新ソ連が誇る戦略級魔法師、イーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフは、大方の予想通りここモスクワ、ソビエト連邦科学アカデミーに所在していた。
ここには、彼専用の巨大CAD「アルガン」の初号機がある。
ロシア語で「オルガン」を意味するその名は、開発当初に視察に訪れた党幹部が「パイプオルガンのようだ」と発言したことに因む。
それほど巨大になっているのは、超長距離での照準・演算を代行するためのスーパーコンピュータが搭載されているのもそうだが、カプセル状の巨大な水槽が両脇に2本立っており、これが容積の多くを占める。
水槽は縦に250センチ、横に80センチほどの円筒形で、緑がかった特殊な溶液に満たされた中に、呼吸器とヘッドセット以外には何も身に着けていない少女がすっぽりと収まっている。
彼女らは新ソ連最大の「成功例」である戦略級魔法師、イーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフのクローンだ。
ベゾブラゾフの持つ「トゥマーン・ボンバ」の習得を期待され量産された彼女たちであるが、その凄まじい生産数に比して所定の性能を発揮できた個体はおらず、調整体の不完全さとクローン技術の副作用が合わさり非常に脆弱であった。
無菌室から出られない虚弱さ、戦略級に及ばない中途半端な魔法力。しかし有効な使い道があった。
クローンであるためベゾブラゾフ本人と似た構造の魔法演算領域を持ち、「トゥマーン・ボンバ」を限定的にでも使える彼女たちは、ベゾブラゾフの魔法を補助する生体部品、「イグローク」として生まれ変わったのだ。
投薬と外科手術で意識を制御した状態でカプセルに入れ、電気的刺激で強制的に魔法演算領域を動かして魔法の行使をサポートさせる。こうしてベゾブラゾフの魔法力は大いに拡張され、現在の高速・長射程・広範囲の三拍子揃った「トゥマーン・ボンバ」が完成するに至った。
これは七草の双子やブラジルのディアス兄弟が持つような乗積魔法や、わたつみシリーズやソーサリー・ブースターが持つような魔法増幅機能の間にある発想で、単一魔法の性能を最大限引き出すためのシステムとして見た時の「アルガン」は、図らずも日本の「セイレーン」とほぼ同じ構造にたどり着いている。
「アルガン」は現在では鉄道車両サイズになって新シベリア鉄道を走り、ベゾブラゾフ共々移動可能となっているトゥマーン・ボンバ専用CADであるが、小型化に成功するまでは専らこの地下研究室で欧州各国に睨みを効かせてきた。
その中央、制御端末と個人用モニターが設けられた豪華な椅子は、戦略級魔法師だけが許される特等席だ。少なくとも、この「玉座」の主であるベゾブラゾフはそのように感じている。
核攻撃にも耐えうる大深度地下施設という立地。壁一面を埋め尽くすスーパーコンピュータ。衛星とリンクしリアルタイムに前線の映像を投影するための通信網。照準補正のためのシステム群。制御のための人員。このためだけに用意されたイグロークたち。そして、術者であるベゾブラゾフ自身。
その全てが国内最先端・最精鋭で固められたこの部屋こそが、新ソビエト連邦が誇る先進技術の結晶そのものである。
開戦に際して久しぶりにこの研究室を訪れたベゾブラゾフは、以来数週間にわたってここで寝泊まりしていた。
KGBが持ってきた情報をもとに、開戦前の段階でどこへどの順番にトゥマーン・ボンバを使うかは綿密な計画が立てられている。ベゾブラゾフの経験上、最大発動速度は180分に1発であることを織り込み、初手の1撃以来「3時間休養→次の目標へ射撃」のルーチンをひたすら繰り返してきた。
魔法演算領域は負荷がかかっても自覚症状が全くないことがあり、肝臓並みの「沈黙の臓器」であると考えられている。7体の「イグローク」は2体×3組+メンテナンス1体のシフト制で使用され、ベゾブラゾフ自身も冷却期間は可能な限り休養を取るようにしていた。自らが新ソ連の軍事力の要であるという客観的な事実を理解しているためだ。
眠気がなくとも、疲労回復用の酸素カプセルでじっと待機し次の「砲撃」時刻を待つ。
研究者として常に頭の中が思考で埋め尽くされている彼にとっては、むしろ無駄に考えを巡らせて脳を疲れさせないことの方が難しい。
