欧州が数十年ぶりに地獄へと変わっていた頃、日本はようやく取り戻した平和を享受していた。
報道各局のニュースでは毎日不穏な見出しと内容が踊っていたが、欧米から見た極東戦争がそうだったように、遠くヨーロッパで起こっているという戦乱を「自分ごと」として受け取るものは日本には少ない。
本物のルーマニア貴族だという「姫」の訪日と助けを求める演説は確かに大フィーバーを起こしてこそいたが、それだってどこか遠くで起こっている戦争という「物語」を皆が共有していると言う、一種の流行に過ぎなかった。
ここ第一高校でも、やれ東EU軍が劣勢らしいだの、モスクワでテロがあっただの、多くの生徒が口々に戦争のことを語り合っていたが、その口ぶりはクラス共通の話題に興じるいつもの高校生そのもの。ルーマニアの姫君が主催しているクラウドファンディング――収益は戦後復興に使われると謳い、返礼品としてサイン色紙やら名前の読み上げサービスやらを幅広く提供している――に小遣いを注ぎ込んだ者も多くいるようだ。
「で……お前は買ったのか? "くじ"を」
「レオこそ……どうなんだい?」
そんな中、一部の男子たちは無駄に真剣な表情(デイビッド・マルティネスのアレに匹敵)でお互いに「間合い」を探り合っていた。
「あいつらは何で立ち合いみたいな雰囲気出してんの?」
エリカの立てた問いを受けて、レオや幹比古を含む普段は気やすい男子たちも総じて口ごもる。
代わりに答えたのは、エリカの背後にいつの間にかいた白巳であった。彼女は創一朗不在時の代理として、ルーマニア入りはせず第一高校の監視の方に割り振られていたが、東欧戦争への介入に際し、特選隊から情報を仕入れている。
曰く、通常の義援金企画のほかに、例の「ルーマニア姫」が主催しているチャリティーくじが存在する。
日本で宝くじを運営するメガバンクの協力で運営され、ひと口300円。ネットで簡単に購入でき、収益は全て戦後復興に充てられる。
くじの名の通り返礼品が懸賞形式になっているのが特徴で、2等までは絵はがきから名産品までありがちな品々が並んでいる訳だが、1口用意されているという1等だけが現状非公開になっており、そのくせ日本・ルーマニア両政府が「超豪華景品」を謳って積極的に宣伝している。
その結果、1等賞は今ネット配信からテレビ出演まですっかりアイドル扱いされている「ルーマニア姫」との結婚であるとか、「姫」が身体で感謝してくれるだとか、「姫」と一夜を共にできるだとか、その手の噂話がまことしやかにささやかれており。
そのせいで誰も「買った」と報告しないのに売上だけが凄まじい勢いで伸び続けるという状態に陥っているのだった。
「そもそも18禁じゃないんだから嘘に決まってんじゃないのよ」
「興味ない人が当選したらどうすんだって話だしね」
「むしろある人が引き当てちゃダメでしょ、この場合」
因みに、特選隊から内部事情を聞かされている白巳はそのあたりの内部事情を把握している。
本当のところ、1等で貰えるのは「ルーマニア大統領に日本からの寄付者を代表して叙勲してもらえる権利」であり、ルーマニア姫云々は当然、嘘だ。だが外交問題になるからと火消しにかかっている日本政府の表向きの動きとは裏腹に、男共のスケベ心に訴えかけるような噂話を煽り立てているのもまた、国防仮面を筆頭とする政府関係筋だった。
あと数か月して諸々が落ち着いた後、当の「ルーマニア姫」は軍で戦功を挙げた高位魔法師の元に嫁入りすることになる。
それは両国の友好の証――事実上、救ってもらう形のルーマニアからの貢ぎ物――であると同時に、領地や特権よりもはるかに手軽な、戦功ある魔法師への褒章の一環だった。
つまり、一連の噂話は「誰もが羨むアイドルをその手に」というストーリーを生み出すための演出だ。この場合、一般人が羨むほど褒賞としての価値が高くなる。ヒトの射幸心を煽るには、実情を別として「手が届くかもしれない」と確信させることが肝要だと仕掛け人たちは知悉していた。
