ワールドエンド・クラッカー -電脳魔境戦線2075-   作:龍川芥/タツガワアクタ

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⑦ 断章/終末信仰

 「はっ、はっ……!」

 

 走る。

 靴底が地面を蹴る感触が妙に遠い。

 走る。

 なびく髪の暴れる感触も、頬に風の当たる感触も今は我慢ならぬ程に不快だ。

 走る。

 私が息を切らしているのは、腹に空いた風穴と零れる血と痛みと、そこから全身を犯す恐怖のせい。

 殺される。背後からの足音。逃げ込んだのは自分の部屋。ガタガタと何かが落ちて大きな音が響くのがどこか他人事のように感じられる。

 嗚呼、きっとここも気付かれる。あの銃を前に、重傷の私ができることなど何も無い。きっと、あと数分で私は死ぬ。

 まるで悪夢だ、と頭の奥がそう呟く。

 恐怖のせいか大量出血のせいか、今や夢と現の境界さえ曖昧で。

 

「どうせ、死ぬなら――」

 

 いや、そうだ。そうだった。

 ()()()()()()()()()()()()()――。

 

 

『――また、この「記憶」か』

 

 電脳座標A-001、オアシスサイバトロニクスタワー。

 〈CLONE(クローン)〉の有名シンボルのひとつとも言える、現実換算1010mの屋上にて、そのアバターは顔を顰めて頭を押さえた。

 

 西洋人形じみて可憐な横顔であった。

 白磁の肌に、緩くウェーブした金の長髪。電脳の海を思わせる大きな青い瞳は細められ、忌々し気に眼下を――電脳の世界に息づく街を見下ろしている。頭の上で兎の耳にも見えるリボンが揺れるのが、その表情と酷くミスマッチだった。

 

 そんな彼女が見下ろすのは、仮想の夜空の下、けばけばしい程のネオンライトに飾られた街の姿。

 ぶわり、眼前を巨大な鯨が横切る。浮遊する彼は複数のアバターに囲まれながら、腹に投影した広告の音声を届けるため地上に向けて泳いでいく。

 そんな1000m下の地上には、ここからでも視認できる巨大な円形広場。多種多様色とりどりのアバターが行き交う広場は、三つの巨大な建造物に囲まれている。

 即ち少女が立つオアシスサイバトロニクスタワーと、同じようにそれぞれガネイコーポレーション、フユノプログラミングといった大企業が広告目的で建てた三つのタワーだ。企業の規模順に、ここオアシスサイバトロニクスタワーが最も高く、それにガネイ・フユノの順で追従していて、どれも同じようにタワーの壁面に広告なりスポンサー先のライブ映像なりを流している。

 空にはドッグファイトするゲーム対戦中の戦闘機に、立体映像(ホログラム)による雑多な映像などが浮かぶ。ああ、今勇者が空飛ぶ竜に乗って飛んできて新作ゲームの宣伝を始めたか。

 その街はどこまでも卑俗であり、絢爛であり、混沌であり、幻想的であり……即ち何でもありだった。

 

 その全てが憎々しい忌々しいと、恨めし気に少女は表情を歪める。遥かなる高みから見下ろし、見下す。

 そんな彼女と同じ高さで――彼女の背後で足音がした。

 オアシスサイバトロニクスタワー屋上に着地したのは……全身を白い装束で固めたアバター。その胸と背には『電脳警察(ホワイトハッカー)』の印章が付いている。

 彼は人気の無い屋上の中でこちらに背を向ける少女のアバターを確認するや否や、近付いて声をかける。

 

「失礼、自分は電脳警察(ホワイトハッカー)だ。この座標に『電脳犯罪者(クラッカー)』が居るという通報を受けて来たのだが……君、何か知らないか?」

『……』

 

 問いに答えることなく、しかし少女が振り返る――それだけで、電脳警察(ホワイトハッカー)の男は瞠目した。

 

 彼女の顔は、右側が()()()()

 まるで可憐な顔を造る外装データが破損したかのように、顔の右側があるはずの場所にはただ真っ暗な虚空が嵌め込まれていた。

 それは顔だけではない。首にも、右腕にも、右足にも。少女のアバターの至る所に、その不気味な「虫食い」が存在していて、本来なら可憐だったろう姿形(アバター)が台無しだ。

 何故そんなことになっているかをホワイトハッカーの男は反射的に考え……それが顔を隠すマスクと同じ役割ではないかと思いついたとき、同時に彼は()()()()()に思い至る。

