九島家は一時こそ分裂寸前となっていたが、今は情勢が落ち着いている。
家督を譲った今も影の支配者として君臨していた九島烈が急速に衰え、影響力を喪失したためだ。
「はい、持ち上げますね」
使用人2人がかりでベッドから起こされた老人が、脇に準備された車椅子へと移される。
テキパキと外套やブランケットを着せられていく様を見届けた九島光宣は、敬愛する祖父の乗った車いすのハンドルを握った。
「お爺様、今日は雪が積もっていますよ。少し見に行きませんか」
「あぁ……そうだな……」
このしわがれた老人の姿を見て、去年までの彼を知る者は同一人物だと気づかないだろう。
90歳近くになってもスーツを着こなし、自らの足で歩き、ハキハキと喋り仕事をしていた十師族のドン、九島烈。その最新の姿がこれだ。
往年の茶目っ気がありつつも各方面に厳然たる影響力を誇った姿はもうない。ここにいるのは、ただの老い先短い老翁だった。
この数か月で烈はすっかり気力を失い、今までの精力的な姿が嘘のように衰えていった。むしろ今までがおかしかったのだろう、目に見えてわかるスピードで日に日に老いさらばえていく烈は、年明けの段階で全ての役職から退き療養に入っていた。
その介護は主に家の使用人らが対応したが、彼と入れ替わるように元気になった九島光宣が一番熱心に彼の元に通った。こうして車いすを押しながら敷地を散歩する光景も、今では九島家の日常風景となっていた。
「いつもの庭園も、雪があると随分風情が増しますね」
去年の今頃、光宣は持病の体調不良で寝込んでおり、まだ元気だった烈だけが彼を心配して頻繁に見舞っていた。
光宣の「家族」は、彼を失敗作と見なして居ないものとして扱った。幼少よりそのように扱われてきた彼にとって「家族」とはそういうものであって、「大事な人」というカテゴリーは別にある。敬愛する祖父、時々様子を見に来てくれた”親戚のお姉さん”の藤林響子がそうだ。後は圧倒的な魔法力を持ち、自らの体質を改善してくれた大恩ある直属(バイト先)の上司として、榊創一朗ら白い地獄メンバーが続く。
立場が逆転し、覚醒した光宣の力を見た「家族」らが手のひらを返しても、光宣は烈への敬愛を忘れなかった。
「光宣……」
「なんですか、お爺様?」
そして、烈が一気に老け込んだのは実権を奪われたからだ、と周囲では囁かれているが、実際のところ順序が逆だ。
「軍の仕事が、辛くはないか。軍の連中に……何かひどいことをされていないか?」
「大丈夫。大丈夫ですよ。皆さん年下の僕を可愛がってくれます」
光宣が国防軍の手で改造施術を受け、それによって虚弱体質を克服したという事実は、烈が人生をかけて模索してきた”兵器としての魔法師からの脱却”に逆行するものだ。
軍の人体実験で「作り出された」魔法師である烈は、研究所で「生産」され兵器として運用される自分や同胞を「人間」にするために腐心してきた。
型番と魔法名で呼び分けられ、小銃や迫撃砲と同じ台帳で管理されていた黎明期の魔法師に「人間」を教えることが、志願して改造を受ける前は「人間」であった烈の役目と信じてきた。
第一から第十の研究所で作られていた同胞をまとめ上げ、その力を盾に政府と交渉し、文字通りイチから権利を認めさせていった。最初に勝ち取った権利は「名前を持つこと」、60年以上前の話だ。
そうして完成した「成功例」へ、研究所の番号に因んだ名が冠されることになった。時を経て陸軍の秘密研究所(現在の魔兵研)から第九研へ移管されていた烈はその全てに立ち会っていたし、そのうちの一つは自らに与えられた「九島」だった。
数字付きという概念を作ったのも、十師族という概念を作ったのも、現代魔法師としては初めて国際魔法協会に加盟したのも、あらゆる判断の裏には若き日の烈がいた。
烈は一種の「労働組合」を作ったつもりだった。政府と対等に交渉し、軍部の操り人形にならないための強力な圧力団体。それが十師族体制だと。
だが実際に出来上がったのは、軍閥貴族の集合体だ。数々の特権を抱え、時に政府や軍部の頭を飛び越えて武力を行使してしまう日本政府の頭痛の種。それが十師族体制だ。
それでも彼は、まだ若いこの制度がやがては改善していくと信じていた。
少なくともこれで、仲間や身内が兵器として使い潰されることはないと思っていた。
現実は違う。再び戦争が近付き、鉄仮面が現れ、軍部の力が多いに増した。
だが烈の失望を招いた原因はそれだけではない。
こういう時こそ協力して軍に対抗していくための十師族が、危機を前にしてなお保身と内ゲバに終始していること。
よりによって自分の内孫である光宣が、軍の施術を受けたいと自ら望んだこと。
