エアリアルのシートに座ったとたん、ハッチが勝手に閉まった。
「エアリアル?」
スレッタの問いかけに、コクピット内の計器が明滅する。
返ってきたのは場違いなメロディーだった。
“ハッピーバースデー トゥー ユー”
エアリアルが歌っている。
次の瞬間、息が止まるような感覚と共に、視界がぐにゃりと蒼く歪んだ。
“ハッピーバースデー トゥー ユー”
誰かが歌っている。
かすかな頭痛と共に、見知らぬ光景が映し出される。
どこかのハンガー。何人かの研究者たち。彼らに見守られた、白とピンクのMS。
起動実験が始まる。中心にいるのは、白衣の老人と赤毛の女性だ。
(……お母さん?)
MSは応えない。実験は失敗、気落ちするハンガーに、子どもがひとり飛び込んでくる。
赤毛の、スレッタではない幼子を、エルノラと呼ばれている母が抱き上げる。
こんなに表情豊かな母を、スレッタは見たことがない。
“ハッピーバースデー トゥー ユー”
赤毛の子どもが歌っている。
母と、見知らぬ男性と、小さな女の子。ケーキに立てられたろうそく。三人家族の誕生日パーティ。
場面はめまぐるしく切り替わる。
上手くいかない起動実験。パーティーに割り込む仕事。こっそり部屋を抜け出し、あのどこかなつかしい雰囲気のMSと話す子ども。施設は襲撃を受ける。
兵士の突入。知らないエンブレムをつけた部隊。次々と殺される職員たち。コクピットへ逃げ込む母。
炎の中で起動する、動かないはずのガンダム。
“ハッピーバースデー トゥー ユー”
男の人が歌っている。
ドミニコス隊のMS。アンチドートの起動。容易く二機を撃墜したガンダムが、次の瞬間強制的に停止させられる。
撃墜される寸前、割って入った男に助けられる。父を殿に、逃亡する母と子。行き先がどこなのか、スレッタはもう知っている。
遠ざかる戦場の中央で、研究所が爆破される。
“ハッピーバースデー トゥー ユー”
二人分の歌声が聞こえる。
“ハッピーバースデー ディア エリクト”
スレッタの知らない歌詞。
そのフレーズを最後に、スレッタの視界は暗転した。
◇
気がついた時、スレッタは懐かしい場所に立っていた。
古びたMS用ハンガー。キャットウォークが一つと、天井に発進用のハッチ。下方に居住スペースへのドア。ずっと暮らしていた、水星のスレッタの家。
辺りを見回す。旧式の機材も錆びた手すりも、輸送船で一か月かかる星にあるはずのものだ。メンテナンスベッドだけが空っぽで、エアリアルの代わりに子どもが一人立っている。
「あなたが、エリクト?」
スレッタによく似た子どもは、よく知っている声で話し始めた。
「水星154年63日、今日のゲームはディギングキング、スコアは6/4で僕の勝ち。もう一回って泣いて諦めない君に、お母さんはホットココアと蜂蜜のキャンディをひとつ」
それは、スレッタと母と、もう一人しか知らないはずの思い出だ。
「太陽風で暖房は止まっていたから、飲みかけのマグカップ、君はコクピットにあてて、こうすれば暖かいよって」
「あなたが……エアリアル?」
いつの間にか子どもの姿が増えている。
「覚えてないの?」
「エアリアルはずっとエリィだよ」
思い思いに佇む子どもが、全部で11人。エスカッシャンの数と同じ。
「みんな? まって、わたし」
エリクトがスレッタを指さす。また知らない場面が浮かぶ。MSのコクピットで、ぐったりした子どもを抱きしめる母。その外に置かれたゆりかごと、赤毛の赤ん坊。
「スレッタもエリィだよ」
「データストームの中でしか生きられない、エリィの代わり」
「肉体のないエリィの代わり」
「エリィの身体、エリィの手足、エリィの拡張意識!」
「それがわたしたち、カヴンの子!」
ちょこんと座りながら、あるいはくるくる回りながら、エリクトと同じ姿同じ声の子どもたちは、口々に秘密を明かす。