 

「まさか――」

 

 電脳犯罪者(クラッカー)

 ざ、と電脳警察(ホワイトハッカー)の男は咄嗟に身構える。

 

 〈CLONE〉において、見た目など何の指標にもならない。見た目と中身の性別が違うなんて珍しくもないことで……美しい天使の姿をした犯罪者も居れば、ラスボスみたいな姿をしているだけの心優しい一般ユーザーだって居る。

 それでも少女の次の動き(アクション)を待ったのは、彼の経験が浅かったが故か、それとも可憐な顔に浮かぶ表情に気圧されたが為か。

 ともかく――虫食いの少女は、警戒するホワイトハッカーを前に口を開く。

 

『――オマエは、「アラン・キャロル」の名を知ッテいるか?』

 

 歪んだ声であった。

 可憐な少女の顔に似合わぬ、ざらついたエフェクトのかかった声。元の声を晒さないためか、強く歪んだ声は寧ろ男のそれにさえ聴こえる。

 だが、聴き手が訝しんだのは寧ろその内容にであった。

 

「?」

『知ッテいるか?』

「……それが君の名前(ユーザーネーム)か? (『アラン・キャロル』……聞いた事がないな。指名手配のデータベースにも乗っていない名前だが……)」

 

 確かに、凶悪な電脳犯罪者(クラッカー)の中には己の名を誇示する者も居る。〈Lag-na-røk(ラグナロク)〉のロキ、迷惑系配信者・大怪人(ウルトラマン)ラガンダム、世界斬り(ハックスラッシャー)のカギヤ……だがその中に、『アラン・キャロル』という名は無い。ということは電脳犯罪者(クラッカー)ではないのか……あるいはこれから()()なるのか。

 沈黙。再び少女が口を開く。

 

『知らナイのか』

「……君、何か怪しいな。悪いが、少しデータファイルの中を見せて貰っても――」

 

 言い終わるよりも、少女が動く方が先だった。

 いつの間にかその虫食いの掌の上に、サッカーボール大の黒い球体が浮かんでいた。それが英文字(コード)で構成された電脳機構(プログラム)だと気付いた瞬間、少女が命じる。

 

『――"起きろ"

 

 その声に反応してか、黒い球体が蠢動を始め――。

 

「! 電脳兵装(プログラム・ツール)の起動を確認、敵対行為と見做し拘束する!」

 

 白いアバターが反射的に動く。

 取り出したのは小銃型の電脳兵装(プログラム・ツール)。引き金を引く動きに迷いはない。

 故に。光弾は連射され、少女が何かをする前にその(アバター)を鋭く穿つ――。

 

"鎧"

 

 黒、が。

 黒い靄じみた電脳兵装(プログラム・ツール)が、少女のアバターに纏わりついてその身を迫り来る凶弾から護った。弾丸は軌道を遮った黒に融けて無力化し、少女本体にまで届かない――ホワイトハッカーはその様子に、まるで黒い兵装が意志を持ち独りでに主を護ったような印象を受けた。

 

「(鎮圧弾(ツール)を防がれたか――) ッ、電脳防壁(ファイアウォール)展開(ロード)!」

"剣"

 

 瞬間、咄嗟に展開した電脳防壁(ファイアウォール)(バリア)を、漆黒の斬撃が斬り付ける!

 重い一撃を放った剣の正体は、少女の腕に纏わり付いた『黒』が大剣の形を取ったもの。ともすれば少女の身長より巨大にも見える闇の剣は、巨体に似合わぬ機敏さで二撃目、三撃目と繋がり、ホワイトハッカーを護る防壁を削る。

 

「(防壁が押されている……! コイツは生半可な電脳犯罪者(クラッカー)じゃない、ネームドクラスの凄腕だ! 今すぐ応援を――) クソ、Dos系か! アプリの動作が重い……!」

 

 接触のたび負荷を与えるDos系の攻撃は、防壁でも完全には防ぎきれないことが多い。現に今ホワイトハッカーは、防壁を通して演算領域に負荷を受けている。

 だが、応援要請はそれほど手間のかかる行為ではない。比較的『軽い』アプリを開きワンボタンで通話するだけの、今のように動作が重くても数秒程度しかかからない作業。だからこそホワイトハッカーは、反撃の選択肢を捨てそれを選んだ。

 だが、その数秒が命取りであった。

 