「男ってヤツは本ッ当……」
ただし、白巳は裏事情まで聞かされているために、その「夢」を壊すようなことは言わなかった。
あきれ返った様子のエリカをしり目に、くじの広告戦略が成功していると把握するのみだ。
主に戦闘要員としての訓練を受けてきた白巳だが、本人の気質は案外スパイ向きかもしれなかった。
「ところで」
代わりに、自分が話しかける予定だった本来の話題を持ち出した。
「今日、一緒に帰らない?」
◆ ◆ ◆
エリカの実家は東京と川崎の境目あたり。白巳が横須賀の特戦隊本部に通う時は、途中まで同じ電車(キャビネット)を利用することが度々あった。
避難の時の武勇伝(エリカ単騎で直立戦車4台を破壊したらしい)から近所のケーキ屋の新作まで、様々な話をする。最寄りの第一高校前駅からキャビネットに乗るまで、エリカは一向に普通だった。
そしてキャビネットが発進した頃、エリカはポツリとこぼした。
「……振られちゃった」
「……」
「いや、それも違うか。あたしが半ば無理やり押し切ったのよね。元々、出陣前のお情けっていう約束で。それをあたしが勝手に期待して、当然そんなことなくて、それで勝手にダメージ食らっただけ。自爆よ自爆」
責任取れだのあたしという者がありながらだの、そういう女々しいの嫌いなのよ。
そう続けるエリカの持論は、間違いなく本心ではあったのだろう。
同時に、虚勢でもあっただけだ。
「あたしは、選ばれなかった。それだけ」
「本当に?」
白巳は慰めようとはしなかった。
代わりに、もっと根本的な問いを発した。
「エリカ、お兄から直接振られたの?」
「…………それは、言われてない、けど」
「お兄はそういうところがダメ。ムキムキのくせに思考回路が女々しい」
「あんた結構容赦ないわよね……」
エリカのツッコミにもひるまず、白巳は言葉を続けた。
「女の子のはじめてをつまみ食いしておいて何も言わずに関係を切るのは最低だと思う」
「それはそうなんだけど言い方!」
その明け透けな言いぐさに、エリカは顔を赤くする。
そして、その語気の中に「創一朗(好きな人)を悪く言ってくれるな」という成分が未だに残っていることを、白巳は見逃さなかった。
「……最低なりに、少なくとも正面から最低だって言われるべき。お兄にはけじめを付けさせる」
「それは……そう、かもしれない、けど。いいのかな」
事これに関して、エリカは完全に惚れた弱みを晒している。バッサリ切り捨てられるのが怖くて自分から確認に行けなくなる程度には。
「いい。断りも選びもしないお兄が悪い」
それは、白巳には珍しい本気の怒気だった。
「”お前も付いて来い”って、一言言ってくれれば」
「……白巳、あんたもしかして」
エリカの問いを遮るように、白巳が言葉を続ける。
「失敗して隙を見せたのは向こう、わたしも遠慮しない。この貸しを使って、お兄にお願いを一つ聞いてもらう」
お願いとは何か。
それ以前に、白巳は自分の恋を応援しているのか、それともけじめをつけて関係を清算させたいのか。
それを問いかけるより早く、白巳の視線がキャビネットの外へ動く。
そこでようやく、キャビネットが減速し始めており、駅が近いことに気が付いた。
「……貸し1のつもりだったけど、2になった」
「え」
それってどういう、と言い終える前に、エリカは言葉を打ち切って居ずまいを正す。
駅のホームに刺客が紛れ込んでいる。だが特定できない。
確かに殺気、あるいは害意を感じる一方で、それを人込みの中へ巧妙に溶け込ませる手練れの気配。
天賦の剣才を持つエリカにとって滅多に出会うことのない「格上」のそれだった。
(家まで送る)
(……ありがと)
二人は即座に、ここで分かれるべきではないこと、気づいてないふりをした方がいいこと、人目に付かないところまで誘導することを決めた。
