【二章完結】ハマーンさんじゅうはっさい   作:千年 眠

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2025/05/22 第一話改稿に伴い、内容を一部修正しました。


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 重い泥を掻き分けるように、意識がゆっくりと浮上する。

 身体は動かない。けれど、腕が点滴のために固定されている程度で、手足も足枷もないことを、暖かいシーツに包まれた四肢の感触が教えている。

 私が寝かされているのは、私の心身を散々に凌辱した手術台ではない。清潔なベッドだ。

 

 音を聞く。心電図モニター、誰かの呼吸、それだけ。他の患者の生活音はもちろん、ナースや医師の足音もない。ここはサイド6の病院というわけでも、ないようだ。

 私は無意識に同室にいる誰かの気配を追いかけて、直後、針を刺したような頭痛が走った。

 

「……っ」

 

 思わず眉が動く。ここがどこで、誰に見られているのかを明らかにしない限り、意識が戻ったことを悟られるのは危険だというのに。

 

「シュネー……」

 

 しかし、聞こえてきたのはマチュの心配げな呟きだった。それで思い至る。ひょっとして、ここはソドンの疑似重力ブロックじゃ? 

 暗礁宙域はイズマ・コロニーからかなり遠い。クランバトルを終えてきたなら、推進剤の残りによっては戻れないこともあるだろう。そうなったら、帰るにはもちろん、気絶した私をどうにかするにも、マチュはシャリア中佐を頼るほかに手段はない。当然、シュウジも一緒だ。

 

 ジオン公国軍の機密に触れたマチュを身体拘束もせずに、私と同じ病室に置いておく意味を、シャリア中佐の視座から考えてみる。

 

 ソドンがイズマ・コロニーへ強行進駐した目的を、今一度、客観的に推理しなくては。

 候補は三つ。

 シャア・アズナブルが遺した赤いガンダム。女学生が成り行きで乗り込んでしまったジークアクス。そして、私。

 

 シャリア中佐は赤いガンダムを確保するため、ジークアクスにエグザべ先輩を乗せて送り出した。その後、マチュがジークアクスに何らかの手段で乗り込み、軍警のザクと戦った。

 その後、ジークアクスは難民街のドックに隠される。

 その日の深夜。ソドンはイズマへ強襲揚陸。

 一晩経って正午過ぎ、マチュ達と出会った私を親衛隊が尾行。

 

 ……シャリア中佐と親衛隊が繋がっていると仮定するには、親衛隊側の動きが遅すぎるのではなくて? 

 それに、軍警察総局ビル直上への滞空という強硬手段を取った前者に対して、軍警への変装というリスキーな手まで使って隠密に徹していた後者の手口は噛み合わない。

 

 シャリア中佐は戦時中、ギレン総帥によって木星船団から引き抜かれたのだから、総帥府側の人間だと思っていたけれど、配属先の突撃機動軍を束ねるキシリア閣下に抱き込まれたのだろうか。

 彼が面従腹背の二重スパイだと言うなら、この状況にも一応の説明がつく。

 あるいは。

 彼が真に忠誠を誓う相手は、ゼクノヴァの光に消えた赤い彗星、シャア・アズナブル大佐なのかもしれない。

 

 どのみち、ギレン・ザビの犬でないなら結構。詳しい話は本人を問いただすまで。

 ここは、目覚めていい。

 左目をゆっくりと開ける。右目は、医療用の眼帯だろうか。柔らかい布に覆われて動かせなかった。

 眩い光の中に、見覚えのある、赤くて丸っこいシルエットの頭が浮かび上がり、徐々に焦点が絞られていく。まるで自分が怪我を負ったかのように悲痛に寄せられた眉根の下で、不安そうに揺れていた瞳と目が合った。

 

「マチュ」

 

 この子のことも、なんとかしよう。

 マチュも、シュウジも、ニャアンも、みんなまとめて私が守る。

 私には、その力がある。

 

「心配、ないからね。なんにも──」

「うわぁーんシュネー!」

「わぴゅ」

 

 酒保(PX)の官品らしき軍服色のスウェットを着たマチュが胸に飛び込んできたかと思えば、彼女はおもちゃに飛びかかる猫もかくやという素早さでナースコールを押した。感情を乱しているのに、なんて手際がいいのかしら。

 なんてちょっぴり困惑しつつも、ずびずびと鼻を鳴らして号泣する彼女をなだめていると、どこからともなく医療スタッフらしき人々の集団が雷鳴のような足音を轟かせ、木星の大嵐より激しく押し寄せてくる。

