今回からオリキャラが登場するため、タグを追加しました。
埃が舞う部屋で、少女はチェス盤から顔を上げた。背中で三つ編みが揺れる。独特の振動。また艦が入港したらしい。
「今日、お客さん多いね」
少女のつぶやきに、壁際を漂っていた少年が答えた。
「取引だってさ。ベネリットが潰れてスペーシアンの勢力が変わるから、みんな忙しいんだ」
訳知り顔に話した少年は、手に持ったナイフを投擲した。ナイフは狙いを過たず、壁にスプレーで描かれた的に突き刺さる。もう何度繰り返したのか、壁は無数の傷で覆われていた。
「ギィ、そういうのどこで聞いてくるの?」
「大人はみんな言っているよ。僕らが聞いてると思ってないから、何でも話す。ムジカが聞いてないだけだ」
「どうでもいいよ。ガンダム乗らなくて良いなら、なんでもいい」
最後の駒を並べると、少女は盤上を無造作になぎ払った。まっさらになった盤上にポーンをひとつ置き、そこから一定間隔でまた駒を並べていく。マグネット式のチェス盤に、ポーンだけが並んでいく。
「そういえば、これは聞いた?」
「何」
壁から勢いよくナイフを引き抜き、少年は少女を振り返った。
「キャリバーン。今、ここのハンガーにあるんだって」
「聞きたくなかった。話が早いな、乗れ、とか言われたらどうすんの」
「お客さんに渡すらしいから大丈夫だよ」
「あんなヤバいの、貰ってうれしいの?」
「それは知らない。僕も考えたくないな」
それだけ言い置いて、少年はまたナイフを投げた。少女もチェス盤に意識を戻す。どこか遠くで、鍵のかかる音がした。
◇
無人の部屋に投げ込まる。背後でドアが閉まり、電子ロックの重い音がした。
スレッタは慌ててドアに飛びついた。扉は重く、内鍵のパネルは取り外されている。かすかに床を蹴る音がして、兵士たちの気配が遠ざかっていく。
「……どうしよう」
スレッタはおろおろと辺りを見回した。
部屋は照明が切られ、非常灯だけが点々と光っている。元は居住スペースだろうか。壊れた家具が壁に寄せられ、短い廊下にいくつかのドアが見える。
かすかな頭痛に、スレッタはこめかみを抑えた。明るく照らされた廊下がフラッシュバックする。手を握りしめ、おそるおそる奥へ進む。
廊下の奥には通信ユニットが置かれ、左手に別の部屋が続いている。壊されてはいないが、かなりの年代物だ。パネルもスイッチも劣化し曇っている。水星の設備と似たり寄ったりの古さだ。
もしかしたらこれで、アリヤたちの居場所が分かるかもしれない。スレッタはユニットの裏をのぞき込み、引き抜かれた配線を元に戻した。インターフェイスらしき部分に、赤いランプが点る。感覚で起動ボタンを探し、タッチする。
触った瞬間軽い電子音がして、モニターが白く発光した。
同時に遠くで、ロックが外れる音がした。
慌ててモニターを見る。生体コードを照合、エラーは出ていない。古い液晶に、緑の文字で、OPENの文字が揺れている。
息が止まる。
アカウント名は、エリクト・サマヤ。
たぶん、そういうことだ。
じゃあ、こっちの部屋は。
スレッタはふらふらと歩き出した。ダイニングに足を踏み入れる。
中は片付けられていた。残された遺物はみな、部屋の隅に掃き寄せられている。
静かに歩み寄る。ガラクタの中に、割れた写真立てを見つける。デジタルでない、プリントアウトされた写真。女性が二人写っている。
白い服の老女はカルド・ナボ博士だ。PVで見たのより、少し若い。
じゃあこの、行儀悪く机に腰掛けて、スレッタの見たことのない顔で笑っている、赤毛の女性は。
「おかあ、さん」
ドアの開く音がした。空気が動く気配と、壁を蹴る音。
「よぉ」
ノーマルスーツの青年が、姿を見せる。知っている顔だが、ピアスはつけていない。
今は彼が、知らない人間だと知っている。
「俺に会いに来たんだって?」
スレッタは写真立てを握りしめる。
「……はい。エランさんのことを、聞きに」
◇
「5号が話したか。俺のことはもう知っているな?」
インキュベーションパーティーで一度だけ会った青年、「本物」のエラン・ケレスは、ゆっくりとした足取りでダイニングに踏み込んだ。遠くでドアの閉まる音がする。