何より光宣が虚弱であった理由が、息子の行った遺伝子改造の産物だったこと。
烈の息子である真言が光宣を「作り出す」決断をするにあたり、当然ながら父の承諾は得ていない。知っていたなら絶対に止めていた。それは地位にしがみ付こうとする愚行であって、そこまでして家の利益を守ろうとする必要などないと。
烈の息子たちが十師族としては物足りないスペックであったことを、烈は悲しまなかった。孫が同様であった時もだ。
当の子供たちは違う。実力がすべての魔法界で、「親父の七光りで十師族をやってるだけの無能」として生きることが彼らにとってどれだけの責め苦であったか。真言が、自分の子供たちの能力もまた低かったことを見届けた時、光宣を「作り出す」決断をしたのは当然の帰結であった。
烈は後天的に作り出された強化人間だから、魔法師として生まれた者たちに共通する本能を持っていなかった。
「魔法師は優れた魔法を持っているから、強力だから、有用だから特別なのだ」
それは魔法師に根付くアイデンティティであり、選民思想の根源であり、特権意識であると同時に、魔法界が未だ抜け出せない呪いでもある。二科生差別も、数字落ちも、BS魔法や超能力者への差別も、元をたどればここへ行きつくのだから。
後知恵になるが、烈が家族を思うのならば、やるべきは弱い家族にも愛情を与えることなどではなく、政治工作や師族会議のドンでもなく、愛人でもなんでも使って10人でも20人でも子供を作り、少しでも強い子を血筋に残してやることだった。烈の子は皆今一つだったが、最終的にはその血筋から光宣が産まれているのだし、何より分家筋(弟の孫)にアンジー・シリウスがいるのだから、「烈の再来」が産まれてくる可能性は十分あっただろう。貴族家としてやっていくならそこまで振り切るべきだったし、そうでないなら国家の統制に逆らうべきではなかった。
最終的に光宣という調整体が生み出された時点で、烈の心が打ち砕かれることは時間の問題だった。
なにしろ十師族の座に固執した結果行われた凶行だ。そういうことを行わせないために十師族を作ったのに。
あれだけ可愛がっていた光宣の存在そのものが、烈の理想の対極にある。最後のきっかけを作ったのは白い地獄だったが、来歴が露呈するだけでも十分烈にとって致命的であっただろう。
烈は先の極東戦争の折、臨時の師族会議に出なかったのではない。もはや出席できる気力が残っていなかったのだ。
「これからの九島家は、僕がちゃんと回していきますから。だからゆっくり休んでいいんですよ、お爺様」
烈の情が、真言の劣等感が、魔法界の歪みが、光宣という結実をここに生み出した。
そのことに真言は狂喜し、10代に戻ったかのようなはしゃぎようで光宣の覚醒を祝福している。曰く、「おまえのことは欠陥品とばかり思っていたが、実は未完成品だったのだな」。今までの冷遇を悪びれもしない一方で、その現金な態度は光宣から一定程度の評価を勝ち取っていた。
誰が口にするでもなく、光宣の次期当主就任は確定的……というか、既に九島家の魔法師たちは自然と光宣に従い始めている。
魔法師はより強い魔法師にのみ従う。
唯一「人間」であった烈が最後まで気づけなかった「本能」だ。
体質問題が解決を見た今、もはやこの怪物を縛る枷はない。
◆ ◆ ◆
日課となっている朝の散歩から戻った光宣は烈の身柄を使用人たちに預け、自らは手早く中学の制服に着替えて居間のテレビ電話を起動。
学校が始まる前の早朝にも関わらず、通話先は1コールでつながった。
「真砂だ」
簡潔に応答したのは、海軍特務”M機関”機関長、真砂大輔中将であった。
「早朝にすみません、中将閣下」
「構わんよ。むしろこの時間しか空いていなくてすまんな」
6時過ぎだというのに普通に軍服を着て執務室にいる真砂を認めて、光宣は内心だけで苦笑を漏らす。
真砂は先の極東戦争にて対魔装特選隊が大活躍したことで久々に昇進を果たし中将になった訳だが、何しろ戦闘期間が短かったため組織の再編・拡充が間に合っておらず、昇進して最初の仕事は自分の預かる組織の再編成となっている。
彼の預かる「M機関」は今まで極秘の特務機関という扱いであったが、今回の大戦果と大々的な戦略級魔法師公開という情勢変化に合わせ、国防軍魔法技術開発本部として統合軍令部直轄の機関へと大改組が行われることが決定している。
結成当初は獅童の後援のもとだった関係上海軍所属だったが、今となっては隠蔽工作が不要になったため3軍合同にした方が効率や予算の都合上効率的との判断による。
