獣人の頬をつたって涙が落ちる。その涙の理由は明確だ、忘れてしまった誰かのことを思い出そうとして涙を流している。誰だろうか、わからない。
「わからないよ……。思い出せない……」
獣人は膝からその場に崩れ落ちる。地面に落ちた涙でできた黒いシミが見える。
『泣いても……いいんですよ』
優しい声が聞こえる、落ち着く声色だ。きっと忘れてしまった誰かの声だろう。獣人はバッと顔をあげる。目の前には誰かが立っている、顔にモヤがかかってわからない。
「うう……、うう……」
獣人は抱きついた、そして泣き出してしまう。誰かからはいい匂いがする、太陽のように暖かい。獣人は誰かのことを知っている、名前が名前を思い出せない。ずっと頭のどこかにモヤがかかったような気分だ。
「どこにも……行かないで! 」
それは心の奥底から出た本当の思い、ずっとひとりぼっちだった自分が初めて愛した人。それなのに、それなのに名前が浮かばない。
『それは……できません』
誰かの体がゆっくりと消え始める。
「そんなの嫌だよ! 」
消えていく誰かの顔にかかったモヤが一瞬消える。その顔は悲しそうに笑っていた。
『また、会えますよ……絶対に。約束です』
顔を見た瞬間、獣人の頭に今までの記憶、思い出、言葉が駆け巡る。そこから導き出された名前は一つ……。
「カズミくん! 」
消えていくカズミの手を掴む。
「絶対、絶対に見つけるから! 絶対に死なないから! 」
カズミは優しくほほえんだ。
『俺も、絶対に見つけます! 』
獣人の白濁とした視界に一筋の光がかかる。
「チェックメイトですわ! 」
大剣が獣人に向かって振り下ろされる。獣人は深い傷口の出血からくる痛み、ありとあらゆる痛みを忘れて剣を構えて大剣を受け止めた。
「僕はーー、死なない! 絶対にーー、生きる! 」
獣人は大剣をはじく。イロハの腹に向かって思いっきり、自分ができる最大限の蹴りをいれた。イロハの体は数メートル飛ぶ。
「ぐっ」
イロハ予想外のことに動揺していた。さっきまで瀕死だった獣人が、避けることすらできないであろう傷を負った獣人が自分の防げない一撃を防いだのだ。
「君を倒す、それで、それからーー。カズミくんともう一度! 」
獣人は剣を構える。自分の使える限りの魔力すべてを魔法にして相手にぶつける。それしか勝機はない、わかっている。もしそれでイロハを倒せなかったら……。違う、今さらそんなことを考える余裕はない。
「撃つ気ですわね。魔法をーー」
イロハは大剣を垂直に構える。魔法を撃ったあとはどんな敵でも隙が生まれる。そのときを狙って捻り潰す、それがイロハの狙いだ。
「いいですわ、見せてみなさい! あなたの魔法を! 」
獣人は記憶のある魔法の情報をかき集める。撃てる魔法は一度きり、失敗するわけにはいかない。ひとつひとつ、記憶の断片をつなぎ合わせる。
『
獣人は魔法を詠唱する。閃光をまといイロハに向かって激突する。その際、速度は音速を超え、ソニックブームが起こる。あまりの速度による衝撃波で木々が薙ぎ倒される。一撃必殺、人間が使えば間違いなくミンチになるであろう威力だ。
「(防ぎきれない!)」
イロハは自分に向かって音速を超えた速度で追突してくる獣人の一撃を大剣で防ごうとする。だが、あまりの威力に大剣は砕け散る。
「ーーッ」
一筋の閃光が、獣人のいちげきがイロハのアーマーごと腹部を貫く。
「ア"ァァァ」
イロハの絶叫がこだます。そして、彼女はドサっと音を立てて倒れた。獣人は肩で息をする。魔力を使いすぎた、なんとか意識を持たせているが少しでも気を抜けば倒れてしまいそうだ。
「カズミくんのところへ行かないと……」
敵が死んでいるかどうかを確認する余裕はない。今はただカズミが無事かどうかを祈るのみだ。獣人は剣を杖がわりにしてよろよろとカズミの匂いがする方へと歩いていった。