今年度の九校戦日程は、8月1日から12日までの12日間だ。ただし、実際の競技開始は3日からで、初日は夕方の懇親会のみ、2日目はオフである。これは遠方から来た生徒が移動の疲れで不利にならないようにという配慮であると同時に、懇親会ではしゃぎすぎて翌日体調を崩す生徒が頻繁に出ることを教訓とした対処だった。
九校戦の舞台となる富士演習場は、その名の通り普段は軍の演習場として機能しており、選手たちには士官用の高級ホテルが割り当てられる。普段からその手のVIP待遇に慣れているナンバーズの生徒たちはともかく、一般出身で九校戦選手に選ばれた者たちがすっかり恐縮しきりになってしまうのも、ある意味この時期の風物詩と言えた。
叩き上げの一般人が魔法界という社交と政治の荒波に揉まれ始める第一歩として、九校戦は重要な意義を持っている。魔法師のエリートとしてのキャリアは、実質的にはこの懇親会から始まるのだ。
そんな魔法科高校は、全国に9校散らばって存在している。小樽の第八高校や熊本の第九高校などは開幕を待たず早々に現地入りするのが通例である一方で、八王子市に所在する第一高校は開催地から一番近い(高速バスで1時間余り)こともあり、当日の朝に出発するのが基本となっている。
8月1日、午前8時。
夏休みもそろそろ中盤に入ろうかというこの日、集合した一高選手団は
「その、こういう言い方は不謹慎かもしれないのだけれど……ありがとう、白巳。あなたのおかげでお兄様が炎天下の中で立たされずに済んだわ」
バス車内。
選手を乗せた一号車とスタッフや各種機材を満載している二号車で分かれてしまい、兄と引き離されてしまった司波深雪だが、今は上機嫌で隣に座った白巳に話しかけている。
「別にいいよ。まさかホントにこうなるとは思ってなかったから」
白巳はいつもの軽い調子だが、無表情なのにどこか誇らしげに見える。実力と容姿からライバルと見なされがちな二人だが、当人同士の仲はそれほど悪いものではない。白巳からすれば監視対象の溺愛する妹ということで積極的に近づくべき要人だし、深雪はかなり早い段階で白巳のことを
つまり、その美貌が
翻って深雪の発言だが、話は数日前、終業式の前日に遡る。
その日、九校戦初出場の生徒向けに日程や注意事項などを説明するための会合が生徒会主導で行われた。
実態としては「二科生である達也と白巳に相応の実力があることを認めさせる会」に近い代物であり、達也はその場でCADをセッティングして見せ、白巳はCAD無しでのPK発動によってある程度の合意を得た訳だが、その日程説明の折、白巳は一つ布石を打っていた。
「質問いいですか?」
「構わない。何だ?」
普段この手の話は黙って聞いているタイプの白巳が手を上げたことに、幾らかの参加者は意外感を露わにしたが、もちろん初出場の1年生の疑問を解消するのがこの会の建前である。
「これ、もし初日の集合時間に遅れる人が出たらどうなるんですか?」
進行を担当していた部活連会頭・十文字克人によって発言を許可された白巳は、いつもの無表情のまま、いかにも「素朴な疑問」という風で告げた。
それは、なまじ一高生が優秀だったために今まで発生しなかった事態であり、ゆえに検討から漏れている部分だった。
「……盲点だったな」
「選手の真面目さが裏目に出たわね、確かに取り決めなしじゃいざとなってから揉めるかも」
「ではこの場で決めるべきだ。そうだな、デッドラインを定めてそれに間に合わないようなら自力で追いかけてもらう方向がいいだろう。30分でどうだろうか」
摩利と真由美が感心したように告げ、克人が場を締めつつ案を提示。いわゆる「検討漏れ」を防げさえすれば、彼らは基本的に優秀だ。
「30分は長いだろう。公共交通機関を使えば普通に追いつける、15分以上の遅れは置いて行って構わないんじゃないか」
「連絡が取れなかった時の代案も必要ね。基本は緊急連絡網とメッセージアプリでいいと思うけど」
克人によりたたき台が出たことで、それを元にしてスムーズにルール作りは進行し、最終的に「到着が15分以上遅れるのが確定したらその人物は待たずにバスを出す」という方向でまとまった。
上役である彼らは公正だ。いったんルールが敷かれてしまえば、いかに一高三巨頭とは言えそれに割り込むような真似は決してしない。
問題はルールがないときだ。彼らの存在は、たとえ本人たちがいいと言っても生徒たちに忖度を強いてしまう。体育会系の多い九校戦選手の中では猶更だ。多くの場合、理不尽な苦労というのはそうやって生まれるものである。
