【完結】モブ男子とミーシャとアノス様【魔王学院10章】 作:生徒会副長
SIDE:アノス
ミーシャが久しぶりに俺の家にやってきた。今は母さんと肩を並べて夕食を作ってくれている。
いや、久しぶりというのは大袈裟か。魔法模型展『優しい世界はここから始まる』の準備期間中から今日に至るまで──ほんの3週間程度顔を出さなかっただけだ。まぁこの約3週間の間も、サーシャやエレオノールは来ていたので我が家が寂しい静けさに包まれていたということはない。
逆に今日はエレオノールとサーシャは来なかった。エレオノールは自宅に食べきっておきたいものがあると言っていた。それは仕方ない。サーシャは「ミーシャとの時間を大切にしなさい」と意味深なことを言っていた。別にサーシャが同席しても俺とミーシャが過ごす時間の尊さなど変わらないだろうに。
それにしても、約3週間ぶりに我が家の台所に立つミーシャの姿が、懐かしく、愛おしいものに思えてならない。飽きもせず退屈もせず、俺はエプロンを着たミーシャの後ろ姿を見つめていた……。
「なんだかミーシャちゃんとお料理を作るの久しぶりな気がするわぁ〜」
どうやら母さんも俺と似たことを考えているらしい。機嫌良さげにタマネギを切りながらそう話す。
「……いろいろ、用事があって」
ポテトサラダを混ぜながら、申し訳なさげにミーシャは返事をする。まぁ魔法模型展やら、リオンの訓練に付き合ってやるだとか、そういう用事だな。
あとは失われた霊神人剣探しも用事といえば用事か。エクエスとの戦いの後、霊神人剣エヴァンスマナは行方不明になっている。ミーシャやサーシャの神眼、俺の魔眼や配下や各国の軍勢も駆使して探しているが、中々見つからない。
まぁ無いなら無いで構わぬ。霊神人剣が必要な程の悲劇や悪しき宿命など、もはやそうあるまい。
するとふと、母さんがタマネギを切る手を止めた。
「まさか浮気っ!?」
ミーシャも手を止め、目をパチパチさせながら母さんを見つめる。包丁を置き、ミーシャの肩を掴んだ母さんは必死の形相でミーシャに問い詰めた。
「まさかアノスちゃんがいるのに浮気なんてするはずないわよねっ!? いや勿論ミーシャちゃんにはミーシャちゃんの幸せがあると思うわっ! アノスちゃんにもねっ、アノスちゃんにもねっ! 確かに落ち度はあったかもしれないわっ!! サーシャちゃんも交えて3人で朝帰りしちゃったり? エレオノールちゃんとの間に可愛い孫が1万人いたり? レイ君とも色々あったり? それでもね、それでもね! アノスちゃんにはミーシャちゃんが必要だと思うのっっ!! アノスちゃんが優しい子になれたのはミーシャちゃんのおかげだと思うのっっ!! だからね、だからね、ミーシャちゃん!!」
母さんは目をうるうるさせながらミーシャに頼んだ。
「浮気……しないであげてくれるかなぁ……?」
母よ。交際も結婚もしていない内から浮気などできぬ。
ミーシャは小さな声を震わせて答えた。
「……浮気、じゃない……」
すると、母さんの顔がパァッと明るくなった。
「そうよねぇ!! アノスちゃんとミーシャちゃんは仲良しだもんねぇ〜〜!」
確かに浮気も何もない。
俺とミーシャの仲が良いことも揺るぎない。
だが、何故だろうか。
リオンのことを母さんに隠していることに、そこはかとない後ろめたさを感じる。
きっとミーシャも、同じことを考えている──。
──※──
夕食で出された俺の分のキノコグラタンの量が、いつもの8割ぐらいしかなかった。これは我が家での暗黙のルールで「この後ミーシャが作ったキノコグラタンの試食がある」というサインだ。
とはいえこのサインとミーシャのキノコグラタンの試食など久々である。既にミーシャのキノコグラタンの味は母さんと同等の深淵に至っていたと思うのだが。
台所にて窯にキノコグラタンを入れ終えたミーシャに、俺は声をかけた。
「新しい味付けでも考えてきてくれたのか?」
「……うん」
コクンとミーシャは頷く。母さんの味を超えようと挑むとは、さすがミーシャである。強く優しく愛情深い。
しかしその眼には何処か不安げな色が見えた。
「……口に合わなくても、怒らない……?」
「俺がお前のキノコグラタンの味に苦言を呈したことなど無いだろう?」
ミーシャの問いかけに対し、俺はにこやかにそう返事した。愛と努力を込めてミーシャが作ってくれた料理に文句を垂れるほど俺は傲慢ではない。
