新年度がようやく落ち着きました。
夜はまだ明けていない。
痛む頭を抑え、スレッタは前を行くエランを追いかけた。視界にはまだ、パーメットの光がちらついている。
状況を飲み込めないまま辺りを見回す。フロント管理会社の施設だと思うが、入ったことのない場所だ。騒ぎを起こしたにも関わらず、大人が出てくる様子はない。時折見かけるハロを載せた清掃用ロボットのほか、動くものはなかった。
廊下をいくつか曲がったところで、エランはぴたりと足を止めた。いつになく青ざめた顔で振り返る。紡錘形のピアスが揺れる。
「で、あれは何?」
切羽詰まった声で、エランはスレッタを問い詰めた。
「なんで君までデータストームを受けるんだよ。エアリアルは安全なガンダムなんじゃなかったのか?」
とっさに半歩退きながら、スレッタは答える。
「エアリアルは、エアリアルですよ。水星で、生まれる前から一緒にいた、わたしの家族、です」
「君のガンダムは、パイロットなしで勝手に輸送されたりするの?」
エランはあきれたように言った。
スレッタがコクピットを追い出された直後、ハンガー内の設備がひとりでに動き出した。呆然とする二人の前で、発光するエアリアルはコンテナに収まり、リフトに載ってどこかへ運ばれていった。行き先はたぶん、シン・セーの輸送艦だ。
「できるようになった、そうです。スコア8まで上がったから、もうパイロットはいらないって」
「……冗談だろ」
そう吐き捨てたエランに、スレッタは同じくらい血の気の引いた顔で尋ねた。
「あなたこそ、誰ですか?」
目を見開いたエランに、スレッタは内心で悟る。
ああ、この人は、本当に違うんだ。
「ずっと、気のせいだと思ってたんですけど。でも、エアリアルが、わたしと決闘したエランさんは、あなたじゃないって」
エアリアルのレーダーは優秀だ。生体コードによる認証で、どんな救助対象だって特定してくれる。ましてやエランは、スレッタと出かけた日にコクピットにまで入っている。直接会った人間を、エアリアルが間違えることはない。
何となく感じていた違和感を口に出せるほど、スレッタはエランのことをよく知らない。だからあの日、もっと彼と話したくて、学園のベンチで待ち合わせをした。
エランに何があったのかはわからない。だけどどうやら、同じ顔の人間が大勢いることもあるらしい。
「なんだ、気づいてたんだ」
エランを名乗る少年は、表情を取り繕った。片手をポケットに入れ、スレッタからわずかに距離を取る。清掃用のハロが、二人の間を通り過ぎる。
「わたしの知ってるエランさんは、いまどこに」
「話してもいいけどさ、あいつも本物じゃないよ」
少年の一言に、スレッタは息を呑んだ。
「僕もあいつも影武者。MSに乗れない、本物のエラン・ケレスの代わりの強化人士。ホルダー制のせいで強いパイロットが必要になって、代わりに僕らが送り込まれた」
理解の追いつかないスレッタの前で、エランを名乗る少年は大げさな身振りで話す。
「君が言うエランは4号のことだろ。僕はあいつの後任。インキュベーションパーティでオリジナルにも会ってるはずだよ。ベルメリア・ウィンストンも共犯。強化人士を作ったのもあいつ。僕のことは、とりあえず5号でいいや」
「きょうか、じんし……? エランさんも、リプリチャイルドだったんですか? わたしと同じで?」
5号は絶句した。
「……違うよ。僕もあいつも、普通の人間だったはずだ。この顔は整形」
わずかに背を丸め、5号はどうにか口を開いた。なぜか、スレッタ以上に怖がっているように見えた。
「ペイルは人工知能が動かしている会社なんだ。ペイルグレードっていう、会社のことを全部決めているAI。社員の仕事は経営でも開発でもなくて、ペイルグレードの保守とアップグレードをすること。オリジナルを後継者に指名したのも、ファラクトの開発を命令したのもそいつ」
廊下の端で、清掃用ハロが床をこすっている。
「作らせたはいいけど、ペイルでもデータストームを解決できなかった。仕方ないからパイロットの方を弄ることにして、ベルメリアが作ったのが僕ら強化人士。神経系統を改造して、無理矢理耐性を上げた人間」
「なんですか、それ。じゃあ決闘した時、エランさんは」
スレッタは震える声で言った。
