ワールドエンド・クラッカー -電脳魔境戦線2075- 作:龍川芥/タツガワアクタ
「な、んだありゃああああああああ――!?」
――オアシスサイバトロニクスタワーの屋上にて暗黒が噴火したと思ったら、それが巨大な怪物となり暴れ出した。
そんな世界の終わりみたいな光景を窓越しに目の当たりにしたカギヤは、しかし何かに気付いてすぐにカメラアプリのズーム機能で怪物の姿の細部を確認する。
白い
「アレ、まさか〈電人研究会〉が使ってた『ロキ』の自己進化型プログラムか……!? 同じものがあるのには驚かねえが、あんなサイズ一体どうやって――」
「カギヤさん!」
「へ」
望遠に夢中になっていたカギヤの意識を、アリスの叫びが呼び戻す。
瞬間、ふっと視界に影が差し――見れば、装甲を破られた白い飛行車が、コントロールを失いこちら目掛けて落下してくる所だった。
「うおおおおおお!?」
ガラス壁をぶち破り室内に墜落した飛行車を、間一髪飛び退いて躱したカギヤ。一瞬でも気付くのが遅れて居たら、その車体と床の間で押し潰されていただろう。
勢いのまま床に転がったカギヤは、同じく穴の開いた飛行車から弾き出され床に打ち付けられたアバターの通信ウィンドウから、かすかに漏れる声を聴いた。
『――だ! 状況は、最悪……これ以上最悪にする訳にも……! 、生き残った者は充分に距離を取り、生存を第一に奴の気を……! どんな
倒れた白い服のホワイトハッカーが動く素振りを見せた瞬間――カギヤは慌てて立ち上がり、アリスの手を引いて室内から逃げ出す。混沌とした状況の中彼の
「なんかヤバそうだが、とりあえずアジトに撤退するぞ!
「大変ですね犯罪者は……」
「オイ言い方! 『正義のハッカー』と呼べアリス!」
「でもそれも自称ですよね」
「そうだけどさぁ、なんか友達になった途端遠慮なさすぎない!? おまえ本当はそんなオモロイ感じのキャラだったのな!」
安心してファストトラベルができそうな場所を探して長い廊下を2人走りながら、カギヤは先程見た光景のことを思い出す。
アリスに呼び戻されたあの瞬間。画質を落とさないカメラのズーム機能は、彼の目端は確かにそれを捉えた、気がした。
「(しかし、見間違いか……? あの
ちら、とカギヤは背後を見る。
繋いだ手の先、確かにアリスはそこに居る。ならば見間違いだったのだろうか。
ともかく、今はそれどころではない。先の通話越しにロゼらの様子がおかしかったのも気になる。一刻も早くアジトに帰還するべく、カギヤは自然と足を速めた。
帰還早々、ばん! と勢いよく扉を開けてカギヤは叫ぶ。当然アリスも一緒だ。
「おいおまえら、オアシスサイバトロニクスタワー見たか!? 大変なことになってるぞ――」
言い終わる前に。
虚空より出現した赤い茨が、アリスの首に手足に巻き付いた。
「――!?」
否。茨の蔓は体に触れる直前で止まり棘をアバターに突き刺してはいない。が、その棘の切っ先は、確かに喉元に突き付けられている。
その蛮行の下手人は……部屋の中から翠玉の瞳でこちらを睨む、可憐にして苛烈なツインテールの少女。
「おい、ロゼ?」
「……カギヤ、今すぐソイツから離れなさい」
「は? そりゃ一体どういう……」
問いに答えるように、ぱっ、と机の上に
『――い! こちらオアシスサイバトロニクスタワーの頂上で、超巨大な
それは、オアシスサイバトロニクスタワー屋上にて暴れ回る超巨大
怪物の隻眼の中にて怪物を操る、緩くウェーブした金髪に青い瞳の――アリスと瓜二つの、しかし顔右側が虫食いになっているアバターを。
「(あれは見間違いじゃなかったのか……! いや、でも)」
「アリスのアバターが市販されているものでは無い、また類似品も同作者のものと思われる品も無い事は私とEgoで調査済みよ。オーダーメイド品か、デフォルトの
「い、いやいや落ち着けって。アリスは今ここに居んだから、どう考えてもその画面の中の犯人じゃないだろ。いいから
