星を壊させておくれ。
剣呑な一言と共に恭しい一礼をして、そのまま暫く動きと音を止めてから。
どちらからだったろう、くすり、と堪え切れない息が漏れて。そうして二人はどちらとも笑い始めた。
後ろ暗い感情の無い、裏もない。仲のいい友達が顔を合わせた時のような、談笑、その笑いだ。
「いやあ、ずいぶんと変わったな、ドグ。お前がこうも老いさばらえてるとは思わなんだよ!
まさかこんな姿になってるとは!」
「あら、それはこちらの台詞です。
まさか貴方がこんな可愛い姿になるなんてね」
ルーチェとドグ・シアンの二人は一頻り、そう、くすくすけらけらと笑い合ってから、そうしてどちらもがどちらもを憐れむような目を向けた。
悲しげで、そして自分の現況を改めて見るように。
「お前は…『星』の力で老いない筈だ。それなのにそんな姿をしている理由は一つ。
…君は願ったんだな。その身体が蓄積した老いを、時間を、元に戻すように」
「ええ、その通りですよ。ええと…
…ごめんね、今の貴方の名前は、なんて云うんです?」
「ルーチェ。ただのルーチェだ」
「うん、素敵な名前です。ルーチェ。
…貴方も、どういう仕組みかはわからないけれど。なににせよ、お互いすっかり変わってしまいましたね」
「本当にな。お前は醜く老いて、僕は醜く身体を変えて生きているときた。……こんな再会はしたくなかったかい?」
「いいえ。私はそれでもあなたに逢いたかった」
がこん。
牧歌的とも見える服装に、台詞。
毛糸の帽子を脱ぎ投げ捨てる。野暮ったいスカートの横をびりと裂いて、三つ編みが夜風になびく。
乱雑に破れたスカートの裂け目からは、足先についている仰々しい脚甲が見える。その踵に着いた恐ろしげな刃も。皺だらけのその顔の下半分は、ぬらりとした輝きを放つ面頬に覆われた。
遥か過去、『龍王の爪』と呼び、そう畏れられていた英雄の獲物。それの展開はつまり、彼女の本気を示している。
「さて。それではまず後方の憂いを断ちましょうか」
ドグは、そうして倒れているカリナを見た。
その視線と狼の間に、ルーチェは立ち塞がる。
「…させないよ」
彼女はそう言って。
手にしていた、その杖を、手放す。
そして代わりに、眼鏡をゆっくり外した。
奥に臨む緑眼が、ずきりと痛みに歪んだ。
「…この体に、変な傷をつけたくないんだ。この身体に、戦いの癖をつけたくなかった。だけどそんなこと言ってられないな」
「あら。眼を使うのですか。
…随分、その狼さんにご執心なんですね」
老婆はその緑を、歪んだ目で見据えた。
その歪みは老いによる眼輪筋の垂れ下がりによるものか、もっと愚かしげな理由からか。
「かつての仲間の代わりのつもりですか?」
「そんなんじゃあ、ないさ
…あいつとは…ただの、共犯者。それだけだ」
そう一言呟いて、カリナをちらりと見る。その脚は、治療の甲斐もあり、先よりかは状態は良い。
そして、向かい合う。
いつぞや見たような、青嵐がしていたような拳を包み込むように握っての礼。ドグは折れ曲がった背骨で、しかし折り目正しくその礼を完遂した。
「それでは、よろしくお願いします」
「……なあ、ドグ。僕が望むのは『星』の破壊だ。だから僕の飼い犬がお前の弟子を、星の力を破壊した時点でお前を殺す必要はないんだ。星さえ渡してくれれば」
「やりますよ。どちらかが、死ぬまで」
「…ッ」
惨めたらしく、未練たらしくそんなことを言うなと。そんな事を言う代わりに、もっと残酷に会話を打ち切った。
先まで、談笑を交わしていた人間たちとは思えないほど。二人の間には今や介在と会話の余地が無かった。
もう、殺し合うしかない。
理由なんて無くても、それでも。
だからこそ純粋に、ただ。
「…じゃあ、死ね」
牙を剥いたルーチェがぱちん、と指を鳴らした瞬間。
その眼が暗く濁った。そして老婆の、ドグの周囲を、氷柱のような氷の刃が無数に囲んだ。そしてその全てが重力を無視するように、刺突せんと動く。
全く同時に襲いかかる氷の刃を、しかしドグは回転と共にその全てを砕き払う。足甲の踵が、全てを切り伏せる。
凌いだ次の瞬間には目の前には氷の剣がある。再びそれらを凌ぐ。それの繰り返しを幾度した時だろうか。
その奥から、少女が猛然と駆け出してきていた。その他には、その細身でも振れる小ぶりで細身の剣。
首を狙う。
きぃん。
顔を少し逸らされ、面頬が刃をくじく。慌てて距離を取る。接近戦では敵うべくもない。
(くそっ、やっぱりこの身体だと一撃が軽すぎるっ!)
「冷静さを欠いてますよ」
びくっ。心の虚を突くようにそう言ってきたドグに身体を一瞬震わせる。だが本当に一瞬だけで、すぐにその顔と心には不適な笑みが戻る。
「なんだよ。この隙に動くのは口だけか?