もどかしい期間を終えると、再び椅子に座って魔法を発動する。攻撃場所のセッティングや機器の調整は周囲の人員が担当しており、ベゾブラゾフは自分の感覚を頼りに最後の調整をするのみだ。
「砲撃」が完了したら、用意されている軽食と専用調合のスポーツ飲料を摂取し再びカプセルへ。時折軽い運動や外の様子をモニターで伺うなどする時間が挟まるが、地下のこの研究室を出ることはない。
これは事前に計画された作戦行動の一環であり、突発的な核攻撃リスクが存在する戦時中において、最重要戦力である彼らは常時地下研究室で活動することが求められていた。
元より彼は研究者、閉じこもって延々と作業をするのが苦にならない質だ。「疎外された労働を論じた男の信奉者たる我々が随分と人間味のない生活を送っているな」と少し皮肉な気分にならないでもなかったが、少なくとも自分の行動が多大な戦果を上げているのが分かっていたこともあり、大して問題視はしていなかった。
ここまでは当初の予定通り。戦時であっても、研究室内は「重苦しい」とも「厳か」とも受け取れそうな平常運転にて推移していた。
だが日本の特殊部隊への攻撃が始まってからの研究室内は一転、いよいよ修羅場の慌ただしさが漂い始める。
「第四射終了! 続けて冷却シーケンス入ります!」
イグローク2体で増幅しているとはいえ、戦略級魔法は本来そうポンポン撃てるものではない。連射すれば搭載しているスパコンにも負荷がかかるし、準備だってすぐ終わるものではない。
「イグローク4号、5号、反応ロスト!」
本来の想定を超えるフルパワーでの四連射に耐えきれず、ついに使用しているイグローク2体がびくりと身体を大きく跳ねさせ、以来制御端末からの刺激に応答しなくなった。水槽の中が血で濁っており、よく見ると顔中の穴という穴から出血しているようだ。
とはいえ、イグロークはあくまで補助的な役割。多少手荒に扱ってもここまで劇的な反応は起こさないはずで、機械的に計算されている稼働限界まではまだかなり余裕があるはずだった。
「早すぎる……!! 第五射を畳みかけます、電気ショックで再起動! 最大出力で構いません!」
正規の手続きでは、イグロークは2体か3体ワンセットで設置され、交換する際には水槽ごと備え付けのクレーンで取り替える。その間には最低でも数分の時間を要するため、待っていてはどうしても隙ができてしまう。
一方でベゾブラゾフには確信があった。
目の前のモニター越しに映っている敵は、第三射までのように発動そのものを封じるのではなく、最後の第四射だけは個人防衛用の障壁魔法でかろうじて受け切った。
敵の防御手段が飽和している証左だ。今続けて攻撃すれば最大の脅威を撃滅できるかもしれない。それゆえ彼は、イグロークを使い潰すつもりで強引な再起動を命じたのだ。
「駄目です、反応ありません!」
「診断プログラム走りました! 脳幹反射停止、脳死と断定! これ以上の稼働は不可能です!」
だがイグロークたちはうんともすんとも動かず。彼らはここでの数十秒の会話によって、対魔装特戦隊に被害を与えうる唯一最大の好機を逃した。
「あれらはあくまで補助に過ぎません! "暗算*1"してでも!!」
「それは許可できない。攻撃を中止し、所定の手順に従ってイグロークを交換せよ。飽和攻撃の機会を捨てるのは業腹だが、それは連邦英雄である貴殿の能力を天秤にかけるに値しない」
無理にでも追い打ちの一撃を放とうとしていたベゾブラゾフを止めたのは、緊急通信で割り込んできた南方戦線司令官。すなわち対日戦のために用意された全兵力を統括・指揮している最高責任者であり、階級で言えば上級大将になる。
少将相当の権限を付与され大抵のことは独断で実施しても追及を受けないベゾブラゾフであるが、流石にこのレベルの人物からストップをかけられては従うほかになかった。
「クソ……あと一撃、あと一撃あれば……!!」
打つ手のなくなったベゾブラゾフは、椅子に座ったまま拳を強く握り、しかし数秒後には気持ちを切り替えてモニターの映像に注目する。
それまでレーダー上の大雑把な位置でしか把握できていなかった特戦隊のヘリだが、今は隠蔽に割く魔法力がなくなったためか監視衛星のカメラに補足されており、ベゾブラゾフのもとまで映像が届いていたのだ。