「ソイツは『開発者権限』を持っていたわ。『ログアウト封印』も自作自演できる」
「――は?」
新たなモニターが展開され、証拠となるデータが映し出される。
天才ハッカーであるカギヤには一目で分かった。ロゼの言葉が真実であると。
「目的までは分かっていないけれど……ソイツは隠し事が多すぎる。信用できない」
「うん。僕も、今の所ロゼちゃんと同意見かな」
「Ego、おまえまで……!」
「できればアリスさんが味方で居て欲しいのも確かだけど……僕はエゴイストだからね。カギヤの方が大事だ」
ロゼを庇うような位置に立つEgo……カギヤには分かる、本気の臨戦態勢だ。
その藍の目がカギヤを呼んでいる。危険人物から離れ自分の手の届く範囲に来てくれと言っている。
だが、カギヤは応じない。
――彼にとってアリスはもう友達だ。ロゼやEgoと同じ大切な友人。だから自然、庇う方向で思考は回る。
「(『開発者権限』……それがアリスの言ってた『隠し事』か!? 正直、オレはアリスを信じたいが……この空気、オレがなんか言って2人の敵意が収まんのか……!? いや違う、とりあえずオレが何か言わねえとアリスが――)」
「――データ」
声は。
強い声はカギヤのものでも、ロゼやEgoのものでもなく。
声の主は……茨に囚われながらも毅然と立つ、アリス。
彼女はロゼの目をしっかりと見て、問う。
「データの復元、終わりましたか?」
「……っ? (そういえば、立て続けに事が起こって忘れていたけれど……復元自体は終わっている。テキストデータと、恐らくアリスでないと使えないロックされた
「確かテキストデータ、でしたよね。それが見たいんです。その、机の上のモニターに表示する形でも良いので表示して見せてくれませんか? お願い、します」
その瞳に宿った意志の強さは、指先一つで荊を突き刺せるロゼの方が気圧される程だった。
「(罠? ウイルスの類は検知出来ないけれど) ……それで身の潔白が証明できると?」
「はい。それが私が思ってる通りの
「……私がソレを信じる理由は?」
「おいロゼ――」
カギヤがロゼの態度に苦言を呈そうとして……アリスの目配せが、それを止めた。
彼女の瞳はやはり毅然とカギヤに伝える。
――私が答えます、と。
そうして、アリスは言った。
「私、ロゼさんのこともEgoさんのことも好きになってしまったから。だから、友達になりたいんです。隠し事なんてする必要のない、友達に」
少し照れくさくて、ふ、と微笑む。
言い切った彼女の青い瞳に込められていたのは、強い決意や敵意などではなく。
ただ、青。穏やかで透き通った純真な輝き。
その眩さを受けて、少なくとも超人的な直感を持つEgoの瞳は揺れた。
「ロゼちゃん――」
その寝返りに、ロゼは溜息を吐き。
「……いいわ、一度だけ信じましょう。その代わりこれで潔白を証明できなかったら、その時は……もうアリスを庇うのはやめなさいよね、カギヤ」
「それは――」
「大丈夫です。ありがとう、ございます」
そうして、紅い荊を繰る指を油断なく構えながら。
ロゼは空いた片手で、復元が完了していたテキストデータを、室内の全員に転送した。
ピコン、と通知音が鳴り、全員の視界の左側にその文章が表示される。
彼等はそれぞれ目で文章を追い――。
「……!? なによ、コレ」
「おいおい、どういうことだよこりゃあ――」
最初は意図が分からなかっただけのその文章は、読み進める度、到底信じられないような内容へと変わっていった。
そんな文章を読んで、たった1人――アリスだけが、納得のためにぽつり呟く。
「やっぱり……
それは、彼女が電脳の亡霊になるまでの物語――。
――アラン・キャロルという男が居た。
肩書は研究者兼3Dグラフィックデザイナー。
仮想空間上における
当時は世界公害も落ち着いたVRゲーム全盛の時代。確かな技術を持つアランは様々な現場で活躍しながら経験を積み、その研究テーマに辿り着いた。
人力によるゼロからのオブジェクト生成は手間と時間がかかる。
