「このデータ、やべえな」
オジェロ・ギャベルは、テーブルに置かれた記録媒体を恨めしそうに眺めた。
「今更だな? まあ、ぶっちゃけガンダムの開発資料だからな、これ」
隣ではヌーノ・カルガンが、同じようにタブレットをにらんでいる。端末にはケーブルが接続され、媒体の中身が表示されていた。台所からはリリッケとアリヤの作る夕食の匂いが漂ってきていたが、地球寮の雰囲気は重く沈んでいる。
「半分はまっとうなガンドの資料なんだけど……」
「今だから言うけど、プロスペラさんがこれを提供してくれたのって」
「デリング総裁が亡くなったからだろうなー」
プロスペラの置いていった「宿題」を前に、学生たちは頭を抱えた。難解であることは覚悟していたが、それだけではない。
提供されたデータは間違いなくヴァナディース機関の開発資料だった。更新日時が21年前で止まっていて、ガンダムの開発データ一式が同梱されていることを含めて。
「エアリアルの開発も、たぶんそういうことなんだよな」
ソファーに寝転んだまま、チュチュは気怠げにつぶやいた。「宿題」の出所を考えれば、プロスペラ・マーキュリーは間違いなくヴァナディース機関の関係者だ。そしてそれを、娘にも隠していた。
テーブルに向かった面々は、二階への階段を見上げた。当のスレッタは、既に丸二日寝込んでいる。
昨日の明け方、泣きながら帰ってきて、それっきりベッドから出てこなくなった。体調を崩してはいないようだが、食事の時間になっても降りてこない。女性陣が交代で声をかけていたが、何があったのか話そうとはしなかった。
「……エランにもメールしてみたけどよ、あれっきり連絡が取れねえ。ベルメリアさんもだ」
グラスレーに続き、ペイル寮の生徒にも帰宅命令が出ている。そちらも荷造りに追われていて、エランの消息まで把握していないらしい。
「ニカがいればな」
誰かがぽつりとつぶやいた。途端に部屋は静まりかえる。
今の地球寮は、メカニックも調整役も欠いている。
重苦しい沈黙の中、突然マルタンが口を開いた。
「みんな、ごめん! ニカのこと、管理会社に通報したの、僕なんだ」
「どういうことだよそれ!」
その場で頭を下げたマルタンに、チュチュが食ってかかる。
「プラント・クエタで、ニカがノレアのガンダムに信号を送っているのを見たんだ。あの二人とは、前から知り合いだったみたいに話してた。だからランブルリングの日、これ以上酷いことになる前に、って」
「最近出歩いてたのもそれかよ!?」
暴れるチュチュをオジェロが羽交い締めにする。その間に割り込んだヌーノがさらに問いただした。
「なら、本当のところはわからないんだな?」
「わかんないよ、ニカは何も話してくれなかった。管理会社に聞いても教えてくれないし、本当に確保されてるのかも分からない」
頭を抱えたマルタンに、ティルが静かに指摘する。
「ニカの怪我にあの二人が関わっているなら、先に仲間割れしていた可能性もある。ひとまず、捜査を待つしかない」
「……結局、ニカ姉はどこにいるんだよ」
ようやく座り込んだチュチュがつぶやく。
その時、部屋の外で何かが動いた。全員が気配に気づき、様子を窺う。
赤い尻尾が見えた。通路の影に隠れていたそれが、ぱっと通り過ぎる。扉の端に指先がかけられて、またすぐに引っ込む。
居住スペースに、先ほどとは種類の違う沈黙が降りた。
オジェロがハンドサインを出した。チュチュとヌーノが頷き、無言で通路の左右へ回り込む。
数秒後、動物のような鳴き声が聞こえた。
「みんなー、スレッタ起きたぞー」
「待ってください、まだ心の準備が」
チュチュに手を引かれ、スレッタが捕獲されてきた。制服に着替えてはいたが、前のジッパーは開けたまま、髪も降ろしている。
スレッタはわたわたと両手を動かし、隠れる場所を探した。途端に腹の虫が音を立て、あわててチュチュの影に縮こまる。
ちょうどその時、台所のドアが開いた。
「先輩起きたんですか?」
大きな鍋の載ったカートを押し、リリッケとアリヤが入ってくる。状況を見て取ると、アリヤは鍋の中身を手早く皿に盛り付けた。
