必要とされる者
※過去にpixivにも投稿したやつです
おとぎ話の勇者は、いつだって正義だった。
その手に剣を持ちいて悪を切り裂き、善良なる弱者に理不尽が襲い掛かるならば叩き割る。常識の中で生きる一般人では決して成しえない結果は、道理や節理すらも蹴っ飛ばして理想たる正義を貫く。
悪魔も魔王も魔獣も神魔すらも、人の願いと思いを刃に変える勇者の前では切り伏せられる。すべては、勇者のために。永遠たる平和は、勇者がもたらす恵み。強者も弱者も貴族も平民も、世界に住まう天地の生物は勇者にすがる。
なぜなら、勇者は正義であり、正義は勇者だからだ。いつ、正しいのかではない。いつだって正しいのだ。その正しさに人は、心をはせる。何かにすがれないほど、人は強くない。誰もが心に寄りかかりたい絶対的な安心が欲しいのだ。
……ならば
誰もがすがる絶対の正義である勇者は
――何を支えにして生きているのだろうか。
放課後のチャイムが鳴る。校庭で部活動に励む運動部の生徒たちが、練習に励んでいる。その声は、生気に満ち溢れ、青春を謳歌している者たちの雄たけびだ。たった三年と言う貴重な時間を燃やし尽くすために、身も心を削っている。
その校庭の向こう側、校舎の裏側で運動部の声をBGMに、天之河光輝はぼんやりと自分の足元を見た。
髪の毛はボサボサ、服は脱ぎ捨てられて上半身はシャツ一枚のままだが、それ以上に目を引くのは、至る所にある体の傷だった。腕や胸元には殴打された後だろうか青あざで目立ち、学校指定用の上履きの靴跡に沿った泥が腹とシャツの上でクッキリと残っていた。
しかし、ケガの部分はそこだけだ。手のひらや脛の部分など、ラフな服装をしていれば見えてしまう所は、上半身に比べれば比較的にきれいだ。顔の方もこれと言って外傷はない。傷だらけにされることによって、虚ろな瞳を浮かべている点を除けば、だが。
もそりもそりと。まるで芋虫のようにピクピク動き出す。
それを見て、光輝は舌打ちをした。まだそんな体力があるのか、こいつには。
立ち上がろうとしたところで、すぐさまに腹の真ん中を踏みつけて、再び仰向けの状態にさせられる。うーうーとうなりながら、光輝の足元をもがこうとするが、肉食動物が獲物を逃さない様に前足で押さえつけるがごとく、光輝もさらに足に力を込めて、その人物を起き上がらせない様にギュッギュッと踏みつけていく。
腹を押し付けられた苦しみで息苦しさを感じているのか、踏みつけられている人物は「おえぇ」と言って、少しばかり吐き出した。昼頃に食べたエビフライの欠片が、口の端からあふれ出る。
それを見て、光輝の顔は熱くなった。あの食べ物は、あれは香織が食べるはずだった、俺が食べるはずだった……!
そう思うと、光輝の行動は早かった。租借した米も一緒に、胃からあふれ出たのか、噛み砕かれた米とよだれが混ざり合いってまるで粥のように口から漏れだそうとした。そこに、腹に乗せていた足を素早く口に持っていく。
口からあふれるはずの物は、こぼれない様に靴で押さえつけられた。
「食べろよ」
高圧的な声に、その人物は何も言わずにじゅるじゅると音を立てながら口に戻した。先ほどまで、口に出かかったのだ。恐らく、上履きについていたであろう泥も一緒にすすったかもしれない。
そこにすかさず、光輝はわずかばかりに開いた口に靴を押し込んだ。
「なあ、腹立つよな」
ゴリゴリゴリゴリ。歯磨きをするかのように、歯茎をなぞる。
「普段からやる気もない、人に対しての好意を受け取りながら何の反応も示さない、この学校の女神にあんな態度をとっておきながらお前はなんのリアクションも取らない。それでいてお前はみんなからの嫌われ者。そう言うお前みたいなやつがこんな目に合う事なんて、当たり前の事だよな。なあ、南雲」