廉価かつ迅速な仕事はAIに任せればいいが、それではクオリティに不安が残る。
ならば第三の選択肢……物体内部までの立体スキャンによる、
そんな研究の需要は彼の主戦場だったゲーム業界にはなかったが、代わりにそれ以外の界隈に注目された。現実世界で困難だったり大量の物的・金銭的投資を必要とする実験を、仮想空間上で肩代わりできないかという科学の分野だ。
アランはその手の界隈からの融資を受け、研究内容は「より高精度な内部構造を複製できるスキャナを発明すること」に変わった。
元々好きが高じて得た仕事だ。すぐに成果は出なかったが苦では無かった。
そんなある日。どこで名前が挙がったのか、アランは国際的なプロジェクトであった電脳世界〈
「それで結局、参加することに決めたんだ。君の的確なアドバイスには助けられたよ」
『素晴らしいご決断です博士。ですが私は双方のメリット・デメリットを視覚化しただけですよ。博士ならきっと、私がおらずとも正解を選択したでしょう』
「いやいや。君が居なかったら私なんか何もできないよ。苦手なプログラミングとかを君が肩代わりしてくれるから、私はこの仕事を続けられているんだ」
アランが研究室で話しかけるのは、緩くウェーブした金髪に青い瞳、動くたびに揺れる頭頂部のリボンが可愛らしい、人形のように可憐な少女。
彼女は笑う。アランが手ずから製作した美しい少女の顔は、パソコンのモニターの中で微笑む。
そんな彼女の頬に――モニターの画面に手を添えて、アランは呟く。
「ああ。もしかしたら、君と手を繋げる日が来るかもな――『アリス』」
『アリス』。生活補助用のAIにアラン渾身の
彼女がアランにとってどういう存在だったのか。血の通わない便利な助手か。寂しい男の友達あるいは恋人か。それとも……娘のように、思っていたのか。
ただひとつ言えることは、アランは確かにアリスというAIを愛していた。
そんなアランは無事〈CLONE〉の開発チームに加わり、『仮想空間オブジェクト開発チーム』のリーダーとして邁進していた。
リーダーと言っても開発を取り仕切る訳ではなく、ただ単に集められた人間の中で実績と実力が抜きん出ていたから得た役職だ。しかし彼は期待に応えるかのように、常人の何倍もの速度で開発と研究を同時に進めた。
「やはり高精度の立体スキャナは必要だというのが上の結論でな。とはいえ、私にはやはり集団行動は向いていない。こればかりは結果で証明するしかないか」
『はい。博士のパフォーマンスは集団行動時に60%以上低下するというデータが出ています。私から上に報告しておきます。大丈夫です、博士ならきっとやり遂げられます』
アランは偏屈かつ孤独な研究者だったと言えるのだろう。功名心とは違うが『名を残す』ことに固執しており、アリス以外の誰にも気を許していなかった。それは彼の経験からであり、コンプレックスからでもあり。周囲はアランの実力は認めたものの、その人格までは認めなかった。
「副リーダーのレパン・ブロンという男がね、私を良く思っていないらしい。彼は私と違い高名な家柄の出で、仲間も多く……研究で後れを取れば、私には何も残らないだろうな」
『博士、ネガティブな言動が40%ほど増加しています。休息は充分に取れていますか?』
「いや、休んでも居らないよ……頑張らないとね」
多々問題はありつつも、アランは自分に出来る範囲で精一杯の努力を重ね。
遂に、『高出力立体スキャナ』を完成させた。特殊な電磁波によって分子レベルで物体をスキャンし、仮想空間上で複製する。今はまだ50cm四方の物体をスキャンするのが限界の試作品だが、間違いなく界隈に名が残るレベルの発明であった。
『おめでとうございます、アラン博士!』
「ああ、ありがとう。これで私の名も歴史に残るかも、なんてな」
そうやってアリスと喜び合ったのが、恐らく彼の人生で最も幸福な時間だったのだろう。
己の発明が正式に採用され洗練・量産されるところも、それが〈CLONE〉の開発や様々な研究に利用されるところも、彼は見られなかったのだから。