陸軍の「魔兵研」とそれに付随する「田舎者」を旧大亜連合・西安の太乙法院があった施設に移転し、海軍の白い地獄はそのまま続投。それぞれの基地は独立した実験部隊として対魔装特選隊と田舎者を運用する、という形だ。編制が完了次第、真砂中将はその本部長に就任することが内内で決まっている。
さて、陸海で異なる組織体系や運用方針の違いに苦戦している真砂に光宣がわざわざ電話をかけたのは、普段特選隊の情報回りを担当しているつかさがルーマニア入りしており不在であることと、手持ちの情報の危険度を理解していたためでもある。
「昨日、お爺様に接触を試みた不審者を捕らえました」
「ほう」
光宣の報告に、真砂は面白そうに目を細めた。
「察するに、こちらで素性を調べてほしいということか?」
だが、彼の見立てはあっさりとスカされることになる。
「あ、いえ。そこはこちらで掴んでおきました。本人はただの下っ端というか現地協力者の日本人ですが、どうやら裏にCIAがいるみたいで。本人は自覚していませんでしたが、古式魔法には「縁」や「作為」を辿れる類のものがいくらでもありますからね」
そのあたりの隠蔽は雑もいい所でしたよ、と事も無げに言ってのける姿は、彼の無邪気さと危うさをよく表していた。
「……すると、情報共有が本題か?」
「それもあるんですが……せっかく”向こう”と魔法的パスが繋がりましたから、ちょっと釘を刺しておこうかなって」
相手が北アメリカ合衆国中央情報局であると理解した上での、この言いよう。
真砂は光宣を「白い地獄」で受け入れるのに際し、『データを取りたいから軍事行動をするときは事前に申告して欲しい』と伝えていた過去の自分を心から褒めてやりたくなった。
「……実は白巳くんからも似たような報告を貰っている」
この時点で、白巳とエリカがUSNAスターズと思しき不審者を撃退してから2日ほど経過している。
山田と創一朗が帰ってきてから報復の段取りをしようと思っていた真砂は、九島光宣という戦力を加えて一瞬の間に計算し直し、告げた。
「いくらか考えがある。作戦を立てよう」
◆ ◆ ◆
USNA バージニア州ラングレー。
ここが魔法攻撃を受けるのは、実はそう珍しい話ではない。
かつてハッカーが国防総省の突破を実力の指標にしていたように、腕試し気分の古式魔法師から海外の諜報員まで様々な人間がここの情報を狙ってくる。
CIAの本部が詰める情報センターであるここは、世界最先端の諜報拠点であると同時に、世界から最も攻撃を受けやすい場所でもあるのだ。
勤める人間たちも当然それは理解していて、USNAの文化圏において戦闘に使える魔法の最高峰がスターズにスカウトされていくのと同様、情報収集や偵察、そして拠点防衛に長けた魔法の最高峰はCIAのエージェントとして雇われる。
貴重な精神干渉系や呪詛返しを対策できる術者を常駐させ魔法的ファイアウォールの構築に成功している組織は、世界でも日本の国防軍情報部と四葉家、イギリスのMI6、新ソ連のKGB、そしてCIAだけだ。因みに、3年半ほど前にこのうち米英二か国のファイアウォールをまとめてぶち破り式神を大暴れさせた伝説的な日本の古式魔法師がいるのだが、両国政府の隠蔽によりその存在は闇に葬られている。
「ア´ッ……ガァ……ッ」
「リッキー? ……リカルド!? 大丈夫!?」
ラングレーの場合、ファイアウォールの構成はかなり原始的だ。防諜等に使える術者を魔法師たちは交代で常駐し、同じく魔法師の監視の下で探知魔法やカウンターを妨害するための術式を展開し続ける。
その多くは古式の術法であるためアメリカにとってはブラックボックスであり、「使えるから使う」の域を出ているものはない。それでもアメリカは、そういうものを使いこなすのが得意だ。術者の反応に合わせてどのような事態が想定されるかマニュアル化し、対策行動を一つ残らず文章化している。
今担当のリカルドが見せている反応――突然痙攣しだして顔中の穴という穴から血を噴き出す――は、想定される中でも最悪の状況、すなわち敵からの魔法攻撃によって「焼き切られた」状態を指す。
既に監視役の同僚の手によって緊急警報が発令され、けたたましいサイレン音と非常ベルが鳴り響き、各地に存在している防護隔壁が降り、職員の避難と施設の封鎖が同時並行で行われている。
『
「一体何が起こっているの!?」
ヘッドマウントディスプレイ形式の大型CADを装着したままビクリビクリと身体を痙攣させていたリカルドが動かなくなると、唐突に施設が電源を喪失。一瞬の暗闇を経て予備電源に切り替わった。
直後、反応を喪失していたはずのリカルドが突然動き出し、同僚の腕を万力のような力で掴んだ!
