ホルダー制度の撤廃を、アスティカシア学園は静かに受け入れた。
そもそも当事者のほとんどは不在。誰一人得をしていた者もなく、わざわざ反対しようとする声も上がらない。
テロの影響は大きく、ランブルリング以降、率先して決闘を行う者もいなくなっている。生徒たちの話題は、今後のグループと後援企業の行き先に占められていた。
「お前、本当にこれでよかったのか?」
地球寮のハンガー。箒を片手に、チュアチュリー・パンランチは元ホルダーへと話しかけた。積みかけのコンテナボックスを置き、スレッタは振り返る。制服の色は、とっくにグリーンへ戻されていた。
チュチュが袖の色を差すと、スレッタは何でもなさそうな顔で笑った。
「ミオリネさんが決めたことですから。だって、ずっと止めたがっていたじゃないですか」
乱雑に積まれたコンテナを整理し、落ちていた部品を空き箱へ収める。エアリアルもデミトレーナーもファラクトも、普段ここに収まっているMSたちはまだフロント管理会社の管理下だ。接収から戻ってくる前にハンガーを掃除しよう、と言い出したのもスレッタだった。
「これでよかったんですよ。わたしは結局、役に立てませんでしたから」
開けっぱなしの搬入口から、寮のニワトリが迷い込んでくる。ここは入っちゃだめですよ、と、鳥を抱え上げるスレッタに、チュチュが口を開こうとしたとき。
外から怒鳴り声が聞こえた。次いで、誰かが怒鳴り返す声。
二人はハンガーを飛び出した。
もめ事は寮の正面で起こっていた。通りに面した、株式会社ガンダムの看板を置いた場所。スプレー缶を手にした生徒たちと、オジェロら男子勢がにらみ合っている。
スレッタたちの後ろから、マルタンら残りの面々もやってきた。
「何やってんだてめえら!」
スプレーを吹き付けられた看板を見て、チュチュが箒を振り上げた。
見知らぬ生徒たちが怒鳴り返す。
「てめえらこそ何でまだ学園にいるんだよ」
「テロリストを引き込んだの、お前らだろ! さっさと出て行け!」
振り上げられたスプレー缶に、スレッタは思わずひるんだ。抱えられたままのニワトリが、鳴き声を上げて羽ばたく。
鳥の勢いに気圧されながらも、生徒たちは再び地球寮をにらみつけた。慌ててマルタンが割って入る。
「確かにソフィとノレアを受け入れたのは僕らだ。だけど、あの子たちのことは本当に何も知らなかったんだ。このことは管理会社にも説明した。僕らの中に、犯人はいない」
「そんなの信用できるか!」
男子生徒の一人が足を踏み出す。その瞬間、更に後ろから声がかけられた。
「今のやりとり、見てたからね!」
小柄な女子生徒を先頭に、数人の生徒が集まっている。
「フェルシーさん、と……」
誰だっけ、この人たち。
スレッタはこっそり首をひねった。聞いたことのある声だ。だがジェターク寮のフェルシー・ロロ以外の面々に、どこで会ったか思い出せない。
見知らぬ生徒たちは、地球寮をかばうように割り込んだ。
「フロント管理会社が釈放したんなら、証拠は見つからなかったんだろ?」
「そいつらまだ監視対象だぞ。お前らのしたことも、全部管理会社に見られてるからな」
「あんたの親、総裁選に立候補するんだってな。やらかしたら選挙に響くんじゃねーの?」
口々に言い返され、スプレー缶の集団はひるむ。図ったようなタイミングで、ハロを載せた案内用ドローンが道を通りがかりカメラを向ける。後ずさりした一人をきっかけに、生徒たちはてんでにその場を去って行った。
全員がいなくなるのを待って、スレッタたちは改めてフェルシーらに向き直った。
「ありがとう、ございます」
ひとまず礼を言うマルタンに、地球寮生たちが続く。緊張感はなくならない。
「……てめえら、ランブルリングに出てたな」
箒を降ろしたチュチュの言葉で、スレッタはようやく彼らを思い出した。MSとパイロットスーツの印象しかなかったが、確かに決闘した覚えがある。
「お前らの疑いが晴れたわけじゃねえよ」
端にいた男子生徒が、硬い表情でスレッタを見た。
「だけど、そいつのシールドがなければ俺たちは死んでいた。これで貸し借りなしだ」
ぶっきらぼうに礼を言い、男子生徒はきびすを返す。他の面々も、一言だけ感謝しては去って行く。
最後に残ったフェルシーが、チュチュに向かって口を開く。
「ラウダ先輩を助けてくれて、ありがと。先輩が会社から帰って来れないから、あたしが来た」
「身体張ってたのはおめーも同じだろ」
チュチュが不機嫌そうに言う。
「それでもあたしだけじゃだめだった。……でも、次決闘するときは別だからな! 今度こそうちの寮が勝つ!」
腰に手を当てて宣言し、フェルシーも走り去っていく。
