ワールドエンド・クラッカー -電脳魔境戦線2075-   作:龍川芥/タツガワアクタ

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⑪ 終末侵攻

「――『アラン・キャロル』って、知ってますか?」

 

 秘密の告白のための起句として、『友達』になったアリスにそう問われ。

 今しがた己の悩みを吐露したばかりのカギヤは――。

 

「あ~~~~~!!」

「!? ど、どうしたんですか急に!?」

 

 アリスの目の前で急に奇声を上げた。

 その理由。彼の虹の目が鮮明に写すのは、今の今まで朧気だった記憶。

 

「――『レパン・ブロン』だ! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()! おまえの言った外国人っぽい名前が刺激になって!」

「! それは、つまり」

「手がかりだ! もしかしたらソイツが、アリスのログアウト機能を封印した黒幕かもしれねえ!」

 

 あの時確かに聴き、そして忘れてしまった名前。

 それをアリスの問いをきっかけとして思い出したカギヤは、また忘れてしまわぬうちにすぐに名前を検索にかける。

 情報はすぐにヒットした。

 

「レパン・ブロン……検索したらすぐ出て来たな。どっかで聞いた事ある名前だと思ったぜ。だから刺激ひとつで思い出せたんだな」

「? どういう人なんですか?」

「〈CLONE〉の開発者の1人だよ。『レパン・ブロン』は本名で性別男、年齢35歳、主な肩書は『仮想空間オブジェクト開発チーム』のリーダー……仮想空間上の物体(オブジェクト)を、現実(リアル)から分子レベルのスキャンでコピーしたりゼロから作ったりして構築する部門だな。個人としての功績はその高精度の分子レベルスキャナの発明か。チームでは〈CLONE〉のオブジェクト系のシステムから実際の初期の街・アバターとかも作ったらしい……ん? リーダーじゃなくて副リーダー? なんか情報が散ってるな。えっと、『現在はビジネスエリアにバーチャルオフィスを構えつつ講演会などに積極的に注力』……あー、確かになんかのニュースで有識者枠として顔見たかも……知名度はそれなりにあるっぽいが、研究者ってよりコメンテーター的な活動が目立つな。まあ、〈CLONE〉開発にリーダークラスで携わったんだったら、一生食うには困らないか」

 

 手当たり次第に見つけた情報を羅列するカギヤの言葉の中で、アリスはそれを聞き逃さなかった。

 

「『開発者』……『開発者権限』!」

「ああ、その辺も上手く繋がるな。まあ『開発者権限』は正式サービス開始時に全員回収されてるハズだけど……『最初から持ってない』よりは、『どうにか回収を免れた』の方がありそうだ」

 

 重要な容疑者が浮上した。

 そう判断したカギヤは、早速とばかりにフード付きの上着を翻す。

 

「よし、とりあえずコイツのオフィスに行くぞアリス!」

「は、はい!」

 

 そうやって検索で調べた目的地に向かう途中……カギヤはふと本筋を思い出して問う。

 

「ところで、おまえの隠し事って……」

「後で話します! なんかそんな空気じゃなくなっちゃったし!」

 

 そうだな、と頷くカギヤの背後で。アリスは何かを堪えるように、ぎゅっと己の胸を押さえた。

 

 

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 電脳座標B-003。

 〈CLONE〉中央広場やオアシスサイバトロニクスタワーからもほど近い、とある中華企業系列のビジネスビルの高層階に、レパン・ブロンのバーチャルオフィスはあった。彼自身は欧州出身だが、こちらの引き抜きを受けて所属を鞍替えしたらしい。

 伝統と新鋭が融合した高級感溢れる廊下の中、カギヤとアリスは閉ざされた眼前の扉を睨む。

 

「ここが……」

「ああ。表札の名前も検索で出て来たプライベートカンパニー、責任者の名前も同じ。まず間違いないな」

 