「ハンカチはあいつの入れ知恵か? どうせグラスレーへ逃げ込んだんだろうが」
「それは、知りません」
数歩後ずさりながら、スレッタは精一杯の警戒を向ける。
「ジェタークなりミオリネ・レンブランなりを頼ったなら、こちらに情報が入っている。あいつら隠し事が下手だからな。ペイルグレードの監視を知っているなら学園からは出ない。なら、テロの証拠でも掴んでグラスレーに駆け込むのが一番手っ取り早い。タイミングを考えるに、CEO誘拐の現場でも目撃したんだろ」
「誘拐の証拠、グラスレーって、シャディクさんが、テロの犯人? どういうことですか?」
「それは今どうでもいい。時間はまだあるが、タダで話す義理はないからな」
混乱するスレッタを後目に、ケレスは壁際の椅子を引き出してかけた。
「俺の質問に答えろ、スレッタ・マーキュリー。回答次第じゃ4号のことを教えてやらんでもない。俺は5号の知らない情報も持っているし、他の情報源も紹介できる」
スレッタは写真立てを抱きしめた。この人はたぶん、仕事でここに来ている。フォールクヴァングから逃げる手がかりを持っているかもしれない。
「何を聞きたい、ですか?」
「そもそも君、どうして議会連合の艦に乗った? 強硬派とは別口のようだが」
スレッタはつっかえつっかえ、インターンシップに行くことになった経緯を話した。
「フェンさんたちは、ベルメリアさんとシン・セーの事業、水星について調べたかったみたい、です。全部は聞けてない、ですが」
「君だけ隔離された理由は?」
「ここの施設の人が、ペーパークリップがどうとか、って」
ケレスは眉をしかめた。
「ふうん。月は本気か」
「また月、ですか?」
スレッタは首をかしげる。最近よく聞く言葉だ。スレッタにとっては不吉でしかない。
「宇宙議会連合の最大派閥だよ。この施設に金出してるのもそいつら。君が組んでいた連中は穏健派だな。艦の型式からしてL2の系列か」
「え? ここ、フォールクヴァング、ですよね? オックスアースがここを使っていて、議会連合が出資? どうして」
スレッタの疑問を無視し、ケレスは次の質問に移った。
「そのL2の捜査官、どうやってベルメリアを見つけた?」
「プラント・クエタにいることを、最初から知ってたみたいです。ベルメリアさんは、テロの後移動していなかったそうですし」
「……まさか」
ケレスは手持ちのタブレットを叩きだした。
「もう一つ確認だ。クワイエット・ゼロ、知っているな? エアリアルのガンドフォーマットを介したパーメット機器の励起……というより上書きか。それを用いた宇宙規模の電子戦兵器、ってことで、合ってる?」
スレッタの表情を見て、ケレスは愉快そうに笑う。
「当たりか」
「……エアリアルは、オーバーライドって呼んでました。カルド博士の論文を元に、お母さんとデリング総裁が立てていた計画、です。兵器かどうかは、知りません」
「完成度は? 君がシャディク・ゼネリと決闘した時点で、MSの武装だけなら上書きできていた。エアリアルを降りているなら、ガンダム側だけは完成したとみている。
――どこまでできる? 何が起きた? 敵MSを停止させる、とかか?」
この人は何を知りたいのだろう。できるだけ言葉を選びながら、スレッタは回答を続ける。
「近くの電子機器なら、自分で操作、できるみたいです。メールを送ったり、とか」
「スコアは?」
「8、です」
「ペイルのしくじりはそこか」
ケレスは舌打ちした。
「しくじったって、ならどうしてファラクトをつくって、エランさんをパイロットにしたんですか?」
「
……君が聞きたいのは強化人士のことだったな。あいつが影武者に選ばれたのは、身体条件の一致に加え、当時のペイルで最強のパイロットだったからだ。雇用時にリスクは説明したし、ばあさんたちはともかく俺は報酬も用意していた。4号がどうして契約することになったか、そこまでは俺も知らない。あいつも覚えていないだろう」
「エランさんが……だから、エアリアルを狙ってたんですか?」
「ペイルは自社開発にこだわってない。完成品が外にあるなら、それを使った方が早いだろ」