宇宙空間から撮っているとは思えない極めて鮮明な映像には、ヘリのドアから身を乗り出す
(やはり無傷……いえそれより、あの女性は顔立ちからして日本人ではない。とするとあれがルーマニアの戦略級ですか)
この時点でKGBは、対魔装特選隊の第一実働小隊の素性までは調べを付けられていない。分かっている限りの情報は司令部を経由してベゾブラゾフのもとにも届いていたが、とりあえず外国人はいないと聞いていたので、ベゾブラゾフは消去法でそう判断した。
その時だった。
(なんだ……急に頭痛が……)
異変は頭痛だけではない。
優れた魔法師であるベゾブラゾフには、自分の足元にびっしりと展開された魔法式のサイオン光が確かに視認できた。
「なっ!?」
その形を、内包する情報を、彼は知っている。
それは、今までさんざん敵国に打ち込んできた「トゥマーン・ボンバ」そのもの――
――ドラキュラと呼ばれている魔法師の本質は、代々ひとつの魔法を受け継ぐBS魔法師の一族だ。この魔法が魔法演算領域に常駐・待機しているために、他の魔法は使えないが、意識がある状態ならいつでも効果を発動させられる(睡眠時や気絶している時は発動できない)。
術式の名は「
大貴族の影武者として仕えていた異能者を源流とし、その能力は「直前に自分が食らった魔法を相手に強制的に使わせる」というもの。分類上は精神干渉系ということになるが、特異性と秘匿性から未だ科学的な分析は行われていない。
術中に嵌った非魔法師や低レベル魔法師は適性のない魔法を無理矢理使わされて脳が焼き切れ、高レベル魔法師なら自らの演算領域が過負荷で崩壊するまでその魔法を撃ち続けることになる*2。どちらにせよ、やがては自分の放った魔法に殺されるか、演算領域へのダメージが脳にフィードバックして顔中の穴という穴から血を吹き出して絶命するかだ。
発動条件は、「ドラキュラ本人が魔法を食らうところ、もしくは食らった後の姿(ドラキュラが受けたダメージによって猶予期間が長くなる。無傷なら数分以内、死亡した場合はドラキュラの死体だと認識できる限り)を見る」こと。条件を満たした中から発動対象を任意に選ぶことができるが、食らった魔法のせいで死亡した場合は無差別になる。
そして最も厄介なのが、「視認」の条件は
本来は犯行現場を確認しに来た犯人を呪殺する一種の呪い返しであったはずが、現代文明(ライブ配信、衛星からの監視等)と組み合わせることで大量殺戮が可能になってしまったのである。
その性質上術者本人にすら影響範囲の限界が把握できておらず、あるいは「限界が分からない」状態に敢えて留め置くことによって(推定)古式戦略級魔法として日本政府に認知されるに至った。
余談だが、カウンター型の魔法であるため、前線に出て戦う場合には「やたらサイオンを食う割にほとんど無意味・無害な魔法」をドラキュラに向けて撃つ担当の魔法師と2人組になることで、姿を見たものを片っ端から演算領域への過負荷で殺していく戦術が成立する。仲間が立ったまま顔中を血まみれにして死んでいく様は、確かに見ようによっては「串刺し」のように映るだろう。
普段から連れ立っている付き人はヨーロッパ中から探し出したそれに特化した人材であり、魔法力は大したことがないが保有するサイオン量だけは日本の十師族にも引けを取らない司波龍郎タイプの才能を持っている。
ちなみに今回、「イグローク」が想定より早く無力化されたのはドラキュラの魔法ではなく、山田の細工によるものである。
閑話休題。
かくして暴走を起こした「トゥマーン・ボンバ」により、新ソ連が誇る科学アカデミーは地下の爆発によって崩壊……はしなかった。
というのも、トゥマーン・ボンバは発動する際、霧や水蒸気、雨などの形で空間に十分な水分が必要になる。
「
魔法師のうち3名は水分不足のため魔法が定義破綻して不発、一命をとりとめる。
そしてベゾブラゾフのそれは、何分範囲がとんでもなく広くなったために兵士の持っていた水筒の中身や水道管、イグロークが入っていた水槽などを局所的に爆破してかなりの被害を出したものの、建物そのものは核爆発に耐える頑強さが幸いして崩壊までは免れた。
ベゾブラゾフ本人も生存が確認されたものの、これ以降、南方戦線へ向けてのトゥマーン・ボンバの発動は確認されていない。