そんな話をしている間に、キノコグラタンは焼けたようだった。
「出来た」
俺の眼前に置かれたキノコグラタンは、黄金色のチーズがこんがりと焼き上がり、キノコの香ばしい香りがふわりと漂っていた。いつもよりほのかにスパイシーなハーブの風味が、鼻腔をくすぐる。これが今回ミーシャが試したかった味付けか。見た目も香りも、ミーシャの丁寧な手仕事が感じられる一品だ。
「旨そうだ。いただこう」
「……うん」
スプーンを手に取り、グラタンの表面をそっと崩す。熱々のチーズが糸を引き、キノコとクリームが絡み合う濃厚な香りが一層強く立ち上る。口に運べば、滑らかな舌触りと共に、ハーブの爽やかな風味が広がった。いつもの母さんのグラタンとは異なる、どこか新鮮で刺激的な味わいだ。
「塩と炒め油を変えたか。中々これはこれで良い」
ハーブの塩がキノコの旨味を引き立て、油の軽やかな風味が全体を調和させている。確かに母さんの深淵な味わいとは異なるし、俺としてはガツンとくるキノコとチーズの濃厚な旨味が好きではあるが、これはこれで幾らでも食べられそうな味だ。
──味の秘密を、ミーシャが話すまで、俺はそう思っていた。
「……リオンのお母さんが、ハーブに凝ってて……。ハーブから作った塩と油を分けてもらった」
その言葉に、俺の胸の奥で何か小さなざわめきが生まれた。俺はリオンの家も家族も知らぬが、つい想像してしまった。
リオンの母親と楽しげに話しながら、その家のキッチンで料理をするミーシャの姿を──。
ミーシャがハーブ塩やハーブオイルが入った瓶を手にリオンと笑い合う姿を──。
なぜかその光景が、俺の心に小さな枝木が刺さったような痛みを伝える。
「……リオンにも……。リオンの家でも……」
声に出した瞬間、自分の言葉がどこかぎこちないことに気づいた。魔王たる俺が、こんな些細なことで動揺するとはいったい? だが、ミーシャが他の誰かの家で、こんな風に料理を作り、笑顔を共有していると想像すると、視界がぼやけて揺らぐような不安と焦りに駆られてしまった。
駆られるがまま、俺は訊ねた。
「作ったのか? 食べさせたのか? キノコグラタンを」
ミーシャの目が大きく見開かれ、慌てたように首を振る。ミーシャがこれだけ感情を露わにするのは珍しく、迷い猫のような愛おしさがあるが、俺の心の霧は晴れない。
「してない。絶対に」
ミーシャの声は小さく、しかしきっぱりとした否定だった。彼女の碧い瞳が俺を真っ直ぐに見つめる。まるで俺の動揺を鎮め安心させようとしているかのように。だが、その必死な否定が、逆に彼女の心に何か隠しているものがあることを匂わせる。
「まぁ……これはこれで良いのだが……。いつもの、母さんの味の方が……。良かったかもな」
「……そう」
俺の言葉に、ミーシャの肩がわずかに落ちた。いつもなら彼女の料理を心から称賛する俺が、今日はどこか曖昧な言葉を選んでしまった。ミーシャの努力を認めつつも、リオンの影が俺の心にちらつくのを、完全には振り払えなかった。
その後俺はキノコグラタンを黙々と口に運んだ。食べ終えると、スプーンを置く音が小さく響く。
「ご馳走さま。堪能させてもらった」
「……うん」
気まずい沈黙が室内を包んだ。いつもなら母さんの笑い声やミーシャの穏やかな微笑みで満たされる空間が、今はどこか重い空気に支配されている。ミーシャの小さな手が、グラタンの皿をそっと片付け始める。その動きに、彼女の心の揺れが見えた気がした。
「ねぇ……。アノス……。聞いても、いい……?」
「なんだ?」
ミーシャが俺に問いかける声は、まるで腫れ物を扱うように慎重だった。床と俺を交互にチラチラと見ながら、ミーシャは不安げに確かめた。
「……怒らない?」
「遠慮なく申せ」
俺は穏やかに答えたが、心のどこかで小さな警鐘が鳴っていた。ミーシャがこんな風に言葉を選ぶのは、彼女にとってよほど重い問いなのだ。
ミーシャの唇がわずかに震え、まるで覚悟を決めるように息を吸った。彼女の小さな手がスカートの裾を握りしめ、いよいよその言葉を紡いだ。
紡いでしまったのだ。
「もし──。私が──。アノス以外の誰かを恋人にしたら──。どうする……?」
まるで聖剣が俺の胸を貫いたような衝撃だった。時間が一瞬止まったかと錯覚した。
(リオンのこと、なのか……?)