「……なんだったんだ」
顔を見合わせる寮生たちの耳に、またしても来客の声が響いた。
「お邪魔しまーす」
なじみのある声がして、スレッタは建物の反対側へ向かった。
居住スペースの入り口に、仮面をつけた女性が立っている。足下には大きなスーツケースが置かれていた。
「お母さん!?」
スレッタの声に、地球寮の面々は仰天した顔を向けた。
プロスペラ・マーキュリーは、首をかしげてにっこりと笑う。
「こんにちは。スレッタのお母さんです」
◇
スレッタはぎこちない手つきでティーポットを傾けた。濃くも薄くもない水色がカップに注がれる。
教えてもらったとおりにやったはず。ティーカップを傾けるプロスペラを、スレッタはお盆を抱きしめて見つめる。ダイニングテーブルを囲む寮生たちも、緊張した面持ちで見守っている。
「うん、おいしい。ありがとう、スレッタ」
プロスペラがカップを干すと、ダイニングをほっとした空気が包んだ。
「よかった。やりかた、みんなに教えてもらったんだ」
端に座っていたティルから順に、スレッタは寮生たちを紹介していく。頷きながら聞いているプロスペラに、寮生たちはそっと顔を見合わせた。一人足りないことは、気づかれていないらしい。
「いきなり来るからびっくりしたよ。今日はどうしたの」
ようやく席についたスレッタに、プロスペラは軽い調子で答えた。
「スレッタの生活を見てみたくて。でもその前に、まずはエアリアルの修理について。先に損傷を確認してきたけど、もう一度本社でオーバーホールしないといけないわね」
「やっぱり、時間、かかるよね」
うつむいたスレッタに、プロスペラは優しく微笑む。
「ちゃんと治るから安心して。……そこでなんだけど、一度、エアリアルの所属をシン・セー社へ戻したいと思うの」
プロスペラはマルタンの方を見た。
「寮長さんはあなただったわね? ……というのもね。うちの会社からの寄附金、次に振り込めるのが半年後になりそうなのよ。それまで修理費を負担していただくのも悪いし。一度社に戻してもらえれば、うちから直接費用を出せるの。どうかしら?」
寮生たちを見回し、プロスペラは首をかしげた。
寮所属のMSの修理は、各寮への寄附金からまかなうことになっている。推薦企業の資産に関わらず、学生のMSを平等に整備するための規則だったが、予算の乏しい地球寮ではそれが裏目に出ていた。
学生たちは顔を見合わせる。
資金の問題は大きい。ましてや、今はニカがいない。
「僕らとしてもありがたいお話ですが……スレッタは、それでいい?」
「あ、はい。お母さん、お願いしていい?」
「ありがとう。会社の輸送船で来ているから、管理会社から直接受け取っていくわ。修理にかかる時間はわからないけど、もう決闘もないし大丈夫ね?」
柔らかく笑うプロスペラに、スレッタはあいまいに頷く。
「よかった。戻りは明日になるから、エアリアルの見送りはそれまでにね。
――それで、もうひとつ。これは、株式会社ガンダムへの案件になります」
プロスペラは居住まいを正した。参観に来た母親の顔が、社会人のそれに切り替わる。
携えていたスーツケースの鍵をあけ、プロスペラはテーブルの上に開いた。クッションの敷かれたケースには、大型の記録媒体が複数収められている。ラベルに記された容量は大きい。それぞれにMSの開発データがまるごと収まるサイズのものだ。
「私が個人的に所有していた、ヴァナディース機関の開発資料です。21年前当時の、ガンド義肢の開発資料や治験記録、それ以外にもいろいろ。今後あなたたちが、ガンドの開発をする上で必要なデータが全部揃っています。――あなた方株式会社ガンダムに、これを引き継いでいただきたい」
誰もがプロスペラに気圧される中、どうにかティルが口を開いた。
「なぜ、今これを?」
「これを見てもらえば分かるかしら」
プロスペラは左袖をまくった。人工的な銀色がさらされる。
片手を添えると、義肢は軽い音をさせて外れた。
「ガンド義肢の実物です。新しいPVを見せていただきましたが、あなた方の技術なら、これを託せると判断しました。個人的に所有していた資料で、きちんと整理されていなかったものですから、お渡しできるまでに時間を要しましたの。受け取っていただけるかしら?」
スレッタは、プロスペラと義手を交互に見た。
母は何も言わずに返答を待っている。
「これも、エアリアルのために、なるんだよね?」
「ええもちろん。修理が終わるまでの宿題になるかしら。時間がかかると思うけど、読んでみて」
スレッタはスーツケースを引き寄せた。寮生たちも反対しない。