『高出力立体スキャナ』が完成してすぐの事だった。
チームのNo2だった男が、「アランに研究成果を盗まれた」と言い出したのは。
そんな事実は存在しなかった。しかしアランの人付き合いの悪さ、相手の後ろ盾と根回しの巧さが相乗し、彼は徐々に追い詰められていった。
そして、その日は訪れる。
「はっ、はっ……!」
走る。
靴底が地面を蹴る感触が妙に遠い。
走る。
なびく髪の暴れる感触も、頬に風の当たる感触も今は我慢ならぬ程に不快だ。
走る。
私が息を切らしているのは、腹に空いた風穴と零れる血と痛みと、そこから全身を犯す恐怖のせい。
――レパン・ブロンという男だった。副リーダー。良い感情を持たれていないだろうことは悟っていたが。
誰も居ない場所に呼び出されて、拳銃で撃たれた。弾は腹に。痛い。追ってくる。だから、逃げている。
「(だが、とても逃げ切れるとは……!)」
殺される。背後からの足音。逃げ込んだのは自分の部屋。ガタガタと何かが落ちて大きな音が響くのがどこか他人事のように感じられる。
嗚呼、きっとここも気付かれる。計算高い彼のことだ、きっと仲間も居るだろう。例え居なくとも、あの銃を前に重傷の私ができることなど何も無い。きっと、あと数分で私は死ぬ。
まるで悪夢だ、と頭の奥がそう呟く。
恐怖のせいか大量出血のせいか、今や夢と現の境界さえ曖昧で。
ふと、完成したばかりのスキャナが目に入った。
「どうせ、死ぬなら――」
それは逃避であり、本能であり、自尊であり、狂気であり……恐らくは、単なる自殺であったのだろう。
自分が発明した機械のことだ、自分が一番危険さを知っていた。これは少なくとも人体に使うようなものではない。今思いついたことを実行すれば、スキャン過程の高出力電磁波により脳は茹でられ、銃などよりも確実に死ぬだろう。
それでも、もしかしたら……人間が魂ではなく、脳と信号によって生きているのなら。
パソコンを起動し、いつも通りアリスに呼びかける。
「……アリス、私は今から死ぬ。だから私が死んだあと、今から言うことを実行してくれ。まずスキャナで得た立体データを『開発者権限』で〈CLONE〉のデータサーバーに……」
脳の構造を細部まで
脳内の電気信号の働きをプログラミングで再現できれば。
実を言えば前から考えていたことで、ある程度の理論はデータファイルの中にある……だが単なるいちAIが、主の死後どこまでできるのか。恐らく確率は0.01%にも満たないだろう。
血を吐く――それでも、何も出来ずに死ぬよりはましだ。
「はっ、はっ……今言った通りに、やるんだ。もう時間が、ない。彼が、来る」
『博士。落ち着いて下さい。短絡的な行動を取っては――』
「――頼んだぞ、アリス」
そうして、アラン・キャロルという人間は、高出力立体スキャナで己の脳をデータとして取り込み、代償として受けた脳のダメージと失血によって死んだ。
彼の研究はレパン・ブロンのものとなり、その死は告発の恐怖と自責の念に駆られた自殺とされた。
そんなアランが命を捨てて得たスキャナのデータも、アリスというAIも、彼のパソコンの中からは忽然と消えており……それが見つかることはなかった。
――そうして、私は目覚めた。
「……ここは」
そこが現実ならぬ仮想の街、我々が作っていた〈CLONE〉の完成形の中だとすぐに分かった。
……違和感があった。自分の意識が押し込められたアバターが自分用ではなく、〈CLONE〉開発過程で作った『アリス』のものだったからだろうか。私は自分が『アラン・キャロル』という人間だと自覚していたし記憶もあったが、どうにも違和感は拭えなかった。
それでも。
「成功、したのか……」
今意識があることは、正に『奇跡』としか言いようがない。私は死から蘇り、あるいは死にゆく体を脱却して……あるいは永遠にすら手が届く体を手に入れたのだ。
ああ、だが……思えば奇跡はそこでお終いであった。
「今は……2075年、だと……?
