アメリカ
ここは日本ではあまり知られていないが、第三次大戦後のUSNAを代表する超高級住宅街である。町内に商業施設すらない閑静ぶりの中、一軒の邸宅をパトカーや装甲車が取り囲んでいた。
ただの戸建てと侮るなかれ、それは貴族の屋敷のような巨大な陣容と庭園を持つ大邸宅で、少なくとも20部屋とプール、テニスコート、屋上にはヘリポートまで備えている。
普段は静かで優雅な空気の流れているこの一帯だが、この日ばかりは剣呑な空気に包まれていた。
違和感はもうひとつ。
家主が不在というだけではない。掃除が行き届いており、家具や食料の貯蔵などもそのまま。明らかについ最近まで機能が維持されていたにも関わらず、その家には住人はおろか、使用人や管理業者、警備員などを含め誰もいなかった。
「……ターゲット確認できません。シェルターや隠し部屋の類も捜索しましたが、一切無人でした」
空き家だったのをいいことに建物を占拠した一団は、リビングに陣取って現場指揮をしている壮年の男性に報告を上げる。
彼らはUSNA軍が誇る最精鋭の魔法師部隊「スターズ」。この日彼らはとある「命令」に従い、
「先んじて気付いて逃亡したのか……? どうやって……?」
この軍勢を率いている第一隊隊長(全体副隊長)、ベンジャミン・カノープス少佐は頭を抱えていた。
彼らはニューメキシコ州はロズウェルにあるスターズ本部から大急ぎで駆けつけてきた訳だが、その過程で東海岸の統合参謀本部に出てきていたリーナと分断される形になっている。
(日本側の"要求"を防ぐための作戦と言っていたが……これは……)
ベンジャミンはリーナと違って陸軍士官学校出身の正規士官だ。スターズの政治的ブレーンであり、戦力以外の実権を持つ有能な官僚軍人である。
周囲の言葉に丸め込まれて突っ込まされたリーナと違い、彼は裏で行われている政治取引の内容を理解していた。
この日、朝から行われている日米間の極秘会談では、概ね双方の目論見通り「何も決まらない」……つまり今まで通りなあなあの関係を続けることが決まりつつある。
朝鮮半島が大亜連合に制圧され、その大亜連合が滅亡した今、ユーラシアをけん制するため両側に用意していた不沈空母の片割れ(もう片方はイギリス)たる日本が東南アジア同盟もろともUSNAの陣営から離脱してしまうと、アメリカは太平洋での覇権を失ってしまう。
ただでさえ、今の日本はマラッカ海峡からホルムズ海峡までを版図とする広大な沿岸帝国の支配者だ。直接対決が論外なのは勿論、例えばトルコ経由でアラブ同盟などの産油諸国やスエズ運河に出てこられたら看過できず、中東と北アフリカ、下手をするとヨーロッパで新ソ連対日本対USNAの代理戦争が勃発することになる。ヨーロッパ失陥という最悪のケースでは、アメリカは完全にユーラシアから切り離される。
USNAとしてはそれだけは避けたいので、大戦期に再発していたモンロー主義を撤回して裏でEUとの同盟締結を急いでいるのだ。彼らは日本への食糧供給国である一方、日本はアジア方面の重要な橋頭保だった。
もはや両国の関係は切っても切れないところまで来ており、短期間での武力制裁(核攻撃含む)が達成困難、しでかしたことの大きさからみて擁護も難しいとなれば、「ほとぼりが冷めるまで好きにやらせとこう、ただし
USNAにとり、加害者も被害者も両方アジア人というのが良かった。欧米の認識として今次大戦は未だ「サル山のボス争い」に過ぎず、差別心を前提として事態を客観視できる上層部は別として市民レベルでは「あの怪物がこちらを攻めてくるかも」という部分だけが恐れられている。
つまり全面擁護は流石に角が立つ(新ソ連等に攻撃の口実を与えてしまう)けれども、なあなあで付き合いを続ける程度ならむしろ歓迎されうる――少なくとも、対決姿勢を出して津波を恐れた市民に暴れられるよりよほどマシ――という判断だった。
そんな米国政府の内心を知ってか知らずか、日本側の交渉はかなり強気であった。
最初に匂わせてきたのは、USNA国内に存在している大亜連合人の身柄引き渡し要求。だがこれは断られる前提のいわゆるドア・イン・ザ・フェイスで、当然ながら移民の国であるUSNAは到底飲むことができない。
その代案(つまり本命の提案)として出してきたのが、日本が独自に作成した「戦争犯罪者リスト」を開示した上、リスト上の人物のみに絞っての引き渡し要求だった。軍事法廷とはいえきちんと裁判を受けさせることも確約してきている。
その筆頭にあった名前が、大亜連合政府を動かし、間接的に今次大戦の引き金を引いたともいえる旧大漢のフィクサー……顧傑であった。