 なんだかもうよくわからない。

 

「あの、自分で歩けます」

「いけません! サイコミュの過剰フィードバックがあるんです。神経を休ませないと! ストレッチャー用意!」

「イェス! マムッ!」

「きゃっ!?」

 

 恰幅のよい屈強な女性軍医に付き従う、忠実な部下数名の手によって別室に運ばれたかと思えば、

 

「身体の発育が一〇代前半で停滞しているようで。ハマーン様、不躾ですが、何かお心当たりはございますか?」

「アクシズでの手術でしょうか。小柄な方がG耐性に優れるとして、なにかされた覚えがあります」

「そう、ですか……幸い成長は遅れているだけで、止まっているわけではありませんが」

「なーに言ってんの軍曹! 未熟な身体にモビルスーツの操縦がどれだけ毒か!」

「はいっ! 失言でしたっ!」

「筋力や反射神経も調整されていますから、そこまで負担に感じたことはありませんよ」

「エェッ!? なお悪いですよハマーン様!」

 

 ずいぶんキャラクターの濃い軍看護師の女性たちに囲まれての問診だ。四方八方から質問責めに遭いながらも診察は進んでいき、いつの間にか点滴は抜かれ、飲み薬を出され、検査着一枚ではなんだからと、マチュが着ていたものと同じスウェットまで頂いてしまった。

 

「薬が効いてきたら、歩く程度は構いません。ですが右目は血が溜まってます。自然に吸収されるまでうまく見えないでしょうから、くれぐれも激しい運動は厳禁ですよ。眼帯のまんまじゃ転びますからね!」

 

 念に念を押され倒して、私は最後まで、こくこくと頷くことしかできなかった。

 なんというか、壮年の強そうな女性にはどうにも逆らえない。私に淑女の言葉と仕草を骨の髄まで叩き込んでくださった家庭教師を思い出す。

 

「敵わないわね」

「やっぱシュネーも?」

「圧がね」

「わかるー」

 

 誰もいない休憩スペースに、マチュの無邪気な笑い声が染み入って消える。ベンチの向かいの自販機が低く唸った。

 少しの沈黙があった。けれど嫌ではなかった。水泳の後の授業のような、高揚が過ぎ去った後の心地よい倦怠感が、私と彼女を包んでいた。

 

「親御さんには、連絡ついた?」

「うん、友達の家に泊まるって言っといた。軍の人が色々やってくれたから、バレないよ」

「明日は土曜日だったわね」

 

 また、会話が途切れる。互いに話を切り出す機会をうかがって顔を上げると、目が合う。眼帯に覆われた片目を改めて見た彼女の表情は、少し、こわばって見えた。

 

「……これから、どうなるのかな。私達」

「シャリア中佐があなたを家に帰すと言っているなら、ジオンはサイド6との外交問題を避けたいのでしょうね。ジークアクスと赤いガンダムを回収して、初めから何も起こらなかったことにするのが、無難な落とし所でしょうけど」

「じゃあ、シュネーは?」

「まだ、わからないわ。これからの話し合い次第ね」

 

 問題はキュベレイだ。飛んでいった方角からして、あれは暗礁宙域の先に隠した実験支援船へ向かったに違いない。

 あれは、アクシズから逃げるために奪ったものだ。全自動補給機能を持つ専用ハンガーを腹の中に収めている。母船がある限り、キュベレイはずっと戦える。

 私が蒔いた種だ。なんとしても、墜とさなければ。

 

「……それって、シュネーがジオンの人だから?」

 

 おそるおそる、といった様子でマチュが尋ねる。

 

「私、シュネーの本当の名前、聞いちゃった。軍人さんが、ハマーン様って呼んでた」

「約束したわね。あなたには、ちゃんと話すって」

 

 こんなこと、誰かに言うなんて初めて。

 

「私はハマーン・ウル・カーン。木星経済圏総督、マハラジャ・ゾル・カーン公爵の娘。カーン家は、デギン公王陛下から公爵位とミドルネームを直々に下賜された、王位継承権を持つ大貴族……私は、王族ザビ家に連なる女よ」

 

 マチュの反応は劇的だった。まん丸い目はさらにまん丸く見開かれ、不安に色あせていた頬へ瑞々しい朱が差す。

 それはきっと、彼女がずっと抱えている、漠然とした()()への憧れだった。

 

