一度決まってしまえばあっけないもので、あれよあれよと細部が詰められていき、「勝負」の日取りはそれから一週間後ということになった。
創一朗が持ち帰った情報を聞かされた政府要人と獅童尚久は、即座に創一朗に割り当てられていたすべての任務を解除し、1週間の休暇を与えた。
元より政府は、司波達也という懸案事項への対処を獅童に(非公式に)一任している。
その獅童が「此度の一件は創一朗に任せる」と言った以上、彼こそが全権大使であり、政府を代表しての交渉人であった。達也に対し勝負を仕掛けると言う判断に否はない。ただ粛々と準備が進められる。
その間、創一朗は心身を休め、英気を養うということになった。
◆ ◆ ◆
戦後、空襲を受けた地域では復興の一環として公営団地の類が大量建設されており、各地は建設ラッシュの様相を呈しているが、都内某所のこの区域はそれらと様子が異なる。
東京オフショアタワーと名付けられたハイパービルディングが4月に営業を開始したのは記憶に新しい訳だが、このような巨大建造物が作られる時は、周辺の区画整理、鉄道やバス路線の誘致、見込まれる観光客や働き口を狙ったテナントの出店など、街がまるごと再開発されるのが常である。
この一帯もその例に漏れず、東京オフショアタワー建設に合わせて行われた再開発計画により、周辺一帯が一個のメガストラクチャーとして繋がり、莫大な床面積と近未来的な外観を提供していた。
まず計画段階で、タワー自体が巨大な容積を持つホテル、オフィス、行政出先機関の複合体とされた。名だたる大企業本社の入居が決まったことで、低層階に限らず周辺一帯には通勤客や観光客目当ての巨大商業施設がこぞって出店してくることになった。
さらに、近隣の鉄道会社4社、鉄道路線3つ、地下鉄路線1つがタワー周辺に新駅を作ったり駅舎を増築するなどしてアクセス手段を整え、さらに外周部には高層マンションの建設計画がいくつも持ち上がる。
こうなるとタワー周辺の床面積はどれだけあっても足りない。何しろタワー単体で2000mもあるので、床面積も入る人数も相応だ。それに対応するだけの施設を用意するとなると、平べったく伸ばしてしまったらキロ単位で移動する羽目になる。
このあたりで、いっそ3駅とタワー自体の低層階までの部分をすべて一体化し、小型コミューター用の道路や立体交差まで飲み込んで1つの巨大構造物にしてしまおうという話が出てきた。
結果、大通りを跨ぐ形で屋根が繋がり、その上にも建物が通っているという形になり、細かな移動はAR端末によるナビゲーションと、街の独自規格で運用される超小型コミューターの自動運転、そしてAIガイドに任せるという未来都市構想にまで発展した。
通常なら天文学的に膨れ上がった予算が人々を正気に戻す所なのだが、オフショアタワーの建設に魔法を持ち込んで建設費がかなり浮いたこと、戦勝によって得た「植民地」からの実入りを公共事業に流し込もうという方針、動員が解除されて急に労働市場に溢れた働き手。それらが合体した結果、半ば荒唐無稽と言っていいこの計画は予定通りに実現してしまったのである。
オフショアタワーを囲うように4つの巨大ビル。それらの外周をぐるりと囲うコミューター専用道路。5つの建物は低層階では1つに合体していて、鉄道から降りて専用の小型コミューターに乗り換えるだけで座ったままどこへでも移動可能。基軸となる5つのビルを離れてからも小型コミューターの稼働域が放射状に設定されており、「降りて建物に入るだけ」で移動が完結する地域にはさらに広い範囲が含まれる。
今最も積極的に開発が行われている地域であり、最も人口流入の激しい土地であり、そして恐らくは最も先進的でバリアフリーの進んだ土地である。
その町の最も外周。専用コミューターの行動範囲の終点に当たる停留所は、静かな高台に建つ低層マンションのエントランスホールまで直通している。
このご時世に人間のコンシェルジュが常駐していることもあり、マンションの共有スペースというよりホテルのフロントのような雰囲気が漂っている。
