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榊創一朗と五輪澪の婚約が世間に公表されたのは、それからさらに1ヵ月ほど経ってからのことだった。
結婚ではなく婚約という表現にとどまっているのは、澪が嫁に入ることで断絶となる五輪家の家仕舞い*1が表向きの理由となっている。
十師族が取り潰しになるのは黎明期の数字落ち乱発時代以来であり、彼らは事実上の貴族家であるため各方面への挨拶回りや抱えていた事業(利権)の引継ぎ、国防に空く穴への対処等で当面は大忙しになるのは事実だ。
だが本当のところは、澪が本腰を入れて体質改善に乗り出し、当分は入退院を繰り返すことになるためだ。
澪の虚弱体質は年々悪化しており、今では体力を付けて抗おうにも激しい運動が命に係わるところまで来てしまった。常識的な医療環境では、どうにか延命措置を続けながら加齢によってじわじわと衰弱していくのを待つしかない。
今の状態では自然分娩どころかそもそも
だが、白い地獄が本気で改善に取り組むならば話は別だ。彼らには九島光宣という前例もあり、おそらく今の世界で一番魔法師への医療措置に関する知見を有している。
人間を辞める覚悟と生への執着さえあれば多少の改善は可能であり、ゆえに今までは
医療現場で最後の最後にモノを言うのは、結局のところ本人の気力、やる気である。絶望に近い達観を常に漂わせていたこれまでの澪では施術に耐えられなかった。
――創一朗のプロポーズを受けて、澪が本気で生きる気になったから状況が好転したのである。
とはいえ施術に耐えられずショック死・衰弱死する危険性は未だ無くなった訳ではなく、白い地獄監修のもとでの体質改善(事実上の強化改造)プログラムは最大限安全重視で進められている。
こうなると九島光宣の時のような「最悪死んでも自己責任」の見切り発車は通用せず、結果として一朝一夕では改善しない。
現在の見立てでは、自分一人で日常生活を送れる「虚弱な一般人」ライン到達までで約1年。妊娠が命の危機にならなくなるのは最低でもそれから、というのが医師の見解だ。
結婚していつまでも子供ができないのもよろしくないということで、そのあたりの「準備」が整うまでの間は婚約者の立場に留め置かれることが決まっていた。
そして発表タイミングを新年にぶつけたのは、何も慶事に合わせたというだけではない。来る2096年1月には、四葉家が「重大発表」をする可能性が高いと見積もられていたためだ。
このことが検討された時点で12月も半ば、休校が明けた魔法科高校を通じて司波達也の監視を再開していた創一朗は、既に司波兄妹2人が年始の慶春会への参加を命じられていることを把握している。
そのため、創一朗たちの婚約発表は年明け早々に行われることとなった。秘密主義の四葉家の性質を考えれば、慶春会での身内への情報共有を先に行って、一般への情報伝達はそのあとになる可能性が高いと見られたためだ。
果たして目論見通り、正月1日に創一朗らの婚約報告が上がった同日、四葉家からの通達が展開されることになった。
曰く、司波深雪を四葉家の次期当主として指名する。
曰く、司波達也をその婚約者とする。
それは大方の事情通にとって予想通りの展開であり、創一朗の「原作知識」と比べて1年早い四葉継承であった。
ただし、むしろ原作では灼熱のハロウィン回りのゴタゴタで次期当主指名が1年延びた結果であるとの言及があるため、一周回って当初の予定通りのところに収まったとも言える。
ちなみに、彼らは今次大戦に際し、戦略級魔法師としてのネームバリューを優先して「四葉」姓で公表されていたが、本名は司波姓のまま通すそうだ。まあどっちで呼んでも構わないということらしい。
図らずも2組同時に行われた婚約発表を受けて、世間は概ね好意的であった。
例えば創一朗。一時は大亜連合の手に落ちかけた五輪澪を創一朗が救出し、その過程で横浜に攻め寄せた艦隊を撃滅せしめたことは、プロパガンダも兼ねて広く公開されている。
ただでさえ戦略級魔法師同士のビッグカップルで注目度が高いのもそうだが、澪が創一朗の戦略級魔法の師である事実を筆頭に、事実関係を恣意的にピッキングして邪推を働かせれば涙なしには語れない純愛の物語が
後は大手広告代理店やマスコミの抱える腕利きの
……というような女性受けは勿論のこと、「前線で大暴れして囚われの十師族の姫を救い出し、その姫と結婚する」という筋書きは英雄譚としても出来過ぎている(強いて言えば、その過程であまりにも殺し過ぎて向き不向きが分かれるくらい)。男の憧れとしても、その姿は間違いなく輝いていた。
そうして榊創一朗は「国家が作り上げた大英雄」としてプッシュされている訳だが、逆張りというか、訳知り顔の一部の層は「本当に」強いのは司波達也であると言ってはばからない。
世間の認識では重慶を消滅させた巨大な爆発よりも、文明を丸ごと押し流し1億5千万人を瓦礫の海に沈めた深淵改二、国際呼称
