【二章完結】ハマーンさんじゅうはっさい   作:千年 眠

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 何もわからないうちに、シュネーとジオン軍人の話が終わった。

 何もわからないうちに、ジークアクスを返された。

 

 何もわからないうちに……アマテ・ユズリハは、夜のイズマ・コロニーに帰ってきた。

 

 今は、シュネーが自分の所属クランに頼んで回してくれたという車の中で、夜景を呆然と目で追っている。

 

「今日は私たちの家に泊まっていきな。親御さんにそう言ったんだろ?」

「……すいません」

「いいのさ、子供が遠慮するもんじゃない。シュネーの友達なら、ますます歓迎だ」

 

 助手席の女性は気さくな人で、辛気臭い空気を隠そうともしないアマテにもよく話しかけてくれた。一方でハンドルを握る金髪の男は、シュネーの名前を聞くのが面白くないらしく、小さく鼻を鳴らすばかりだった。

 

「猫も杓子もシュネー、シュネーか。あんなガキに……」

「ジェリド、よさないか」

 

 ジェリド。体育会系(ジョック)の不良がそのまま大きくなったみたいな男だと、アマテは思った。

 分かっている。偏見だ。心が、どうしようもなくささくれ立っていた。

 

「違うぜ、ライラ。嫉妬じゃあない」

「ちゃんと分かるよ、お前の言いたいことは」

 

 ジェリドはそれきり、一言も喋らなかった。

 彼の刺々しい気配は、なぜか自分に似ている気がした。

 

(……無力感)

 

 言葉を見つけた瞬間、それだ、と思った。

 ジークアクスを操ること。キラキラを見ること。

 シュウジと一緒に戦うこと。

 

 自分にしかできないことだと思っていた。

 でも違った。

 

 シュウジと最初に出会ったのはシュネーだった。

 シュネーはアマテよりずっと強かった。

 シュネーには戦う理由があった。

 シュネーは……自分なんかより、ずっと大人で、余裕があって、賢くて。

 国を追われたお姫様で。ニュータイプで。

 彼女を形作る何もかもが、()()だった。

 

 そんな彼女に、アマテはずっと守られている。

 平凡で、何も持たない、つまらない小娘が、ここに一人。

 わかりきっていたことなのに、わけもなく、涙が出そうだった。

 

「あんたも」

 

 車から降りる間際、ライラと呼ばれていた助手席の女性が、首を傾けて振り返った。

 

「シュネー嬢ちゃんにたらし込まれたクチかい?」

「……まあ」

「あの子はね、悪気はないが、罪な女だ。入れ込みすぎると、うちのツレみたいになる。用心しな」

 

 その様子だと、もう遅いかもしれないが。彼女はそう言って、凛々しい顔立ちをふっと和らげた。洗練された、強い人だと感じた。アマテにとっては、初めて見るタイプの女性だった。

 

 二人の家は、都市部から少し離れた住宅地にあった。カーポートや庭までついた一軒家が並ぶさまは、計画都市として一人でも多くの市民を詰め込むことばかりを考えたイズマ・コロニーには珍しい。

 ジェリドとライラは帰宅して早々に着替えを済ませると、二人で台所に立った。アマテが手伝いを申し出ると、ガキンチョがいらん気を回すな、とジェリドがすげなく断った。

 

 アマテにはもう、ライラと同じことを言う彼が嫌な大人には見えなかった。むしろ、つんけんした態度に偏見を持ったことを強く恥じた。

 

「試合を観たよ。マチュちゃんは、面白い戦い方をするね。間合いの読み方がシュネーにそっくりだ」

 

 食料生産専業の無人コロニーで育ち、重金属フリーを売り文句にする促成サーモンのムニエルは、思いのほか繊細な味がした。出荷段階で骨を抜かれた身を、こくりと飲み込む。

 

「……たまたま、ですよ」

「そうかい? 機体の装甲越しに、相手の殺気を感じるタイプと見たが」

 

 否定の言葉が、とっさには出てこなかった。あれはジークアクスがすごいだけだと、言いたかった。

 

「先読み頼りのパイロットは早死にする」

 

 向かいに座るジェリドは、そう言ってノンアルコールビールのプルタブを起こした。

 

