水星の魔女 ヴァナディースの灯ルート   作:九段景春

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2.虐殺の論法

 集中治療室のドアから、ベネリットグループの重役たちが出て行く。彼らが通り過ぎるのを待って、ミオリネ・レンブランは中へ足を踏み入れた。背後でラジャンがドアを閉める。

 

 ――デリング・レンブランは、ミオリネの父は、力なくベッドに横たわっていた。

 

 無数の管が身体に繋がれ、心電図が弱々しく波形を描いている。いつも大きく、目の前に立ちはだかっていたはずの父が、今は小さくしぼんで見えた。

 消毒薬の臭いに、古い記憶が呼び覚まされる。

 お母さんが死んだときも、こんなふうだった。

 

 ミオリネが近づくと、デリングはゆっくりと目を開けた。眼光だけは、まだ鋭さを残していた。

 

「……グループの次期総裁は、サリウスを指名した」

 

 父の声は、薄くかすれている。一声ごとに喘鳴が混ざった。

 

「引き継ぎまでの舵取りは、ラジャンと重役たちが行うだろう。お前は誕生日を待って嫁ぐもよし、本気でグループを出たいなら、相続した株を売却してもかまわん。好きにしろ」

「もっと他に言うことないの!?」

 

 悲しみより先に、怒りがぶり返した。視界が勝手に滲む。

 

「いきなり会社のことからはじめないでよ! 株なんてどうでもいい、まだ聞いてないこと、いっぱいあるんだから! お母さんのこととか、クワイエット・ゼロって何よ!」

 

 遺言なんて聞いてやるものか。

 涙を拭い、ミオリネはデリングに詰め寄った。

 父は驚いた顔をしたが、やがて諦めたように瞑目した。

 

「プロスペラ・マーキュリーから聞いたか」

「教えて。お母さんは、何をやろうとしていたの?」

 

 医療機器が静かな駆動音を立てる。わずかな沈黙の後、デリングは重たく口を開いた。

 

「宇宙植民共同体主導の地球復興支援特別パッケージ……いわゆる、戦争シェアリングについては知っているな?」

 

 ミオリネは眉をひそめた。

 

「地球の自治区に復興支援のための事業と融資をもちかけて、競争入札で契約、なるべく安価な再開発を後押しするビジネスモデル。……それを隠れ蓑にした、地球上での代理戦争を後押しする仕組み」

 

 デリングは否定しなかった。

 

「じゃあ、本当にやってたんだ。紛争幇助」

 

 アーシアンの自治区へ開発資金の融資を行い、見返りとしてMSや兵器を購入させる。復興し立て直された施設や産業は融資の代金としてスペーシアン企業の所有となり、生産された財は再び宇宙へ吸い上げられる。兵器は自治区や民族同士の紛争に使用され、破壊された土地は再び復興融資の対象として競争入札にかけられる。

 正式な名称は存在しない。契約書にはないし、公式に認められたこともない。だが、個別の取引全てをつなぎ合わせていくと、巨大な利権構造が出現する。多額の融資の背後では数々の癒着と抗争、自治区同士の対立と紛争を煽る工作が飛び交っているという。

 

「ドローン戦争の後、破壊された世界を統制するには、経済界の協力と支援が不可欠だった。かつての国は弱体化し、有力企業の力なくば、ようやく得た平和を維持することなどできなかった。

 だが長い戦争を経て、企業の収益は軍事に大きく傾いていた。デブリで汚染された宇宙、職を失った兵士たち、宇宙開発のための資金、企業間の対立回避。企業は市場と利益を求めていた。どこかに戦場がなければ、社会不安から再度の開戦へ至ることも想定されていた」

 

 今より小規模とはいえ、その頃のベネリットグループもまた、力を持つ企業の一つだった。当時軍を辞し、グループに入社したばかりのデリングは、試験的に行われた入札を制したことで出世の階段を駆け上がった。そのとき提出した企画こそが、復興融資のスタンダードとなった。

 

「管理された戦争が必要だった。平和と経済成長を両立させる方法はそれしかなかった」

「自分の住んでいる場所じゃなきゃいいっていうの」

 

 吐き気をこらえ、ミオリネはようやく反論する。

 

「家族を守るためだ。家族、友人、愛する人々の暮らす世界の平和を。

 戦争シェアリングの利点は、少なくとも宇宙での人的資源消耗を避けられることだ。人々の平和を求める声と、復興という建前を得たことでシステムは一気に拡大した。宇宙植民共同体が改変され、宇宙議会連合が利害調整を担うことになった時には、地球で何人が死のうとも改変を望めなくなっていた。

 ……少々綺麗事を唱えすぎたな。お前も噂でしか知らなかったように、スペーシアンは地球でのビジネスを()()と思い込んでしまった。」

 

 デリングは喘鳴混じりの溜息をつく。

 

「せめて、本来の支援活動だけは十全に行うべく、各所と折衝を行っていた。その会場に乗り込んできたのが、ノートレットだ」

 

 どこか遠くを見ながら、父はそう話す。

 

「新造した軌道エレベーターのレセプションパーティだった。彼女はたった数枚の資料と、その場で手書きしただけのスライドで、戦争シェアリングの先細りを指摘した。もっといい方法があるとプレゼンを始め、私にそのための融資を要求してきた」

 