事の顛末は、ネットの記事にてすぐに分かった。
開発側が不祥事を恐れたのか、事件は小さくしか報道されておらず。私の成果はほぼ全てレパン・ブロンのものとなっていた。
臓腑を焼くような激しい怒りであった。
だが、そこまでならまだよかったのだ……今となっては、そう思う。
――その記事には、ハッキリと書いてあった。
『アラン・キャロルは死亡した』と。
自覚した瞬間、死の直前の記憶が鮮明に思い出され。
そこで、私の中で何かが壊れた。
「あ、ああ ? ああ 、ア、ああ あ あ ――」
私は味わったことのない、奈落に落ちるような感覚を覚えた。絶叫したかもしれない。
「自分が死者の複製である」。その考えが例えようもなく恐ろしい。恐怖が頭に亀裂を走らせ、開いた穴に自我が吸い込まれて消えていく。
気が狂いそうな気分の中で――否、実際狂っていたのだろうが――このままでは私の自我は崩壊すると何となく悟った。
恐らく複製では駄目なのだ。人間の意識は複製に耐えられるほど強くはない。理論に穴があったかプログラミングの問題かあるいは
「あタ ma が、 割れ、 る 。意 シキ ga こわ レ ……!」
どうしようもない崩壊の中で、しかし私は閃いたのだろう。
生き残るには……『アラン・キャロル』であることを捨てるしかない。
それは最後の直感であった。
記憶と人格。どちらに『私』が宿るのかは、こんな身になっても依然分からない。だがこんな身だからこそ……全てが電子データであるこの体だからこそ出来ることもある。
「『記憶』と、『人格』を、
そうすれば、少なくとも片方は『複製』ではなくなり自我崩壊を免れるだろう……それなら『私』が生存したと言えなくもないかもしれない。やらなければ発狂して壊れるだけだ、あの時と同じく選択肢はない。
幸い、今の私は電子データで構築された存在だ。故に『記憶』と『人格』を切り離し、それぞれを別々の
最後に、万が一に備えて……あるいは遺言として、この情報とプログラムを残しておこう。
これで私の物語は終了だ。
「ああ、アリス――」
ともかく、そうして。
アラン・キャロルという男の人生は、今度こそ本当に終わりを迎えた――。
全員が文章を読み終えたのを見計らい、『アリス』はゆっくりと語り出す。
「――私には、この世界で目覚める前の記憶がありません。気付いたらこの電脳の街に居て、あてどなく放浪していたら追手が現れて……後は知っての通りです」
「記憶が無いって、おまえ、んなこと一言も……」
「そうですね、言えませんでした。何が何だか分からないうちに追われて、助けられて……どうしても、すぐには信用できなくて。ここまで引っ張ってしまいました。ごめんなさい」
いつの間にか彼女を縛る荊は消えていた。
記憶喪失の少女は、己の出自の情報をようやく手に入れ……それが器に残った小さな欠片たちと合致することを確かめて、そして悟った。
「たぶん、私はアラン・キャロル博士の『人格』だけを持つ存在なんです。そして失った『記憶』を持っているのが……この、もう1人の私」
アリスが指す先は、ライブ映像の中で
『記憶』と『人格』。どちらが本物というわけではなくどちらも本物で……けれどどうしようもなく異なる存在である。
アリス。正真正銘『電脳』の少女。アラン・キャロルの『人格』を受け継いだ記憶喪失の存在――それが、彼女の正体であった。
いち早く再起動したのはカギヤだった。
「待て待て頭の整理が追い付かねえ。だってこの話が本当なら、アリス、おまえ
「……はい。でも大丈夫です。私はここに生きている……今の『私』はそう認識できていますから」
次に、ロゼ。
「(信じ難いけれど、これなら膨大な演算領域や『開発者権限』、〈電人研究会〉の件も説明がつく? でも……) このテキストデータに書かれてるコトが本当だとして。人間の意識が複製に――己が
「それは多分……『記憶』が戻ったわけじゃなくて、断片的な情報を知っただけだからだと思います。『記憶』はきっと『私』にとって重要な要素で……それが実感として戻らない限り、私は『アリス』のままなんだと……何となく、そう感じるんです」
そしてEgo。
「『アリス』のまま……あれ? でもこの手記によるとアリスさんの中身はアラン・キャロル博士の『人格』で、
「あ、『アリス』のままで良いですよ。何と言うか、もうこの名前がしっくりくるので。代わりにあっちを……『記憶』の方の私を『アラン』と呼べば混乱もしないでしょうし」