「縁起でもないね、ジェリド」

「事実だろ。重力戦線で思い知った」

「地球にいたんですか?」

「俺もライラも、地球生まれ、地球育ちだ。一年戦争じゃ、士官課程の途中でコーカサスに放り込まれた」

「オデッサ……」

 

 思わず、歴史の教科書の後ろのほうに載っていた地名を呟く。するとライラは、感心したように微笑んだ。

 

「よく勉強してるじゃないか。そう、マ・クベが毎日空から一つ目を降らせてくる、地獄のオデッサさ。私達はタンク乗りだったんだ」

「タンク?」

「モビルスーツのなり損ない、大砲付き棺桶、たまーに戦うレッカー車ってな」

 

 ジェリドがムニエルを切り分けながら、皮肉たっぷりに吐き捨てた。ライラは彼のあんまりな言い草に大笑いしながら、言葉を引き継ぐ。

 

「ガンタンクはこうも言われてた。ジオンも盗まなかったV作戦のミソッカス。二人乗りの、ばかでかい戦車みたいなものだよ」

 

 仏頂面で物憂げな目をしたジェリドと、どこか懐かしげなライラが語る戦場の様子は、血なまぐさい部分を丁寧に除かれていてなお、壮絶極まりなかった。

 砂と汗にまみれ、足をマメだらけにしながら、地平線の彼方まで続く戦列に加わって行軍する兵士の姿は、シリンダー型の大地に生まれ、快適にコントロールされた気候の中で暮らしてきたアマテには、うまく想像できない。

 それでも、地球の不便さと広さを伝える二人の語り口には、この上なく引き込まれた。

 

「マチュちゃんは、地球に行きたいんだね」

 

 夢中で話を聞いていると、ライラが唐突にそう言った。そんなに分かりやすかっただろうか、と急に恥ずかしくなる。

 

「だって、地球は本物ですから。重力も、海も」

「コロニーは偽物だが、快適だよ? 暑すぎず寒すぎず、毒虫は湧かないし、人が死ぬような天災もめったに起きない……穴が空いたら、吸い出されるが」

 

 そう言われると、アマテはいつも、曖昧に頷くことしかできないのだった。

 コロニーの回転によって、自分の立ち位置が目まぐるしく変わるのに悪酔いするだなんて、言えるはずがないのだから。

 

「……()()()()()()か?」

 

 だから、黙り込んでいたジェリドが急に呟いた言葉に、アマテは心臓が止まる思いがした。

 

「図星かよ。おいおい……お前いよいよ、あのチンチクリンの生き写しだぜ?」

 

 ジェリドは飲み終えたビールの缶をマチュの目の前にずっと突き出し、横倒しにしてみせた。

 

「これがコロニーだと思え。お前はここに立ってる」

 

 缶の側面に指先が置かれる。彼はそのまま、指を着けた缶を手首でくるりと自転させた。

 

「どう感じる? 正直に言ってみろ」

「……」

「茶化さん。俺は正直にと言った」

「……宇宙(そら)はいつも、足の下にある。私は真っすぐ落ちてるのに、地面が回るから着水がずれる。月と地球の引力の、身体に感じるかかり方が、微妙に変わり続けて気持ち悪い。目隠ししてコーヒーカップに乗ってるみたい」

「ジェリド、昔のシュネーと同じだよ!」

「チッ、こいつ本物かもしれん……」

「えっなに、どういうこと? シュネーと一緒って……」

「あの跳ねっ返り娘とは古い腐れ縁があってな、クランバトルでマヴなんぞをやってる。だから分かるのさ」

 

 そう言うジェリドの声音は、複雑すぎる感情が何重にも重なって、かえって平坦にさえ聞こえた。

 捨てきれない嫉妬。認めたくない劣等感。手の届かない高み、眩しすぎるものへの諦め……アマテにも心当たりのある色々なものを、理性とか、プライドといったもので抑え込んでいた。

 

「奴もその感覚には悩んだが、ある日を境に酔わなくなったそうだ。なんでも、宇宙(そら)は頭の上じゃなく、自分の周りに満ちるものだってことに気づいたとか……宇宙生まれの言うことは、よくわからん」