 この扉一枚隔てた先に、重要参考人――レパン・ブロンが居る。

 隠しきれない緊張の面持ちを見せるアリスの横で、カギヤは極めていつも通りの気楽さで浮遊するウィンドウをスクロールしていた。

 

「情報だとこのビルはプライベートルーム制じゃないらしい。ラッキーだぜ。これがプライベートルームだと、部屋ん中に入るのに結構苦労したかもしれねえからな」

「プライベートルーム?」

「ああ、要するに隔離空間のことだよ……現実的な扉のある地続きの部屋じゃ無くて、出入り口の無い孤立した空間にワープして出入りするやつ。ウチのアジトもそれだぜ?」

「な、なるほど。じゃあ現実と同じように考えれば良いんですね……あれ、鍵がかかってますね――」

 

 そういって現実と同じように扉に手をかけ力を入れたアリスの(アバター)を、慌てて横からカギヤが抑える。

 

「バ、バカ! ここに居るのはおまえのログアウト機能を封印(ロック)して〈電人研究会〉をけしかけた黒幕かもしれないんだぜ!? 何普通に入ろうとしてんだ!」

「そ、そうでした……!」

 

 レパン・ブロンは〈CLONE〉開発者、つまり研究者・科学者という検索結果だが、それは彼の人となりや危険度までを確定させるものではない。本人が凄腕のハッカーである可能性や、そうでなくとも護衛を雇っている可能性などを考えると、わざわざ相手に心構えの時間を与えるのは悪手であろう。

 つまり、カギヤが提案する作戦は。

 

「まずオレが先に入る。んで中に居れば本人だろうがなかろうが速攻で斬る。誰も居なけりゃ部屋ん中に何か情報が無いか漁って、場合によっちゃ待ち伏せだ。どっちにしろ、オレが呼ぶまで入ってくんなよ」

「は、はい……」

 

 アリスもそれで納得したが、ここでふと先の扉の感触を思い出した。

 開けようとしてもびくともしなかった扉。力づくなど不可能だろう電子の世界。

 

「そうだ、扉には鍵がかかってましたよカギヤさん。扉が開かなきゃ不意打ちのしようもないんじゃ――」

「『鍵』ィ? おいおいアリス、オレが誰だか忘れたか?」

「え? ……あ」

 

 ぎらり、笑うカギヤの手の中に収まるのは、光る剣の電脳兵装(プログラム・ツール)

 

型式変更(モードチェンジ)[対電脳錠(ピッキングハック)]――オレは正義のハッカー・カギヤ! オレに破れねえ鍵なんざ、この世のどこにも売っちゃいねえよ!」

 

 刀身を扉に突き刺し、捻り。

 それで施錠された扉は、いとも簡単に解錠して開いた。

 瞬間カギヤが室内に殴り込む。

 

「おら、〈CLONE〉市警だ! レパン・ブロン、居るなら出て、来い――」

 

 剣を片手に意気揚々と室内に突進した彼の威勢の良い声は……唐突にその勢いを失った。

 

「な」

「? カ、カギヤさん?」

 

 その様子に疑念と不安を覚え、言いつけを破りそろりと室内の様子を覗き込んだアリスは――棒立ちするカギヤの背の奥に広がる光景を見て、彼と同じように絶句した。

 

「え――」

 

 室内は惨憺たる有様であった。

 壁、天井、床にデスク。全てに余さず破壊の傷跡が刻まれており、揺らめくポリゴンの傷穴の間から真っ暗な虚無が顔を覗かせている。壁掛けのNFTアートも、高級そうなシャンデリアもカーペットも、全てが容赦なく抉られ台無しで。

 黒い嵐が室内で暴れ回った。そう思わせるような惨状を前に、いち早く再起動したカギヤが兵装(ツール)を構えて室内を見回す。

 ……動くものは、なかった。

 

「部屋の中には誰も居ねえ……よな。んで、これはテクスチャデータの破壊痕、か。頑丈だろうオブジェクトをここまで……専用のツールじゃないならかなりの出力だぞ。それこそ『ロキ』クラスだ」

