ありがとうございます。
この日は終業式で半日授業だが、特に体育会系の部活生にとっては昼から最終下校時刻までみっちりしごかれることを意味する。
今は放課後で、授業と部活の合間の時間だ。さっさと帰宅する生徒たちに混じって、校門横の守衛詰め所でヒマを潰そうとする生徒が一定数現れるのは日常風景になりつつあった。
こうして話している
「えっ!
山岳部所属の彼女は、既に登山用のスポーティな服装に着替えている。昼食ついでに着替えを済ませた後、練習開始までの時間をこうして守衛室の近くで過ごしているのだった。
そして彼女は、世間には黙っているが「三」の
彼女の両親は数字を失ったことを機に魔法師を廃業し、今は農業プラント*1の管理官として生計を立てている。一方である程度の魔法力を持ち、またかつてほど数字落ち差別が激しくなくなったことから、娘である美涼はこうして一高に通っているのだった。
「岬玲さんな。昔一緒の部隊だったことあるよ。話が面白くて、部隊のムードメーカーってやつだったな」
同じく昼休憩中の創一朗が、どこからか取り出したチョコレートバー*2を頬張りながらリアクションを返す。
その体格と顔を覆うバイザーのため女子からは怖がられがちな創一朗だったが、事あるごとに話しかけようとしてはぎこちなく引っ込んでいくエリカを筆頭に、いわゆる「刺さるところには刺さる」タイプの人気を獲得していた。
美涼のように部活で体格のいい男子を見慣れていたり、武門出身だったり、男兄弟が多かったりなど男所帯出身の女性は比較的、創一朗のようなタイプにも気さくに話しかけに行く傾向がある。
閑話休題。その美涼だが、彼女たちは既に一線を退いた身と自認しているようだが、岬家が「三咲」だった頃は同じ「三」の成功作である三矢家以上に軍との関わりが強く、その系譜は今でも美涼から見て従姉――岬玲の血筋で密かに続いている。
「そっか、軍人さんだったんだね。玲お姉ちゃんぜんぜん仕事のこと教えてくれないんだもん」
ただ、そのことは同じ一族である美涼にも伏せられているらしい。彼女の両親は、子供たちが魔法師の道に進むのは許しても、自分たちの来歴については受け継がないことを選んだようだ。役割の機密性の高さを考慮すると、家族と言えど「仕事」の部外者には一切の事情を明かさないのは当然と言える。
今でこそただの工作員に甘んじているが、全盛期――大戦中の三咲家は、日米共同で行われた大規模人体実験の
魔法の同時発動の最大化を目指した第三研の中でも、彼ら三咲の研究テーマは「同一魔法の連続・大量展開」。その命題に対するアプローチとして複数人の魔法演算領域を同調・規格化する研究を進めてきた彼らは、わたつみシリーズひいてはセイレーンや
「あ、じゃあもしかしてわたしが知らないだけでこっそり結婚してたり」
「いや、全くそういう感じはなかったな」
バッサリと切り捨てられても、美涼は愕然とするより「だよねぇ」と納得顔だったのが全てだろう。創一朗の知る限り、岬玲は典型的な職場に一人はいる「自虐がものすごく面白い行き遅れの先輩」だった。案外そういう人間が年下の親戚からは慕われるもので、玲もまた少なくとも従妹から遠慮なしに独身をイジられる程度には親戚づきあいが良好だったようである。
「きっとお兄ちゃんも似たような感じなんだろうなあ」
「? 魔法師なのに婚期逃したのか?」
「いやそっちじゃなくて。お仕事の方ですよ」
美涼の言に、創一朗がバイザーごしにピクリと反応する。
「お兄さんも何やってるか知らないのか?」
「うん。あ、お兄ちゃんは"
そして、そのような任務に当たっている人間が一族の近しい所にいることが、兄の仕事に深入りしない家族関係を誘発していたようだ。
「お兄さん、魔法大学出てるんだよな?」
「うん。大学院で修士まで取ってるよ。すっごく優秀だったんだって」
「へぇ……」
軍には玲以外の一族の人間が居ないのは本人確認済。高レベルと推定される現代魔法師の稼業を確認できていない状況は、国家として歓迎できるものではない。
その点、十師族は間違いなく統制の役に立っているが、数字落ちや古式魔法師の管理はザルな所があった。
「あの、少しよろしいでしょうか……」
十山つかさにかけあって調べてみた方がいいかもしれない、と創一朗が思索を巡らせていると、詰所に新たな来客があった。
こちらは制服姿だが、肩にエンブレムがなく美涼同様に二科生だと分かる。すらりとした体型は、しかし以前より更に鍛えられ、研ぎ澄まされて見える。
何より、竹刀袋2本をはじめとするたいへんな大荷物が目についた。
「壬生さん?」
つい2か月ほど前に「トラブル対応」をしたばかりだった創一朗は、すぐにそのことを記憶から引っ張り出す。
