようとしていた。
逃げようともがいても、麻痺した手脚は空を切る。抗えない。モビルスーツがなければ、私なんて、無重力に溺れる小娘でしかない。
藁をも掴む思いでガルバルディに目を向けると、キュベレイが放つミノフスキー粒子の燐光の前に動けずにいる。操縦補助用のサイコミュシステムに流入したもう一人の私の意志が、機体をその場に金縛りにしているのだ。
あり得ない。混信しないはずのサイコミュをジャックするなんて、既存の感応工学では説明がつかない。
キュベレイのコックピットが眼前に迫る。
大瀑布のごとき暗い情念の濁流が心を犯す。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。私が
悲鳴を上げていた。
真空の宇宙に、声は響かない。
筈だった。
「シュネーを返せ」
それは、目にも留まらない速度で飛来する鉄球。
眼前のキュベレイに直撃し、上体を傾がせる。
血の斑点に汚れたバイザー越しに見える、かすかな光。
赤いガンダム。
「その子は、君のものじゃない」
聞こえる。シュウジの声が。
静かな、しかし明確な怒気を乗せて。
「シュウジ!」
鉄球と赤いガンダムを一直線に結ぶ鎖が巻き取られるさまを目で追いかけると、マチュのジークアクスまでもがそこにいた。
眦から熱い雫がこぼれる。
そっか。私、ずっと怖かったんだ。
深い安堵を覚えた。けれど同時に、別の恐怖が押し寄せる。まともな武装を持たないあの子たちに、キュベレイの相手は危険すぎる。
そう思った矢先、ガルバルディが唐突に動き出し、半壊したシールドがひしゃげるほどの強打をキュベレイに繰り出した。
凄まじい膂力を前に、純白の蝶はさながら、風に巻かれた木の葉のように吹き飛ぶ。インパクトの瞬間に自分から飛んで衝撃を逃がしたからとはいえ、現実離れした光景だった。
盾を捨てた隻腕の騎士は、まるでキュベレイから私を守るかのようにして宙に立ち、背中の巨砲を取る。赤いガンダムは何らかの通信を受け取ったのか、ガルバルディをフォローするように後方へ占位した。
コピー品のヒート・ホークに小型のバックラー・シールドという、最も軽装なジークアクスが近づいてくる。機体の姿勢は安定していて、初陣の危なっかしさはもう感じられなかった。
まるで生身の両手のように差し出されたマニピュレーターに包まれながら、確信する。
この子は、もう大丈夫だ、と。
しかし、安堵感に薄れかけた意識は、たちどころに醒めた。
マチュがヘルメットも被らずにコックピットハッチを開けたせいで。
「え、ちょっとっ!?」
一応、本人なりに考えたのだろう。肺の空気をなるべく吐き出し、目は固く瞑り、耳にはなんと私物のワイヤレスイヤホンをぎゅっと詰め込んで鼓膜を守っているが、そんなことで宇宙空間に耐えられるならノーマルスーツはいらない。
それでもマチュはハッチから身を乗り出し、こちらにめいいっぱい手を伸ばした。慌てて手を掴むと、想像以上の力で引き込まれる。
圧搾空気がコックピットの四方八方から噴き出して内部を緊急与圧すると、マチュはまるで長い潜水から顔を上げた時のように、激しく息を吸い込んだ。
「っだあー! 死ぬかと思った!」
「マチュ、もう! あなたったら、もう! 本当に何をしてっ……!?」
いるの、と続けようとしたが、力が抜けてうまく舌が回らなかった。ふわりと浮かび上がる体を、マチュがすかさず抱き寄せる。こちらを覗き込む顔が、ヘルメットのバイザーにべったりと着いた鮮血に気づいて、さっと青ざめた。
「シュネー!? うそ、ひどいケガ!」
「……大丈夫。ちょっと、サイコミュを使いすぎただけだから」
その結果、キュベレイを一度でも全力稼働させた被験体は例外なく、重度の脳出血と自我崩壊を起こして殺処分されていることは、言わないでおく。
「それより、今はキュベレイよ。倒せなくても、傷を負わせるくらいはしないと」
「あのヒラヒラ? すごく怖い……なんなの?」
「話すと長いの。今のところは、私たちの敵」
キュベレイは、円盾の形に歪んで閉まらないコックピットハッチなど意に介さず、リチャージを終えたファンネルを自機の周囲に漂わせている。
まずい。シャリア中佐やシュウジはまだしも、マチュにオールレンジ攻撃の対処は難しいかもしれない。
私にオメガサイコミュが使えれば、命と引き換えに皆を逃がすことくらいはできたのだけれど。
ガルバルディが、赤いガンダムが、ジークアクスが、そしてキュベレイが。全機が自らの得物に手をかけ、場の緊張が最高潮に達したその時。
広域チャンネルが拾ったのは、けたたましい警笛。
直後、連邦系のビーム発振器特有の、眩い桃色をした艦砲射撃がキュベレイを襲った。
「何!?」
「四時の方向! 機を回して、マチュ!」
鋭く回頭するジークアクスのコンソールに触れ、映像を拡大する。宇宙での拠点をすべて失った地球連邦に、現有の宇宙艦艇はない。すなわち、この砲火はジオンの戦利艦に他ならない。
やはり、そうだ。あの木馬に似た艦影は、強襲揚陸艦ソドン。開け放された片方のカタパルトには、両腕と頭を失った
「エグザべ先輩がやってくれた!」
「え、誰?」
正確無比な主砲の効力射を凄まじい機動で避けたキュベレイは、突如として身を翻し、逃走を選んだ。
不利を悟った? まさか。あれが全力を出せば、艦艇の一隻や二隻など敵ではない。赤いガンダムやジークアクスも、その気になればまとめて墜とせるでしょうに。
撤退には何か、別の考えがあるように思えてならない。
でも、助かった。ひとまずは、マチュもシュウジも死なずに済んだのだから。
あとは、なぜか私を守ろうとしたシャリア中佐の真意を見極めさえできれば──
「──ぁ」
「シュネー? どうしたの? 痛いの?」
緊張の糸が切れてしまったことが、仇となった。命の危機を前に麻痺していた身体の疲労がどっと押し寄せる。サイコミュの反動がもたらす殺人的な頭痛と吐き気が、私の意識を暗闇に溶かす。
「シュネー! 待って、嫌だよっ、間に合ったのに!」
とっくに限界だった。殺してしまったパイロットの思念が流れ込んできた時点で、私はショックで失神していてもおかしくなかったのだ。ああまで生々しい死を追体験して、正気を保てる人が一体どれだけいることだろう。
その上、キュベレイの遠隔操作に、ファンネルの展開まで。二機のモビルスーツと一〇機のビット兵器を同時に操るなんて、誇張抜きに脳が焼き切れてもおかしくなかった。
「マ、チュ」
「シュネー! ダメッ! 目ぇ開けてよっ!」
さして背丈の変わらない彼女の腕の中で、私は諦めとも、安らぎともつかない脱力感に身を委ねて、まどろみにたゆたう意識を、自らの意志で手放した。
まだ何も終わっていない。
何も、解決なんてしていない。
私は親衛隊に引き渡され、今度こそ殺されるのかもしれない。
あるいはシャリア中佐に利用価値を見出され、飼い殺されるのかもしれない。
それでも。
マチュとシュウジがそばにいてくれるなら、どうしてか、なんとかなる気がしたから。