ミーシャは「アノス以外の誰か」とぼかした言い方をしたが、それがリオン・クローラーを意味しているのは明白だ。そこまでは理解できる。
しかしリオンとミーシャが恋人になってしまったときに我が眼前に広がる景色は──うまく想像ができない。
猫喫茶や魔法模型店だけでなく、もっと色々な景色を共に見て、二人は笑い合うのだろうか。
髪を撫でたり、手を繋いだりする以上の触れ合いをするのだろうか。
『夢幻婚礼結界』で見せたように、リオンとミーシャが婚礼衣装に身を包み、永遠の愛を誓う日が遠からず来るのだろうか。
想像を巡らせようとしても──ノイズが混じるばかりだった。
ミーシャが俺の顔を覗き込む。彼女の瞳は、まるで俺の心の奥を覗き込むように真剣だ。その小さな声が、室内と俺の心の中で反響する。
「嬉しい? 悲しい? 楽しく笑って……お祝いしてくれる? 怒りや憎悪や後悔はない?」
ミーシャの問いが、俺の心に次々と突き刺さる。その傷口から出てきた、痛々しい程白いものが主張する。
『喜ぶべきだ。祝ってやるべきだ。ミーシャの主君として、友人として、それが正しい。レイやシンが愛や恋を見つけたときと何も変わらないではないか。それこそアノス・ヴォルディゴードが望んだ平和だ──』
一方で、別の傷口から出てきたドス黒いものが主張する。
『到底許せぬ。怒って当然だ。俺の苦悩もミーシャの迷いも、あのリオン・クローラーという不遜な輩の仕業だ。リオンを殺せ。滅ぼせ。記憶を消し、心を折ってしまえ。それで全て元通りだ。それでこそアノス・ヴォルディゴードが望んだ平和は保たれる──』
白と黒、どちらが俺の本心か分からないまま、俺は思考の海に溺れる。
「アノス……」
ミーシャの声が、俺の思考を現実に引き戻す。ミーシャの青き魔眼は、俺の答えを待っている。或いは答えを伺い知ろうと覗き込んできている。
「俺、は……」
祝うとも、許さぬと……言えなかった。
なぜ言えぬ? なぜ出来ぬ?
レイとミサが、シンとレノが愛しあう光景は、掛け値なしに尊く喜ばしいと思えた。祝ってやることが出来たのに。
なぜ対象がリオンとミーシャになった途端、俺はこんなに迷い戸惑うのだ?
「俺は……!」
言い淀みながら……俺は1つの結論に達した。
(俺一人で……今すぐ答えを出すのは……。不可能だ……)
そう悟った俺は、なるべく平静を装いながら言い直した。
「ミーシャ。その問いは……今すぐ答えを出さねばならないか?」
目を丸くして後、ミーシャの表情は今にも泣きそうな、必死に感情を堪えるようなものへ変わった。そしてミーシャは俺に告げた。
「なるべく……。早い方が、いい」
「ならば明日には、必ず答えよう」
自分でも驚くほど、俺は即答していた。
本当なら「答え」を、今この場で言わなければならなかったのだ。俺自身の矜持の為にも、ミーシャの為にも。
許されるとしても猶予は一日。それは当然のことであった。
ミーシャはコクリと、深く頷いてから言った。
「……ごめんなさい」
「いや、謝るのは俺の方だろう。すまぬ」
「明日……待ってる」
その後集中力を欠きつつも、俺も台所の片付けを手伝い……。
それが済むと、ミーシャは帰っていった──。
──※──
ミーシャが帰った後、俺は自室で物思いに耽った。
誰に相談すべきだろうか。俺一人では答えが出せぬ、この問いについて。
俺とリオンとミーシャ。三者を平等に評価し、忌憚なき意見を言える者が望ましい。
つまり、俺に贔屓しそうなシン、ミーシャに贔屓しそうなサーシャ、リオンに贔屓しそうなエールドメードは、相応しくないと言えるだろう。
そして実は、明日の俺には公務の予定があった。アゼシオンで行われる経済サミットに出席しなければならない。
明日突然俺が欠席すれば、経済に悪影響が出かねない。必要なのは代理人ではなく替え玉だ。