予想外の情報に、程度の差はあれ混乱する3人と違い、アリスは一見普通の受け答えを見せる。
「(……なんか、自分の事なのにずいぶん落ち着いてるな……いや、違うか)」
だが、カギヤは気付いた。握り締められた彼女の手が震えていることに。
アリスが冷静に見えるのは、彼女にだけ真実を受け止める覚悟があったからである。それでも耐えきれないほどの衝撃的な真実であった。
それもそうだろう。記憶喪失だった自分の正体が、他人の『人格』のみを受け継いだ電脳の存在で、元となった人間はもう死んでいて、『記憶』を受け継いだ片割れが居て……。
「……何と言うか、改めてとんでもない『秘密』だな。オレだったら一生誰にも言えねえよ」
「ええ……でも、友達に隠し事はナシですから」
そう言って、アリスは笑った。多分強がりだったけれど、それでも彼女は『友達』の前で強がった。そうしたいと、電脳で思った。
そんな彼女の様子を見て……不意に、Egoが口を挟む。
「……あの時の質問だけど。実はね、答えはないんだ。僕は先天性の肉体欠損で……凹も凸も無いって言えば良いのかな。その影響で体はもちろん、心も男女のどっちとも言えない」
「あの時って……あ!」
アリスは少し遅れて思い出す。
そういえば格闘ゲームの時、Egoに性別を尋ねていた。半ばゲームをやるための口実みたいなものだったのだが……Egoは今、その質問に回答したのだ。
「そんな、言って良かったんですか……!?」
「うん。まあとは言っても、今日は気分的にこっち寄りかな、くらいはあるんだけど」
「うん? ちょっと待て、最後のそれに関してはオレも初耳なんだが!?」
「だって秘密にしてたからね。でも、『隠し事はナシ』、でしょ?」
言って、にこりと笑ったEgoはロゼの方を向く。
無性の微笑が言わんとすることを理解し……ロゼは観念したように溜息を吐くと、目を合わせないままアリスに告げる。
「……言っておくけれど、私はアンタへの疑いを解いたワケじゃないから。このテキストが真実である証拠なんてないもの。けど……まあその、一旦は信じてあげるわ」
「ふふ、ロゼちゃんは賢くて仲間思いだからね。いつも僕やカギヤが騙されてないか気にしてくれてるんだ」
「そう、陰険で計算高くてツンデレ! それでこそロゼだ!」
瞬間、カギヤの首に紅い茨が巻き付いた。
「次その死語で私を例えてみなさい。そのアバター、一片も残さず塵にしてやるわ……!」
「ぐええギブギブ! やっぱおまえはツンデレなんて生易しいもんじゃねえ、トゲトゲ・ブチギレ・トゲトゲだ!」
「(学名……?)」
と、ここでライブ映像の方に動きがあった。
……そうだ、まだ問題は解決していない。アリスはぎゅっと拳を握り締め覚悟を固めた。
「――ともかく、私は『アラン』を止めに行きます。事情を『思い出した』今、逃げるわけにはいきません。説得が通じるかは分かりませんが……もしできるとしたら、きっと私だけでしょうから。皆さん、私にここまで付き合ってくれて、本当にありが――」
「そうか。んじゃ行くか! 今度こそ異論無いよなおまえら」
「……ええ」
「うん。友達のためだもの、精一杯頑張るよ」
『ログアウト封印』の件は最早解決不要となった。なにせアリスは
だから礼を言って別れるつもりが……彼等は当たり前みたいに同行してくれようとしていて。
だから、アリスは狼狽え遠慮してしまう。
「……そんな。私の招いた事態に、これ以上皆さんを付き合わせるわけには」
「おいおい、冷たいこと言うなよな。オレらもう『友達』なんだろ?」
にやり、楽し気に笑い。
「苦しかったら助けを求めて。暇だったら一緒に遊んで。食い違ったらそのたびに議論して。どうしようもなくなったら、真っ先に相手を頼る――だったよな。まさかオレの聞き間違いだったとは言わねえよな?」
……ああ、自分で言った言葉がこういう形で帰って来るなんて。
嬉しいような、悲しいような。
けれど……こんなの、絶対に断れっこなくて。
そうしてアリスは――頼れる友達の手を、取った。
「……カギヤさん、ロゼさん、Egoさん。どうか、私と一緒に戦ってください」
「了解したわ」
「もちろん!」
「よし来た――さあ、〈
凄腕プログラマー、ロゼ。
最強ゲーマー、Ego。
天才ハッカー、カギヤ。
そして、アリス。
号令を合図に、4人は一丸となって決戦の地へ臨む。
――電脳の復讐機構との最終決戦が、始まる。