 どこかで聞いたような話だった。

 

「それがクワイエット・ゼロ、戦争シェアリングに変わる新たな平和維持システムだ。兵器と通信を統制し、作戦段階で戦争を制止する機構。植物の地下茎を模した、一部の破壊だけでは停止できないネットワーク、というのが骨子だったが、技術も論理も欠点だらけだった。だが、地球圏から無限に搾取しつづけるよりはましに思えた。楽しかったよ」

 

 これほど懐かしそうに話す父を、ミオリネは初めて見た。

 

「計画について具体的に話す間に、彼女は宇宙へ、ベネリットのフロントへ移り住んだ。そこで生まれたのが、お前だ」

「政略結婚じゃなかったの!?」

「先にプロポーズしたのはノートレットだ」

 

 デリングは軽く咳き込んだ。さっきより息が荒くなっている。

 ナースコールを探そうとするミオリネを、デリングは目で制した。

 

「……だが、お前がそれを引き継ぐ必要はない。研究は停止を命じてある」

「お母さんが残したものなのに?」

「私亡き後、計画を正しく扱える者はいない。サリウスでも、プロスペラでも同じ事だ。

 ――株を全て放棄しても、お前が学校を卒業し自活していくだけの資産は残る。ベネリットは次の総裁に任せ、自分の会社なりに専念するがいい。撤退するなら今のうちだ」

 

 デリングは力なく言う。

 

「ビジネスモデルとしての戦争シェアリング、今のベネリットグループを支えるシステムは、お前の世代で破綻する。ノートレットの指摘がなくとも分かっていたことだ」

 

 経営の悪化について、言われてみればミオリネも耳にした覚えがあった。

 地球から得られる資源は、すでに枯渇しているのだ。

 

「知りたければシンクタンクの報告を見ろ。お前を経営に関わらせなかったのはそのためだ。……私が死ねばベネリットはハゲタカ共の餌場となる。だがそれは、サリウスなり次の経営者なりが対処すべきもの。ホルダー制とてそのための備えだ。

 株がなくとも、お前の花婿はお前を守るだろう。L(ラグランジュ)4に居づらいなら水星へ向かえ。厳しい土地だが、罪とは無縁だ。こうして命を狙われることも、お前が危険にさらされることもない」 

「散々責任から逃げるなって言っておいて、今度はそれ? ダブスタもいい加減にしてよ」

「言ったはずだ。生存率の高い方を選べと。お前の花婿は役割を果たした。優先順位を間違えるな」

「役割って、なによ」

 

 ホルダー。父に勝手に決められた婚約者。ミオリネが成人した時、学園内の決闘で最強となった者と結婚させられる。

 それが嫌で何度も家出した。それでも父が、娘を守るためにつくった仕組みだと思おうとしていた。なりゆきでホルダーとなった子と、スレッタといるのが楽しかったから、起業した会社を挟んで父とも和解できそうだったから、どうにか受け入れようとしていたところだった。

 確かにスレッタは、ミオリネとデリングを守ってくれた。人を殺してでも。

 

「最初からスレッタに人を殺させるつもりだったの?」

「お前を守るとはそういうことだ。私はノートレットを守れなかった。二度、同じ過ちは犯さない」

 

 めまいがした。目の前に横たわっているのが、まるで知らない生き物に思えた。

 

「人の人生をなんだと思ってるのよ」

「お前に責任はないと言っている!」

 

 父は一喝した。

 

「お前は手を汚していない。平和のためにアーシアンを生贄にしたのは、私であってお前ではない。その重みは、引き金を引いた者のみが負えばいい。ベネリットのことも、クワイエット・ゼロも、ましてやヴァナディース事変や花婿のことも……」

「どうして、スレッタとヴァナディースに関係があるの?」

 

 デリングは目を見開いた。

 

「プロスペラは、お前に何も話さなかったのか!?」

 

 その表情で、ミオリネの中ですべてが繋がった。

 かつて父が虐殺した組織の生き残り。スレッタの母がヴァナディース機関の出身であるなら、全ての疑問に説明がつく。顔を隠していた理由も、エアリアルの開発も、ミオリネに向ける視線も。

 

「じゃあ、スレッタにお父さんがいないのは」

 

 何かがおかしい。矛盾している。

 それに気がつく前に、ミオリネの口から言葉が落ちた。

 

「お父さんが、スレッタの家族を殺したの?」

 

 デリングは口を開こうとした。

 何かを言う前に、その顔が大きく歪んだ。

 

 食いしばった歯から、うめき声が漏れる。点滴の刺さった腕がのたうち、医療機器がけたたましい音を発した。待機していた医者が駆け込んでくる。

 我に返ったミオリネの呼びかけにも、父が答える様子はない。

 心電図がアラームを鳴らし、横一直線を描く。救命処置を行っていた医者も、やがて力なく首を振った。時計を見、臨終の時間を告げる。

 

 目を開かなくなった父を、ミオリネは呆然とした顔で見つめた。

 涙は、出なかった。

 

 

 ◇

 

 

 そのニュースは、真っ先にベネリットグループ内へ伝えられた。

 

 フロント管理会社の一室、地球寮の面々が拘留された部屋にも、報道は流される。

 赤い髪の少女は、呆然とつぶやいた。

 

「そっか。わたし、ミオリネさんの家族、守れなかったんだ」

 

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