縁談が来ていること自体に、驚きはない。
今の俺は日本国公認の戦略級魔法師、極東戦争(一連の戦いを欧米ではこう呼んでいるらしい)の英雄、国防海軍の文字通りの最高戦力だ。
表舞台に引きずり出されるにあたり、俺には「表向きの身分」が正式に与えられることになった。「ドッキリ津波事件」当時である2092年8月には成人だったことにしておかないと色々面倒なため、戸籍上では26だか27歳になっている。まぁ身体デカいしダミーの顔には火傷痕があるしで、実年齢に気付かれることはないだろう。
そうすると、その歳の強力な魔法師がなんで独身なんだって話になる。十師族でも百家でもないぽっと出の魔法師という立場は、普通は師族が放っておかない。地元で産まれた有能な子供を養子にとって勢力を拡大していく名門一族しかり、血筋が紐付きでない強力な魔法師は、だからこそ速攻でどこかの家に回収されることがほとんどだった。
ただでさえ、魔法師は早婚・多産が国家レベルで強く推奨されている。プロパガンダとしても魔法師戦略としても、名目上日本最強の魔法師になった「鉄仮面」を独り身で置いておくわけにはいかない。
このタイミングで身を固めろと言われるのはまぁ、わかる。今度の戦功で大佐まで一気に昇進すると言う話もあるし、肉体年齢こそ16だが社会からの扱いは概ねシャアだからな、俺。変に拗らせてバブみとか求めだす前に落ち着かせようってことか。
「は」
ゆえに、口から出た言葉は思ったより短くなった。
対面に座っている獅童のジイサマが機嫌を損ねていないのを確認している間に、向こうが言葉を続けた。
「そこで、先にお前の希望を聞いておこうと思ってな」
「……?」
言いながら釣書の類を出してくるなら分かるが、手持ちのタブレットをこちらによこしてくる気配はない。
訝しんでいるのが分かったのか、いつも眉間に皺を寄せてるこの人らしくもなく頬が緩んだ。
「好きな名か特徴を挙げよ。儂の手が届く限り、誰であろうと引き合わせてやる。お前はそれだけの働きを示した」
――とんでもねぇフリーハンドである。相変わらず報酬には厳格というか何というか、いちいちスケールがデカいんだよなこの人。前に原作知識を悪用して「フォアリーブスの株ちょうだい」って言った時も気づいたら謎の投資銀行が設立しててなんだか凄まじいポートフォリオ? を見せられた。「時価総額の何パーセント」で持ち金を数える日が来るとは……。
それで、このジイサマとの付き合いも長いので、この人が言いたいことも何となくわかってるつもりだ。
これは自分と同格以下の範囲で好きな「地位」もとい「家柄」に組み込んでやるという意味だろう。多分縁談を申し込んで来た誰かがいるのは本当なんだろうけど、「俺の希望」一点で普通に却下できるくらいの格と。
ただ、俺はそういうのとは別で、この場における「答え」を持っている。
「それじゃあ遠慮なく」
――五輪澪さんで。
「よいのか?」
「開戦前まではあんまり自覚なかったんですけどね。どうも俺は、自分で思ってる以上に澪さんのことが好きらしい」
もちろん、澪さんさえ良ければですけど。
そう言い終えるよりも早く、俺の背後のドアが開くのが分かった。
持前のマルチスコープによって俺の視覚は360度を実現している。だから、そこに立っているのが澪さんだということは――
「えっ澪さん!? いやそれより何で立って」
俺が混乱して立ち上がるより早く、その薄くて細い身体で俺は抱きしめられていた。
俺にとってはそっと包まれているように感じるし、体格差がありすぎて腕が届かないのかぎゅっと押し付けられても背中まで手が回っていない。柔らかさより骨と皮が先に来る体躯だし、抱きしめ返したらそのまま潰れてしまいそうなくらい弱々しかったが、間違いなく力いっぱいだと分かる。
「ずるい。ずるいわ。こんなことされたらわたし、わたしっ……」
