不幸にも虚飾の魔女に懐かれてしまった男 作:OZ
「──そんなことがあったのですね......」
金髪メイド──シルフィが薄紫の目を丸くして、言った。
「ああ。気が付いたら、元居た世界とは景色がガラッと変わってさ。あん時はまじでビビったぜ。頭上にケモ耳生やしてる奴や二足歩行のトカゲなんて、元の世界にはいなかったからな」
「それは災難でしたね......それにしても、あなたの元居た世界は、この世界とは大きく違うみたいです」
応接室でレグルスにまつわる話をひとしきり終えた俺達は、そのまま解散するわけでもなく、様々な話に興じていた。
シルフィがレグルスの元に来る前、どこで何をしていたかなど。
今は、俺がこの世界に来た当初の話をしている。
シルフィは、俺の奇想天外な話を疑うような素振りは一切見せず、真剣に耳を傾け、時折相槌を打ってくれている。
夢物語や妄想の類として話半分に聞いてもらえればと思ったが、まさかここまで熱心に聞いてくれるとは。普通、信じないだろ。他の世界からやってきたなんて。
レグルスという鎖から解き放った他でもない俺だからこそ、信じてくれているのだろう。
虚飾に上塗りされる前に出会った時の、不信感と嫌悪の籠った瞳とは違って、シルフィからは眩いくらいの信頼が注がれていることがひしひしと伝わる。
今なら、怪しい壺を売りつけても、喜んで買ってくれそうだ。
──それにしても、これが会話か。
久しく忘れていた感覚だ。
パンドラ、ペテルギウス、レグルス──三人の狂人のせいで、会話という人と人とのやり取りの本質を忘れかけていたが、シルフィとの一時間にも満たない短い会話の中でそれは取り戻されつつあった。
「でな、災難はむしろこれからなんだ。金銭の一切を持たず、路頭に迷った俺は悪魔と出会った」
「悪魔......ですか?」
穏やかじゃない物言いにシルフィが息を呑んだ。
レグルスという脅威を取り払ったとはいえ、シルフィの心には依然として深い傷が残っている。そんな中、俺がこの世界で味わった壮絶な経験談を語ってよいのだろうか。
トラウマを刺激してしまわないかと、俺は言い淀んだ。
そんな俺の心を読んだのか、シルフィが「大丈夫ですよ」と笑顔でジェスチャーを送ってくれる。
ありがたい。でも、シルフィがもし話を聞く中で辛そうにしていたら、すぐに話を打ち切ろう。
「その悪魔は、一見するとただの少女だった。見た目は天使と見紛うほど美しくて、おおよそ人を傷つけたり、騙したりするような人間には見えなかった。だから、俺は──騙されちまったんだろうな。怪しげな本を無理やり押し付けられて、入信させられた」
「入信......それはつまり......」
「ああ。魔女教だ。今でも悔やまれるぜ。あの時、悪魔が提示した残酷な提案を受け入れなければ......」
悔し気に語ると、シルフィが共感するように表情を暗くする。
......もう話はこのくらいにした方がいいかもな。
続きはまた今度にしよう、と切り出そうとした時だった。
「その残酷な提案というのは、何なのでしょうか......」
「な、なあ......話はここまでにしないか?続きは──」
「聞きたいのです」
「......え?」
あまりにも真剣な表情のシルフィに俺は当惑する。
今までの話だけでも辛いはずなのに、それ以上を聞きたいというシルフィの意図がわからなかった。
「あなたは私を救ってくれました。たとえ、それがあなたの目的の副次的なものだとしても、それでも私が救われた事実は変わりません」
「シルフィ......」
「話してください。私程度の人間が力になれるかはわかりませんが、あなたを苦しめる過去を知ることで、少しでもあなたの心に寄り添いたいのです」
俺は、じんわりと心の中が温かくなるのを感じていた。
シルフィは本心から、俺のことを想ってくれているのだ。
なら、話そう。
──シルフィの気持ちに応えよう。
「悪魔の提案......それは」
「はい......」
「入信すれば、金銭と住まいを提供してやる。そう......言われたんだ」
「............え?」
「無一文の俺にだぜ!?そんなの金銭と住まいを選ばざるをえないだろ!!」
話しながら、俺はあの苦渋の過去を思い出し、悔しさに拳を握りしめていた。
悪魔──即ちパンドラの策略の恐ろしさたるや。
「......な、なるほど。ちなみに悪魔から受け取った金銭は如何ほどでしょうか。金貨1枚......いえ、無一文のあなたの足元を見て、銅貨3枚なんてことも......?住まいについても気になります。王都ですから、もしかすると貧民街の安上がりの家を提供されたのでしょうか」
「へ!?あ、あー。えっとな......」
シルフィの真剣な考察に俺は口ごもってしまう。
銅貨3枚?貧民街の安上がりの家?