あの時は頭から水を被って制服が濡れて透け、今にも消え入りそうな態度だったが、今はきちんと制服を着こなし、伸びた背筋と晴れやかな表情は、間違いなく迷いを吹っ切った人間のそれだった。
「お世話になった人に、挨拶して回ってるんです。――これでお別れなので」
◆ ◆ ◆
「お兄、良かったの?」
「何が?」
その日の夜。
いつものアパートに帰っていた榊創一朗と白巳は、自室のリビングではなく、1F中央のブリーフィングルーム、そこに設置されている大型のCAD調整機器を動かしていた。
この時間は近況報告と情報共有のためのミーティングという名目になっているが、その実二人の手元にはアイスコーヒー(白巳が淹れた)の入ったコップが置かれており、なんならBGM代わりに夕方のニュース番組が垂れ流されている。
その様子は、少なくとも会話のトーンという意味では家族団らんのそれであった。
「壬生先輩。学校辞めちゃったけど」
「本人が決めたならいいんじゃないか?」
言いながら、創一朗は慣れた手つきでコンソールを操作している。ここ数年の特訓により、彼も日常的な誤差の修正くらいなら十全にCADの調整が出来る腕前を身に付けていた。
調整しているのは自分のではなく、白巳に与えられている方のシルバーホーン(大型拳銃仕様のハイエンドCAD)である。性能がいい分コードのクセも強いと言われるトーラス・シルバーの作だが、年単位でいじり回していれば慣れもする。
2人のような超能力者にとって、一系統十種までの魔法式を格納できる特化型CADは事実上、すべての実戦技を収納できるオールインワン武装だ。
身体改造によってCADなしでも0.1秒単位の早撃ちを可能としている創一朗はともかく、白巳にとってこの「銃」は、別で携帯している武装一体型CADと並んで戦闘における生命線である。それゆえ、本人のメディカルチェックも兼ねて、週に1度はこうして大型設備を使った調整が実施されるのが通例だった。
「本人も言ってたが、元々あの人の本業は剣道だ。魔法が使えるから魔法科高校に入ってただけで、やりたいことは別にある状態だった」
「いじめられるのが嫌だから逃げるんじゃないの?」
普通に会話を交わしているが、現在白巳は下着姿で測定機器に横たわっている。本人との相対距離を定義する魔法がメジャーである関係上、身体の厳密なキャリブレーションと、自分の身体地図の細かな更新は必須だ。機器のスキャンを邪魔しないようワイヤーを使用していない簡素なタンクトップとショーツ姿で、その美しい肢体を無防備に放り出していた。
「そういう面もある。例の件はもう司法が決着をつけてる話だが、そりゃ理屈だ。このまま一高に居てもあの人の居場所は無かったろう」
「ふーん」
白巳にとって、この調整が完了するまで数十分間の雑談は毎週のルーティーンになっていた。
「本人が言ってたろ。"腰を据えて考えてみた時、剣を続ける理由はすぐ出て来たけど、魔法を続ける理由は出てこなかった"って」
壬生紗耶香が1学期いっぱいでの退学と、普通科の高校への編入という選択をしたことに、創一朗が思うところはない。むしろ、収まるべきところに収まったんじゃないかとすら思っていた。
彼女の場合、魔法力が低くて二科生であることは厳然とした事実であり、エリカのように魔法剣としてうまく技術に取り入れられている訳じゃない。
挫折の仕方が派手だったが、辛うじて「学生時代のやらかし」で済まされるレベルに感謝して、魔法の道を諦めて普通の高校生になるというのは悪くない選択に見える。
――ただ、紗耶香は「諦めがついた」理由として、あの日介抱した創一朗の魔法技術を挙げた。
バケツの水などという古典的な嫌がらせを前に、自分はなすすべなくずぶ濡れになって辱められるしかなかったのに、創一朗は一瞬のうちに人払いの結界を手配し、遮音フィールドを張り、温度を上げ、水気を乾かした。
悪意ある攻撃者たちの魔法や嫌がらせではなく、自分に同情し、守るために向けられた魔法が極めて高度で、自分では一生かけても到達できそうにない精度と出力を軽々と出されたあの時。彼女はふと、尊厳を削ってまで魔法師社会にしがみつくのがバカバカしくなったのだと。
「壬生紗耶香には魔法以外にも道があったから、そっちに行っただけだ。そういう意味では、道が一つしかない俺たちより恵まれてるかもな」
魔法師は戦略資源だ。特に軍事方面に才能のある戦闘魔法師ともなれば、その才能を遺憾なく発揮し、国家の有事に活躍することが求められる。
だがそれは、国家や魔法師社会に認められるような「レベルの高い」魔法師の話。昔から、その基準に満たない低レベルな魔法師たちは、国家から無能と見なされているゆえに役目を強制されず、皮肉なことに「自由」があった。
後に海軍特務「M機関」を設立する若き日の真砂大輔は、そのことを「恥辱」と受け取り、人生を懸けて見返すことを誓った。