感極まって泣き出した澪さんを優しく抱きしめ返しつつ、身体ごしに見た獅童のジイサマは満足気にしているようなので、多分これは「正解」だったのだろう。
「しまったな、プロポーズ用の指輪のひとつも持っとけばよかったんですが」
「いいの。あなたに全部を貰ったから」
これに関しては本当に政治とかは抜きだ。
思ったより嬉しかったんだ。この世界に生まれて初めて、親身に色々教えてくれたのが。
その程度のことだが、思えばその程度のことをやってくれたのは澪さんだけだった。
そういう感傷的なのとは無関心な質と思っていたけれど、案外まともな感性が残っていたらしい。
だから多分、これが一番いい。
各方面へのけじめのつけ方どうしようかなとか。
空気を読まずに「司波深雪で」とか抜かしたらどうなってたんだろうとか。
ジイサマが見ていたタブレット、あれには明らかに「七草真由美」のプロフィールが載っていたこととか。
そういうのは……今は余計なことなのだろう。
◆ ◆ ◆
イギリス、ロンドンにあるオフィスの一角。
普段は静けさに満ちているはずの魔法協会本部ビルが、この日ばかりは喧騒に満ちている。
その長であるユーディトも、古式の回復魔法やらと水から調薬した薬品やらで疲労を誤魔化しつつ、ほぼ不眠不休で飛び回り始めて4日目になる。
いよいよ回らなくなってきた頭を再起動させるべく、無理やりこじ開けた30分の隙間で2日ぶりにシャワーを浴びに来たところだ。
第三次大戦中。今よりずっと忙しかった頃の慣例で、このオフィスにはシャワー室や仮眠室が維持されているし、食堂も号令一つで24時間営業になる仕組みが整っている。
世の中が一旦の平和を獲得し、それらが会計を圧迫するだけの存在になり、資金を拠出している各国政府から嫌味を言われるようになってからも、ユーディトはそれを撤去することを拒み続けた。
かつては本当に「本部に住んでいる」ような人材がたくさんいて、このシャワー室もごった返したものだが、今では最低限の維持管理がされているだけで、使用者はほぼ皆無になって久しい。
備えていたユーディト本人にとっても不本意なことに、この「備え」が再び役に立つ日が来てしまった。
「……」
伝統的でやたらと装飾が多い錬金術師の装束を瞬時に外し(こういう"生活の知恵"的な魔法にかけて、古式の右に出るものはない)、人間の常識を外れた年数を生き続けてきたとは思えない幼い肢体を露わにする。
脱衣所に置かれている姿見を確認し、身体に異常がないことを確認。瑞々しい肌と薄い身体は明らかに無垢な少女のもので、加齢による特徴どころか、第二次性徴の特徴さえみられない「子供」そのものだ。
普段の彼女は高校生くらいにみられることが多いが、実のところそれさえ服装や態度、そして比較的体格が良かったことで下駄を履いた評価であり、肉体年齢で言えばせいぜい小学校を卒業したかどうか。「白人らしからぬ童顔」なのではなく、実際に幼いのだ。
――崑崙法院を例にとるまでもなく、あらゆる時代で探求されてきた「不老不死の術法」。
ユーディトは当代最高の錬金術師として、それに近いところに到達している。
「いろいろ便利だけど、こういう時踏ん張りがきかないのは困るね」
本来、彼女の幼い身体は徹夜での仕事に耐えうるようにはできていない。そこを自前の秘薬と術式でだましだまし動かしているから、時折身体をチェックする必要があった。
一方で、彼女の術式は顧傑が開発していたものとは比べ物にならない性能を持つ。少なくとも実際に老化を停止させ、彼女は既に人間の領域を超越した年数を生きてきている。常識的な「人体」としての耐用年数はとっくに過ぎているために、細かなメンテナンスは必要不可欠であった。
「うん、よし」
一通り目視で確認した後、手元に用意していた小さな薬瓶を開け、ひと呼吸おいて覚悟を決めてから中身を一気に呷る。
口内から鼻の奥までが、独特のツンとした刺激臭と酸っぱさに包まれる。
「んくっ……ぶぇ、不味っ……」