(USNA政府は今のところのらりくらりと回答を躱しているが、最終的にはあれこれ交換条件を設定して高く売りつける算段だ。鉄仮面を放り込んできたのは、お互い開戦したくないことを読み切ったうえでの挑発であるのと同時に、"勝手に顧傑を捕えた上で「USNAは無償で協力してくれた」と大々的に発表することでわが国を
カノープスの見立ては個人的な推測であると同時に、軍および情報部の意見とほぼ一致している。
そして実はUSNA……というより
顧傑はNSAが開発したエシュロンⅢのバックドアシステム「フリズスキャルヴ」のオペレーターの一人だが、その権限を与えたのは「フリズスキャルヴ」の管理者、レイモンド・クラークである。
レイモンドは世界的愉快犯「第一賢人」であると同時に、システムの開発者である父から「玩具」を与えられた立場に過ぎない。
表向きはUSNA政府さえ存在を把握できていないとされる「七賢人」であるが、開発者本人すら知らない「バックドアのバックドア」、つまり「より高位の管理者権限」と「賢人捜索プログラム」の存在と稼働は当然であり、彼とその父がまだ消されていなかったのは「結果的に国家にとって有益だったから」に過ぎない。
現に、USNAを動かしている「本当の権力者たち」の間では、このシステムによって世界的偉業「四葉家当主の本拠地及び現所在地の特定」に成功している。四葉真夜もまた、かのシステムのオペレーターであるからだ。大統領とて、何も勝算なしに核攻撃を主張していた訳ではないのである。
その功績ゆえ大抵の「おいた」は見逃されてきたクラーク親子だったが、今回の失敗でさすがに「愛想が尽きた」という訳だ。この情報がスターズまで降りてきている段階で、すでに「賢人」体制は崩壊している。未だにシステムを十全に動かせるのがクラーク親子しかいないので消されはしないだろうが、運用の非属人化=失脚は免れず、用済みと判断され次第人知れず行方不明になることだろう。
ちなみにUSNAとしては、同じように「自国の役に立ちそうなので泳がせているテロリスト」を沢山抱えているのだが、今回ばかりはその「強者の余裕」が裏目に出た形だ。
そして今、カノープスの前ではあり得べからざる光景が広がっている。
国家中枢から直通でもたらされた、国家間交渉の鍵を握る重要人物の居所の情報。それが間違っていた。
否、事前に察知され、逃げられたのだ。
「カノープス少佐。いかがいたしますか」
ここには動けるスターズのうち8割以上、国家総力戦クラスの戦力が集結している。リーナ本人にすら教えていないが、彼女は東海岸に現れた鉄仮面を止めるための事実上の捨て駒になっているのだ。
本命はカノープスの部隊だった。彼は軍法会議にかけられるのを覚悟で強硬に反対したが、「鉄槌が効く程度の魔法師を何人送ろうが無駄」「彼女を出せないなら
ニューヨークめがけて深淵改二を使われたときに予想される被害は約2000万人。デラウェア州が壁になって津波被害を防げるはずだったワシントンも、ホワイトハウス前で無人地帯を使われたら全員仲良く瓦礫の一部になる。
仮にそうならなかったとしても、「いつでも鉄仮面が東海岸にお届けされる」という事実が公に残るのを防ぎつつ鉄仮面を殺せるならば、マンハッタン島に住む130万の人命、大統領を含む現政府高官全員の総辞職・弾劾訴追、国際魔法協会からの制裁、そして鉄仮面を失った日本との全面核戦争、それらすべてのリスクと引き換えにしても釣りがくるのだと。
それが脅しであるかどうか、少なくとも総司令官の能面のような無表情からは探ることができなかった。
それゆえ、リーナの側に集められた兵士は文字通りの「捨て駒」のほか、絡め手を可能にするための非魔法師からなる対魔法特技兵、そしてリーナと同じくワシントンにいた中から選出した魔法力の高い最精鋭のみ。
自分たちが顧傑を捕えられなければ、その状態でリーナが敗北すれば、USNAは何をしでかすかわからない。
カノープスの焦りは最高潮に達していた。
そのはずだ。
「む……少しまて、電灯が切れている」
ふと何故か、リビングを照らしているLED電灯が1か所切れていることに目が行った。
「左様ですね。おい、だれか修理のできる者は」
無線越しの副官もそれに気づいたらしく、修理のため人員を探し始めた。
「手作業で取り外した方がいいかもしれん。何か足場になるものがあれば……」
「自分、脚立か何か探してきます」
「待て、魔法で身体を持ち上げれば……ゲホッ、クソ、なんだか煙たいな!?」
――彼らは急に統率を乱し、ぐだぐだと電球の交換を続ける。
明らかに室内に謎の煙が充満し始めているにも関わらずだ。