「三」の数字を奪われた岬家は、研究そのものの完遂を見届けないうちに魔法師の役目から降りた。
だが壬生紗耶香にとって、それは挫折ではあってもそれ以上ではなかったということだ。
「魔法以外……お兄はそういうこと考えたりしないの?」
それは白巳にとって何の気なしの問いだっただろうが、意外にも芯を食った質問だった。
創一朗は「俺は魔法以外の才能ないからなあ」と言いながら少し考えて文章を組み立てると、
「魔法師を廃業したら、きっと大したことない学校行って、大したことない会社に就職して、大したことない仕事ですら長続きせず何度か転職や休職を挟んで、大したことない給料を貰って、自分を見下してくる連中に文句を言いながら、でも改善に動けるわけでもなく、世の中と自分にうっすら絶望しながら死ぬまでその場しのぎで暮らすんだ。"普通"の"自由"な人間は、ほとんどがそうやって生きていく」
「……」
「ろくでもない仕事であれ、押し付けられた責任であれ。何にしろ"行くべき道"があるってのは特別なことで、ありがたいことだと俺は思う」
普通はそんなもん1つも持ってないんだからな、と話を結んで、創一朗はちょうどコンソールの操作を完了させる。
「ま、精々楽しくやっていこう。ほら、こんなもんだろ」
「ありがと」
調整が完了したのは、
白巳もまた対魔装特選隊に所属する戦闘員だ。創一朗には劣るにしろ、独自の戦闘手段をいくつか備えている。
「この後は"鉄槌"の練習か?」
「うん」
白巳の性能諸元は創一朗にも共有されている。
彼女には選手として九校戦に参加し、参加者以外立ち入り禁止の地域の偵察や監視を割り振る手はずになっているが、それはそれとして出場予定の「アイス・ピラーズ・ブレイク」で手を抜くつもりは微塵もないようだ。
「折角ライバルとか言われてるから」
むふー、とわざとらしく宣言して見せる白巳を見て、創一朗はしみじみと情緒の成長を感じていた。
◆ ◆ ◆
正確には、白巳が成長させたのは「対人コミュニケーション技術」である。
彼女は「鵺シリーズ」第二号成功個体。リョウメンスクナ計画に基づく魔法演算領域の処置も施されており、フルセットの改造が施された中では(創一朗除く)唯一のまともな自我と魔法力を両立した事例だった。
創一朗が「外れ値」であり再現不可能と分かった後、理論上実現可能な範囲で最も優秀だった白巳に研究は絞られ、彼女の身体は魔法力を高めるためにありとあらゆる改造措置が施されている。
外見にほとんど異形化の兆候が出ていないのは、女性なので最初から肉弾戦性能を期待されていなかったのが半分、偶然の成り行きが半分だった。眼に見える特徴は、目尻にあるピット器官と色素が抜けて銀色になった髪の毛くらいだろう。
だが内部は違う。彼女の体内には三つ子の脳がそれぞれ一部ずつ搭載されており、他機体とは異なる「サンコイチ」だった。そのことが上手く作用し、主たる魔法演算領域を生き残らせ、また相互監視によって人格の破綻が辛うじて防がれた。
――辛うじて、だ。情動を司る部分を潰して魔法演算領域を増設した司波達也同様、白巳の人格は破綻こそしなかったものの損傷した。
結果として、現在の白巳には自我と呼ばれるものが非常に希薄だった。周囲とのコミュニケーションを経験的に学ぶことで、それをなんとか補っている状態である。
ただ、自我は薄いだけであって、欲求がない訳でも、何も考えていない訳でもない。そして、唯一絶対の「成功例」として、兄のことを徹底的に叩き込まれている。
(……今日も何もされなかったな?)
彼女にも本能はあるが、強くはない。どうせなら強くて立派な男を伴侶にしたいが、彼女が教えられている「立派な人間」は創一朗ただ一人だったし、出自からしてそれ以外の男性との交流は極めて制限される。
白巳の視点から見て、創一朗は兄というよりは立派な上司、あるいは自分たちシリーズにおける最高傑作として憧れの存在だ。忌避感はなく、諸々を考慮した際に恐らく唯一子を成しても許される存在ということになる。そのことが向こう(創一朗)にも遠まわしに通知されていることは、白巳も知っていた。
彼女にも倫理観はあるが、守る気はあまりない。もとより非合法任務を前提として製造されたので、時に常識やルールは任務や目的に劣後すると知っている。そのため、創一朗から妹扱いされていることと、近親相姦が一般に悪事とされることは理解していたが、それが創一朗が手を出すのを躊躇う理由になるとは理解できていなかった。
そのため白巳は、こうして無防備にしていれば当然創一朗に襲われるなりなんなりするものと思っていたし、その時は受け入れるつもりでいたが、特に何もされることなく今に至る。
(…………?)
創一朗が自分を大切にしてくれているのは伝わっているし、だから白巳は懐いているのだが、今一つ釈然としない気持ちで彼女は服を着直した。