2096年 3月20日。
欧州ではついこの間成立した和平合意を受けて武装解除と戦後復興が行われ、新ソ連では華々しく戦勝パレードを実施して自らのイデオロギーの優位性を喧伝している。
アメリカは条約調印以来沈黙を保っているが、日本への対抗のため実施したマイクロブラックホール生成実験に伴って何やら事故が起きたという情報もあり、あまり穏やかな情勢とは言えなそうだ。
日本ではルーマニア支援のための各種施策が完了し始め、人々は完全に日常の中へと戻っていた……と言いたいところだが、大亜連合が消失したことに伴う部品不足がいよいよ本格化しつつある。
世界経済の17~8%を占有していた大国が事実上消滅してしまったことで、一番影響が大きいのはほかならぬ日本だ。
現地法人は全て消滅、外貨建ての債権やら金融商品やらは全て紙屑になり、国外向けの需要・供給ともに激減、大亜連合の港の存在を前提にしていたシーレーンは大混乱だ。霹靂塔によって愛知の自動車工場が長期の操業停止に追い込まれたのも合わせて、GDPは前年度比で約9%下落している。
1桁%と侮るなかれ、リーマン・ショックの時でもGDP下げ幅は最大3.7%だった(諸説あり)し、何よりこの数字は戦時特需・復興特需でかなり戻した上でのものだ。下げ幅で言うと、国土が文字通り焦土化したドイツに続き(廃国になった大亜連合と東欧各国はノーカンとして)世界ワースト2位に当たる。
長期的には租借地からの収入や再編される貿易ルートによって経済回復が見込まれているものの、今破綻しかけている財界に対する補填で国はてんやわんやだ。
大亜連合は現代でも世界の工場であり続けており、自国で完結した経済圏を擁するUSNAですら経済力・生産力のかなりの部分をかの国に頼ってきた。
学者たちは今後5年から10年ほどかけてインド・ペルシア連邦や東南アジア同盟が穴埋めをし、また旧大亜連合本土が復興することである程度の経済規模は回復すると見ているが、それら再構築が終わるまで「原料価格低迷、完成品価格高騰」の波は終わらないだろう。あの日使用された戦略級魔法の威力は、間違いなく人類文明そのものに影響を及ぼしていた。
連日取引停止状態の金融業界、AEUと中間部品の争奪戦を続ける商社、需要はあるのに部品が入ってこないメーカー、経済動員から解放されたと思ったら輸送経路の再構築が必要になった運送業界……と財界は阿鼻叫喚であり、物価や品ぞろえが回復し、お菓子から家電まで便利に買い揃えられる世の中が戻って来るには当分時間がかかりそうである。
そんな中、魔法科高校を含めた国公立の教育機関は既に日常のそれに戻っている。
来年度からは大きなカリキュラム変更も見込まれているという話だが、何しろ急激な情勢変動に見舞われているためあらゆる対処に余裕がなく、詳しい状況は未だよく分からないままだ。
ただ、そういう話は生徒にとっては精々が話の種くらいでしかない。年度最後の期末考査や、実習の遅れを取り戻すための過密スケジュールへの文句、戦争を受けて変動した人間関係の再構築、去った者達を惜しむ声等と同じように消費され、「日常」の中へ消えていった。
そしてこの日。3月20日は魔法科高校の卒業式が行われる日だ。
東京・八王子に所在する第一高校も、朝から浮足立った空気に包まれている。
当初、戦争が始まった時は開催が絶望視されていた催しであるが、大方の予想を裏切って戦局は1ヵ月でほぼ終息。勝利宣言後の12月には戦後復興が指示されたことにより、最終的には予定通りに生徒たちを卒業させることに成功していた。
この日は式典だけなので半日授業だ。12時前には証書の授与や最終ホームルーム等が完了し、後の時間の使い方は各自に任される。
長らく自由登校になっていた3年生が久しぶりに学校にやって来るということで、後輩たちへ別れの挨拶をしに行く者、恩師に礼をしに行く者、打ち上げや遊びに繰り出す者、さっそく新生活の準備に走り回る者。
卒業生のほとんどが多かれ少なかれ晴れやかな空気を身にまとっている中で、例外もいる。
「なあ、真由……っ」
ほんの半年前まで、一高の中でも傑出した実力を持つとされる「三巨頭」というくくりがあった。
「おまえ、いや……っ、その、何でもないんだ、すまん」
声をかけようとした渡辺摩利は、しかしいくらか逡巡した後、結局その言葉をひっこめた。
並び立っていたはずの三巨頭は、その進路にあまりにも大きな差が生じていた。
その中では、摩利がいちばん「常識的」な進路にいる。動機(彼氏の後を追った)はともかく防衛大学進学という選択は、現代のきわめて武断に傾いた世論にとり最も理想的なキャリアと言える。
魔法師にとり今最も人手不足で、最も名誉ある職場は軍だ。予算不足により「最も待遇がいい」とは言えないのが悲しいところだったが、それでも21世紀初頭の常識では考えられないほどの速度で設備や食事、装備の充実化、そして従軍魔法師に対する種々の特権の整備が進行していた。