「いいタイミングだな。味見を頼む」
スープ皿にたっぷり盛られたシチューを渡され、スレッタはおずおずとスプーンを突っ込んだ。一口飲み込む。すぐに涙が溢れる。
「……おいしい、です」
泣きながらスプーンを動かすスレッタに、マルタンとチュチュは顔を見合わせて口元を緩めた。その後ろで、今度は廊下のドアが開いた。
「ミオリネ、さん」
久しぶりに訪れたミオリネは、室内を見回し困惑した。
「ちょっと、何があったのよ? スレッタ泣いてるし。……ホルダーやめたの、そんなにショックだったの?」
「ええと、他にも、いろいろ」
「いろいろ!?」
掴みかからんばかりのミオリネに再びひりつく空気を察知し、アリヤが割って入る。
「ちょっと待ってくれ。ミオリネ、夕食はまだだな?」
頷いたミオリネに、アリヤは鍋の中身を確認した。
「シチューは足りるな。もう一人分用意するから、スレッタと温室でも見てきてくれ」
「せっかくですし、みんなで外で食べましょう。テーブルと食器、ハンガーに移動しますね」
リリッケがたたみかけ、隠れていたスレッタの背中を押す。即座にティルやオジェロが家具を移動し始めた。
「わかった。トマトもいる?」
「頼む」
「えぇ、待ってください」
あっさりきびすを返し、ミオリネは外へ出て行く。スレッタは慌てて空になった皿を置き、ミオリネの後を追った。
◇
林道を歩いて行くミオリネを、スレッタはうろたえながら追いかけた。歩きながら制服のジッパーを閉め直す。街灯のつき始めた道に、他の生徒の姿はなかった。
「あの、ええと、ミオリネ、さん」
振り返ることなく進むミオリネに、スレッタは視線をさまよわせる。かける言葉が見つからない。自分は、ミオリネの父親を助けられなかったのだから。
歩みを止めないまま、ミオリネは口を開いた。
「……ヴァナディース事変で何があったのか、あんたは知ってたの?」
「おととい、エアリアルから聞きました」
「そう」
ミオリネの背中から、わずかに力が抜けた。
「……その、ミオリネさんは」
「温室を片付けに来たの」
「え?」
スレッタは思わず立ち止まった。
「理事長室も引き払う。会社を継いだら学校は辞めなきゃだし、負けても次の理事に追い出されるだろうし。明日には本社に帰ってあんたのお母さんと打ち合わせだから、今夜のうちに片付けなきゃ」
スレッタの数歩先で、ミオリネも立ち止まる。
「私、総裁になる」
ミオリネはきっぱりと言った。
「ホルダー制だけじゃない。会社も戦争シェアリングも、あのクソ親父が作ったもの全部ぶち壊しにする。フロントでも地球でも、人が死ぬ原因になるようなことは全部やめさせる。他人を生け贄にして、自分に死亡フラグを立てまくるような経営、これ以上続けさせない」
スレッタは目を丸くした。
「お父さんの功績を台無しにして、もっとましな会社を作って、それから、ざまあみろって言ってやるの」
言い切ったミオリネは、すっきりした顔でスレッタを振り返った。いつも怒らせていた肩はすとんと落ち、揺るぎなくまっすぐに立っている。
ああ、ミオリネさんはすごいなあ。
目の前がぱっと晴れたような気がして、スレッタは自然と背筋を伸ばした。
「それが、ミオリネさんのやりたいことですか?」
「文句ある?」
ぶんぶん音をたてて首を振り、スレッタもミオリネを見返す。
「わたしも、やりたいことができました。何をすればいいかとか、方法とか、まださっぱりわからないんですけど」
エアリアルがいない今、自分にできることがあるのかさえわからない。
だけどエリクトと決闘して、
「ソフィさんのこと、エランさんのこと、ニカさんのこと、いっぱいあります。お母さんとエリクトもなにかをやろうとしています。クワイエット・ゼロって、なんだかよくわからないけど、二人だけで」
ミオリネが息を呑んだ。
「でも一番は、ガンダムのことです。エアリアルだけじゃなくて、わたしは他のガンダムとパイロットのことも、なんとかしなくちゃって、思ったんです」
