水星の魔女 ヴァナディースの灯ルート   作:九段景春

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日記・3

 空っぽのハンガーに、作業時間を告げるアナウンスが響いている。

 この施設――ペビ・コロンボ23にとって、輸送船の出入りは数ヶ月に一度の大仕事だ。職掌に関わらず、住民全員が搬入作業に走り回っている。

 忘れ物はない。もう一度だけハンガーを見回し、港へ向かう。帰りの運賃代わりに、モビルクラフトでの運搬を頼まれていた。

 

 仕事は滞りなく進む。MSパイロットとして、この手の操縦技能は一通り修めている。いつどうやって覚えたのか、訓練の記憶は無い。それでも、身につけた技というものは簡単にはなくならないらしい。何も無いと思った自分にも、できることはある。あるいは、これから覚えてもいいのかもしれなかった。

 

 全てのコンテナを積み込み、搭乗口へ向かう。手荷物はスーツケースに詰め込まれた記録媒体のみ。読み終えた日誌もそこに収まっている。限界までデータを取り込んだそれは、心なしか重量を増していた。

 

 港は見送りに出た人々でごった返している。中には顔見知りになった住民の姿もあった。自身の姿に気づき、男が一人こちらに歩み寄ってくる。

 

「知りたいことはわかったか」

「さっぱり。かえって沢山増えた気がする」

 

 そう答えると男は、そんなもんだ、と笑った。

 

「データはすべて持ったな?」

「ハンガーと、研究室にあったものは全部」

「なら、これも持っていけ」

 

 男の手には、記録媒体がもう一つ載っている。

 

「我が社と、デリング・レンブランとの通信記録だ。プロスペラCEOの動き次第だが、何かの証拠にはなる。プロスペラと開発課の連中がどう出るかはわからん。もしもの時はそれを、スレッタのために使ってくれ」

 

 媒体を受け取ると、住民たちは口々に頼み事を始めた。 

 

「プロスペラは絶対に何かやらかす。おそらくエアリアルを使ってな」

「もう始まってるかもしれん。俺たちじゃ止められねえ」

「ベネリットがどうなろうが、水星だけなら何とでもなる。俺たちのことは気にするな、あんたはあの子を助けてくれ」

 

 数ヶ月前はこうではなかった。

 

 押しつけられたチケット一枚を手に訪れた自身を、水星の住民たちはうさんくさそうに迎えた。帰りの便に乗れないことが分かると、嫌々ながら隅の部屋を貸し出され、食費の代わりに雑用を行うよう言われた。

 しばらくは遠巻きに見られ、最低限の指示以外会話に応じられることもなかった。磁場と太陽光が荒れ狂う宇宙で、昼も夜もなくデブリの除去や外壁の修繕に追われた。

 住民にスレッタ・マーキュリーのことを聞いても、不審を露わに断られるだけだった。代わりに素性を問われることもなく、そもそも社交的な星ではないようだった。

 

 状況が変わったのは、プラントクエタ襲撃のニュースが届いてからだ。磁場の弱い時間帯にまとめて送信されるニュースには、学園襲撃と総裁死亡まで一連の流れが含まれていた。

 顔役らしい住民に呼び出され、学園のことを根掘り葉掘り聞かれた。自分の知る、ほんのわずかな彼女の話を、住民たちは真剣に聞いていた。

 

 話は自然に、ガンダムのことになる。改めてスレッタとエアリアルのことを聞くと、マーキュリー家のハンガーに案内された。傍らの研究室にはプロスペラ・マーキュリーの日誌が残され、開発データの閲覧と持ち出しを許可された。

 

「プロスペラと直属の部下は、全員ヴァナディース事変の生き残りだ」

 

 豹変した態度の理由を問うと、そう返ってきた。ベネリットグループの政変について、何らかの関わりがあると確信しているようだった。

 

 出港のアナウンスが流れる。

 スレッタを案ずる人々の中、一人が吐き捨てるように言った。

 

「あいつに伝えてくれ。二度と帰ってこなくていいってな」

 

 あんた、と、配偶者らしき女が止めるのも聞かず、年配の採掘員は不機嫌さを隠さず続けた。

 

「スレッタには学校も、あんたみたいな友達もいるんだろ。ならもう水星なんかに戻るな。こんな、ガキをコクピットに閉じ込めるような星、とっとと忘れたほうがいいだろ」

 

 それっきり背を向けた男に、社員たちは静まりかえった。

 

「最初に事故現場に飛び込んだとき、止めとくべきだったな。あれで何人も助かったから、そのまま仕事をさせ続けっちまった」

「あいつはパイロットじゃなくて、ただの子どもだったんだ。年相応のことなんか何もしてやらなかった。誕生日ひとつ、祝ってやったことないんだ」

「俺たちは間違えたんだ。これからはあの子に、やりたいことをさせてやりたい」

 

「……彼女はきっと、後悔していないと思う」

 

 わずかな付き合いだが、確信はある。スレッタ・マーキュリーは、この星に生まれたことを恨んではいない。

 

 それに、本当のことは、今から聞きに行けばいい。

 

 アナウンスが響く。最後に握手を交わし、タラップへ足を向ける。

 手荷物はスーツケース一つだけ。

 だが、持ち帰るものは山ほど抱えていた。

 

「ありがとう。ここに来てよかった」

 

 背中で搭乗口の閉まる音がする。エンジンの振動が伝わる。狭い船室にはモニターが設置され、録画されたニュースを映している。流れる字幕は、総裁選の途中経過を報じていた。

 




予定していた伏線は張り終えました。
次から回収に入ります。
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