そして当日。案の定と言うべきなのか、当の七草真由美が家の用事で遅れるというアクシデントが発生。当初は「グッスリ寝坊していて連絡が付かない」というような事態が想定された遅刻規定は、真由美が7時半の時点でよこしてきた「恐らく1時間以上はかかる」という連絡によってその効力を発揮、選手団はルールを理由として、スムーズに出発することができたのだった。
「もしかして、こうなるのが分かっていたの?」
「……まさか。自分が朝弱いから聞いときたかっただけ」
バスの人数確認係は司波達也だった。もし白巳が質問を出さず、そのまま「遅刻者が出た場合の取り決め」が有耶無耶なままだったら、達也が律儀に炎天下の中を突っ立って待っていた可能性が高い。それを防いでくれた恩人ということで、白巳は感謝されているのだった。
「でも凄いことだよ。私も"遅刻したらどうなるんだろう"と薄々思ってはいた。でも口には出さなかったし、皆そうだったから今まで皆見落としてたんだと思う。当たり前を疑うのって中々できることじゃないよ」
会話に入ってきたのは、すぐ後ろの席で話を聞いていた雫だった。
「えー、そんな大したことじゃないよ」
実際、白巳に大した仕事をしたつもりはない。
――その提案を入れ知恵したのは、彼女の兄である創一朗だからだ。
(お兄には何が見えてたんだろう?)
白巳が九校戦メンバーに選ばれたことを知った創一朗は、その日の内に「もし達也が点呼係になったら」と条件を付けて、白巳に方策を語って聞かせていた。
「まあ、念のためな」
そう言って未来予知じみたピンポイント予測を見せた創一朗は、「あんまりこういうズルはしたくないんだけどな」とか何とかいいながら「予言」とでも言うべきアドバイスを白巳に与え、そして実際その通りのことが起こった。
白巳は何か自分の知らない情報源があるのだろうと考えを巡らせる。まさかその「情報源」が原作知識であるなどと思いつくはずもなかったが、ともかく創一朗は遠隔で達也の無駄な苦労(と、それに伴う深雪の不機嫌)を防ぐことに成功した。
内容について詳しい所は分からなかったが、白巳の中の「お兄すごいポイント」の上昇はとどまるところを知らなかった。
そして、創一朗の「予言」はこれで終わりではない。
(1個目が当たったということは――)
白巳が人知れず警戒を強めたのとほぼ同時、対向車線から不自然な魔法の兆候を感じ取る。
発生源は対向車線を猛スピードで走ってくる
このままでは数秒のうちに白巳が思い描いたコースは現実のものになり、このバスは飛び出したタンクローリーの横っ腹に突っ込んで大爆発、いくら魔法師が大量に乗っているとは言え、こうも不意を突かれては何人も生き残るまい。
どうやら白巳の隣に座る深雪も同じところまで考えが及んだらしく、すでに「どうされますか?」とアイコンタクトを送ってきていた。
「終わったら消火お願い」
「分かったわ」
「え?」
未だ状況を把握できていない雫をよそに、白巳はおもむろにシートベルトを外して立ち上がる。そのタイミングは、他の生徒がタンクローリーの挙動に気づくよりかなり早かった。
「会頭、PKで対処します」
「いいだろう、任せる。防護は必要か?」
「お願いします」
この時点で事態を把握していた十文字は、この場の指揮を自ら執ることを決め、白巳の提案を採用。
「注目!!!」
まず克人はその野太い声でパニックになりかけていた車内を一喝、無秩序に魔法が放たれる状態を防ぐ。
「あのタンクローリーには我々が対処する。これより指定された者以外の魔法の使用を禁ずる。魔法の相克を防ぐためだ」
同じ対象に複数の魔法が集中すると、魔法同士が相克を起こして上手く効果が発動しないことは一般にも広く知られている。このような緊急事態においては、あえて魔法の使用数を最小限として的確に対処することが求められる。
「榊はPKで相手の車体をどかして回避を試みろ。俺はバス自体をファランクスで防御する。市原、俺が合図したらタイヤに摩擦強化をかけてバスを止めろ。そして司波妹、対応終了後の消火を頼む」
「了解」
「承知しました」
「承りました」
PKに限れば校内でもトップクラスの威力と規模を有する白巳。鉄壁の防御力を有する克人。魔法の精密性では右に出る者がないと言われる市原鈴音。振動系の干渉力が高すぎてブリザードが暴発することのある司波深雪。こちらに向かってくる爆発物への対策に持ち出すには完璧な人選と言える。
「摩擦強化による急制動が予測される。総員対ショック姿勢! 自席でうずくまって頭を守れ!!」
訓練を受けていない人間にも伝わるようにかみ砕いた説明を付けた号令により、名指しされなかった全員が防御姿勢をとった。
次の瞬間、蛇行運転を続けていたタンクローリーがついに中央分離帯を飛び出して来た!