「こ、これは一体……?」

「分からねえ。ただひとつ分かる事は……既にレパン・ブロンは、誰かに襲われた後だったって事だ」

 

 室内に入って来てしまったアリスに言及する余裕もなく、カギヤが指さした先。

 見れば景観の良いガラス張りの壁を除いた三方の中で、その壁だけは大きな損壊を免れており……代わりに犯人が書いたと思わしき文章(テキスト)が刻まれていた。

 

[偽物は裁かれた。罪は裁かれなければならない。本物の名を忘れた人の罪深きを、偽物を讃える世界の罪深きを、私は決して赦さない。]

 

 荒らされた部屋とは対照的な、不気味なほど無機質なフォント書きのメッセージ……元は英語のそれを自動翻訳で読み取ったカギヤは思わず呟く。

 

「……オレより自己顕示欲丸出しだな。流石にオレだって自分から痕跡は残さねえぜ?」

「……そんなだから有名になれないのでは?」

「うぐッ! 言ってくれるぜ、オレも次から真似しようかな……でもかなりハイリスクな行為だからなどうしようかな……。まあともかく、そう言う意味じゃ『これ』は……その辺の、身バレとかのリスクを負ってまで伝えたいメッセージ、って事なのかもな」

「リスクを負ってまで伝えたい、メッセージ……」

 

 無機質なテキストの裏に隠れた妄執を覗いてしまった気がして、ぞわり、背筋を悪寒が昇る。

 と、そんな時であった。

 ファンファーレのような謎の音楽が、唐突に室内に響き渡ったのは。

 

「!?」

 

 肩を跳ねさせ慌てて周囲を見回すアリスだったが、音の正体は。

 

「あ、ロゼから着信だ」

「もう、脅かさないでくださいよ!」

「いやこれはオレ悪くないだろ!? ったく、なんだよロゼ」

 

 着信音で責められ憮然とした表情になりつつも、とりあえずカギヤは着信に応じる。

 円形のウィンドウに映し出されたのは、アジトの応接室を背景に、可憐な顔に焦りを滲ませたロゼの姿。

 

『――カギヤ! 無事ね』

「おっおう。どしたそんな血相変えて」

『ハァ!? アンタ何を呑気に……ちょっと待って。もしかしてアレに巻き込まれてないの!?』

「は? 『アレ』?」

 

 なんだか会話が噛み合っていない。

 そんな2人の様子に疑問を覚え、思わずアリスも横から口を挟む。

 

「『アレ』って一体なんですか?」

 

 しかし、答えは帰って来なかった。

 画角に映った彼女を見て、ロゼが明らかに狼狽したからだ。

 

『――は? ア、リス? どういう――いや、でも――』

「?」「??」

 

 会話が成り立たないロゼの様子に、カギヤとアリスは目を見合わせ、共に何が何だかと疑問の表情を浮かべる。

 と、ここで画面の向こうに救世主が現れた。

 

『……ギヤ。カギヤ、今どこ?』

「Ego! オレらは今ビジネスエリアだ。で、一体何がどうなってんだ?」

 

 こちらもアジトに残っていたEgoだ。彼は性格故かそれとも元プロゲーマーの特性か、比較的冷静さを保った声音で言う。

 

『……なら大丈夫かな。えっと、一言で説明するのは難しくて……カギヤ、オアシスサイバトロニクスタワーの方見れる? 駄目ならXter(エックスター)でもtwitube(ツウィチューブ)ライブでもなんでもいいんだけど』

「なんだ? なんかおもろいニュースでも……」

「――カギヤさん」

「?」

 

 カギヤが何かを調べる前に。

 通話越しにEgoの言葉を横で聞いていたアリスは、彼の言う通りにそれを見た。

 

「なんですか、アレ」

 