ケレスは椅子から立ち上がった。タブレットの操作に反応し、遠くで電子ロックが開く。
「話が終わりだ、急用ができた。俺は艦に戻る」
「まだ話は終わってません!」
スレッタは廊下のユニットに飛びついた。再びドアがロックされる。
ケレスは驚愕の表情を浮かべたが、やがて納得したように溜息をついた。
「ああ、そういうこと。……君、自分の立場分かってる? 俺の話より、自分の脱出を考えた方がいい」
余裕を取り戻し、ケレスはにやにやと笑う。
「君がこのまま月に連行されると、シン・セーもベネリットも詰むんだけど?」
「え?」
「まあ、知らないよな。デリング・レンブランの手癖だ。自分にとって重要なものほど価値がないように扱う」
「どういうこと、ですか?」
なぜ、ここで水星がでてくるのか。
ケレスは改めて向き直った。
「宇宙議会連合の活動内容は知っているな? ああ、表向きだけでいい」
「……月にあって、フロント間の調停をする組織だって、学園で」
「じゃあ、議会連合の代表的な調停対象は?」
スレッタも、それだけは知っていた。
「
「そう。月で採掘されたパーメットを、どの企業にどれだけ売却するか。その決定権を握っている。
ついでに言うなら、現議会議長の後ろ盾はパーメット採掘企業。君のところの商売敵。採決に逆らったが最後、どの企業も資源不足で立ち行かなくなるわけだ。
ベネリットグループが議会に対抗できるほどの力を持っていられたのは、デリングの功績や経済力だけじゃない。月の利権に影響されないパーメットを握っていたからだ」
水星にいた頃聞いたことがある。パーメットの鉱脈そのものは、太陽系のあちこちで見つかっているらしい。だけど、採算が取れるほどの質や量があるのは、月と水星だけだと。
「月の連中にしてみれば、ベネリットグループは長いこと目障りだった。デリングが死んで、議会はいよいよグループ解体に乗り出した。ペイルとの交渉も含めていろいろ工作しているようだが、その一つが君ってわけだ。……ペーパークリップ作戦は、議会連合のリクルート計画だよ。武力衝突の前に、月にとって有用な人材を回収しようとしている」
「ベネリットグループを潰すために、水星のパーメットが邪魔で、わたしを使ってどうにかしたい? で、でもわたし、ミオリネさんみたいに株とか持ってませんよ? 社員だけどレスキュー員だし、それにお母さん、確か雇われCEOだって」
「一族経営じゃなくても、現CEOの直系ってのはそれなりの価値がある。例の動画で顔も売れてるしな。おまけに水星は僻地だ。実態は誰にも確認できない。
クワイエット・ゼロの開発、ガンダム運用、適当な理由でプロスペラ・マーキュリーを排除した上で君を跡継ぎに据え、議会連合が後見。あとは訴訟でも起こせば、L4から水星を切り離せる」
スレッタは唾を飲み込む。ベネリットを離れれば融資を打ち切られるし、月は鉱山を必要としていない。このままいけば、水星に待っているのは廃業だけだ。
「俺なら君の名前でクワイエット・ゼロを内部告発して、議会に水星の窮状とデリングの圧政を訴えさせる。ストレートにヴァナディース事変の遺族として出してもいい。水星の離反、つまりパーメットの禁輸とベネリットへの介入。これでどっちも達成できる。軍事侵攻よりは平和的だろ? それに君」
ケレスはスレッタの手元を見た。
「クローンだかリプリだか知らないが、普通の人間じゃないだろ。水星から生殖医療の適用申請が出た記録はない。それだけでもシン・セー社に強制執行をかける理由にはなるさ」
「できればとか、あればとか、もしもの話ばっかりじゃないですか」
「本命はお前じゃなくシャディク・ゼネリだろうからな。実現性の高い策略は他にもあるし、放置しても害はない。だが、ベネリットにとどめを刺すには最高の駒だ。
なんとかの皮算用だよ。君さえ押さえておけば、どう転んでも4か月後の月面サミットでグループに致命傷を与えられる。それで宇宙は強硬派のものだ」
「……わけ、わかんないです」
理屈は半分もわからない。だがとにかく、水星と学園とベネリットグループ、それにミオリネが危ない。
どうにかして知らせなければ。それに、お母さんを、
あの母が、知らないなんてことがある?