「何も見えんぞ、これじゃ電……灯……が……」
煙が充満してから数秒とたたず、彼らは次々と意識を失いその場に倒れこむ。
彼らだけではない。建物内の別動隊、地下室や屋上に出ていた者、庭園を捜索していた者、装甲車両で周囲を固めていた者。すべてが一斉に「どうでもいいこと」に気を取られはじめ、やがて意識を失った。
◆ ◆ ◆
煙のようなものが充満する中、空間が揺らぐとともに数名の男たちの姿があらわになる。
皆アメリカの高級住宅街には似合わない日本の作務衣姿で、頭を剃り上げた一団だ。
「無力化確認しました」
「うん。拘束する必要はないよ。そのまま寝かせてあげなさい」
「はっ」
リーダー格であろう糸目の僧――九重八雲が、弟子たちにテキパキと指示を出す。
と言っても、すでに勝負はついている。彼らスターズの大軍勢は、わざわざこの屋敷に誘導された挙句、結界・幻術・催眠のコンボで快適な眠りを提供されてしまっていた。
「少なくとも8時間ぐっすり眠れるようにしておいたから、起き出してくる頃にはすべてが終わっているさ」
今日の八雲は4人の高弟とともにここへ訪れており、それぞれの能力を組み合わせる形で彼らを罠に嵌めた。
機長・副操縦士・航空機関士3名全員が表示灯の点灯不具合に気を取られた結果飛行機が墜落したという事故が実際に存在する。訓練を受けたプロが複数人集まってさえ、そんな凡ミスをしでかすことがあるのだ。魔法でほんの少し後押ししてやれば、同じ結果を生み出すことは難しくない。
八雲たちが展開していた術はごく効果の小さい、しかし巧妙に隠蔽された術。何より効果範囲の内外の境界が非常にあいまいで、いつから術中だったか極端に悟らせづらいもの。
集中力を欠き、思考の優先順位がかき乱され、うっかり勘違いすることが増え、どうでもいいことが気になって仕方がないという程度の、精神干渉とも言えない程度の誘導効果。寝不足や酔っている時や精神が不安定な時には自然と陥ることさえある程度の「不調」を全員に発生させたのだ。
最も効果的な魔法とは、強い魔法ではなく「魔法だと気付かれない魔法」。特に魔法師を相手取る場合には定石となる古式の技だ。
そもそも、スターズが制圧しなければならなかった邸宅――顧傑の潜伏場所は
「師匠、この後は顧傑の確保ですか?」
高弟の一人が問いかけた言葉に、八雲は一瞬首を傾げた後、「そういえば教えていなかったね」と納得したように答えた。
「ボクらの役割はこれで終わり。後は
「プロ……?」
高弟が頭上に「?」を浮かべた直後、彼らの背後に音もなく人が立っていることに気付く。
「うわっ」
「おや、もう完了しましたか」
ここにいるのは九重八雲の高弟だ。仕事中に気を抜くなどというヘマはしない。
だというのにその人物は、彼らの探査を歯牙にもかけずかいくぐった。
日本人として平均的な身長でやせ型、いわゆる神職の着るような狩衣姿で、烏帽子をつけていることからおそらく男性。最も異様なのは、顔全体を覆う真っ白な仮面によってその素顔が見えないこと。
その人物は無言のまま、八雲の問に答えるように小さく首肯した。
直後、まるで最初から誰もいなかったかのようにその姿が消失する。高弟たちはその姿を目でとらえていたにも関わらず、誰一人として消える瞬間を知覚できなかった。
魔法の気配はおろか存在の痕跡さえも掴むことができず、ただどよめくのみだ。
「全く、これしきのことで心を乱すようでは修業が足りないね」
呆れた様子で頭を掻いて見せる八雲の姿を見て、高弟たちはようやく落ち着きを取り戻す。
「し、しかし。あの者は一体」
「あの者? そうか、
八雲はもう一つため息をついてから、彼らにどこまで教えたものかと考えを巡らせる。
「なに、この界隈では昔から言われている通りさ。名を売ってるようではまだ二流、一流のプロは顔も、名も、存在さえも持たない」
それまでの飄々とした雰囲気は鳴りを潜め、鋭い眼光で弟子たちを睨みながら、しかし八雲は自分をすら「二流」と切って捨てた。
「
それは、古の世界から厳然と存在する「触れてはいけないもの」。
「
確認はしない。どうなったか教えられることもない。その正体が明かされることもない。
わかっていることは一つだけ。
顧傑はもういなくなった。
それだけだ。
「あそこへ至るには、ボクではまだ若すぎる。功名心とて執着、悟りの道は遠いねえ」
戦慄する高弟たちを尻目に、八雲は独り言ちた。
一番偉い人の「いかんでしょ」が出ちゃったのでボッシュートになります
朝敵はしまっちゃおうね~
古式魔法なんてもんがある世界で懐刀が生き残ってない訳ないよなあ?