 アリスが指さすのは、全面ガラス張りの壁の先――偶然にも見えたオアシスサイバトロニクスタワーの方向。

 そして、アリスの声に顔を上げたカギヤも、否応なしに『それ』を見た。

 

「な、んだありゃああああああああ――!?」

 

 果たして、そこで彼等が目にしたのは――。

 

 

◎Now Loading..._

 

 

 電脳座標A-001、オアシスサイバトロニクスタワー。

 〈CLONE(クローン)〉の有名シンボルのひとつとも言える、現実換算1010mの屋上。

 その横に、あるいは更に数m・数十m上に、彼等は居た。

 

「こちらC班、配置についた!」

「E班現着、対象を目視で確認!」

「兵装使用許可は出ているぞ、全員遠距離ツールを構えろ!」

 

 高度1000m以上の空にて回遊魚の如く群れを成すのは、白い装甲車じみた電脳の乗り物。

 乗車定員一台10名、強力な電脳防壁(ファイアウォール)とシステムによる飛行機能を車体に内蔵し、陸でも空でも迅速に駆ける、いわば電脳警察(ホワイトハッカー)専用のパトカーである。

 そんな装甲車の窓から、屋根から、背面ドアを開いて荷台から。無数の銃口が、眼下の屋上に向いて伸びている。

 

「A班からF班、総員配置完了! いつでも撃てます!」

「交通規制完了、ファストトラベル禁止区域指定完了!」

「よし! 敵電脳犯罪者(クラッカー)は数1、敵兵装は『ロキ』のものと推定される! 既に味方にも被害が出ている、絶対に先走るなよ!」

 

 電脳世界の警察、仮想の国の正義の守り人。この場に集まったのは100か200か、それ以上か。

 その包囲網の中心、銃口が例外なく睨むのは――眼下にて立つたった1人の少女の(アバター)

 

 西洋人形じみて可憐な横顔であった。

 白磁の肌に、緩くウェーブした金の長髪。電脳の海を思わせる大きな青い瞳は、片側が罅割れたような穴に呑まれて、本来あったハズの美を失っている。

 黒い霧にも見える不定形の黒をその身に纏い、白服のアバターが死屍累々と倒れる中に1人立つその少女こそが……電脳警察(ホワイトハッカー)たちが全力で包囲し警戒する、孤立無援の電脳犯罪者(クラッカー)その人であった。

 

『……』

 

 彼女の欠けた視線が見やる先。

 赤いパトライトを夜天にて振り回す装甲車の一台が、ゆっくりと後部ハッチを開く。

 

「隊長、包囲完了しました」

「よし」

 

 軍用輸送機の貨物室にも似た仕組みの荷台に立っていたのは、電脳警察(ホワイトハッカー)部隊の隊長、黒が混じった白色の毛並みを持つ人狼じみた異形の人型であった。

 彼は片手にて拡声器アプリを起動させ、軍用犬もかくやの威圧感を放つ顔を更に厳めしく歪めて叫ぶ。

 

「そこの電脳犯罪者(クラッカー)よ、貴様は包囲されている! 大人しく投降しなければデータの安全の保証はしない!」

 

 犬の顔で放たれた人語の警告は、自動翻訳機能を通して確実に少女の耳まで届いたハズであった。

 しかしその欠けた貌は恐れる様子など微塵も見せず、ぽつり視線の先へ問いかける。

 

『……オマエは、』

兵装(ツール)を消し手を頭の後ろに組んで腹ばいになれ! 今直ぐだ!」

『「アラン・キャロル」を、』

「どうした! 早くその黒い兵装(ツール)を消せ!」

『知ッテいるか』

「――警告無視! 総員、撃て!!」

 

 聞く耳も持たず。

 少女を包囲していた100を超える数の銃口が、一斉に電子の火を噴いた。

 迫るは全方位からの稲妻の弾丸、その群れ。

 そんな無数の脅威から少女を庇うのは、彼女が侍らせる不定形の黒。

 漆黒は指先ひとつで主の意を酌み、弾丸が到達するまでの刹那で変形しドーム状の特火点(トーチカ)となる――。

 