プロスペラは静かに肩の力を抜いた。スレッタが電話したときと同じ、柔らかくて優しい声で言う。
「ありがとう。私たちのガンドを、お願いね」
◇
地球寮の生活スペースと、スレッタの部屋と、ハンガーに飼育小屋。一通りを案内され、プロスペラは帰路についた。
見送りはスレッタだけだ。久しぶりに二人で話してこいと、寮の仲間に背中を押された。
プロスペラの機嫌は良い。手振りを交えながら、楽しそうに寮の感想を話す。時折仮面の一部に白い光が走った。スレッタの知らないうちに、新しいデバイスを入れたのだろうか。
「さすがにヤギはびっくりしたわ。でも、スレッタが学校に馴染めていてよかった。編入していきなりあれだったから、お母さん心配したのよ」
「うん。みんな、いい人たちだよ。エアリアルのことも大事にしてくれるんだ」
「学校、楽しい?」
「……楽しいよ。いろいろあったたけど、来て良かった」
スレッタの含みに、プロスペラは立ち止まって顔をのぞき込んだ。
「エアリアルと何かあった?」
スレッタは言葉に詰まった。
「……うん、ええ、と……」
どう話していいかわからない。あのとき何が起こったのか、あれは一体誰なのか。
わたしは何を聞きたいんだろう。
うつむいたままのスレッタに、プロスペラはやにわに腕を伸ばした。
スレッタの頭を、義手でない手のひらが撫でる。
「スレッタ。よく頑張ったわね」
スレッタはおずおずと顔を上げた。
仮面の下で、母は満面の笑みを浮かべていた。
「プラント・クエタでも、学園でも、あなたはみんなを守った。怖かったのにちゃんと戦った。エアリアルと無事に帰ってきた。やっと直接言えるわ。本当にありがとう」
「おかあ、さん。でも、わたし、上手くできなかったよ」
ミオリネさんの家族、助けられなかったし。人、殺しちゃったのに。
スレッタのつぶやきに、プロスペラは首をかしげる。
「他に方法はなかったんでしょう?」
母の声は落ち着いていた。テロリストを射殺した時と同じく。
「お母さん捜査官の人に聞いたのよ。プラント・クエタの襲撃で、テロリストと戦った人全員に正当防衛が認められるって。実況見分も済んで、裁判所からも同じ見解が降りてるの。お母さんもゴドイも、もちろんスレッタも、誰かに責任を取らされたりしない。総裁のことは残念だったけど、スレッタがいなきゃミオリネさんまで亡くなっていたわ」
「でも、ソフィさんだって」
「やらなかったら死んでいたかもしれない」
優しかった母の口調に、違う色が乗る。
スレッタは知っている。これは、何も答えてくれない時のお母さんだ。
「エアリアルと自分を守れた。みんなを助けられた。襲撃者も撃退した。施設も無事」
言い慣れたセリフを繰り返すように、プロスペラは指折り数え上げる。仮面の端が、同意するように光っている。
「泣かないで判断できた。いつも通りにやれた。どうしても助けられない人はいるけど、それでも次に生かすことはできる。同じ事があったら、今度こそ上手くできる。そうでしょう?」
お母さんは正しい。スレッタはそう信じている。
お母さんはすごい。フロントや地球を飛び回って、ずっと忙しく働いている。水星しか知らないスレッタより、知識も経験も沢山持っている。パイロットの経歴だってそう。エアリアルの操縦も、困ったときの考え方も、最初は全部お母さんに習った。
スレッタに判断できないことでも、お母さんならどうすればいいか知っている。やるべきことを教えてくれる。
お母さんが教えようとしないことがあるのも、知っている。
スレッタの両肩を掴み、プロスペラが呪文を唱える。怖がらずに進むための言葉。いつもいつも、スレッタを励ましてくれた魔法。
「逃げれば一つ、進めば二つ。ほら、ちゃんと進めたじゃない」
「……うん」
「あなたは頑張った。あなたは逃げなかった。エアリアルはお母さんに任せて、学園で待ってて。できるわね?」
「……うん。大丈夫、だよ」
ようやくそう答えると、母はほっとしたように笑った。
「よかった。スレッタが元気になって――そうそう。お母さんこれから忙しくなるから、当分連絡はメールでお願い。返信も遅れると思うけど、平気よね?」
スレッタはできるだけ明るい顔をつくった。最近ずっとこんな顔をしている気がした。
心配させてはいけない。お母さんが会社にいけなくなる。仕事も留守番も、何も任せてもらえなくなる。せっかくお母さんと話せたんだから、また明日から頑張れるはず。
それでもどうしても不安が消えず、スレッタは母の顔を見上げた。
「お母さんは、」
視線をさまよわせながら、スレッタは言葉を探す。聞きたいことがいくつも浮かんだ。
お母さんはヴァナディースにいたの?