「ジオンの、お姫様……!?」

「といっても、戦死されたドズル・ザビ中将閣下とお姉様の間に生まれた公女殿下の叔母、というだけなのだけれどね」

「じゃ、じゃあ、どうしてずっと、イズマのシュネー・ヴァイスでいるの?」

「私が(まつりごと)の場に出ることを、(いと)う人がいたの」

 

 忘れもしない。あれは終戦間際のことだった。

 宇宙世紀〇〇八〇年。宇宙要塞ソロモンが月面都市グラナダに落とされようとした、まさにその日。当時一二歳だった私は、首都ズム・シティの本邸で、頭上に望む月の裏側から、凄まじい光の奔流が私めがけて降り注ぐのを見た。

 ゼクノヴァ。赤い彗星のシャアが呑まれた光。

 私は遠いサイド3(ムンゾ)にいながら、その瞬間に立ち会ったのだ。

 

 そこから私の全てが変わった。

 人の心を、光を浴びる前よりずっと精確に感じ取れるようになった。

 子供にはもちろん、その道を修めた学者にさえ難しい歴史書や思想書を、難なく読み解けるようになった。

 お父様の政治的な立ち位置を弁え、陰ながら執務を支えることすらできた。まるで、()()()()()()()()()()()()()()宿()()()()()()()()

 

 異常なまでの才覚を発揮する子供(とくべつ)を、独裁者ギレン・ザビが危険視するに至るまで、時間はかからなかった。

 

「一四歳で拐われたわ。火星と木星の間に広がるアステロイド・ベルト……最果ての小惑星アクシズへ。ニュータイプ研究の実験体として、ね」

 

 ニュータイプ研究は、キシリア閣下のお膝元であるグラナダが最も先行していた。フラナガン博士という天才と、彼に付き従う優秀な研究者たちを、新しいもの好きなキシリア閣下が先んじて独占していたのが大きい。

 

 そこでギレン・ザビが手に入れたのが、私という、シャア大佐にすら匹敵するニュータイプだった。

 彼は、実利を取る男だった。倫理を人の惰弱が生む幻想だといって(はばか)らなかった。

 だから、政敵の私をあの男は。

 ……アクシズで自分の身体にされたことは、思い出したくもない。私はまだ、他人に話せるほど、整理がついていない。マチュだって聞きたくないはずだ。

 

「それから、一年も経たない頃かしらね。キュベレイを奪って、イズマ・コロニーに逃げ延びたのは」

 

 アクシズと、それに付随する居住区モウサの全てを、私はキュベレイで焼き払った。

 親衛隊選りすぐりの精鋭で固めた警備艦隊。

 人道を忘れた愚かな研究者ども。

 研究成果を蓄えたサーバー、書類、あらゆる記録。

 乗り手を殺す試作モビルスーツ群。

 無尽蔵に実験兵器を生み出す試作ファクトリー。

 失敗作の烙印を押された他の強化人間たち。

 

 薬で自我を薄められ、量産型とは名ばかりの同型機で私の抹殺を命じられた、同じ境遇の少年少女をも、私は皆殺しにした。

 いくら強化手術を受けたとて、キュベレイは私以外が乗れば死ぬ。彼らが追撃に出た時点で、末路は決まっていた。

 それでも、手にかけたのは私だ。

 非人道的なサイコミュ技術の一切を葬り、過ちを繰り返させないために。そして、ギレン・ザビとその手勢たる総帥府に出血を強いるために。

 もちろん、それは復讐でもあった。

 言い訳などするものか。

 あの地獄は、火の海は、私の業だ。

 虐殺とは、そうでなくてはならない。

 

「逃げるだけでは、いずれ追いつかれる。だから、私には力が必要だった。追手を返り討ちにするだけの力が。そのために私はクランバトルを通じて、ギャングの後ろ盾を得ながら、シュネー・ヴァイスの悪名を高めた。思い通りに動かせる、私だけの兵隊が欲しかったから」

 

 ニュータイプ研究の過程で、髪を剃られて女であることを悟られにくくなっていたことは、治安が悪い、などという表現すら生ぬるいイズマの難民街に潜り込むにあたっては好都合だった。

 

 カーン家の名を、死亡扱いという形で奪われた私に残されていたのは、モビルスーツを操る腕と、強化されたニュータイプ能力だけ。

 身寄りのない一四歳の子供が、春を売らず、薬も売らず、ギャングの手先にもならずにのし上がろうと思ったら、クランバトルしかなかった。

 

