(政府の)犬です、よろしくお願いします   作:TE勢残党

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120 地獄の七草くん家(上)

 現在の七草真由美にとって最も憂鬱な時間は、学校ではしたない女を演じている時でも、寝る前に家の行く末を案じる時間でもない。

 

 主要な家族が一堂に会する夕食の時間だ。

 

 七草家では、基本的に毎日決まった時間に家族で夕食を取る決まりになっている。門限という訳でもないが、高校生くらいまでは理由がなければ参加しておくもの、というのが家中の習いだった。

 

 元々、何かと口うるさい父がいるのでいい思い出はあまりない。と言っても、いちいち憂鬱だと感じるほどのことでもなかったはず。

 

 それがこの数週間の状況ときたら、怒声こそ飛んでこないが明らかに苛立っている様子の父、怯えて声も出せない妹たち、毎日毎日なしの礫であることを報告する自分、もう直視するのも憚られるような家の状況、打開策も改善策も誰も持ち合わせていない重苦しい沈黙……

 

「ぅっ」

 

 家に帰る。本来は心と体を休めるはずの行動を想像した瞬間、真由美は胃のあたりに鋭い痛みを感じて、思わずそれとなく胸を抑える。

 

 真由美は身長の低さに比して発育がいい、俗に言うトランジスタグラマーというやつである。

 

 制服と下着越しでもはっきりわかるくらいによく育った胸が「ぎゅむ」と押し潰されたが、いつもの小悪魔的な色気は鳴りを潜め、その姿は日々のストレスと戦う疲れたOLのようであった。

 

 例えるなら、会社が傾くレベルの炎上案件に対し、進捗がない旨を報告する担当主任。あるいは、朝礼で営業ノルマ未達を延々と詰められる社員。

 

 例えるならと言ったが、十師族はそれ自体が家族経営の企業体みたいなものだと考えると「そのもの」とも言える。何しろ今日も、彼女のターゲットであるところの司波達也は全く無反応だった。

 

 いや、無反応や迷惑がってくれるならまだ良かった。

 

 負い目も恩もあり、何より四葉家として事情を理解しているからだろう。口には出さなかったというだけで、真由美は当の達也からすら明らかに同情の混じった視線を向けられていた。

 

 それは達也にとって珍しい「人間味」であり、祝福すべき成長かもしれなかったが、同情される真由美にとっては惨めでしかなかった。

 

 それに何より。

 

(あの目……まるで養豚場の豚でも見るみたいな……)

 

 特に、達也がいない時の深雪から注がれる絶対零度の、侮蔑、嫌悪、嘲り、同情、憐憫、あらゆる巨大な感情を混ぜて煮詰めたような形容しがたい視線。真由美はアプローチを始めて以来ずっと、それに射貫かれ続けている。

 

 実は、原作では一条の婚約割り込みは全体に通達された一方、七草弘一の企みは師族会議で提起されたのみの非公式なもので、司波深雪には(薄々察しは付けられていたかもしれないが)伝わっていない。

 

 だがこの世界では、彼らの婚約と並行して十師族の解体という大事件が起こっているために、「立ち回りを判断するのに必要な情報」として本家(真夜)からの情報提供が行われている。

 

 あるいは四葉真夜による、自分の計画を邪魔しようとする七草家への嫌がらせの一環かもしれなかったが、ともかく深雪からすれば大問題だ。

 

 半ば諦めかけていた兄との婚約が叶って幸福の絶頂にいたところ、二家から立て続けに異議を申し立てられそれぞれ別の婚約者を推されている状態になる。自分に別の男が押し付けられるだけならまだ耐えられたろうが……ただでさえ普段から関りがあって本人もまんざらでもなさそうな真由美が達也に近づいてくればこうもなろう。

 

 彼女の名誉のために記しておくと、深雪は嫉妬深くはあっても狭量ではない。きちんと自分の地盤が確立した上で、ほかならぬ達也が望むならば、自分のほかに愛人を囲うことも認めるだろう。原作では実現しなかったが、例えば光井ほのか等がその席に収まる未来は十分に存在しうる。

 

 今この状態は、煮凝りのような性欲と独占欲に由来する攻撃性の全てが真由美に突き刺さっているのは、ひとえに時期が悪かったと言わざるを得ない。

 

