水星の魔女 ヴァナディースの灯ルート   作:九段景春

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9.エリィのために

 エアリアルのシートに座ったとたん、ハッチが勝手に閉まった。

 

「エアリアル?」

 

 スレッタの問いかけに、コクピット内の計器が明滅する。

 返ってきたのは場違いなメロディーだった。

 

 “ハッピーバースデー トゥー ユー”

 

 エアリアルが歌っている。

 次の瞬間、息が止まるような感覚と共に、視界がぐにゃりと蒼く歪んだ。

 

 “ハッピーバースデー トゥー ユー”

 

 誰かが歌っている。

 かすかな頭痛と共に、見知らぬ光景が映し出される。

 どこかのハンガー。何人かの研究者たち。彼らに見守られた、白とピンクのMS。

 起動実験が始まる。中心にいるのは、白衣の老人と赤毛の女性だ。

 

(……お母さん?)

 

 MSは応えない。実験は失敗、気落ちするハンガーに、子どもがひとり飛び込んでくる。

 赤毛の、スレッタではない幼子を、エルノラと呼ばれている母が抱き上げる。

 こんなに表情豊かな母を、スレッタは見たことがない。

  

 “ハッピーバースデー トゥー ユー”

 

 赤毛の子どもが歌っている。

 母と、見知らぬ男性と、小さな女の子。ケーキに立てられたろうそく。三人家族の誕生日パーティ。

 場面はめまぐるしく切り替わる。

 上手くいかない起動実験。パーティーに割り込む仕事。こっそり部屋を抜け出し、あのどこかなつかしい雰囲気のMSと話す子ども。施設は襲撃を受ける。

 兵士の突入。知らないエンブレムをつけた部隊。次々と殺される職員たち。コクピットへ逃げ込む母。

 炎の中で起動する、動かないはずのガンダム。

 

 “ハッピーバースデー トゥー ユー”

 

 男の人が歌っている。

 ドミニコス隊のMS。アンチドートの起動。容易く二機を撃墜したガンダムが、次の瞬間強制的に停止させられる。

 撃墜される寸前、割って入った男に助けられる。父を殿に、逃亡する母と子。行き先がどこなのか、スレッタはもう知っている。

 遠ざかる戦場の中央で、研究所が爆破される。

 

 “ハッピーバースデー トゥー ユー”

 

 二人分の歌声が聞こえる。

 

 “ハッピーバースデー ディア エリクト”

 

 スレッタの知らない歌詞。

 そのフレーズを最後に、スレッタの視界は暗転した。

 

 

 ◇

 

 

 気がついた時、スレッタは懐かしい場所に立っていた。

 古びたMS用ハンガー。キャットウォークが一つと、天井に発進用のハッチ。下方に居住スペースへのドア。ずっと暮らしていた、水星のスレッタの家。

 辺りを見回す。旧式の機材も錆びた手すりも、輸送船で一か月かかる星にあるはずのものだ。メンテナンスベッドだけが空っぽで、エアリアルの代わりに子どもが一人立っている。

 

「あなたが、エリクト?」

 

 スレッタによく似た子どもは、よく知っている声で話し始めた。

 

「水星154年63日、今日のゲームはディギングキング、スコアは6/4で僕の勝ち。もう一回って泣いて諦めない君に、お母さんはホットココアと蜂蜜のキャンディをひとつ」

 

 それは、スレッタと母と、もう一人しか知らないはずの思い出だ。

 

「太陽風で暖房は止まっていたから、飲みかけのマグカップ、君はコクピットにあてて、こうすれば暖かいよって」

「あなたが……エアリアル?」

 

 いつの間にか子どもの姿が増えている。

 

「覚えてないの?」

「エアリアルはずっとエリィだよ」

 

 思い思いに佇む子どもが、全部で11人。エスカッシャンの数と同じ。

 

「みんな? まって、わたし」

 

 エリクトがスレッタを指さす。また知らない場面が浮かぶ。MSのコクピットで、ぐったりした子どもを抱きしめる母。その外に置かれたゆりかごと、赤毛の赤ん坊。

 

「スレッタもエリィだよ」

「データストームの中でしか生きられない、エリィの代わり」

「肉体のないエリィの代わり」

「エリィの身体、エリィの手足、エリィの拡張意識!」

「それがわたしたち、カヴンの子!」

 