天井は夜に切り替わっている。二人の立つ道を、街灯が一直線に照らしている。
「わたしは、わたしのやりたいことをやります。ミオリネさんも、自分のやりたいことをしてください。……でも」
「なによ?」
突然口ごもったスレッタに、ミオリネはいぶかしげな視線を向けた。
「たくさん失敗しました。取り返しの付かないこともしました。決闘はもうできませんし、ミオリネさんと約束したこともぜんぜん守れなかったけど……それでも、友達は、やめたくないです」
ミオリネはくしゃりと顔をゆがめた。
「やめない、わよ」
ふいに視線をそらし、怒ったような口調で言う。
「それこそ親とか関係ないじゃない。株式会社ガンダムだって続けたいし」
「でもわたし、決闘も負けちゃったし」
「誰によ?」
「前に親友って言ったら怒ったじゃないですか!」
「いつの話よ? そもそも距離の詰め方めちゃくちゃなのよあんた!」
溜息をつき、ミオリネはわずかにうつむいて尋ねた。
「……ひとつだけ聞かせて。プラント・クエタで助けてくれた時、なんで、人を殺して笑ってたの?」
一瞬考え、スレッタは愕然とした顔をした。
「わたし、笑ってましたか?」
「自覚なかったわけ?」
ミオリネも唖然とした顔をした。
「泣いたり、怖がったりしないようにはしてます。というか、そこだけは落ち着いてできたと思ってたんですが……」
「余裕、そうに見えたけど」
スレッタは首を振る。
「怖くて、動けませんでしたよ」
人が殺し合うのを初めて見た。事故現場で起こる死とは違う恐ろしさを、あそこで初めて知った。
「お母さんに魔法をかけてもらって、わたしがやらなきゃって散々言い聞かせて、怖いことは何も考えないようにして、それでやっと出撃できたんです」
「そんなに怖いなら、なんで笑うの」
唇を噛むミオリネに、スレッタは眉を下げる。
「わたしが泣いたら、誰も助けられませんから」
MSで一歩歩き出したら、ただやるべきことだけを考えろ。泣くのも後悔するのも、コクピットを降りてから。初めてエアリアルを動かしたとき、母に教わったことだ。
たくさんかけてもらった魔法も、たぶんもう効かない。
「それでも、取り返しのつかないこと、しました。ミオリネさんが怒るのは当たり前です。ごめんなさい」
ミオリネは脱力した。
それから、大きく息を吸い込んだ。
「出力を考えなさいよ、このバカ!」
「ええ!?」
スレッタの胸ぐらを掴み、ミオリネは勢いよく怒鳴る。
「助けてくれたのは感謝してるし、あんたが失敗したとも思ってない。だけど私は、あんたのやり方が正しいとは言わない」
張り上げた声のわりに、ミオリネの指にそれほど力はかかっていない。
「次なんてあっちゃいけないし、正解なんて私にも分からないけど。魔法でも何でもいいから、何か別のやり方を考えなさいよ。あんたも」
「はい」
手を放すと、ミオリネは髪をかき上げて言った。
「次の誕生日、祝って」
「え」
「あんたのやりたいことリストにあったでしょ。『友達の誕生日を祝う』って。今年は無理だから、来年やって。それで全部チャラにする」
「……はい」
二人は再び歩き出した。行く手に温室が見えてくる。
ガラス張りのドームとその奥にある個室を見て、スレッタは思いついたことを口にした。
「そうだ。ミオリネさん、引っ越し、しませんか?」
「……地球寮に?」
「みんなに相談してからですけど。トマトも、プランターとかに植え替えたら、寮の敷地で育てられませんか?」
日照を調整できない分、味は落ちるだろう。きちんと育つかもわからない。
少し考えてから、ミオリネは生徒手帳を取り出した。片手で検索をかける。
「全部は持って行けないわね。それに根を傷めるから、移植は業者に頼むわよ?」
「はい! ですけど……」
スレッタは言いよどんだ。
「ミオリネさん、散らかさないで生活できますか?」
「はァ!?」
「意外とチュチュ先輩が厳しいんですよ?」
「別に、私だってやろうと思えば掃除くらい」
「あの部屋でそれは無理があります!」
少女たちのじゃれあいは、温室にたどり着くまで続いた。