 達也の前では「お世話になった手前どう対応したらいいか」などとかまととぶっている深雪であるが、達也の眼が届かないところ――彼の「眼」は音声までは拾えない――では明確に真由美と敵対している。

 

 当の達也が方針を明確にしていないという一点のみで直接的な行動には出ていないが、真由美が生徒会OGとして引き継ぎに訪れている時の空気と言ったら、この場ではとても描写できないような冷え切り方であった。世の中には知らない方がいいこともある。

 

「い´っ……」

 

 真由美が思い返したことで胃がさらに悲鳴を上げ、ねじ切られるような痛みで強制的に思考が中断される。

 

 極論、達也がさっさと深雪を安心させてやれば――有体に言えば、さっさと済ませるべきことを済ませてしまえば――多少なり余裕も生まれたかもしれないが、残念ながら深雪はそのあたり古式ゆかしい淑女であり、達也は達也で認識の切り替えに最低4年を要することが(原作で)確定している。そのような「必要な間違い」は起こりそうもなかった。

 

 結果として深雪は「ないとは分かっているが心変わりの可能性がゼロとは言い切れない」状態に置かれ、真由美は「実際にはゼロだが小数点以下の確率で色仕掛けが成功する」と信じ込まされ、達也は「兄妹ともどもこれまで良くしてもらった手前無下にもしづらい」。そういう地獄のようなデッドロックがこの場に生まれていた。

 

 真由美の視点から見て、司波深雪が「妹」から「婚約者」になったことには、(政治的なあれこれを抜きにすればだが)実はあまり驚きはない。

 

 本人すら気づいていなかったのかもしれないが、入学当初から深雪の達也に向ける視線は明確に「女」のそれだった。将来お兄さんと離れて大丈夫かしらと心配していたくらいである。図らずもそれは半分正しかったわけだ。

 

 そのため真由美の脳内では、今回の婚約に関しても深雪がその熱意を持って各方面を「調整」したか、もしくは最初から将来的には婚約者になることが内示されていて、それが漏れ出ていたかの二択だろうと、真由美の中に残った知性はえらく客観的に推察していた。

 

(うぅ……どうしてこんなことに……)

 

 そうして、自ら築き上げた生徒会長としての評判を自分で崩しながら、およそ勝ち目のない相手に露骨なアプローチを続ける。

 

(胃薬増やそうかしら……)

 

 このキリキリと刺すような痛みももう慣れたもの。平静を装いつつ、あまり効果がないと知りつつ縋るように飲んでいる胃薬にすべての責任を押し付ける。

 

 そうして数秒は現実から目を背けることに成功していた彼女だが、幼いころから叩き込まれてきた教育が内心を表に出させず、足取りの重さに比して表面上の振る舞いも歩くスピードも変わらない。そのため、裏門で待機している迎えの車の前まであっさりとたどり着いてしまった。

 

「…………」

 

 ほんの一瞬、周りから見て不自然にならない程度にドアを開けるのを躊躇する。

 

 常に弱っているところを見せないようにする姿勢は、なるほど上流階級としての教育の賜物であろう。

 

 今回に限って、移動時間にわずかな気のゆるみが発生したことは、大きな問題ではないはずだ。最悪のコンディションと目を離せないストレス源を考慮すれば、十分「仕方ない」の範疇と言える。

 

「んふふ、こういう時こそ油断しちゃダメですよぉ」

 

「っ! 詩さん!?」

 

 だが、彼女を取り巻く状況はそれを許さない。

 

 いつもと同じ車種、同じ車内。だが運転席に待機していたのはいつもの運転手や父の懐刀の名倉ではなく、半年以上も前に七草を見限り出て行ったはずの諜報員、風鳴詩であった。

 

 真由美がそれに気づいた……というか、詩に声をかけられた時には、既に車のドアは閉まり、どころか動き出している。

 

 怪我覚悟で飛び降りる判断が出来なかった時点で、真由美は術中だった。

 

 まだ防諜第三課が現役で七草家と内通していた頃、詩は歳の近い同性として、真由美とそれなりに親しくしていた。会話の中で彼女の経歴や実力についても良く知っている。

 