 弾丸、着弾。

 半球の黒壁が苦しむように波打つ。

 殺到する無数の弾は、その実一様の攻撃ではない。

 弾丸に込められた(ウイルス)は大きく分けて三種。電脳防壁(ファイアウォール)の脆弱性を突きアバターを狙うウイルスと、防壁自体にダメージを与えることを目的としたウイルス、そして両方の役割を持つ負荷系のウイルス。

 細かく分類すれば20は軽く超えるだろう種類のウイルスは、相手がどんな防壁を使っていたとしても物量で押し潰す。

 

 そのはずであった。

 

『……"適応"。"適応"、"適応"……』

 

 雨粒を受けた水溜りのように、無数の波紋が黒い特火点(トーチカ)に浮かんでは消える。

 しかし弾丸は、どれ一つとして黒い壁の内に通ってはいない。寧ろ着弾のはび激しく波打っていた波紋は、段々と小さく大人しくなり。

 

『――"墜とせ"、〈B-I:Fenrir(フェンリル)

 

 瞬間。

 爆発するように伸びた一条の黒が、浮遊する白い車体のひとつに喰らい付いた。それは急速に体積を膨張させた黒いプログラムの動き。

 蛇のようであった。触手を思わせる動きだった。

 濁流が枯れ木を喰い破るように車体の横腹が貫かれ、中に居たホワイトハッカーがもれなく体を抉られ墜ちた。

 

「な、なに――!?」

 

 すぐ横の飛行車が瞬きの間に撃墜され、隊長はその人狼の目を驚愕に見開く。

 だが、反撃はその程度では終わらない。

 

"次"

 

 新たな腕が数十mの距離を一瞬で跳躍し、先とは異なる車体を貫く。

 内蔵された電脳防壁(ファイアウォール)も、ホワイトハッカーの内部防壁(インナーウォール)も紙切れのように引き裂かれる。

 

"次"

 

 また巨大なる蛇の首が空をのたうち、二機が同時に落とされる。

 既に弾丸は、黒い怪物の肌に波紋ひとつ立てられなくなっていた。

 

『……』

 

 そんな黒い電脳怪獣(モンスター・プログラム)の中。文字列(コード)でできた鉄壁の巨体に守られながら、少女は欠けた顔で周囲を見回す。

 向けられた銃口。恐怖。

 

『グうっ……』

 

 思わず顔を顰め、傷を庇うように横腹を押さえる。

 黒い怪物の表皮に何の痛痒も与えられない銃弾が少女を穿ったのか。否。それは記憶を呼び覚ます引き金(トリガー)になったに過ぎない。

 痛み。死の恐怖。憎しみ。恨み。

 我が現実ならぬ、怒り。

 

『私ヲ撃つ……盗人、簒奪者、偽物どモが……! 貴様ラも、貴様ラが蔓延ルこンナ世界も、この名にかけて赦シテはおけナい……!』

 

 怨嗟は炎を吐くように。

 少女は電脳の世界に呪詛を吐く。

 

『さア……始マリから間違えタ世界よ、滅び去ル時だ……!』

 

 そうして彼女は、強く唱えた。

 

『……"大きく""世界を呑む程に、巨きく""変われ"……!』

 

 ――さあ、目覚めよ終焉の獣。

 神の仔にして復讐の化身よ。

 体は亡く、心は無く、しかして滾るは仮想の怒り。

 我等は共に機構へと堕ち、世界という機構を駆逐せん。

 侵攻せよ――B-I:Fenrir(ビーストワン:フェンリル)〉!!