 ちょこんと座りながら、あるいはくるくる回りながら、エリクトと同じ姿同じ声の子どもたちは、口々に秘密を明かす。

 

「どういうこと? 代わりって」

「君たちは、僕の遺伝子から作られた、リプリチャイルドってことだよ」

 

 理解の追いつかないスレッタに、代表してエリクトが話す。見た目はずっと幼いのに、言葉も表情も大人びていた。

 

「スレッタは嘘つけないからね。だからお母さんは黙ってたんだ」

 

 お母さん。その言葉で、スレッタは全てを理解した。

 

「……そっか。あなただったんだ」

 

 スレッタはぽつりとつぶやいた。

 

「お母さんはずっと、あなたに話してたんだ」

 

 スレッタは困ったように笑った。

 

「ずっと思ってたんだ。お母さんがわたしに言うこと全部、前にも誰かに話したことがあるみたいだって」

 

 母がスレッタよりエアリアルを優先していると知っていた。

 エアリアルと話すスレッタのことを、母も当たり前のように受け入れていた。

 当然だと思っていた。だってエアリアルも家族だから。

 ようやく、謎が解けた。

 

 うなだれるスレッタの前に、エリクトは静かに降り立った。

 

「僕はずっとここにいたよ。スコア8なら、僕は自分の意思で動ける。だからやっと出てこれた」

 

「エリィは動ける。エリィは飛べる」

「スレッタがいなくても大丈夫!」

 

 エスカッシャンたちがくるくると飛び回る。明るいおしゃべりは、エアリアルの操縦中と何ら変わらない。

 

「自分で、動けるんだ」

 

 たぶん、あのときから。

 

「ならどうして、あのとき止まってくれなかったの?」

 

 顔を上げたスレッタに、エリクトはぴくりと眉を動かした。

 

「わたしは失敗した。でもエアリアルだったら、あのときソフィさんを助けられたんじゃないの?」

「引き際を誤ったのは向こうだよ」

 

 エリクトは表情を変えない。

 

「スレッタは撃たなかったし、逃げ出すチャンスまでやった。データストームで長く持たないって、わかってて戦ったんだ。助かる気がないならどうしようもない」

「あのガンダムのこと、知ってたの?」

 

 エスカッシャンたちはエリクトに味方した。

 

「オックスアースはだめ、ニセモノ!」

「本物はエリィだけだもん」

「あの子はギリギリ間に合ったけど」

 

 表情をこわばらせるスレッタに、エリクトは宣告する。

 

「僕はスレッタ以外守らない。あのまま続けてたらスレッタが死んでた。何回もやったでしょ。要救助者が複数いた時の判断。スレッタは間違えたことないはずだ」

 

 スレッタは拳を握りしめる。どうしようもないときはあると、水星で散々思い知っている。

 

「覚えてるよ。全部で13人」

 

 誰にも言うつもりはない。だけど忘れるわけがない。水星の救助現場で、スレッタが間に合わなかった人たちの数だ。

 到着した時点で手遅れだったのが6人。搬送中に息を引き取ったのが3人。救助を諦めたのが2人。

 それに、プラント・クエタで殺したテロリストと、ソフィ。

 管制塔から指示された時もあれば、母に指示を仰いだこともある。だけどいつだって、最後に決断したのはスレッタだ。

 

「それでも方法があるなら助けたかった。エアリアルに殺して欲しくなかったよ」

 

 エリクトは目を閉じた。エスカッシャンたちが顔を見合わせて黙り込む。

 

「スレッタも、もう、自分で動けるんだね」

 

 動揺するスレッタに向けて、エリクトは柔らかい声で言った。

 

「だったら今度は、僕らだけでやる」

 

 何かを決めたように、エリクトは目を見開く。頬が白く発光する。

 

「鍵の役目はおしまい。パイロットはもういらない。スレッタはエアリアルを降りて、学園に残って」

 

 エスカッシャンが同調する。

 

「スレッタはもう自由!」

「お母さんがエリィを待ってる」

「クワイエット・ゼロが、エリィの居場所を作ってくれる!」

 

「待ってよ。お母さんと行ってどうするの?」

 

 スレッタは追いすがった。

 

「クワ……なんとかで、お母さんとエリクトは何がしたいの?」

「教えない」

 

 エリクトが再び浮遊する。背後でエスカッシャンたちが整列する。

 