「市原! やれ!!」
「はい!」
克人の号令に合わせ、バスが一気に減速する。対処メンバーには既に慣性中和魔法がかかっており、つんのめることはない。
続けて白巳が、目の前に現れたタンクローリーに向けてPK――「鉄槌」を3発立て続けに発動。
第一波でタンクそのものではなく、運転席に加重をかけ、牽引する形で斜め上方向に一気に加速する。
これにより速度を増したタンクローリーはバスの前を素通りする形で飛んでいき、1秒ほどかけて十分な距離と慣性を確保した後第二波が遅延発動。運転席部分とタンクのつなぎ目部分を破断し分離。
ほぼ同時に第三波で運転席部分だけを高速道路上に引き戻し、運転席はアスファルトに叩きつけられグシャグシャになりながらも原型を留めた状態で停止したバスの目の前に着地した。
タンク部分は残った慣性で放り出され、高架になっている高速道路を飛び出し谷底へ墜落していく。
「鉄槌」はあくまで相手に加重を与えて破壊するのが主眼の魔法だ。効果範囲が視界内限定であり、その外側への干渉は時限式の遅延発動くらいが限界。既に高速で移動しており大量の運動エネルギーを抱えている燃料タンクを爆発させずに停止させるほどの技量は白巳にはなく、ゆえに爆発しても問題ない所まで吹き飛ばすのが対処法となる。
それを察知した克人は即座にファランクスの設定を切り替え、防御をバス前面から側面・底面へと張り直す。
直後、轟音と共にタンクが爆発、バスを襲った衝撃波とタンクの破片はファランクスに阻まれ、生徒たちは轟音と振動を感じるのみに終わった。
「これなら……!」
すかさず深雪が
「すごい……」
おずおずと顔を上げた雫は、その完璧な対処にただ感嘆することしかできなかった。
「……流石だな」
連絡を受けて緊急停車していた二号車で、達也は
技術スタッフとして機材と相席していた達也は、それゆえ人目を気にせず魔法を使える立場だった。持ち前の
(しかし大した反応速度だ。まるで
そこまで考えて、達也の脳内に閃きが起こる。
(いや、
わざわざ鉄仮面の妹なる人物を一高にねじ込んできたことも、あれよあれよと九校戦メンバーに内定したことも、何かと深雪の近くについていることも、国防軍の上の方が何らかの情報を持っていたとしたら全て説明が付く。
自分で思っているより大きな事案に巻き込まれている可能性がある。
そう理解した達也は己の無警戒、あるいは甘えを叱咤した。
そう、達也はいわば、何かあれば監視担当の彼ら伝いに気づけるだろうと慢心していたのだ。
それはある意味では気を許している証拠であり、良い傾向かもしれなかったが、深雪の第一のガーディアンを自認する達也にとっては認めがたい失態である。
達也はより一層気合を入れ直すことを誓い、ひとまずはシートに座り直した。
九校戦ノルマ①:なかできキャンセル――達成