ふと、その可能性に思い至る。
たった今聞いた話。エアリアル。宇宙議会連合。月。パーメット。水星。ペイル社。シン・セー。オーバーライド。ファラクト。エラン。
目を泳がせ立ち尽くすスレッタを横目に、ケレスはタブレットを叩きドアを開ける。
「まあ、そういうことだから。お前が月に全面協力すれば、一緒に来た連中の安全くらいは確保できるんじゃないの?」
廊下を歩き出すケレスの背後で、スレッタは静かにつぶやいた。
「そっか。知ってたんだ」
口の中に苦いものが広がる。
母とエリクトと、ベルメリアの関係。
思いついてみれば当たり前の話だった。
ケレスが不審げに振り返る。スレッタは顔を上げ、たった今気がついたことを口にした。
「今月に行ったら、ファラクトや強化人士のこと、お母さんに全部ばらされます」
「へえ、どうやって?」
ケレスは面白そうに眉を上げた。
「開発競争に負けたって言いましたよね? もしかして、ペイル社もクワイエット・ゼロと同じものを作ろうとしてたんじゃないですか? AIをアップグレードするために。
ハンガーのシステムを、エリクトは自力で操作してた。たぶんファラクトにも侵入して、情報を全部奪ってる。オーバーライドで、今のエアリアルはペイルグレードと同じことができます。お母さんはとっくに、ペイルが何をしているのか知ってたんです」
「うちとは総裁選で敵対しているだろう? まだ告発していないのはなぜだ?」
その理由も、今のスレッタには分かっている。
「ベルメリアさんのためです。クワイエット・ゼロの開発にあの人が必要だったから、あなたたちから守ってたんだと思います。フェンさんたちに捕まって開発に協力させられなくなったから、もう黙っていなくてもいい。
エアリアルなら通信システムもオーバーライドできます。総裁選が終わりそうな今、いつ公表してもおかしくない、です」
「ベネリットを崩壊させ、L4で戦争シェアリングを運用するのが議会の最終目標だ。
オックスアースがガンダムを提供した以上、シャディク・ゼネリの首根っこは押さえられている。ジェタークは落ち目、他の企業にもとっくにリクルーターが干渉している。
総裁が決まった時点で、ペイルはクワイエット・ゼロという大量破壊兵器開発の容疑でベネリットを告発する。どんな機能があろうと、起動する前に会社を抑えてしまえば鉄くずだ。今更プロスペラ・マーキュリーが何を公表しようと、議会が報道ごと握りつぶすだろうよ」
スレッタは必死で考える。
ミオリネだったらどうする?
捕まっている仲間と、水星と、5号のエランに頼まれたこと、それから目の前の男。一番じゃなくていい、なるべく全員が助かる方法は何だ?
「ここからの脱出、手伝ってください」
「は?」
「内部告発、効果あるんですよね? お母さんより早く、あなたがペイル社を告発するんです。ベルメリアさんはここにいるし、ファラクトも5号のエランさんも学園です。証拠はこっちにあります。月の人たちを止められるなら、フェンさんたちもきっと協力してくれます」
ケレスは露骨に顔をしかめた。
「俺に何のメリットがある。市民ナンバーも地位も全部会社に紐付けされてるんだけど? お前の提案こそ皮算用だろ」
廊下に立ちはだかり、スレッタは必死でケレスを威嚇した。
「仕事は、ミオリネさんに頼んでみます。株式会社ガンダムもあるし、戦争から逃げたいなら水星にだって行けます。
全部もしもの提案だけど、これだけはわかります。会社がどうなったって、お母さんはクワイエット・ゼロを止めたりしない。エランさんもファラクトも捨てたなら、ペイルのシステムは、エアリアルに勝てません。絶対に」
「ベネリットが潰れるなら万々歳だ。今のうちに月に逃げれば、特等席から見物できる。リスクも考えずにほいほいついて行くほど、気楽な立場じゃないんだよ」
「わかりませんよそんなの。さっきから会社の方針ばっかりで、あなたこそ何がしたいんですか。学校もパイロットも人任せにして、あなた何もしてないじゃないですか。進みも逃げもしないんですか」
額に青筋を立て、ケレスは何か言おうとした。
その瞬間、爆発音が響いた。
◇
その、数分前。
「通信封鎖完了」
「アンチドートポッド設置完了、起動します」
「大小ドローンユニット、60秒後に散布」
「MS隊、発進準備完了」
暗号通信が飛び交う。旧式の艦艇に牽引されたポッドから、小型の無人機が放出される。かつて地球の海にいた甲殻類に似たそれは、小惑星の周囲を整然と取り囲んでいく。存在を秘匿するため、電波を極力遮断していた要塞は、まだ襲撃に気づいていない。
「ベルメリア・ウィンストン博士の所在を確認。施設内へは俺が侵入する」
デスルターのコクピットで、ゴドイ・ハイマノは発進シークエンスをこなしていく。コンソールには、かつて滅ぼされたはずのフロント、その構造図と改修点が表示されている。
「MS隊発進。オックスアースはすべて撃墜しろ」