「どういうこと? 代わりって」
「君たちは、僕の遺伝子から作られた、リプリチャイルドってことだよ」
理解の追いつかないスレッタに、代表してエリクトが話す。見た目はずっと幼いのに、言葉も表情も大人びていた。
「スレッタは嘘つけないからね。だからお母さんは黙ってたんだ」
お母さん。その言葉で、スレッタは全てを理解した。
「……そっか。あなただったんだ」
スレッタはぽつりとつぶやいた。
「お母さんはずっと、あなたに話してたんだ」
スレッタは困ったように笑った。
「ずっと思ってたんだ。お母さんがわたしに言うこと全部、前にも誰かに話したことがあるみたいだって」
母がスレッタよりエアリアルを優先していると知っていた。
エアリアルと話すスレッタのことを、母も当たり前のように受け入れていた。
当然だと思っていた。だってエアリアルも家族だから。
ようやく、謎が解けた。
うなだれるスレッタの前に、エリクトは静かに降り立った。
「僕はずっとここにいたよ。スコア8なら、僕は自分の意思で動ける。だからやっと出てこれた」
「エリィは動ける。エリィは飛べる」
「スレッタがいなくても大丈夫!」
エスカッシャンたちがくるくると飛び回る。明るいおしゃべりは、エアリアルの操縦中と何ら変わらない。
「自分で、動けるんだ」
たぶん、あのときから。
「ならどうして、あのとき止まってくれなかったの?」
顔を上げたスレッタに、エリクトはぴくりと眉を動かした。
「わたしは失敗した。でもエアリアルだったら、あのときソフィさんを助けられたんじゃないの?」
「引き際を誤ったのは向こうだよ」
エリクトは表情を変えない。
「スレッタは撃たなかったし、逃げ出すチャンスまでやった。データストームで長く持たないって、わかってて戦ったんだ。助かる気がないならどうしようもない」
「あのガンダムのこと、知ってたの?」
エスカッシャンたちはエリクトに味方した。
「オックスアースはだめ、ニセモノ!」
「本物はエリィだけだもん」
「あの子はギリギリ間に合ったけど」
表情をこわばらせるスレッタに、エリクトは宣告する。
「僕はスレッタ以外守らない。あのまま続けてたらスレッタが死んでた。何回もやったでしょ。要救助者が複数いた時の判断。スレッタは間違えたことないはずだ」
スレッタは拳を握りしめる。どうしようもないときはあると、水星で散々思い知っている。
「覚えてるよ。全部で13人」
誰にも言うつもりはない。だけど忘れるわけがない。水星の救助現場で、スレッタが間に合わなかった人たちの数だ。
到着した時点で手遅れだったのが6人。搬送中に息を引き取ったのが3人。救助を諦めたのが2人。
それに、プラント・クエタで殺したテロリストと、ソフィ。
管制塔から指示された時もあれば、母に指示を仰いだこともある。だけどいつだって、最後に決断したのはスレッタだ。
「それでも方法があるなら助けたかった。エアリアルに殺して欲しくなかったよ」
エリクトは目を閉じた。エスカッシャンたちが顔を見合わせて黙り込む。
「スレッタも、もう、自分で動けるんだね」
動揺するスレッタに向けて、エリクトは柔らかい声で言った。
「だったら今度は、僕らだけでやる」
何かを決めたように、エリクトは目を見開く。頬が白く発光する。
「鍵の役目はおしまい。パイロットはもういらない。スレッタはエアリアルを降りて、学園に残って」
エスカッシャンが同調する。
「スレッタはもう自由!」
「お母さんがエリィを待ってる」
「クワイエット・ゼロが、エリィの居場所を作ってくれる!」
「待ってよ。お母さんと行ってどうするの?」
スレッタは追いすがった。
「クワ……なんとかで、お母さんとエリクトは何がしたいの?」
「教えない」
エリクトが再び浮遊する。背後でエスカッシャンたちが整列する。