既に月が昇っている今から連絡して、明日には暴虐の魔王アノス・ヴォルディゴードの替え玉を演じてくれるような者──。
「あいつしかおらぬな」
すかさず俺は<思念通信(リークス)>で、その人物に連絡を取った。本題は面と向き合って言うべき内容であるので、俺はその人物の部屋へ<転移(ガトム)>で移動した。
魔法の行使が終わり、視界が晴れるとそこは──レイの部屋だった。俺の唯一無二の親友。俺の無茶苦茶な頼みを聞いて、突然暴虐の魔王アノス・ヴォルディゴード演じることが出来る者。頼れるのはレイしかいない。
レイは微笑みを浮かべながら俺に問うた。
「やぁ、アノス。こんな夜分に、面と会って頼みたいことって、何かな?」
レイの「こんな夜分に」という言葉には、俺を責めているのではなく、俺を心配し気遣う意思が見受けられた。どこまでも優しく頼もしい男だ。
今回だけはこの優しさと頼もしさに甘えざるを得ない。俺は頼みを言った。
「レイ。明日の経済サミットだが……。理由を聞かずに、俺の代わりに、『アノス・ヴォルディゴード』として出席してはくれぬか。詳細は話せぬが、俺の命を賭しても惜しくはない程の急用ができた」
一瞬、レイの目が見開かれ、俺の深淵を覗き込むような目線を向けてくる。ほんの一瞬でそれは終わり、レイは返事をした。
「いいよ」
「……本当に理由を聞かなくていいのか?」
正直、相談相手をレイにすることも考えた。結局「レイなら俺とリオンの二択なら俺を選び贔屓かもしれない」と思い、相談相手は『あの二人』にすると決めたのだが……。そこには罪悪感と甘えが確実に存在していた。
しかしレイは微笑みながら言った。
「君が言いたくないなら、言わなくていいし、僕も問い詰めないよ。友達って、そういうものじゃないかな。ある面では大事なことでも、ある面ではどうでもいいことで、相談する相手を選びたいなんてことは、いくらでもあるよ」
もしかするとレイならば、既に俺が何に悩んでいるのかまで看破しているのかもしれない。それでもなお、俺に理由の深掘りを求めないと言ってくれているのだ。
「……すまぬ」
「アノス。僕はね、不謹慎だけど、ちょっと嬉しいんだ」
「俺から、無茶な頼みごとを引き受けたことがか?」
コクリと、レイは頷き、俺をまっすぐ見て話した。
「暴虐の魔王として、皆の為に、そして世界の為に戦い続けた君が、『ある面ではどうでもいいこと』の為に真剣に悩んでいて……。その土壇場で、僕が、『暴虐の魔王』を演じることが出来るんだ。こんなに誇らしいことはないよ。任せてよ、アノス。アヴォス・ディルヘヴィアのときは失敗したけれど、明日はうまくやるよ。明日こそ、誰にも見破れない、完璧な『暴虐の魔王』を演じてみせる」
かつて偽りの魔王として死ぬと覚悟を決めたときの、悲痛な覚悟の眼ではなかった。レイは明るく、希望に満ち、誇り高い覚悟の眼をしていた。
「そして、今度こそ守るよ。君の心と、青春と、平和を」
「感謝するぞ。レイ。俺は良き友に恵まれた」
明日のサミットの要点を<記憶刻印(テレス)>でレイに伝え、俺は彼の部屋を後にした──。
明くる日の朝。
俺はミッドヘイズの外れにある、大木の邸宅を訪ねていた。
俺とリオンとミーシャ。三者を平等に評価し、忌憚なき意見を言える者。
俺が選んだのは、大精霊レノとミサである。
エレオノールから聞いた話だが、女子会でリオンの話題が出たことがあるらしい。エレオノールを経由して、ある程度こちらの事情は把握しているはずだ。
大精霊レノは二千年前の大戦で、敵対したこともあれば、壁を作るのに協力してくれたこともある。今さら俺に遠慮はしないだろう。
ミサも、偽りとはいえ暴虐の魔王。そしてレイに恋する乙女だ。俺とリオンとミーシャの為になる意見があれば、正直に話してくれるだろう——。