ソフィのガンダムだけでなく、ファラクトも、パイロットを助けてはくれなかったのか。
「君とエアリアルのほうがおかしいんだ。ベルメリアが色々試したけど、ガンダムに乗る限り僕らも消耗を避けられない。4号もそれで限界が来て、僕に代わった」
「限界って、どういう」
「処分されたって聞いてる」
目の前が暗くなった。
「なんですか、それ」
だからあのとき、待ち合わせに来なかったのか。
怒りと涙で視界がぐちゃぐちゃに歪む。壁に手をつき、スレッタはどうにか座り込むのを堪えた。
「僕もいつ処分されるかわからない。ホルダー制がなくなった以上、会社に連れ戻されるのは時間の問題だからね。で、相談なんだけど。エアリアルを譲ってくれない?」
ポケットの中で何かを握り、5号は強引に笑顔を作る。
「ペイルはファラクトを諦めて、エアリアルを研究したがってる。あれを持って帰るのが僕の任務。どうせ行き先は君の母親のところだろ? どうにかして取り返せない?」
「それ、は、できません」
また一歩引いたスレッタの背に、廊下の壁が当たる。5号は一歩踏み出す。
「もしくは君のお母さんを説得するとか。例えば、君の命が危ないって言っても?」
「無理、だと思います」
スレッタは静かに首を振った。
「
手足の震えを堪え、スレッタは顔を上げて言った。
「それでもエアリアルは、わたしの家族です。だから、ペイルには渡せません」
「……そっか」
5号は肩を落とした。清掃用ハロが、二人の側を通過する。
スレッタは手を握りしめた。
「ごめんなさい。……ここから逃げだすとか、どこかに通報するとか、他にできること、ありますか?」
「難しい、かな。学園もペイルに見張られてるから。下手に動くとかえって危ない」
ポケットから手を抜き、5号は肩をすくめた。
「さっき言ったペイルグレードだけど、厄介な機能があってさ。問題はAIじゃなくて、周りのシステムの方なんだ。AIに解析させる情報を集めるための、通信傍受ユニット。ペイルの持っている艦全部にそいつが組み込まれていて、L4全域を監視している。もちろん、寮にある学生用の艦も」
スレッタは思わず辺りを見回した。
「この会話も、聞かれてる、ってことですか?」
「どうかな。全施設を盗聴するほどのリソースはないはずだけど。確実に見張られているのは、港のセキュリティと外部への通信、決闘のデータ。ここにマイクがないのは確認してあるけどさ」
再びポケットに手を入れ、5号は何事か操作した。取り出した何かをスレッタに放る。
「それ、ペイル寮のポストにでも入れておいて。発信器なんて持ち歩きたくないし」
キャッチした生徒手帳を見て、スレッタは問いかけた。
「5号さんは、これからどうするんですか?」
「逃げるよ、死にたくないから。当てはあるんだ」
そのまま背を向けようとして、5号は再び振り返った。
「いろいろごめん。――もしあいつのために何かしたいなら、他の強化人士を助けてやってよ。まだ会社に残ってる奴がいるんだ。まあ、できるもんならね」
それだけを言い残し、今度こそ5号は走り去っていった。
建物は少しずつ騒がしくなっている。そろそろ夜が明け、仕事が始まろうとしている。重たい足を動かし、スレッタはどうにか帰る道を探した。
ハロはいつの間にかいなくなっていた。
◇
「本当に造っていたのか」
メンテナンスベッドで組み立て中のMSを、グエル・ジェタークは呆然と見上げた。灰色の塗装に円形のブレードアンテナを載せた頭部は、まぎれもなくジェターク機の系譜だ。
型式番号MDX-0003、シュバルゼッテ。ヴィム・ジェタークが最後に手がけたMS。全身にシェルユニットを組み込まれた、紛れもないガンダムだった。
隣では弟と後輩が、同じように顔をしかめている。
「父さんは重役たちにも隠していたらしい。CEO用の端末を確認するまで、僕にも知らされてなかったんだ」
灰色の機体を睨み、ラウダ・ニールがうめく。もう一度倒れかねない弟を、ペトラ・イッタが慌てて支えた。
「起動実験はしていないな?」
「うん。まだコクピットが完成してない。さっきマネージャーに確認したから間違いないよ」
不幸中の幸い、と言ってもいいのだろうか。フロントへ帰ってから、初めてましな情報を聞いた気がした。