今、何をしているの?
なぜ、エアリアルを作ったの?
ガンダムって何?
あの子は誰?
だが、スレッタの口から出たのは、たった一言だった。
「お母さんのやりたいことって、何?」
夕焼けを模した照明が、母の後ろから照りつけている。
「あなたたちが、幸せに暮らせる世界をつくることよ」
逆光の中で、プロスペラは当たり前のように笑った。
「エアリアルが治ったら連絡するわ。またね」
手を振って去って行く母を、スレッタはその場で見送った。
ふいにポケットの中で、生徒手帳が震える。
メールの着信が一件。アドレスは文字化けだらけで、誰から来たのか分からない。
“23:00 フロント管理会社ハンガーへ”
エアリエルだ、と、訳もなく思った。
◇
港に隣接されたホテルで、プロスペラは電話の着信に気づいた。
発信者は、ミオリネ・レンブラン。人気の無い場所を探しながら、プロスペラは通話ボタンを押した。
「あら、ミオリネさん? 弊社の弔問は明後日だったはずですけど」
誰もいない通路に入り、窓際の手すりに腰掛ける。
「それともスレッタのこと? あの子だいぶ落ち込んでたわよ」
通話の向こうで、ミオリネが深く息を吸った。
「21年前、ヴァナディース事変で、父があなたの家族と仲間を奪ったことに対して、娘としてお詫びいたします」
仮面の端を光が往復する。プロスペラは表情を変えない。
「……お父様の遺言かしら。謝罪したからそれでおしまい、なんて言うつもりはないでしょうね」
「クワイエット・ゼロの引き継ぎ?」
「そう。考えてくれた?」
「今の私に、そんな権限はないわ。前総裁の命令により、計画は無期限に凍結中。次の総裁が決まるまで誰にも動かせない。……それを踏まえて、あなたにお願いがあります。プロスペラ・マーキュリーCEO」
偏光ガラスの向こうに、学園フロントの外壁が広がっている。修復作業中のモビルクラフトを横目に、プロスペラは会話の続きを引き取った。
「総裁を目指してくれるの?」
「昨年度の取引実績324件、特許取得数252件。あなたとシン・セー開発公社の持つリソースを、選挙のために使わせてください。――お願いします」
衣擦れの音で、ミオリネが頭を下げたことがわかった。
プロスペラは口調を切り替えた。
「わかりました。微力ながら、社として後援をお約束いたします。詳しいお話はそちらの弔問が終わり次第お伺いいたします。弊社から提供できるプランについても、その際改めて説明させていただきます」
「ありがとう。よろしくお願いいたします」
通話が切れる。すぐにメールが着信する。4日後にミオリネからのアポイントメントが申し込まれていた。
しばらく考えた後、プロスペラは別の番号を呼び出した。
相手はワンコールで出た。
「ゴドイ? 私。今大丈夫かしら」
「何か進展がありましたか」
淡々とした秘書の声に、プロスペラは喜色を隠さずに続ける。
「時間稼ぎができそうよ。これも娘たちが頑張ってくれたおかげ」
「クワイエット・ゼロの製造、進めてよろしいのですね」
「ええ。総裁選を使ってベネリットの目を誤魔化す。その間に作業を進めて。ペイルはもう気にしなくていい」
相づちを打つように、仮面の端が発光する。
「追加で作業員を雇うから、ベルメリアの下につけて。しばらくは監視されるから、シン・セーの業務内でできる部分から進めてちょうだい」
作業は5時で終わり、モビルクラフトが引き上げていく。ガラスの向こうの宇宙、遙か遠くの地球を睨み、プロスペラは赤い唇をつり上げた。
「先にオックスアース狩りといきましょう」
◇
深夜。
フロント管理会社のドアが、かすかな音を立てて開いた。
ノーマルスーツのヘルメットを被り直し、スレッタはハンガーへ足を踏み入れる。
人影がないことを確認し、静かに床を蹴る。ゆっくりと浮遊しながら収容されたMSの前を通り過ぎ、やがてひとつの前で着地した。
「来たよ、エアリアル」
半壊したMSが、にわかに蒼く発光した。コクピットが勝手に開く。
“待ってたよ”
声が聞こえる。
スレッタは意を決し、コクピットに乗り込んだ。
次回、ようやくMS戦です。