「お母さんが言わなかったなら言わない。さっき見せたでしょ。これは僕と、お母さんの話だ。スレッタには関係ない」

「誰かと、戦いに行くの?」

 

 ヴァナディース事変のことだというなら、誰に、何をするつもりなのか。

 

「教えてエリクト。エリクトのやりたいことって、何」

「じゃあ、決闘で決めよう」

 

 エリクトの言葉と共に、ハンガーの風景が歪む。次の瞬間、スレッタは再びコクピットに座っていた。

 外は宇宙。目の前のモニターには、()()()()()()()()()()()。改修された後の、まだ見慣れない姿。損傷はひとつも見当たらない。

 あわててコンソールを確認する。スレッタが乗っている機体もまた、エアリアルだった。武装はビームライフル、ビームサーベル、頭部バルカン。水星でずっと乗ってきた、昔のエアリアルだ。背面にはフライトユニット。いつか、エランと決闘したときのセッティング。エスカッシャンの反応だけがない。 

 

 11のエスカッシャンたちは、周囲をとりまくように飛翔している。2機のどちらにつくでもなく、好きなように飛び交っていた。

 改修型エアリアル――エリクトは、静かにシェルユニットを発光させた。ライフルを握り、戦闘態勢を取る。

 

「僕は学生じゃないけど、まだ学園に所属してる。僕が勝ったら、スレッタは大人しくエアリアルを降りて」

 

 スレッタは操縦桿を握り直した。待機状態のエアリアルを起動、軽く動作を確認する。エネルギー、推進剤他、問題なし。エリクトがいなくても、いつも通りに動く。

 

「わたしが勝ったら、お母さんとエリクトの秘密、全部話してもらう」

 

 周辺宙域には無数のデブリが漂っている。放棄された昔の施設群だ。眼下にはクレーターだらけの惑星。星の反対側から、苛烈な陽光が覗いている。二人で何度も飛んだ、水星の宙域が再現されていた。

 

「勝負はモビルスーツの性能のみで決まらず」

「操縦者の技量のみで決まらず」

「ただ、結果のみが真実」

 

「フィックスリリース!」

 

 エスカッシャンが宣言する。

 

 

 ◇

 

 

 2機のエアリアルは、同時にライフルを抜いた。同じモーション、同じ軌道で撃ち合いが始まる。

 スレッタはフットペダルを踏み込み、機体を一気に加速する。エリクトも同じようにブースターをふかし、射線を避けながら飛翔する。らせんを描きながら撃ち合う2機を、エスカッシャン達が追いかけていく。

 

 やっぱり、今のエアリアルの方が速い。

 加速によるGに耐えながら、スレッタは歯を食いしばる。ビームライフルが脚をかすめる。必死に追いすがっているが、先行するエリクトに少しずつ距離を離されていた。

 ニカのフライトユニットは十分強力だったが、改修型の出力には追いつけない。ライフルの威力だって、あちらの方が高かったはずだ。

 

 エアリアルはいつもそうだった。二人でゲームをすると、必ず有利なポジションを先取りする。リバーシの後手は譲らないし、強キャラばかり使いたがる。

 

「それだけで、負けるわけじゃない!」

 

 スレッタはライフルの照準に集中する。偏差射撃を操り改修型の機動を妨害、しかしエリクトもそれを読んでいる。改修型は急旋回してビームを避け、逆にスレッタへと距離を詰めてくる。

 改修型の突撃を、スレッタは機体の急制動で回避した。Gが全身に食い込む。装甲すれすれを通り過ぎた改修型の背後を取り、ビームサーベルを抜き打ちに振り下ろす。背部スラスターが斜めに切断される。

 

「やったな!」

 

 慣性に任せて距離を取り、エリクトは再び加速する。今度はスレッタが追いつく。放棄された採掘ユニットが接近、回避機動に入るスレッタを、残骸を蹴って飛んだエリクトの蹴りが襲う。スレッタのエアリアルが軋みを上げる。追い打ちのバルカンで、左手ごとビームサーベルが持っていかれる。

 攻防を続ける二人の周囲を、エスカッシャンが好き勝手に飛び回る。

 

「エリィと戦ってどうするの?」

「スレッタもエリィなのに」

「肉体のないエリーの代わり。エリーの身体、エリーの手足、エリーの拡張意識」

「エリィの手足は、エリィに勝てない!」

 