こいつは一体何を言ってるんだ......。
だって......だってさ。俺が提供された住まいってのは......。
「レストレア・グランボーテン......だ」
「レストレア・グランボーテン?」
王都一でトップクラスの規模を誇る高級宿。
ルグニカ滞在中、俺がのんびりと怠惰な時間を過ごした、第二の家とも言える場所。
当然、貧民街に立ち並ぶ住まいとはまるで格が違う。
「貧民街の住まいにしては、随分と大仰な名前がついているんですね......」
「貧民街じゃないからな......」
「そうなると、王都......はっ、もしや王都の道端、もしくは路地裏......いえ、下水道という線も......レストレア・グランボーテンという下水道があると、そういうことでは?」
そう推理を立てたシルフィの表情は悲しそうだ。
まだ何も言っていないにも関わらず、シルフィの頭の中には、下水道でひもじい暮らしをする俺の姿が浮かんでいるらしい。
でもな、憐れんでくれてるとこ悪いけど、下水道なんて住んでねえんだわ......。
い、言えねえ......。
王都で一、二を争う高級宿で贅沢な暮らしを送ってたなんて、言えねえ......。
「ま、まあ......住まいに関してはお前の想像に任せる」
「口に出すのも辛いと......配慮が及ばず申し訳ありません」
「い、いいよ。気にするな!と、とにかくだ。俺は金銭と住まいと引き換えに魔女教に入信することになったんだ」
「......私も同じ立場であれば、その提案を断ることはできなかったかもしれません。たとえ、下水道での暮らしを強いられたとしても」
陰鬱とした表情で、悲しげにシルフィが言葉を零す。
なんというか、罪悪感がすごいな......。
でも、ここで「実は高級宿で美少女(狂人)と贅沢な二人暮らしを送ってました!笑」なんて真実を語った時のシルフィの反応が怖すぎる。
うん。これはもう墓まで持っていこう。
シルフィの前での俺は、下水道出身の哀れな男。そういう線でいこう。
「続きを話すぞ。俺はしばらく王都での暮らしを続ける内、ふと強くなりたいと感じ始めたんだ」
「過酷な環境に身を置けば、そのような意識が芽生えるのは生物としての本能かもしれませんね」
「......俺は悪魔に言ったんだ。力が欲しいと」
「よりにもよって、悪魔に。でも、それほどまでにあなたは追い詰められていて......」
「ああ。この過酷な世界を生き延びる為には力が必要だと悟ったんだ」
これは......本当のことだ。
自衛の為、そしてパンドラと結んでしまった悪縁を何とか有効利用してやろうという考えのもと、俺は力を得ることを望んだ。
「それで......悪魔から力を授かることはできたのですか?」
シルフィがじっと窺うような視線を寄越した。
「まあ、結果としてな......悪魔は俺に力を与えることのできる存在として、とある男を紹介してきた。そいつは魔女教の中でも地位の高い人間だ」
「......っ。ま、まさか」
シルフィの目が驚きに大きく見開かれる。
「そう......魔女教大罪司教。レグルスと並ぶ魔女教の幹部とも言える存在。大罪司教の中でも最も悪名が高いその男の名は──ペテルギウス・ロマネコンティ」
「ペテルギウス・ロマネコンティ......!」
流石に『怠惰』の名は有名らしい。
記憶に干渉する『暴食』や、部下を手足に使い暗躍する『色欲』とは違い、『怠惰』は自分の足で目的達成の為に動き、時には大きく衆目を集めるような大胆な手も使うと言う。
小さな村の村娘だったというシルフィの耳にも、ペテルギウスの悪名はしっかり行き届いていたらしい。
「そいつと過ごした時間は僅かだったが、短い期間の中でも俺は力──魔法の使い方を徹底的に教育されたよ」
「教育......?」