 

 闇が、噴火した。

 そうとしか見えぬ、爆発じみた変貌であった。

 恐らくオアシスサイバトロニクスタワー、1010m下の地上からでも見て取れただろう。

 天を突かんと噴き上がった闇の高さは50mか、それとも100mにもなるか。

 黒い噴煙のようだったそれが……揺れ、蠢き、確かな輪郭を形作っていく。

 

 巨大な牙がずらりと並んだ巨大な(あぎと)

 両腕はビルかと見紛うほど太く、爪は牙以上の巨大さで凶悪に踊る。

 体の色はやはり漆黒。下半身は無く、癒着したオアシスサイバトロニクスタワーそのものが半身であるかのよう。

 

「な、なんだこの規模は……!!」

 

 数多の驚愕、恐怖、戦慄の声を向けられながら、その怪物は完成を迎え。

 ぎろり。

 血色に濁ったその隻眼の中に収まって、虫食いの少女は怨敵を睨む。

 

 目が。巨大な眼と目が、合い――。

 

「退避だッ、今直ぐ!!」

「は、はい!」

 

 滅びの巨獣が、腕を薙いだ。

 それは竜巻にも劣らぬ黒色の災害であった。

 爪に裂かれ、腕に潰され、白い飛行車が最初の一回で10は墜ちる。最早巨獣にとって、電脳警察(ホワイトハッカー)など群がる羽虫と同じであると、その光景が証明していた。

 

 そんな災害級の一撃を辛うじて躱し距離を取る車体の中で、隊長の男は山のような巨体を見上げる。ありえん、と口の端から言葉が漏れた。

 

「(電脳兵装(プログラム・ツール)は効果範囲に比例して大量の演算領域を必要とする筈だ! こんなのはありえない……少なくとも、決して個人が有する演算領域で可能な真似ではない! 巨大な電脳犯罪者(クラッカー)組織――〈Lag-na-røk(ラグナロク)〉や〈Gold/ash(ゴールド・アッシュ)〉でもまず不可能、サイズだけ見ると『ラガンダム』なら可能かもしれないが、オブジェクトを操っているだけの奴と違いコイツは全身が兵装だぞ……!? 一体コイツは何者だ、どんな手口であればこんな事が可能なのだ……!?)」

 

 〈CLONE〉サービス開始初日からずっと電脳警察(ホワイトハッカー)としてやってきた、そんな彼でさえ目の前の現象を理解できない。

 ただひとつだけ分かる事は……目の前の存在が、見たこともない未曾有の脅威であるということだけ。

 また怪物が手を振り回す。逃げ遅れた飛行車が紙のように引き裂かれ撃墜される。飛行車に搭載された最新の強固な電脳防壁(ファイアウォール)でこれなのだ、最早あの爪を防げるものは、この世界に存在するかどうか。

 

「クソ、あんなのがビジネスエリアで暴れ回ったらどれ程の損害が……何億ドル、何兆ドル? 考えたくも無い……いや、最早事態はそんなレベルではない……!」

 

 ぎり、と犬の顎を噛み鳴らした彼は、電脳警察(ホワイトハッカー)専用の通話アプリを開きその場の全員に通達する。

 

「――俺だ! 状況は見ての通り最悪だが、これ以上最悪にする訳にもいかん! とりあえず生き残った者は充分に距離を取り、生存を第一に奴の気を引け! どんな兵装(ツール)の使用も許可する! やられた者の再ログインを急がせろ、非番の隊員も全員呼べ! 『白影隊(ホワイトアウト)』のクソッタレ共にも即刻出動命令を! 異常事態だがやる事はいつも通りだ……我々に失うものはない、故に失うデータのある一般ユーザーたちの盾になって死ね!」

 

 そこで通話を切り、彼は再び敵を睨む。

 電脳警察(ホワイトハッカー)の隊長として数々の電脳犯罪者(クラッカー)を見て来た。無数の事件を解決してきた。

 その勘が言っている。

 

「このままでは〈CLONE〉が――世界が終わるぞ……!!」

 

 慄く彼の視線の先で。

 強大凶悪なる電脳の復讐機構は、天を裂くような産声を上げた。

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