「お母さんが言わなかったなら言わない。さっき見せたでしょ。これは僕と、お母さんの話だ。スレッタには関係ない」
「誰かと、戦いに行くの?」
ヴァナディース事変のことだというなら、誰に、何をするつもりなのか。
「教えてエリクト。エリクトのやりたいことって、何」
「じゃあ、決闘で決めよう」
エリクトの言葉と共に、ハンガーの風景が歪む。次の瞬間、スレッタは再びコクピットに座っていた。
外は宇宙。目の前のモニターには、
あわててコンソールを確認する。スレッタが乗っている機体もまた、エアリアルだった。武装はビームライフル、ビームサーベル、頭部バルカン。水星でずっと乗ってきた、昔のエアリアルだ。背面にはフライトユニット。いつか、エランと決闘したときのセッティング。エスカッシャンの反応だけがない。
11のエスカッシャンたちは、周囲をとりまくように飛翔している。2機のどちらにつくでもなく、好きなように飛び交っていた。
改修型エアリアル――エリクトは、静かにシェルユニットを発光させた。ライフルを握り、戦闘態勢を取る。
「僕は学生じゃないけど、まだ学園に所属してる。僕が勝ったら、スレッタは大人しくエアリアルを降りて」
スレッタは操縦桿を握り直した。待機状態のエアリアルを起動、軽く動作を確認する。エネルギー、推進剤他、問題なし。エリクトがいなくても、いつも通りに動く。
「わたしが勝ったら、お母さんとエリクトの秘密、全部話してもらう」
周辺宙域には無数のデブリが漂っている。放棄された昔の施設群だ。眼下にはクレーターだらけの惑星。星の反対側から、苛烈な陽光が覗いている。二人で何度も飛んだ、水星の宙域が再現されていた。
「勝負はモビルスーツの性能のみで決まらず」
「操縦者の技量のみで決まらず」
「ただ、結果のみが真実」
「フィックスリリース!」
エスカッシャンが宣言する。
◇
2機のエアリアルは、同時にライフルを抜いた。同じモーション、同じ軌道で撃ち合いが始まる。
スレッタはフットペダルを踏み込み、機体を一気に加速する。エリクトも同じようにブースターをふかし、射線を避けながら飛翔する。らせんを描きながら撃ち合う2機を、エスカッシャン達が追いかけていく。
やっぱり、今のエアリアルの方が速い。
加速によるGに耐えながら、スレッタは歯を食いしばる。ビームライフルが脚をかすめる。必死に追いすがっているが、先行するエリクトに少しずつ距離を離されていた。
ニカのフライトユニットは十分強力だったが、改修型の出力には追いつけない。ライフルの威力だって、あちらの方が高かったはずだ。
エアリアルはいつもそうだった。二人でゲームをすると、必ず有利なポジションを先取りする。リバーシの後手は譲らないし、強キャラばかり使いたがる。
「それだけで、負けるわけじゃない!」
スレッタはライフルの照準に集中する。偏差射撃を操り改修型の機動を妨害、しかしエリクトもそれを読んでいる。改修型は急旋回してビームを避け、逆にスレッタへと距離を詰めてくる。
改修型の突撃を、スレッタは機体の急制動で回避した。Gが全身に食い込む。装甲すれすれを通り過ぎた改修型の背後を取り、ビームサーベルを抜き打ちに振り下ろす。背部スラスターが斜めに切断される。
「やったな!」
慣性に任せて距離を取り、エリクトは再び加速する。今度はスレッタが追いつく。放棄された採掘ユニットが接近、回避機動に入るスレッタを、残骸を蹴って飛んだエリクトの蹴りが襲う。スレッタのエアリアルが軋みを上げる。追い打ちのバルカンで、左手ごとビームサーベルが持っていかれる。
攻防を続ける二人の周囲を、エスカッシャンが好き勝手に飛び回る。
「エリィと戦ってどうするの?」
「スレッタもエリィなのに」
「肉体のないエリーの代わり。エリーの身体、エリーの手足、エリーの拡張意識」
「エリィの手足は、エリィに勝てない!」