「食事と睡眠以外の時間は延々と魔法を詠唱させられ続けてなぁ。おかげで魔法の扱いにはだいぶ慣れたよ。『ドーナ』」
ばっ、と応接室の窓に手をかざすと、窓の奥に見える大樹の隣にレグルスそっくりの土人形が造成し、次の瞬間には粉々に砕いた。景観が悪くなるからな。
「す、すごい......しかも、一日中詠唱しても途切れないマナを持っていることに驚きます......」
「低級魔法だからな。この世界には、息を吐くように上級魔法をぶっ放すぶっ壊れもいるから、それには全然及ばない」
それにこの世界じゃ、魔法は強さの指標の一つに過ぎない。
魔法の他に加護や権能、素の身体能力など、様々な能力が絡み合って、個々人の強さが決定される。
加護を持たずとも、剣術が化け物じみているヴィル爺や、全属性を十全に扱うことができるロズワールなんかの猛者に比べれば、たかだか一属性を多少扱える俺の実力なんてものはたかが知れている。
「......ですが、あなたは結果としてレグルス・コルニアスを打倒した。私は彼が倒されるなんてことは絶対にないと考えていました。彼の戦う姿を見たのは数える限りですが、どんなに優れた剣士も魔法使いも彼にはかすり傷一つつけられませんでした。もしかして、あなたは魔法以外にも何か──」
「まあ、そこは今度教えてやるよ。込み入った事情があるんでな」
強欲の権能の秘密とか、パンドラの協力とかそこらへんは説明が難しい為、強引にシルフィの言葉を遮る。
少し煮え切らない表情のシルフィは渋々ながら頷いてくれた。
「お話ありがとうございます。今に至るまであなたは様々な苦難を経験されたのですね。無一文から別世界に転移し、魔女教に入信することになり、果ては大罪司教に過酷な修練を課せられた。そんな絶望的な道筋を辿った末に、あなたは私達を救ってくれた。失礼な話ですが、あなたがレグルス・コルニアスを打倒したと聞いた時、私は少なからず恐怖を抱いてしまいました」
「今は違うって思っていいんだよな」
確認すると、シルフィは深く頷いた。
「はい。確かにあなたは事実上、魔女教徒かもしれません。その立場にある限り、世界からは敵としてみなされ続けるでしょう。ですが──」
「私にとっては、あなたは救世主です。何の取り柄もない私ですが、一生をかけて、あなたに尽くします」
そう言ったシルフィの表情は晴れ晴れとしていた。
*****
「ふふ......悪魔だなんて、人聞きの悪い」
応接室の扉に背を預け、室内にいる二人の会話を盗み聞きしていたパンドラが薄く笑う。
「それにしても──別の世界ですか。今まで私に話してくださらなかったのは悲しいですが、良いことを聞けました」
カガリの異質さは、別世界に起因するものかもしれない。
そんな推論ができるが──パンドラにとって、それはさして重要なことではなかった。
どんな過程を経て今の彼に至ったかは些末な問題だ。
重要なのは、その異質さをもって、彼がこの世界に何をもたらすか。
「本当にカガリ君は面白いですね。ロマネコンティ司教と同じように、コルニアス司教とも接触させれば、何か興味深い反応を引き起こせると考えていましたが、想像以上です」
パンドラは心底おかしそうに、くすくすと笑った。
「まさか、打倒した上に首輪までつけるとは、彼の豪胆さには驚かされます。やはり、『傲慢』に相応しい」
自分の見立ては間違っていなかった。
魔女教にとっての特異点。それはもはや疑いようもない事実。
さしものパンドラも御しがたい大罪司教に大きな影響を与える存在。
『怠惰』と『強欲』は変わった。
なればこそ、そのほかの大罪でも試してみたいと思ってしまうもの。
「カガリ君には叱られてしまうのでしょうが、この好奇心を抑えることはできません。カガリ君への愛と混ざり合って、私の胸を満たして今にも溢れてしまいそうなんです」
愛おし気に胸を抑えながら、恍惚とした表情でパンドラが天井を仰いだ。