「つまりさ、天地がどっちにあるかより、自分がどこにいるかを絶対の軸にしろってことだろ?」

「ライラ。それができたら、空間識失調(バーティゴ)するモビルスーツ乗りはいない。人は地に足つけなきゃ、自分がどっちを向いてるかも分からなくなる生き物だ」

「だがそうしなきゃコリオリ酔いは治らない。シュネーはやってみせた」

「あいつは……()()だ」

「ジェリド。そういう分かり方は、無意識のうちに反感になる」

 

 ライラは静かにそう言った。ジェリドはコロニーに見立てていた缶を自分の手元でくしゃりと潰して、分かってるよ、と呟いた。

 なぜか、その目はどこか、悲しみを隠して見える。

 

「マチュ」

「あ、はい」

 

 ジェリドはややあって、小さく息を吐いた。言いかけた言葉を、飲み下したように見えた。

 

「食器は流しに持ってこい。寝間着はライラが貸してくれる。ひとっ風呂浴びて、とっとと寝な」

 

 彼が、本当は自分に何を言いたかったのか。アマテにはもう、わからない。無理に知ろうと踏み込むのは、優しくないと思った。

 

(……眠れない)

 

 暗闇に慣れた目で、天井を見た。閉め切られたカーテンから漏れるかすかな街灯の光が、ぼんやりと筋を作っていた。

 どこか自分の家に似ている。ややあって、ここが子供部屋だと気づいた。

 そりゃ、そうか。子供だもの、と腑に落ちる。

 

 部屋の外で、控えめな足音がした。からからと、掃き出し窓が開けられる。誰かがベランダに出たらしい。

 枕元のスマホを見ると、寝つけないまま、いつの間にか日付が変わろうとしていた。

 

 ライラかな。そう思ってベッドを抜け出た。元軍人らしく肩幅があり、身長も高い彼女のお下がりは、アマテの体格にはかなり大きく、肩の一方がずり落ちそうだった。

 

 そうっとドアを開けて、開け放たれた窓を見る。小さなベランダに置かれたキャンプチェアに、誰かが腰掛けていた。

 裸足でぺたぺたと近づくと、

 

「手洗い場は反対だ、ガキンチョ」

 

 ぎょっとした。ジェリドだ。足音を抑えていたから、てっきりライラだと思ったのに。

 

「……何してんの」

「晩酌」

 

 嘘だ。ジェリドはずっと、ライラに気を遣ってノンアルコールしか開けていない。

 たぶん、彼女、妊娠中だから。

 

「パソコンしながら?」

「悪いかよ」

「……それって、戦型分析でしょ? マヴ戦の」

「……そうだよ。あ、おい」

 

 敷居に沿って並べられたサンダルを突っかけて、隣の椅子に腰を下ろす。閑静な住宅街から見上げる、コロニー対岸の都市群は、いつにも増して眩しい。

 ミラーで反射した太陽光をシリンダー内部に導く、俗に河と呼ばれる採光部に目をやれば、暗幕を針で突いたような素っ気ない星々が、音もなく巡っている。

 コロニーの回転を意識してしまい、見ているだけで酔いそうだった。

 

「シュネーに、勝ちたいの?」

 

 キーボードの打音が、一度途切れた。

 

「そうだ」

 

 ラップトップの画面を覗き込む。ジェリドはむっとしてみせたが、身を乗り出したアマテを押しのけることまでは、しなかった。

 

 簡単な3Dモデルで表されたザクの対戦相手は、白いリック・ドムだった。

 でも、動きが違う。シュネーの動きは、もっと自由で、鋭く、速い。

 シュネーのマヴであるジェリドもそれはよく分かっていた。使っているデータはドム使いで有名な上位クランの動きを参考にしたものだと、律儀に教えてくれた。

 それにはきっと、自分のマヴを軽んじられたくないという、プライドにも似た思いがあったに違いなかった。

 

「あいつはマヴを……俺を信じてない。いや、誰のことも信じちゃいないんだろうさ、どうせ自分にはついてこられないと思っていやがる。俺はそれが気に入らん」

「……私のこと、助けてくれた。お姉ちゃんがいたら、あんな感じだったのかな」

「それだ、それ。あいつは無意識に上から物を言いやがるし、施したがる。ガキのくせにな」

「優しいってことじゃないの?」

「本当に、そう思うか?」

 