そのままキャビネットを降り、他愛ない会話を続けている風を装って駅から出る。
このままエリカの家までつかず離れず付いてくるのなら、1人になった白巳を襲う狙いということ。
だが駅前の路地をわざと人気のない奥まった方へ移動してやると、殺気の籠ったなにものかがまんまと着いてきた。つまり、2人でいることもお構いなしで仕掛けるつもりだ。
ここに来てようやく害意の輪郭がはっきりしてくる。数は付近に3、遠巻きに5。全員が魔法師。
見たところ全員が西洋人で、直近の戦争で外国人への目が厳しくなっているこの国で尾行や拉致、工作をやらせるのに適した人選とはとても思えない。
それは隠密性をかなぐり捨てて遂行の確実性――つまり戦闘能力――を優先してきたということ。
「さーて、どこの差し金だか知らないけど……あたしは今機嫌が悪いのよ。手足の1、2本は覚悟してもらうから」
エリカは懐から得物の警棒を、白巳は何やら水筒のようなガジェットを取り出して構えると、男たちは路地の前後から挟み込むように現れる。
果たして、相手の初撃は白兵攻撃ではなく、懐から取り出された懐中電灯のような道具と、そこから放射される強烈なサイオン波であった。
「なっ……キャスト・ジャミング!?」
それは、USNA軍が極秘に開発しているアンティナイトを用いないキャスト・ジャミングだった。アンティナイトが齎すサイオンのノイズを機械的に再現し、効率よく魔法師を無力化する。
その効果にエリカたちが驚く間もなく、路地の道幅ギリギリを埋め尽くすような大型の四駆が猛スピードで突っ込んでくる。
軍用車を民間用にデチューンし、十文字家次期当主も愛用するその車両が直撃すれば、当然並みの人間は即死だろう。
魔法を封じた上での物理攻撃、武器の密輸が極端に難しい日本の市街地では最強クラスの攻撃と言ってもいい。
「ふぅん」
それを見て白巳はすっと手をかざす。
たったそれだけで、四駆は何かに衝突したように車体前方をひしゃげさせ、轟音とともに停止。
返す刀で手持ちの水筒のような機械を操作し、キャスト・ジャミングを展開している男2人に向けてひざ下あたりを横切るように動かす。
「は……!?」
「ぎゃああああっ!?」
それだけで、「ばしゅっ」という水が弾ける音とともに男たちの両膝から下が切断され、彼らは地面に「落ちる」ことになる。
この水筒にはガーネットの粉末が溶け込んだ水が入っており、白巳が持って相手に向けることで自動的に「鉄槌」が発動、先端部の穴から超高圧のウォータージェットが飛び出して敵を割断する仕組みだった。
こと、CADを必要としないレベルのサイキックにとって、キャスト・ジャミングは大きな効果をもたらさない。
それこそアンジー・シリウスに匹敵するレベルの使い手が大量のサイオンを流し込みでもしなければ、白巳たちの十八番である鉄槌を封じることは不可能だった。
「ははっ、やるぅ!」
一方のエリカも、反対側にいた1人を叩き伏せて無力化していた。
エリカの本領は剣士だ。魔法を併用した能力強化が封じられるとは言え、これまたキャスト・ジャミングであまり弱体化しない特質だったと言えるだろう。
「こいつらまともな人間じゃないわね。筋肉の付き方とかそもそもの頑丈さが人間の範疇を超えてるわ」
警棒一本で大の男を叩き伏せ、全身の骨を砕いて動かなくなるまで滅多打ちにする過程で、エリカは相手の尋常ならざる耐久性に着目した。
果たして、その答えは後続の兵士たちによって明かされることになる。
「ケヒャッ!! とんでもねぇぜこいつら!?」
「やはり、キャスト・ジャミングもまともに通用しないか……」
ラルフ・アルゴル少尉。
そして、ベンジャミン・カノープス少佐だ。
スターズの次席と3席を預かる彼らを、白巳は仮想敵の工作員リストで知っていた。