 スペック上では天と地ほど差のある2人だが、詩は真由美と違い正真正銘の戦闘員だ。それも「抜刀隊」上がりの白兵戦特化型。真由美の有する大量の手札の中に、詩の強固な空気甲冑に有効打を与えられるものはない。詩のような一芸特化型はしばしば「万能」たる七草の天敵で、だからこそ先んじて弘一が抱き込んでいたのだから。

 

 ――勝てない。

 

 身体を硬直させつつ、それでも毅然とした態度で問う。

 

「…………わたしを、粛清しに来たんですか?」

 

「えぇー? 可愛いこと言わないでくださいよぉ」

 

 詩が半笑いのわざとらしい口調なのはいつものことだが、これは本気で面白がっているようだった。

 

 そして彼女は、人の生き死にが懸かる発言を「物騒なこと」ではなく「可愛いこと」と言ってのけた。

 

 そのことに真由美が戦慄するより早く、さらに爆弾が放り込まれる。

 

「政府がその気なら風鳴詩なんていう半端な択は取らないですよぉ。一発目から鉄仮面サンが出て1秒で全員床のシミ、問題解決。私はむしろ、そうならないために動いてるんですからね?」

 

「……どういう、ことですか」

 

「ま、順を追って説明しますよぉ。家までしばらくかかりますしねぇ」

 

 車から逃げ出さなかった時点で格付けは済んでいる。

 

 真由美にできることは、大人しく話を聞くことだけだ。

 

 詩の運転する自走車は、いたっていつも通りの道順で甲州街道を新宿方面へ疾走していた。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ――真由美ちゃんも分かってるかもしれませんけど、今政府は七草家を潰そうとしてます。最後まで政府の統制にたてついてた七草家を潰すことを粛清完了のお知らせにするんですねぇ。

 

 元々、十師族を潰す構想はずっとあった訳ですけど、ほかの家がここまですんなり納得してくれたのは政府としてもうれしい誤算なんですよぉ。事前に想定された中では、九島と七草を中心とした反政府軍を結成されてそれをCIAあたりが支援しだす、みたいなケースが大真面目に想定されてたくらいには。

 

 そして、政府の想定は最初から「反乱を起こさせない」じゃなくて、「反乱が起きても力尽くで制圧する」だったんですよ。当初の計画からして「反抗する魔法師を殴ってわからせる」工程が組み込まれてるんですねぇ。

 

 だっておかしいと思いませんでした? 七草は軍にも政府にも強力なコネを持ってるトップレベルの軍閥じゃないですかあ。与党議員ともつながってる統制上最大のガンですよ、話し合いと交渉で解決できるとは思ってなかったんで……お父さんがいろんなところとコンタクト取ってるの、ずっと黙って泳がせてたんですよ。

 

 んふふ、私たち防諜第三課が裏切ったのは去年の夏、軍の情報部で大粛清があった時だと思うでしょ? どうもその3年前の段階で二重スパイ状態だったみたいですよお。って偉そうに言いましたけど、まー私も知らなかったんですけどね正直。脅されて関係切って古巣に戻ったら、今まで七草がつながってた関係先の情報全部洗われてて戦慄しましたよお。敵を騙すにはなんとやらって奴ですねえ。

 

 そういう訳で、当時から今にかけての七草家の動向はまあ筒抜けになってる訳なんですよ。なんでそんなことしてたかって言えば、裏に隠れてる非合法の組織やら国外の諜報機関やら、後ろ暗いつながりを全部一網打尽にするためってところですねー。

 

 公安が真面目に探すより、没落リーチかかってて死に物狂いな当主の方がそういうのを見つけるのも引き寄せるのも得意でしょう? 経理が急に辞めだした会社がそのうち潰れるのと同じで、情報担当がイモ引きはじめたらその組織は終わりなんですよ。

 

 あーちなみに、あなたのお父さんは九島家と同じでちゃんとCIAに目つけられてて、真由美ちゃんのやってる作戦が失敗したらアメリカに亡命するつもりらしいですよ。この期に及んで逃げ切れると思ってんでしょうかねえ?