 ジェリドが、やけに真っすぐな目でこちらを見た。

 思いのほか、透き通った青い瞳をしていた。

 

「俺はな、マチュ。あいつが、わざわざ背負うことはないものを背負おうとしている気がしてならんのさ」

「待ってよ、いきなりよくわかんないって」

「あいつは放っとけば地球だって救うかもしれん。だが、あいつのことは誰が助ける? どいつもこいつもあんなガキに、一体何を期待してるっていうんだ」

 

 シュネー・ヴァイスは、ずっと独りなんだぞ。

 冷めた声音だった。もう、熱を込めるのもおっくうなくらい、たくさん唱えてきた言葉だったのだと、アマテは思った。

 

「なのに、俺は……」

 

 ジェリドが打ち込んだ機動シミュレーションの弱点には、すぐに気づいた。クランバトルが始まる直前に、シュネーが共有してくれた戦いの記憶が、囁いている。

 守りに入るな。捨て身で踏み込めば、勝てると。

 

「俺の身体はもう、俺だけのものじゃない。考えなしに突っ走って、生きるか死ぬかなんてことをやっていい身分じゃないんだ」

 

 シミュレーションが始まった。シュネーの動きに少しでも近づけるため、でたらめに高い性能を設定された白いリック・ドムのスピードに、ザクはとても追いつけない。サーベルで斬りかかられ、ヒート・ホークでなんとか防ぐも、斬り返す前に逃げられる。

 ひらり、ひらり。重たいドムが、軽やかに踊る。

 

 schneeweiß(シュネー・ヴァイス)とは、白い雪。風に舞うひとひらを捕まえても、掌の上で消えてしまう。

 誰も彼女には届かない。

 

「俺はライラが一番大事だ。もう、そうとしか思えなくなっちまった。凡人から捨て身の覚悟を除いたら、何も残らねえ」

 

 ジェリドがキーを叩くと、倍速がかけられた。ザクは試合時間いっぱいまで、白いリック・ドムに手も足も出ないままだった。

 片腕は外れ、足はあさっての方向に曲がり、装甲はぼこぼこに凹んでいる。カネバンのおんぼろザクより、よほどひどい。

 

 それでも、破壊されれば敗北となる頭部だけは、傷ひとつなかった。

 クランバトルでは、試合終了までに頭が胴体にくっついてさえいれば、他の部位がどれだけ壊されても引き分けとされる。

 どんなにみっともなくても、負けじゃない。

 

「命は残るよ」

「……そうだな。美人なカミさんと、将来のチビを食わせるなら、それだけありゃあ十分だ」

 

 そう言うジェリドこそが、誰よりも割り切れない様子でいた。

 それでも彼は、シュネーに手を伸ばすために、その手に抱くライラのことを手放すような男には、到底見えなかった。

 

 一番好きなものを選んだのに、後悔することってあるんだ。ジェリドの救われない在り様は、アマテの価値観を強く揺さぶった。

 

 そういう理不尽さを飲み込めてしまう、大人という人種のことが、アマテにはよくわからない。

 あるいは、心が裂かれるような理不尽に晒されながら、どれだけ辛くても生きていくしかなくなってしまった、可哀想な人々のことを、大人と呼ぶのだろうか。

 

 そんなものが大人なら、当分はなりたくないな。なんて思いかけて──シュネーこそが、まさにそういう生き方をしていることに気づいた。

 

「……つらいね」

 

 心の一番底。苦い(おり)が深く積もった、柔らかな場所から、言葉がこぼれ落ちた。

 

「……もう、寝ろ。喋りすぎた」

 

 ベランダから廊下に戻ったアマテを、ジェリドは最後に呼び止める。

 

「モビルスーツ乗りの先達として、ひとつ心構えをくれてやる」

 

 アマテは、何も言わずに言葉を待った。

 

「もし自分を凡人だと思うなら、これだけは絶対に失くしたくないってものを考えてみろ。それがお前さんの、ガンダムに乗る理由だ」

 

 柔らかな夜風が窓から吹き込む。カーテンを少しだけ、そよがせた。

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