取次を経て、マンション用にしては大き目なエレベーターを上がった所の1室。そのリビングに創一朗はいた。
「こうしてゆっくり休むのなんかいつぶりかなあ」
1週間の休暇中、彼は八王子や横須賀のいつもの拠点ではなく、低層マンションの1室に滞在していた。
都内だというのに広々と空間を使っているLDKは、ライトで照らさなくとも外から差し込む光で明るく、網戸越しに吹き込んでくる風がカーテンを柔らかく揺らす。
バルコニー側に置かれた、これまた高級そうなガラス細工のローテーブルと大きなソファの組み合わせ。はじめはティーセットが2人分あったが、もうずいぶん前に中身が無くなり、配備されているHAR(ホーム・オートメーション・ロボット)に下げられてしまった。
詰めれば4人くらい座れそうなソファのたっぷり半分を沈ませて創一朗はどっかりと座り、特に何をするでもなくぼんやりしている。
「ええ。私がここに住むようになって以来じゃないかしら」
その隣、ぴったりくっつくように寄り添っている五輪澪が、しなだれかかりながら感想を漏らした。
そう、この建物は創一朗の家ではなく、家と家族を失った澪が新たに居室としている部屋だった。
五輪家の令嬢としての立場も戦略級魔法師としての立場も失った彼女は、今ではただの女性としてここに住んでいる。
体質治療のための通院と生活の介助を考慮して、技術が進んでいるこの町で暮らすようになっていた。
「あなたったら、ちっともここに帰ってきてくれないんだもの」
なお、このマンションは創一朗の名義で購入されている。現在のところ婚約者である二人は、名義上同棲状態でもあった。
もっとも、澪の言う通り創一朗は任務漬けで、めったに家に帰らない状態が続いている。スケジュールに余裕がある時は創一朗は澪のもとで過ごすが、平日は八王子の家で白巳の面倒を見たり働いたり、土日には横須賀の研究所でメンテを受ける三重生活の状態だった。
創一朗は元々身の回りの荷物がやたら少ない質なので、その気になればカバン一つで引っ越すことができるから成立しているが、遠からず八王子の家は引き払い、メインの拠点は澪の家になる見通しだ。
まだ万全とは言えない澪の身の回りの世話はそのほとんどがHALに任されていたが。
「それは……スイマセン」
「敬語」
「す、すまん」
澪のジト目を受けて発言を訂正すれば、満足気な笑みで「よろしい」と言って再び甘い沈黙が流れる。
世間のイメージとは異なり、プライベートな時間の彼らの力関係は意外なほど澪の側にある。
世間的には英雄で色々な所で浮名を流すプレイボーイな創一朗だが、家の中ではむしろ、グイグイくる澪とタジタジの創一朗という感じで、付き合い始めの早い段階で彼の「メッキ」はすっかりはがれていた。
ただ創一朗自身、これを全く嫌がっていなかった。何なら仮装行列を切った異形の顔を不気味にニヤケさせてすらいる。
澪がこうしているのが、彼女なりの甘え方みたいなものと知っているのもそうだ。彼女は創一朗と出会った時から自分の車椅子を押させたり小食な自分の食べ残しを押し付けたり、愛情表現が「甘える」一辺倒で不器用だった。
まともな女性経験の少ない創一朗に「お姉さん風」を吹かせたがる澪だが、彼女は彼女で中学あたりからろくに学校にも行っていない箱入り娘。しかもかなり早い段階で妊娠が望めないと宣告されていたことで、所謂「嫁入り修行」もほとんど行われなかった。
結果として、澪は創一朗を立てるような話をするでもなく、見ようによってはふてぶてしく甘えているように見える。創一朗は創一朗で、ついこの間エリカの件を話し合ったばかり……要するに結婚前から愛人の相談をする羽目になっていた訳で。その分を補おうとするかのように澪を猫可愛がりするようになっていた。
「ねぇ」
「あぁ」
澪がすっと手を出すと、創一朗は彼女をひょいと持ち上げ、「お姫様抱っこ」の姿勢で立ち上がる。だが、この動きに澪は待ったをかけた。