もう1人は、今は部活連の方に挨拶に出ている十文字克人。彼は11月の戦争で直接的に首都を守ったことで、今や日本の英雄のひとりだ。そのことを見届けて、現十文字家当主の和樹は引退を決定。克人の高校卒業をもっての当主就任が決定している。
そして代替わりに合わせる形で、克人の婚約が発表された。
お相手は、ついこの間日本でフィーバーを巻き起こしたばかりの東欧の姫、ドラキュラだ。対外的には影武者の方と結婚したことになっているが、実際に夫婦になるのは「本物」のほうということで話は付いている。
日本の首都防衛の要とルーマニア最高戦力の婚姻は、古典的ながら効果的に両国の同盟関係を表す。外交的な部分は勿論、鉄壁の十文字にカウンター型の戦略級魔法が合わさることで、実利・戦力的な部分でも各方面大満足の結果に落ち着いた。
当人たちは今のところ何度か引き合わされただけの間柄だというが、貴族家出身でそのあたりの機微がよく分かっている「姫」の方がむしろ乗り気であり、早速お互いの言語の勉強がてら克人を自分の趣味(観劇)に付き合わせて「改造」を試みていると伝わる。逞しい限りだ。
余談だが、克人は「十文字家」名義で件のチャリティーくじにかなりの金額を投じており、公正に行われた抽選で本当に1等を引き当てるという奇跡を成し遂げていたりもする。結果的に「都市伝説」が実現してしまった格好で、一部ネットやら何やらがお祭り騒ぎになったりもしたが、それはまた別の話だ。
――それらと比べて、七草真由美。
卒業式ということで久しぶりに第一高校を訪れていた彼女だが、その様子は一見して分かるほどに憔悴し始めていた。
十師族で最も社交的な家柄と言われる七草家の一員として「外面」の重要性を分からない真由美ではない。しかし髪を整え、目の隈や頬のこけ方をメイクで誤魔化しても、纏う雰囲気や表情の取り繕いには限界があった。
「ええ……ありがと……」
受け答えが明らかにかみ合っていない。まともに寝ていないことの証左だ。
しかし、彼女に降りかかっている「問題」は家に絡んだ非常にプライベートかつデリケートなもの。
「…………くそッ」
百家とはいえ末端出身で政治的なことが全く分からない摩利は、だからこそ率直な物言いで真由美のよき友人足り得た訳だが、こういう時には力になってやれない。ただ歯噛みしながら見送るだけだ。
「……」
彼女の足取りは、一応の理性を伴ったものだ。
教師陣に礼をし、OBとして生徒会に挨拶を済ませ、風紀委員の詰所に寄り、後はまだ会えていない後輩たちに声をかける。
その途中、部活連に顔を出していた十文字克人とすれ違ったが、お互い特に言葉は交わさなかった。
十文字克人は、七草真由美と同じ立場、十師族の一員である。私人としてより公人として、友としてより同僚として付き合ってきた。
彼は厳格で公正な常識人である一方で、その巌のような印象に似合わず「武人」というよりも「貴人」である。自らを優れた者、強き者と認知した上で、その力で下々の者を助け導くことを当然の義務とするノブリス・オブリージュの体現者だ。
だから、同じ「強者」である真由美に「助力」はしても、「救済」はしない。それは、自分と同じ高みに立つ者にとっては侮辱にさえ値するからだ。
真由美を心配していない訳ではない。自分にできることはないかと考えを巡らせてもいる。だが、今や克人は十文字家そのものだ。他人の米びつに手を突っ込む非礼を、彼は弁えている。
彼はそういう不器用な男であったから、真由美が自ら助けを求めてこない限り、一連の問題には中立を貫くとかなり早い段階で決めていた。
(七草……)
真由美にいくら言われても改まらなかった苗字呼びが日に日に「意味」を帯びていくのを、克人は苦々しく受け止めていた。
そうして真由美は、風紀委員が使用している準備室に到着した。
卒業式だというのに書類仕事に励んでいる働き者の、あるいはワーカホリックの後輩に、一声挨拶をしておこうと思ったからだ。
「七草先輩。いらしていたんですか」
その男子生徒は1人でいた。生徒会の仕事で忙しい妹、改め婚約者とは珍しく別行動しており、時間つぶしを兼ねて、書類仕事のできない風紀委員の先輩たちのために引継ぎ資料やら何やらを用意していたのだ。
「え、え。一高に来るのも今日で最後だもの。皆に挨拶しておこうと思って」
「そう、ですか」
真由美の言に嘘はない。
最後に別れを告げるつもりだった。
それ以上のことは望んでいなかった。
「あ、れ」
視界が霞む。頬が温かい。
自分が今泣いてるんだと分かって、他人事のように情けないと思った。
「あれ、なんでっ、こんな。違っ、そんなつもりじゃなくて」
それは逃げだ。
あるいは、甘えだ。
事態を解決に導かないと分かっている。
分かっている、のに。
「……ねえ、達也くん」
唇が勝手に言葉を紡ぐ。
離人感に包まれる中で、遠く理性が叫んでいる。
いけない。
「おねがい」
それは「彼」にとって呪いになる。
でも、もしかしたら。
もしかしたら、何もかもが、上手く――
「たすけて」
「盛り上がってるとこ悪いんだけど七草さん。それは"ナシ"だ」
答えたのは、達也ではなかった。
次話で師族解体編は終わりです。