"適応して"、"圧し潰せ"

 

 少女の声に呼応し、剣が形を変える――それは不定形の濁流となり、独りでに蠢いて電脳防壁(ファイアウォール)に突撃してくる。その勢いは、規模は、夜がそのまま襲い掛かってくるような迫力で。

 その様を見て、ホワイトハッカーはようやく気付いた。

 この『黒』は電脳兵装(プログラム・ツール)ではなかった――これは電脳怪獣(モンスター・プログラム)だ。それも超級の。

 

「(この大きさ、この強さ――どれだけの演算領域があればこんな怪物(モノ)を――)」

[警告:負荷甚大]

 

 通話の為のアプリがやっと起動を終えたと思った瞬間――負荷によりアプリが()()()のと、防壁が圧壊するように破られるのは同時であった。

 壁を砕き押し寄せた黒が、気付けば巨大な狼の形になっていた怪物が、ホワイトハッカーに喰らい付きアバターを上下の牙で貫く。

 

[警告:不正アクセス検知][警告:負荷甚大, 動作系不良を確認]

「(う、動けん……!)」

 

 巨大な(あぎと)に肩口から腰までを咥えられる形になったホワイトハッカー、そのアバターの動作が停止する。

 

"拘束を維持しろ"

 

 黒き巨狼の大顎は、少女の体と繋がっている故か彼女の腕そのものであるかのように見えた。否、そう思えるのは別の理由からだ。

 

「(演算領域もそうだが……どうしてこうも手足のように、不定形の兵装(ツール)を操れる……!? 凄腕の電脳ハッカーでさえ、形を固定した兵装(ツール)を使うか自立行動型の怪獣(モンスター)を使うかの二択であるのが普通だ……なのにコイツはこうも自在に……! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!)」

 

 ホワイトハッカーから見ても余りに不自然、余りに異常。

 そんな少女が顔を寄せ、動けなくなった男に向かって歪んだ声で淡々と問う。

 

『今一度訊く。オマエは、「アラン・キャロル」の名を知ッテいるか』

「し、知らない! それがどうした!?」

 

 彼は重い口で正直に答える。小細工を弄する力など、最早そのアバターには残されていない。

 

『……では、――――という名は?』

 

 次に少女の口から放たれたのは、『アラン・キャロル』とは別の名。

 

「そんなの、知らな――あ、いや。そっちなら、聞いたことは、ある、かも。そうだ、その人は確か、――――、じゃなかった、か」

 

 重い口のまま心当たりを素直に話せば……少女は目を伏せた。

 

『――そウか』

 

 瞬間。ホワイトハッカーの体が、黒い顎に嚙み砕かれ。

 その白い体は鮮血のように『ERRER』ウィンドウを撒き散らし、この世界から消滅した。

 まるで巨人の腕が掴んだ人間を不意に握り潰したような、凄惨極まる光景であった。

 そんな惨劇を命じた主は、惨劇を実行した己の手足たる黒い電脳怪獣(モンスター・プログラム)へ命じる。

 

B-I:Fenrir(ビーストワン:フェンリル)"待機"

 

 ふわり、犬が体を擦り付けるように不定形の黒が少女目掛けて空中を滑り、主の(アバター)に纏わり付いて形を変える。それは丁度、黒いオーバーサイズの上着を羽織っているかのような形状で自らの形を固定させた。

 

『……()()ノ失敗は計算外だったが、これダケは良い拾イ物だったな。ウイルスも100%除去できたと判断シテ良いダロう』

 

 そう呟く少女の声に、しかし喜色は含まれていない。

 ただ鉄のように冷たい表情の下では、延々と同じ記憶が再生され続けているからだ。

 

 

 それは、きっと幸せだったのだろう過去。

 

『おめでとうございます、アラン博士!』

「ああ、ありがとう。これで私の名も歴史に残るかも、なんてな」

 

 もう、何をどうしようと後戻りはできない。

 あの時の自分に戻ることもできない。

 ならば、せめて。

 

 

 仮想の街を見下ろしながら。

 緩くウェーブした金髪に青い瞳、頭頂部のリボンと可憐な造形を虫食い状の罅割れで汚したそのアバターは、吐き捨てるように宣言する。

 

『この名を忘レタ世界(〈CLONE〉)に――裏切者ノ世界に、存在スル価値など、無イ』

 

 そうして。

 電脳の世界の中で、その復讐機構(リベンジ・プログラム)は動き出した。

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