喋り切って満足したのか、その口から上履きを離した。長く口に含ませていたからか、上履きが離れる直前に『ちゅぴっ』と水気を含んだ音が鳴り、南雲の口から光輝の上履きに銀糸が伸びた。
「……さて、もう時間だ」
時計を見て、光輝はその場を去ろうとした。遊んだオモチャに飽きたらその場に放りっぱなし。子供ならそれで怒られるかもしれないが、遊ばれている相手は自分の意思を持つ人間なのだ。勝手に歩いて、勝手におもちゃ箱に戻ってくれるならそんなことを気にする必要はないだろう。
「じゃあな南雲(ゴミクズ)。また明日も付き合ってくれよ」
夕焼けに照らされた校舎の影の中で、光輝は振り返ることなく去っていった。
「うん。じゃあね天之河くん」
一体いつからだろうか。彼とこんな関係になったのは。光輝は、帰宅途中でそう考えていた。
天之河と南雲は、同じクラスに通う同年代であり、同級生の間柄だった。
天之河はクラスの人気者だった。頭脳明晰、スポーツにおいても万能、その人当たりの良さ(カリスマ性)に女子からもモテモテ、同年代の男友達もいて……天之河光輝と言う少年はまさに完璧超人にふさわしいと言えた。
反対に南雲はクラスからの嫌われ者だった。頭脳はいいとも言えず、スポーツにおいてはてんでダメ、学校の女神と言われる白崎香織からの好意を無下にしているがために女子からは嫌われ、男子からは嫉妬でやっかまれて、檜山のグループには虐められている。それでいて、彼自身がオタクという事も手伝って彼と言う人間は迫害しても嫌っても大丈夫……まさにクラスのスクールカースト最底辺の人間と言ってもいいだろう。その性格が良かろうと悪かろうと周りの人間にその評価を与えられた時点で、もう覆しようのない事実だった。
ならば、なぜこの二人が放課後に二人きりで残っているのか。それは、クラスの人気者と嫌われ者と言う相反する属性が、二人を引き合わせ、他のクラスメイトにはしりあえない絆を作り上げたのだろうか……
いや、それは違う。南雲との関係性を振り返った光輝は、頭を横に振り、考えを消した。
二人の仲は良いとは言い難かった。
まず、他の男子が白崎香織に好意を寄せているように天之河も香織に対して、ほのかな恋心を抱いていたのだ。意中の相手が、自分の方に振り向いてほしいのに、その好意の矢印は何のやる気も覇気もない、努力とは無縁の最底辺な人間に向けられたのだ。
自分の方が、自分の方がふさわしいのに。
どこにでもありふれていて、RPGだったら村人A以下のアイツよりも勇者らしい俺の方が、俺の方が……
光輝の心には、グルグルと渦を巻くようにして嫉妬と怒りの炎を燃え上がらせていた。次は、どんな風に痛めつけてやろうか、どうやったらアイツを苦しめることが出来るだろうかと。憎しみをぶつけるためのプランを脳内で組み立てる。
彼の脳内には、もはや以前のような誠実さや正しさを心掛ける物は奥へと追いやられていた。人をいたわり、正義を胸にしていた以前の光輝はどこにもいなくなっていた。
死んだ祖父はいつだって正しさを教えてくれた。今の自分を支え、目指すための指標ともなるおとぎ話を聞かせてくれた。なのに、今の彼は客観的な正しさも主観的な判断すらも捨てて、他者を見下して足蹴にした快感に浸る優越感を優先してしまっている。
なぜ、こんなことになってしまったのか。
それまでの彼はどこへと言ってしまったのか。
今の関係に至るまでのきっかけは、ほんの些細な事だった。これまでに積み重なったホコリやチリ程度の鬱憤、日に日に強くなっていく自分に向けられない香織の好意の矢印。それらはだんだんと銃の引き金に指をかけるようなものだ。いつ暴発してもおかしくはないはずだった。