「逃……ゲろ……!! お前……だけで、も……」
ずるり。
思わず後ずさった同僚だが、その肩にはリカルドの腕ががっしりと食い込んだままだ。
直後、強烈な腐臭が鼻をつく。
リカルドの身体は自然にはあり得ない速度で腐敗し、同僚が……彼女がほんの少し後ずさっただけで、骨ごと腕が
「~~っ!!」
同僚だった古式魔法師の女性は、3年半前の「事件」の時には既にCIA職員だった古株の魔法師である。
当時の惨状を知っていて、対策のために可能な限りのシステム構築を担当したから確信があった。
日本だ。あの時と同じ、だがあの時よりも強力で、悪辣な「何者か」によってステイツ
は攻撃を受けている!
「逃げなきゃ……!!」
思考が口からこぼれる中、彼女はほとんど反射で部屋を飛び出し――そこで、強烈な頭痛で動きが止まる。
「ぐっ、ぅ……」
思わず頭を押さえると、目のあたりに何かがあるのを感じる。
それは動いており、もぞもぞとした不快な感触を這わせて彼女の手元に落ちた。
それは30センチもあろうかという巨大なムカデだった。
本人にとって幸いなことに見えなかったが、それは彼女の眼孔を食い破って這い出したものだった。
正確には、遠隔の古式魔法で作り出されたムカデ型の化成体であるのだが、製作者の腕前かこだわりか、現実のそれと見まがうほどのディテールを持ったそれがうごめいている。
「は……!?」
思わず開いた口から、湧き出すようにボタボタとムカデが落ちる。
状況を理解し、遅れてやってきた絶大な不快感に絶叫がこみあげてきた時、しかし声を出すことは能わなかった。
「――っ!! ――~っ!!」
鼻。耳。目。穴という穴から、大きいもので数十センチ、小さいものでは数ミリの大量のムカデが這い出し、口にも無理やりねじ込んだようにぎっちりとムカデが存在し、頭と触角がわさわさとうごめき、落ちる。
薄れゆく意識の中で、彼女は思った。
この道を選んだ時、ベッドの上では死ねないと覚悟した。撃たれて死ぬか、刺されて死ぬか、毒を盛られるか……そういう最期が待っているのを知っていて、それでも国に尽くすと誓った。
だが、
溺れるほどの蟲の大群に喰われて死ぬ。誰がそんな最期を想像するか。
やがて皮膚からも身体を食い破ってそれらが現れ始め、彼女が倒れ込むよりも早くその身体は隙間なく魔法のムカデに覆われ、そして――
ばつんっ。ぶちっ。
彼女の身体は内側から破裂し、その代わりに現れた大量のムカデは、散り散りになって施設内全体に拡散していった。
施設内の誰もあずかり知らぬことだが。これは対象となった魔法師あるいは人間のサイオンあるいはプシオンを根こそぎ喰い尽くし化成体に変換していく古式の禁術であり、人から人へ連鎖し有効な封じ込め手段が存在しないことから日本国内でも厳重に管理されている最悪の魔法であった。
この事件はUSNA政府の隠蔽によってまたしても闇に葬られているが、この日を境にかの国の諜報能力が露骨に減じたことが記録からわかっている。
7:20 終盤部分がちぎれていたため修正。