「勝手なこと言わないで!」

 

 追ってくるエリクトを引き撃ちに狙いながら、スレッタはエスカッシャンへ叫び返す。

 

「わたしもエリクトだっていうなら、何で教えてくれないの? ずっと一緒にいたのに、水星でも学園でも、ずっと一緒に戦ってきたのに!」

「スレッタには分からないからだよ」

 

 スレッタの射撃を軽々と避けながら、エリクトはライフルを撃ち返す。さっきからアラートが鳴り止まない。直撃だけは避けているが、装甲が少しずつ削れていく。

 

「スレッタにだけは分からない。だから僕とお母さんだけでやるって決めたんだ。スレッタは学校も、やりたいこともあるんでしょ。いい加減諦めて」

 

 大型のデブリが迫る。回避機動をとるスレッタの前から、エリクトが姿を消す。狙いは死角からの攻撃。デブリ越しに放たれたエリクトの射撃を、スレッタはかろうじて躱す。追いかける側が入れ替わる。

 

「会社だってみんなと一緒にやってきたのに、これからやることだってあるのに、全部置いていくの?」

「僕の一番はそれじゃない。僕らにだって、したいことはあるんだ!」

 

 学校の課題、プロスペラからもらったばかりの宿題、さっき聞いた他のガンダムのこと。

 スレッタごと全てを置いて、エリクトは飛び去ろうとしている。

 フライトユニットを広げ、機体を左右に振りながら、エリクトは再び射撃を始める。回避は間に合わない。反射的にエスカッシャンを呼ぼうとして、いないことを思い出す。

 スレッタの撃ち返したビームが、エリクトのビームと衝突し、弾ける。

 

 違う。エアリアルがしないんじゃない。

 

「やるんだ。わたしが、自分で」

 

 フットペダルを踏み込む。エアリアルが加速する。

 デブリを次々と避け、スレッタはエリクトの進行先にライフルを向ける。本当にやったら怒られるけど、ここは現実じゃない。

 ビームがデブリを砕く。飛び散る破片がエリクトを襲う。回避を余儀なくされながらも、エリクトはスレッタを狙い撃った。避けきれない。スレッタは操縦桿を握りしめ、機体をひねる。

 

「避けた!?」

 

 エリクトが驚愕する。先ほどの一撃は、スレッタが手放したビームライフルを射貫いていた。エリクトが銃口を向ける前に、スレッタは予備のビームサーベルを抜く。加速は止めず、改修型の頭にサーベルを振り下ろし、

 

「――――――――――ッ!!」

 

 操縦桿を握る手が止まる。ビームサーベルを握る腕が止まる。

 エアリアルが動かない。違う、スレッタが動けない。

 身体が痛い。息が苦しい。神経がひりつき、頭に手を突っ込まれるような感覚。

 白く光る改修型の腕が、エアリアルのフレームを掴んでいた。

 

「みんながいなきゃオーバーライドできないなんて、僕は一言も言ってないよ」

 

 動きを止めたエアリアルのアンテナを、改修型のバルカンが吹き飛ばす。

 

「これ、が、データ、ストーム?」

 

 勝利したエリクトの元に、エスカッシャンたちが集まっていく。ノーマルスーツの喉を掴み、必死で呼吸するスレッタの前で、ガンビットライフルが組み立てられていく。

 

「勝負は僕の勝ち。スレッタがいなくても僕は勝てるんだ」

 

 チャージが始まる。

 

「僕はお母さんと行く。約束通り僕から降りて」

 

 銃口が光る。焼け付くような痛みがスレッタを飲み込んだ。

 

 

 ◇

 

 

 閃光は唐突に消えた。同時に、背中のアタッチメットが外れた。

 ハッチが開く。シートが稼働し、スレッタを外へ放り出す。

 身体を丸め、必死に呼吸を整えながら、スレッタはハンガーへ飛び出した。まだ全身がしびれている。回転する視界に、蒼く発光するエアリアルが、ハンガーの天井が、ノーマルスーツの少年が、次々に映る。

 

「―――――え」

 

 スレッタは目を見開いた。キャットウォークの上で、エラン・ケレスが、同じように驚愕の表情を浮かべている。

 二人の目の前で、エアリアルのコクピットが勝手に閉じた。

 




このルートのヒロインはエリクトです。
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