「ああ、そうではなくて」
「ん?」
「あなたの上に座ってみたいわ」
創一朗は少し逡巡したが、やがて観念したようにソファに腰かけ直し、澪をその膝の間に座らせた。
「うふふ。クセになりそう」
澪は無抵抗に全体重を創一朗に預けてご満悦だ。
ほっそりした肢体と心地よい重さが創一朗に支えられる。体格差の関係で、創一朗の眼下には澪のつむじがある。上から覗き込む形で、部屋着のゆったりしたワンピースとその隙間からのぞく骨ばった身体が見えた。
「……ねえ」
「ん?」
それから数分はそのままだったわけだが、焦れるのは澪の方が早かった。
斜め上に向かって振り返るような体勢で問いかける。
「どうして手を出してこないの?」
「っ!?」
予想外の爆弾発言を受け、身体の揺れを通じて澪にも動揺が伝わる。
「澪さ、澪。まだ身体が」
「まあ、正直万全ではないわね。気を使って我慢してくれているのもわかる」
"白い地獄"による見立てでは、「虚弱な一般人レベル」までの体質改善にはまだ1年以上の時間が必要。
だが実のところ、澪自身の気力と直近数か月の治療によって、既に初対面の頃の「触れただけで壊れそうな澪」はもういない。
「詳しくは聞かないわ。あなたがどういう仕事をしてるかは知ってるつもり。それで救ってもらったもの」
治療の経過は想定を超えて順調だ。彼女は既に自分の足で歩くどころか、階段の上り下りや小走りの移動、簡単な運動くらいはこなせる体力が身につき始めている。
「あの時、エリカちゃんやジャスミンちゃんのことを許したのもそう。わたし一人の身体じゃ政府の求めるだけの子供の数と質が用意できない」
でも、と言いながら、澪は膝の間で体勢を入れ替え、膝立ちで縋りつくような形で創一朗の顔に目線を合わせた。
「死ぬかもしれないんでしょう?」
創一朗は答えなかったが、代わりに澪を抱きしめた。
もとより、休暇中に澪の元を訪れていたのはそういうことだ。
「本当はね。あなたを鎖かなにかで縛って、どこか誰も知らないところで、ずっと2人で暮らしたい」
滔々と語る姿は、その年齢に比してずいぶん幼く見えた。
「でもいいの。わたし、受け入れられるわ。遠く働きに出ていても、行く先々で他の女の子を捕まえていても、あなたが自由でいることは、わたしもうれしい」
最初は投影だった。
自分の足で歩くことすら満足にできない自分の代わりに、彼が思い切り暴れてくれたら。
「あなたが、あなたが。わたしを拾いあげたんだわ。わたしの世界であなただけが、"わたし"に価値があると言ってくれた。行動で見せてくれた」
諦観だけが人生だった。
戦略級魔法師として余計な責任や仕事ばかりが背負わされ、生まれながらに敵国の軍隊の最優先目標。
代償に虚弱な身体を押し付けられ、国防の要だ家の誉だとほめそやされはしても、本質的な部分で政治に関わることも、軍人として戦うことも許されず、ただその名声と遺伝的素質(血統因子)だけが彼女に価値を与えた。
あるいは、澪の元に訪れたのが創一朗という怪物であったのは、長年を孤独に過ごし「人間」に絶望し始めていた澪にとっては、きっと救いであった。
「あなたがいるから、この鳥かごみたいな世界でまだ生きていてもいいと思える。体質に取り殺されるまで時間を潰すだけだったわたしの未来に、辛いこと、苦しいこと、悲しいこと以外の何かがあると信じられる」
「だから。あなたのいない世界に、わたしは耐えられない。耐えたくない」
「…………」
「想ってくれるのなら、わたしを守ろうとしないで。わたしを使って。わたしを犯して。わたしを壊して。わたしにあなたを刻み付けて。この先一生、あなたがいるって、あなたがいたって、わたしが信じて生きていけるように」
「っ」
先ほどと同じお姫様抱っこ。
だが、澪の身体からは先ほどのような信頼と脱力ではなく、少しの緊張と期待が感じられた。
彼女は創一朗に向け、その顔を妖艶に歪ませた。
「優しくしないでね? 一生、覚えてたいから」