ある時、光輝は廊下をすれ違ったときに南雲を突き飛ばしてしまったのだ。それは単なる不注意だった。知り合いとの会話に夢中でどんどぶつけてしまい、南雲に尻もちをつかせてしまったのだ。
これには、流石の天之河も申し訳ない気持ちになった。いくらいい印象を持っていない相手だろうとケガをさせてしまったなら、せめて謝り、起こしてあげなければならない……
「ドンくさいんだよ」
そう言い残して、光輝は親友とその場を後にした。
確かに申し訳ないと言う気持ちはあったのだ。だが、相手は南雲だ。失礼な態度をとったとしても、相手が格下の人間なら何をしても許されるだろう。表面では、好青年を演じておきながらも内心では見下しているその考え。
……これが、南雲に対して、何をしてもいいと言う下地となった。
それからはもう早かった。正義を掲げている光輝が、悪と言う敵を見つけたらどうなるのか。決して単純ではない世の中、その荒波を手探りで生きていかなければならないのなら、その中で明確化した単純な答えを見つけるとどうなるのだろうか。
光輝は、自分にとっての悪をようやく見つけたのだ。放課後、校舎裏に呼び出し、徹底的に叩きのめす。決して、目立つ場所にけがを残さない様に、顔だけは傷つけないように心がけていた。
殴り、叩きのめし、地面に倒れ伏した南雲を何度も何度も足ふきマットのように。そして、その心には自分の立場をわきまえない屑に立場を教えるためと言う大義名分を心に。
そして、明日も今日と同じことが繰り返されるのだ。
次の日、光輝は下駄箱で上履きに履き替え、廊下を歩いて行った。雫の道場に通っているから、教室に向かう時は運動を兼ねて階段を昇る。いつもと同じように歩きなれた廊下を行くと、いつもと同じように教室の扉を開けて中に入る。
檜山のグループが下品な笑い声をあげて談笑している。
友人である坂上に軽い挨拶をし、白崎と雫の学校の女神と軽い会話をする。
……得も言われぬ違和感。言いようのない物が光輝を包み、口の中に異物を突っ込まれて胃の中に何かがどっしりと構えている……そんな不安と恐怖。
周りを見渡して、クラスの様子を探る。誰もが、思い思いのグループを作って立ち上がって会話をしている。光輝が周りを見渡すと自分たちを見てくれていると思っている女子が、黄色い声をあげる。内心毒づきながら、舌打ちしたい気持ちを抑えて、ハッとした顔で光輝は気づく。
クラスの雰囲気が明るいのだ。別にこの事に関しては、別に大きな問題ではない。重要なのはクラスの雰囲気を険悪にしていた元凶が居ないから、誰もが明るくいられたのだ。
視線を一つの机に向ける。そこには、机に突っ伏して寝ている南雲はいなかった。
「えっ南雲君?」
「ああ、朝から見かけなくてさ」
疑問を持っていた光輝に香織が話した。今日、南雲は家の用事でしばらく学校を休みになるそうだ。
ああ、なるほど。いつもだったら南雲におせっかいを焼く白崎が、こうして自分の話について来てくれると思ったら南雲が居ないから、自然と南雲のおこぼれで香織と会話できる機会が出来たのか。……と、考えたところで光輝の目から一筋の涙が流れそうになったが、グッとこらえることにした。
だが、光輝の中ではそれ以上に、南雲に対する怒りが燃え上がっていた。たかだか家族の事情を優先して、自分から逃げ出すなんて。悪は正義に叩き飲まされるのが仕事だと言うのに、自分に与えられた役割を放棄するなんて、どうやら昨日以上の責め苦を思いつく必要がありそうだ。
授業中、昼休み、午後の授業、放課後……光輝はその頭の中で、休み明けにやって来た南雲の顔が苦痛に染まる様子を想像して、一日を過ごした。……ちなみに、想像が表情に現れてニヤついていた光輝の様子は、傍から見れば不気味な物で、坂木や檜山など他の男子からは奇怪な様子で見えていた。
(こ、光輝……?)