 

 とまあ前提を理解してもらったところで、長くなっちゃいましたがこっからが本題です。

 

 まず、真由美ちゃんがこのまま何もせずに過ごした場合の、ちょっとだけ未来のお話をしましょうかあ。

 

 四葉くんたちへの嫌が……色仕掛け? 逆に聞くけど上手くいくと思ってます? すごい勢いで四葉からの心証悪くしてるんで今すぐにでもやめたほうがいいですよアレ。

 

 で、このままいった場合。作戦が予定外に遅れたりしなければ鉄仮面サン達が2月いっぱいで帰国します。上からは今年度中の決着を厳命されてますんで、今度はこっちの「問題」を解決しに動き出す。後は言わないでもわかるでしょう? 詰みです。文字通りの皆殺しになりますよ。

 

 ホイホイ使われてるからありがたみがありませんけど、対魔装特選隊は本来すべての交渉の試みが失敗した後に最終手段として振るわれる血染めの大鉈なんですよ。あれの出動は対象をすべて抹消するという意味で、出た後に交渉の余地は存在しません。あんなの国内に向けて使うもんじゃないんですよ。

 

 お、ようやくこの話にふさわしい顔色になってきましたねぇ。起ころうとしてる事態の深刻さ、分かってもらえました?

 

 じゃあ、私から提案できる真由美ちゃんの打つ手。2つです。

 

 1つ目、正直なんでこれやってないのか理解に苦しむんですけど、十文字克人さんに全部ぶちまけて庇護を乞うことです。もちろんあなたは卒業次第克人さんと結婚することになりますけど……私は克人さんと親しい訳じゃないですけど、訳アリだろうと女性に無体な扱いをするような人じゃないでしょう? いやほんと、悪い事言わないから克人さんに囲ってもらいましょうよ。

 

 十文字家は政府からの信頼がメチャクチャ厚いんで、まー大抵のわがままは通りますよ。何しろ政府には戦後の論功行賞で唯一これと言った褒賞与えられてないっていう負い目までありますんで、女の子ひとり助命するくらい簡単に通ります。

 

 これだとあなたは七草家からお嫁に行ってて無関係ってことでギリギリ押し通せる。そのまま家のことは忘れて十文字家の嫁として過ごすの、そんなに悪いアガリじゃないと思うんですよ。

 

 

 ……ええ、言いたいことは分かりますよ。このやり方だとあなた一人しか助からない。流石の十文字家でも「身内」以外は助けられませんからね。妹を説得して側室に回せるならワンチャンくらいはあるかもですけど。

 

 

 

 そこで2つ目。あなたが七草家を乗っ取って直接政府と交渉する。

 

 ああ勿論当主はあなたが殺すんですよ、後継げそうなの真由美ちゃんくらいですからねこの家。九島家がやったのと似た流れを七草でもやって、お父さんの首を政府に差し出して、いくらかの利権やリソースと引き換えに手打ちにするんです。

 

 あの狸は潔く腹を切ってくれるタマじゃないですし……家の全員、特に妹ちゃんたちを助けるとなると「当主に全責任おっかぶせて殺す」くらいしかもう手がないですねえ。逆に、ここまでやってくれるなら上を納得させられます。

 

 七草家で真由美ちゃんより戦闘力が高いかもしれないのは弘一さんと名倉さんくらいで、弘一さんは変なとこ常識的だから肉親による反逆とか想定してないでしょう、つまり毒を盛るとかの奇襲が通る。名倉さんは野心とかない仕事人タイプなんで普通に従ってくれるでしょう。覚悟さえ決められるなら、決行はそんなに難しくないんじゃないですか?

 

 一言「やる」と言ってくれるなら、全面的にサポートする用意があります。

 

 具体的には、シートバックポケットに暗殺用の毒と拳銃が入ってます。七草家に残ってる情報部の協力者との伝手も教えましょう、厨房担当の使用人までつながってます。警察の心配はしなくていいですよ、とっくに公安経由で軍に移管されてるんで。

 

 

 私はあくまで「前の勤め先の人がむごたらしく死んだらイヤだなあ」くらいの気持ちで助言しに来ただけなんで、できるのは選択肢の提示と後押しまで。何を選ぶかは真由美ちゃんの判断に任せます。座して死ぬか、自分だけ助かるか、家族のために家族を殺すか。

 

 

 

 

 で、どうします? あと10分くらいで家着きますけど。




あまりにも筆が乗りすぎた結果
まさかの上下分割となりました
引き続きお楽しみください
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