 私が最初に乗ったのは、実弾演習の標的機として使われていた、フレームは歪み、モノアイはひび割れ、片腕すら失った廃棄寸前の白いザク。

 身の程知らずの新参者を歓迎する、事実上の処刑めいた試合で、連邦軍上がりの精鋭二人組が駆る軽キャノンを返り討ちにしたことで、私は自分の価値を示した。

 

 全ては私を取り巻くすべての(しがらみ)をこの手で焼き払い、マハラジャお父様と、ゼナお姉様と、それから可愛い姪っ子のミネバ様が待つ家に帰るために。

 

「私は、奪われた日常を取り返す。そのために、シュネー・ヴァイスとして戦うの」

 

 そのためにギレン・ザビを倒さなければならないなら、私はこの手をさらなる血に染めよう。

 公王の冠が必要だというなら、わが道の前に立ちはだかる全てを斬り捨て、真っ向から奪ってみせよう。

 すごいことなんてない、ただ当たり前のことしか起こらない、愛すべき平凡な日々のためなら。

 私は、女王にだってなってやる。

 

「……」

 

 マチュは何も言わずに目を伏せた。まるで、なにか後ろめたいことを隠しながらも、いずれ明らかになってしまうことが薄々わかっていて、両親に怒られる未来に怯えている子どものようだった。

 

 分かっている。サイコミュの過負荷で交感能力が焼き付いていても、私には分かる。私もかつては、彼女と同じだった。

 戦争とは無縁の豪華絢爛な離宮で、無償の愛を与えられるがままに貪ってのびのびと育ち、カーン家次代当主の座──すなわち、核融合燃料(ヘリウム3)を独占する木星圏の統治者だ──という敷かれたレールに、根拠のない期待と、かすかな閉塞感を覚えていた。

 私は愚かしくも、自分がどれだけ恵まれた立場にいるのか、アクシズで地獄を見るまで、まるで自覚がなかった。

 本当に、本当に馬鹿な小娘だった。

 だから、今はこう言える。

 

「マチュ」

「……っ」

「帰れる場所があるって、幸せよ。だからあなたは、ご両親を大切にね」

 

 私みたいになっちゃ、いやよ。

 ぱた。と、雫の落ちる音がした。

 最初は、それが何の音か分からなかった。

 知らず知らずのうちに俯きかけていた顔を上げて、彼女の顔を覗き込むと。

 

「マチュ……?」

 

 声も上げずに泣いていた。彼女自身も、そんな自分に困惑しているようだった。

 

「は、え? なに、これ」

「……ごめんなさい。あなたの事情も知らずに、上から物を言ってしまった」

「ちが、ちがうの……シュネーの痛いのが、わたしのなかに入って、きて……」

 

 思わずマチュの背中に伸ばしかけた手が、凍りついたように止まった。いけない、まさか、私の記憶が流れ込んだのか。

 身体接触は過剰な交感を生む。彼女を苦しませないためには、一度離れるしか、

 

「こんなに苦しいのに、なんで平気でいられるの……?」

 

 胸に縋られ、驚きのあまり呼吸さえ止まる。

 恐れていた感応は、ついに起こらない。心は溶け合わず、確固たる個を保ちながら、スウェットの分厚い生地を通して伝わるささやかな温もりが、私たちを繋ぐ。

 鼓動が聞こえる。とく、とく、と。

 そう。

 代わりに泣いてくれるのね、マチュ。

 

 目尻を伝う涙を、袖口に吸わせた。しゃくりあげるたびに震える小さな背中を、そっと抱き寄せる。

 乳母の女官たちに教わるがまま、ミルクを飲み終えたミネバ様の背中をおっかなびっくり叩いて、げっぷを出させてあげた、在りし日の記憶が蘇った。

 

 私は自分で思うよりずっと強く、姉というものに憧れていたらしい。

 あるいは、私を産んですぐに身罷(みまか)られたお母様の姿を、子育ての真似事を通して知ろうとしたのか。

 だから私は、未熟で、青くて、どこまでも伸びやかなマチュに、こんなにも惹かれるのかもしれない。

 イズマに来てよかった。

 優しい子に、会えて。

 

──し、死ぬほど入りにくい……!──

 

 私達を呼びに来たのだろう、確かコモリ少尉といった女性士官の葛藤を、私は知らんぷりした。

 時には全てを忘れ、好きなだけ涙を流してもいい。

 それが、子供の特権だと思うから。

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