「勝手なこと言わないで!」
追ってくるエリクトを引き撃ちに狙いながら、スレッタはエスカッシャンへ叫び返す。
「わたしもエリクトだっていうなら、何で教えてくれないの? ずっと一緒にいたのに、水星でも学園でも、ずっと一緒に戦ってきたのに!」
「スレッタには分からないからだよ」
スレッタの射撃を軽々と避けながら、エリクトはライフルを撃ち返す。さっきからアラートが鳴り止まない。直撃だけは避けているが、装甲が少しずつ削れていく。
「スレッタにだけは分からない。だから僕とお母さんだけでやるって決めたんだ。スレッタは学校も、やりたいこともあるんでしょ。いい加減諦めて」
大型のデブリが迫る。回避機動をとるスレッタの前から、エリクトが姿を消す。狙いは死角からの攻撃。デブリ越しに放たれたエリクトの射撃を、スレッタはかろうじて躱す。追いかける側が入れ替わる。
「会社だってみんなと一緒にやってきたのに、これからやることだってあるのに、全部置いていくの?」
「僕の一番はそれじゃない。僕らにだって、したいことはあるんだ!」
学校の課題、プロスペラからもらったばかりの宿題、さっき聞いた他のガンダムのこと。
スレッタごと全てを置いて、エリクトは飛び去ろうとしている。
フライトユニットを広げ、機体を左右に振りながら、エリクトは再び射撃を始める。回避は間に合わない。反射的にエスカッシャンを呼ぼうとして、いないことを思い出す。
スレッタの撃ち返したビームが、エリクトのビームと衝突し、弾ける。
違う。エアリアルがしないんじゃない。
「やるんだ。わたしが、自分で」
フットペダルを踏み込む。エアリアルが加速する。
デブリを次々と避け、スレッタはエリクトの進行先にライフルを向ける。本当にやったら怒られるけど、ここは現実じゃない。
ビームがデブリを砕く。飛び散る破片がエリクトを襲う。回避を余儀なくされながらも、エリクトはスレッタを狙い撃った。避けきれない。スレッタは操縦桿を握りしめ、機体をひねる。
「避けた!?」
エリクトが驚愕する。先ほどの一撃は、スレッタが手放したビームライフルを射貫いていた。エリクトが銃口を向ける前に、スレッタは予備のビームサーベルを抜く。加速は止めず、改修型の頭にサーベルを振り下ろし、
「――――――――――ッ!!」
操縦桿を握る手が止まる。ビームサーベルを握る腕が止まる。
エアリアルが動かない。違う、スレッタが動けない。
身体が痛い。息が苦しい。神経がひりつき、頭に手を突っ込まれるような感覚。
白く光る改修型の腕が、エアリアルのフレームを掴んでいた。
「みんながいなきゃオーバーライドできないなんて、僕は一言も言ってないよ」
動きを止めたエアリアルのアンテナを、改修型のバルカンが吹き飛ばす。
「これ、が、データ、ストーム?」
勝利したエリクトの元に、エスカッシャンたちが集まっていく。ノーマルスーツの喉を掴み、必死で呼吸するスレッタの前で、ガンビットライフルが組み立てられていく。
「勝負は僕の勝ち。スレッタがいなくても僕は勝てるんだ」
チャージが始まる。
「僕はお母さんと行く。約束通り僕から降りて」
銃口が光る。焼け付くような痛みがスレッタを飲み込んだ。
◇
閃光は唐突に消えた。同時に、背中のアタッチメットが外れた。
ハッチが開く。シートが稼働し、スレッタを外へ放り出す。
身体を丸め、必死に呼吸を整えながら、スレッタはハンガーへ飛び出した。まだ全身がしびれている。回転する視界に、蒼く発光するエアリアルが、ハンガーの天井が、ノーマルスーツの少年が、次々に映る。
「―――――え」
スレッタは目を見開いた。キャットウォークの上で、エラン・ケレスが、同じように驚愕の表情を浮かべている。
二人の目の前で、エアリアルのコクピットが勝手に閉じた。
このルートのヒロインはエリクトです。