(ええ……? 天之河ってあんな表情をすんのか……)
それとは反対に女子の方からは、静かながらきゃいきゃいと騒ぐ声が立つ。どうやら同性から見たら奇妙な光景でも、異性からでは美少年の微笑みにうつるようなのだろう。だが、光輝に関してはそんなものは意にも介さない。向けられた視線は黒板だが、意識は思い描いた理想像だけだ。
次の日、南雲はまた来なかった。怒りの炎はさらに燃え上がった。自分の頭の中で苦行のプランを立て直した。今日はやれなくても、その分楽しめばいいと思う事にした。
また次の日、またまた南雲は来なかった。もはや、許しては置けない。この際だから直接家に行って引っ張り出していこうかとも考え着いたが、流石に常識が光輝を食い止めた。
またまたまた次の日、南雲は来なかった。
またまたまたまた次の日、南雲は来ない。
さらにさらにさらに次の日、来ない。
次の日、次の日、次の日、次の日……南雲は、いない。自分の見る教室の光景に南雲が、いない。
次の日も南雲はいない。何故だからわからないが、怒りの炎が急速にしぼむ様に感じた。
南雲は来ない。南雲が来ない。南雲が、南雲が、南雲が、南雲は、南雲は、南雲、南雲、南雲…………
震える。体が凍えて震えるなんてものではない。一つの体が骨の芯まで凍り付くように、身動きが出来ない。生物が弱るときは、基本は病気か飢えのどちらかだが、光輝の場合は後者だ。満たされない心が、二本の足で床の上を立つことに恐怖を覚える。
悪だ。悪を倒さなければ。正義はいつだって、悪を倒して人のために奉仕をするのだ。だって、正義はそのためにあるのだから。正義は悪を潰さなければならないのだ。
だから、悪を。悪を踏みつぶして、土に還さなければ。悪を食らい、糧として正義の血肉に変えなければ。そうしなければ、だってそうしなければ自分は……
そして、ついに我慢の限界が来た。南雲が学校に来なくなって数日たっての事である。
「……光輝?」
自分の親友が、いきなり授業中に立ち上がったことに坂上は不思議に感じた。
だが、天之河の方は気づいていなかった。自分がいつの間にか、立ち上がっていることに。
「天之河……くん?」
担当科目の教師が、いきなりの事で呆気にとられたが、その後の天之河の行動には、声を挟む余裕もなかった。行き成り走り出して、教室を飛び出した。申し訳程度に「体調不良なんで早退します」と言い残して、学校の外へ。
町の中を走り出す。商店街、駅、デパート。近くにある住宅街や、隣町のほうまで。光輝は、探していた。探し求めていた。正義に必要不可欠な悪。どれだけ、踏みつけても許されるサンドバッグ。……もう無くてはならない心の支え。
「あっ……!?」
川の上にある橋。土手下の方で、彼が居た。
「南雲っ!!」
「あっ……天之河く……」
草の坂を滑るように落ちて、走り抜ける。唖然としている南雲を気にすることなく、その両肩を掴み、彼の胸に顔をうずめた。
学校に来なかった理由なんてもう、どうでもよかった。心の中で燃え上がっていた怒りの炎は、まだ残ってはいたが、それ以上にやっと顔を見れた安心感が勝っていた。
(薄い……)
光輝の鼻が、頬が、南雲の胸に埋まる。鍛えられてもいない、一般的な少年よりも細い体をした南雲の服越しの胸はまるで、まな板を布団で巻き付けているような感触だった。服とその下にある肉の柔らかな感触とそこから感じられる骨の確かな硬さが、余計にすがりたくなるような安心感。胸板に押し付けた鼻で呼吸をすると光輝の心が満たされた。
(ここに、ここに居る。ここに俺を俺たらしめる悪がここに居る……)
頭脳明晰で、スポーツ万能、異性や同姓共に好かれる人気者。だが、ここにそんな人物は居ない。居るのは、縋りつくものを求める子供が居た。
「南雲……南雲……南雲……」
ごしごしとこすり付けるように、動物が鼻先を押し付けて臭いをつける(マーキング)ように、光輝の行動は止まらない。
この世に、何かにすがらなくても生きていけるほど、人は強くない。
何が正しいと言うのは、何が悪いかと言うのを理解できることだ。それは、光輝の死んだ祖父が教える事が出来なかった大切な事だ。
でも、今はもう、祖父はいらない。なぜなら、それ以上に心の支えになる物がここに居るのだから。
深く考えなくても自分を支えてくれる南雲(ゴミクズ)は、自分を輝かせてくれる悪だ。
相反するものは、お互いに存在するからこそ、敵対する。だが、同時に分かり合えるのも正反対の性質のある者だけ。
『勇者』にはいつだって、倒される『魔王』が必要なのだ。
この時、南雲が一体何を考えているのかは分からない。
「お前は、ぼくにとっての魔王だ」
「君は僕にとっての勇者だ」
「お前を死ぬまで苦しめてやるよ。だから僕から離れるな」
「僕はいつだって、立ちふさがるさ。君から離れるつもりはないよ」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった光輝が、上目遣いで南雲の顔を見た。
――その時に浮かべた南雲の微笑が、なによりも妖艶で、なによりも醜悪で、なによりも慈愛に満ち溢れていることに光輝はは気づかない。いや、気づいても気づかなくても光輝には関係のない事だろう。
すべてを受け入れるような微笑みを顔に張り付けて、南雲の顔に光輝の拳が飛んだ。