なんとか気合で薬液を飲み込み、顔をしかめる。
いわゆるエリクシール。不老不死の秘薬と伝わるが、味からしてそんなに都合の良い効果は持っていない。
世間ではレリック扱いされているうち、ユーディトが分析・製造に成功しているものの一つであるが、その効能は「不老の術式」を補助するものにとどまっている。
幼さはともかく、妖精のような美しい見た目を維持できているのは彼女の「努力」によるものであって、メンテナンスを怠れば数か月で末端から腐り始めることになる。
とはいえ、不老不死だ。黄金錬成なんかよりこちらを使って政治力を確保すればと考えるかもしれないが、これもまた多くの代償の上に存在する技術であるためおいそれと開示できないのが実情だった。
この術は利便性がある分まだいい方で、「個人や組織レベルでは何の役にも立たないが国家規模で悪用すると大変なことになる」術式を、ユーディトは山ほど死蔵していた。
「ふぅ……」
気分を切り替えるため、熱めに設定したシャワーを出し、汗を流していく。
その間も思考が止まることはなく、脳内では今後の段取りについて考察が続いている。
彼女が見た目通りの年齢だった頃、世界はまだ植民地と帝国主義の時代であり、大亜連合は「清」を名乗っていた。
古式魔法師は往々にして国際社会と繋がらずに暗く深いところに潜むものなので、ユーディトとてすべての文明とそこに根付く魔法師たちを把握できている訳ではないが、少なくとも彼女は同年代以上の「同類」には会ったことがない。
彼女の場合、不老の術式は中東系・西洋系の錬金術だけでなく西洋古式のウィッチクラフトや中華系錬丹術なども盛り込んだオリジナルの術式。
そのため、自身を世界でたった一人の「すべての世界大戦を知っている人間」と位置付けている。
彼女の魔法知識の出どころは、当時のロンドンにおける西洋魔術の秘密結社にさかのぼることができる。表の歴史ではただのカルト団体の源流扱いされているそれらは、しかし少なくとも1名の「本物」を世の中に輩出していた。
それらの団体が消滅した後、魔法の存在が表ざたになる以前から、彼女は多くの仲間や同志を見送ってきた。
彼女と民族的なルーツを同じくする国が健在だったころは、というより建国段階からいろいろと手伝ったし、その諜報機関に自ら属していた時期もある。
ありとあらゆる争いを見てきた彼女は、自ら作り上げた魔法協会ともども時代遅れの巨人となり果てていたが、少なくともその志は本物だ。
ただ、彼女は超人的な実力者ではあっても、「戦争」それ自体をどうにかするほどの能力は持ち合わせていない。
歴史上4度にわたり起こった世界大戦が、皮肉にもそれを証明していた。
「……ぼくは、また失敗したのか」
壁に手を付き、独り言ちる。
――古今東西、人類が実現してきた不老には代償がある。
ユーディトは「人」の枠組みをはみ出すにあたり、「女」であることを捧げた。
彼女の身体は初潮を迎える直前の状態で固定され、これ以上成長することがない。生理が来ないという利点もあるが、当然それは自然な生殖能力を失うという意味でもある。
これは魔術的な「生贄」であるため、科学的な手段で卵子を取り出すなどの裏切りを試みれば、彼女はその瞬間に何かしらの反動を受けることになるだろう。
血と家で魔法を継承していく魔法師にとって、魔法の探求のために次世代の可能性を食い潰すそれは本来、最悪の禁忌とされるに十分なもの。そして皮肉にも、その禁忌性と矛盾こそがユーディトを不老たらしめていた。
ユーディトもまた、本人の思想はどうあれ、顧傑や周瑜、山田と同じ「魔術使い」の系譜に属する。
その宿業だ。
普通の人間なら、あるいは魔法師なら、後のことを次世代に任せて安らかに死んでおける。というか、寿命というタイムリミットを前に、人はそうするしかない。
彼女にはそれができなかったのだ。
そういう意味で彼女もまた、過去にとらわれ続ける亡霊なのかもしれなかった。