誰にも見咎められないまま軌道エレベーターに乗り、検問を潜り、会社に帰り、顔を合わせた瞬間失神した弟を病院に担ぎ込み、相次ぐ重役の辞職や融資の引き上げに対応し、内部監査をかけ、どうにか情報をかき集めている間に早一週間。
グエルは未だ、プラント・クエタで起こったことを言い出せずにいる。
「開発資料と、シン・セーとの業務提携の覚え書きがこれ。ガンダムってこと以外に不備は見つからなかった。建前上は次世代ドローン事業の一環なんだけど……兄さん、こいつの開発は続けるの?」
グエルのタブレットへ情報が転送される。ざっと中身を改め、グエルはもう一度機体を見上げる。小豆色の内部フレームに、装甲が少しずつ取り付けられている。
「少し考えていることがあってな。建造はそのまま続けさせるつもりだ。その代わり、起動実験は絶対にさせない」
「……わかった。それと、これが監査の結果」
ラウダに促され、今度はペトラから情報が送られる。先月退職した社員の顔写真に、グエルは眉根を寄せた。
「やっぱり内部からの横流しか」
「製造番号は削られていたけど、OSのバージョンとパーツのロットからどうにか割り出した。該当するデスルターを取り扱っていたのはこいつで間違いないよ」
テロリストへMSを売却した後、在庫記録を改ざんし、直後に退職。L4を出港した後の足取りは不明。本社の捜査官が後を追っているが、まだ確保には至っていない。
「退職を含めて計画的な行動だろう、っていうのが捜査官の見解。ドミニコスから引き上げた隊員が捜査に加わってて、ジェタークの伝で捜査資料も貰えた」
流出したデスルターはいくつかの業者の手を経たことまでは分かっていたが、アーシアンとの取引の形跡は未発見。取引の首謀者、真犯人の存在に至っては、未だ気配すら掴めていないらしい。
「俺から捜査の継続を依頼する。が……犯人はもうジェタークに残っていないだろうな」
父の死後、社内では転職や引き抜きが相次いでいる。横流しに協力者がいたとしても、どさくさ紛れに逃走しているだろう。
「僕のところにまでリクルーターが来た。すぐ叩きだしたけど」
心底腹立たしいという顔で、ラウダが前髪をいじる。険しい表情のまま、グエルはさらに資料をめくった。極秘とスタンプされたページには、グエルがいない間に行われた、一連の捜査活動の情報がまとめられている。
テロ当日のタイムテーブル。プラント・クエタにいた人間のリスト。総裁のスケジュール、戦闘記録、生存者の証言。
犯人のMSは総裁のいたブロックを直接狙った。当日のスケジュールを知っていた人間は多くなく、直前に内通者が居場所を報告した可能性が高い。Cブロックにいた生存者は全員が取り調べを受け、行動を確認済み。リストの中には、プロスペラ・マーキュリーの名前もある。
手早く内容を確認し、グエルは顔を上げた。まだ包帯の取れない弟と、寄り添った後輩の姿が目に入る。これ以上負担をかけるわけにはいかない。
「わかった、助かった。――ラウダ、ペトラ。お前たちは学園に戻れ。後は、俺がなんとかする」
「でも、兄さん」
食ってかかるラウダに、グエルは真剣な顔をつくった。
「経営不安と引き抜きで社内に動揺が広がっている。学園の方も同じはずだ。俺の代わりに寮の連中をまとめてくれ。頼む」
何か言いたげなラウダを制し、グエルはハンガーに背を向ける。
「戻りが遅くなって悪かった。会社のことは、俺が責任を取る」
ジェタークの存続は未だ危うい。株価こそ持ち直したが、今の業務形態をそのまま続けていくことは難しいだろう。再編か、合併か、それとも倒産か。万が一の時腹を切るのは、間違いなく自分の役目だ。そのために恥をさらしている。
ロボットアームが伸び、シュバルゼッテにカメラアイを取り付ける。できる限りの負債を道連れにすべく、グエルはこの後の予定を組み始めた。
◇
取り残されたラウダとペトラは、困ったように顔を見合わせた。
「ラウダ先輩、あのこと、グエル先輩には……」
不安げにタブレットを抱きしめるペトラに、ラウダは努めて平静な顔をつくった。前髪に手を伸ばしながらも、どうにか考えをまとめる。
父の端末に残っていた情報は、もう一つあった。
「兄さんにはまだ黙っていてくれ。機会を見て僕から伝える。……今から話しても、もうどうしようもない」
「……はい」
シュバルゼッテとデミバーディングは大幅に出番を増やします。