だが大亜連合との戦争中に用いられた中で最も破壊力が大きかった魔法は終盤に武漢を狙った
重慶ではMIRVに近い形の同時多発爆撃を、武漢では人類史上最大最強の水爆をすら上回る爆発を1発。その柔軟な威力設定でもって、「あれでも
つまり「実績上の世界最強」と「理論上の世界最強」という2つのタイトルを、
そうして「二枚看板」として押し出されることになった彼らがほぼ同時に婚約を発表したことは、「最新の英雄譚」の締めくくりとして民衆を熱狂させつつもうまい具合に個人へ話題性が集中しすぎるのを避け、彼らが
――次期当主指名と、それに伴う各種のゴタゴタを片付けた四葉真夜は、自らの居室で創一朗らの婚約発表を確認していた。
「奥様。差し出がましいようですが、本日はもう遅く――」
「葉山さん。ワインを持ってきてくださる?」
この日、真夜は慶春会のため早朝から働き通しで、既に時刻は深夜1時を回ったところ。普段から朝が遅い質の真夜とはいえ、流石にベッドに入る時間だ。
しかし彼女は執事の忠言を遮り、代わりに酒の用意を命じた。
真夜には寝酒や晩酌の習慣はないし、どころか普段はほとんど酒を飲まない。眠れないからホットワインを、という含意でもないことは、葉山には当然伝わっていた。
「……畏まりました」
葉山はいちいち銘柄やこだわりを聞き返すようなことはせず、ただ一礼して使いの者をワインセラーへ向かわせた。彼くらいになると、言葉でヒアリングしなくても主人の口ぶりや態度から求めるところを察することができるし、それができるから四葉真夜の私室に侍ることを許されている。
数分と経たないうちに、真夜の前には赤ワインのボトルとグラスが届けられた。
伝統的を踏襲して作られるこのような「天然もの」のワインは、第三次世界大戦を経た今ではもはやブランドと富裕層からの需要のおかげで存続している超高級品だ。真夜の前には比較的甘口なものが用意されている。
「……」
真夜は当然、このような上等な酒をたしなむための作法も心得ている。
心得ているが、彼女は今、そのようなまどろっこしいことを楽しめる精神状態ではなかった。
ろくに香りを取ることもせず、グラスの1/3ほどに注がれた赤黒いそれをグイと呷り、一気に飲み干す。
「んっ…………ねぇ葉山さん」
「は」
何も言わず、乱暴に飲み干したグラスにすかさず次の一杯を注ぐ葉山に対し、真夜が語り掛ける。
その口調は普段通りであったはずだが、熟練の葉山をして冷や汗を禁じ得ないほどの圧がそこには籠っていた。
「私は
「仰せのとおりに」
言いながら、それとなく部屋周辺の人払いを済ませる。
それが終わったのを見計らったように、真夜はさらにもう一杯、グラスの中身を一息に飲み干した。
「ふぅ……くふっ、ふふふ……!!」
それらの
「うふ、うふ、ふふふふふっ!! あぁおかしい! なんで?
哄笑であった。
その視線の先には、榊創一朗と五輪澪の婚約を知らせる
「わたしのことは
ドレスの裾がまくれるのも構わず、彼女は子供のように足をバタバタ動かすのをやめない。
真夜は第三次世界大戦末期、当時の中華を二分していた大国・大漢に拉致され、凌辱の限りを尽くされた過去がある。
心が壊れるのを避けるため、自らの姉による精神構造干渉を受け、生まれてからその時までの記憶を「実感」が持てないように変質させられた彼女には、しかし虚無と憎悪だけが残った。
彼女はこの残酷で理不尽な世界を呪い、憎み、それをねじ伏せ、あるいは破壊するだけの力を持ったものの出現を願った。
そして、司波達也が生まれた。
彼女の祈りが達也という魔王を生み出したのか。あるいは、彼女が何もせずとも達也は生まれていたのか。それは今となっては分からない。それぞれの「現在」があるのみだ。
「やっぱりそうよ! 魔法は世界を屈服させるんだわ!!」
だが、現実はどうだ。
マテリアル・バーストは成った。達也は真夜の望んだとおりに、世界を破壊する実力を見せつけた。
同時に、虚弱の身で、ある日親族を殺され、自分も大亜連合に拉致された、
そのことを認識して、真夜は手酌でワインを注ぎ、グラス一杯なみなみと注がれたそれを、口からこぼれた分が襟に向かって滴るのも構わず流し込んだ。
「うふふふふっ!
空のグラスをガンガンとローテーブルに叩きつける。
真夜は、泣いていた。
否、確かに笑ってもいた。
恐らくは、真夜本人にさえ、自分の心に吹き荒れるそれがどういう感情であるかわかっていなかった。
「うふっ、ふふふ、わたしにたったひとつ残った、この恨みさえ奪おうというの?」
自分の「あり得たはずの姿」を見せられるのが苦痛なのか。
憎い仇を破壊してくれた創一朗と達也が愛おしいのか。
復讐を邪魔されて怒っているのか。
復讐を果たしてくれる誰かが現れ歓迎しているのか。
恐らくは
四葉真夜の奇行は、彼女が完全に酔い潰れて意識を失うまで続いた。