足も手も、もっと動かせよばあさん」
「ええ、もう婆なので、ね。
くたびれて仕方がないんですよ。
だから、お喋りでもして休憩しているんです」
そう言いながら、隙は微塵も無い。
「やはり、随分とあの犬にご執心のようですね。私たちの代わりのつもりなのですか?」
「違う、と言ったはずだ」
「代わりなど、無意味ですよ。
喪失の孔を幾ら別のもので埋めようと形は違う。
ただただ、より虚しくなるだけです」
そこまで言うと面頬を外し、ゆっくり微笑う。
悲しい笑みだった。
「……私のようにね。おじょうさん」
「…は。違うと言ってるだろ。耳の悪い婆さんはこれだから困る。自分の後悔を、他人を慮るふりで勝手になすり付けるなよな。そういうの老害って言うんだ」
ルーチェの、巨大な杖から抜き身の剣が抜かれた。否、それは、針だ。巨大な、毒の針。
長い針と短剣の、少女が手にした二刀が襲いかかる寸前に、ドグの周囲には更に無数の針。
しかしそれをもってすら龍王には届かない。
全ての剣を、針を、氷の束を、氷結の全てを超えるその様は正しく、英雄。そして狂った龍。闘技場まで建てた闘争本能の煮凝りが、刹那若返ったように見えた。
(……ッ!)
…ルーチェが目を瞑ったのは、死を覚悟したからでは無い。目の前に差し出された、自分の死よりも残酷な光景から目を背けたのだ。
少女の首を刈り取ろうとした英雄が。
否、英雄の成れの果てが。その衰えと病魔で血を吐いて倒れ伏せた姿から。
目を、背けた。
「……げほっ、けっ、かっ……っ!」
「……」
「…おどろか、ないのですね…ふふ…」
「…お前が、力を譲渡したのを知った時から。なんとなくそんな気はしてたよ。そうでもなきゃ、渡しなんてしないだろ、ドグ」
どす。
ルーチェ手の針が倒れた老婆の胸を突き刺した。
穴から空気が漏れる音、死の音だ。
「……クソ、なんだよ。なんで、はじめっから、こんな沸え切らない復讐ばっかなんだ!」
ぐ、と声を張り上げるルーチェに、ドグはにこりと笑いかける。苦痛の中で、しかしその顔は相応の、老婆の優しい顔だった。
そして胸元から、小さな石片を差し出す。
微かに紺色に輝くそれは、まだ力を帯びている。ほんの少し、たった少しだけ。
「…半分は、とっておいて、たんです。
だから、これを壊して…」
ぜひゅー、ぜひゅ、と絶え絶えに話しかける。ああ、いいとも、と、ルーチェはそれをひったくり、そうして針剣を投げ捨てて『星』を睨んだ。
びき、びきびき。
中から烈しい光と共に痛みがやってくる。
「ぐっ…う、あああああっ…!」
痛みは、さらにもう一つの情報を持ってくる。
それはノヴァ・ブラウンの時もあったこと。
『星』の思考が流れ込んでくる。願いと、過去に逢った想いの残滓が。
……脳に、結晶が煌めくように。
──星に願うことか…うん。私なら、間違いない。やはり闘争千途!戦って戦ってもまだ足りない!…だが…願わずとも、今は満ち足りているからなぁ…まだ願いは保留でいいですね。
…三つ編みの、ありし日のドグ。
その目にはまだ希望が満ちていた。
闘技場を作って、それに笑って。
しかし。
──…なんだ、なんてことだ、最悪だ。私は強くなりすぎた。違う、周りが弱すぎるんだ!これでは闘いじゃない。こんなのは闘いじゃない!これではただ、私は虐殺者だ!
…ありし日の絶望。
手元の星が、光った。
──ならば…ならば私は星に願おう。星が止めた老いを、元に戻してくれ。私が老いさばらえたのなら、この戦いもようやく、戦いに戻る。お前の不死性を、全て無くしてくれ。呪いに侵されれば、ようやく私は闘いを取り戻せるかもしれないから…
…願いの履行と共に時が飛ぶ。
すっかりと、老いてしわしわになって。
──…願いは、ある程度は叶った。老いた私に、病に衰えた私に、少しは追いすがれるものはいた。だから私はその子に力を渡して、後継にした。いつか私を殺せるように。いつか私を超えられるように。…その前に、私は老衰で死ぬかもしれないが。
…はあ、と息を吐く。
毛糸の帽子とスカートを履いて。
もうすっかり、闘技場の観戦もやめてしまった。
どうにも、つまらなくて。
──……最近、ずっと想うことがある。私は、互角の戦いをする為に、劣化を。老いを再び望んだ。……そんな願いは、間違いだったな。
追憶。追憶。
追憶の先。
──……もっと、もっと。私は、そうだ。スノウ、ノヴァ、シズク、リーフィ、ウィン、ブレイズ、シルヴィア。みんな。みんなともう一度戦いたかった。彼らと戦うのが、一番楽しかった。心が躍った。
──……もう一度でいい。
みんなに逢いたかった。最初からそれを願えばよかった。もし願いが叶うなら、あの人たちに殺されたかったな…。
意味もなく外を歩く。
そこには、黒い服を着た男と。
そして、友人に似た目をした少女……
…
…
ルーチェの頭痛が、止んだ。
星の破壊が、済んだ。
粉々になった星の破片を、少女は嚥下する。
そうしてから、目を細めて笑った。
「ふん、馬鹿だな君は。最初から星に願えばよかったのに。自分に満足のいく闘いをさせろ、って」
「……いえ、いえ…願い、っていうのは…自分で叶えるから、意味が、あるんでしょ…?」
「…そうかな」
「ひゅー、ひゅ…ほら、それに…
最期のねがいは、かなった……」
「…」
針を、杖の中にかしりと戻して。
眼鏡をかけ戻して。
そうしてから、かすかに残っていた不死すらも消え失せた、ドグ・シアンを見下ろして。杖の先でその心臓を突き刺した。
「……スノ……ウ……」
「……」
「…あ…りが…」
「クソッ」
「……馬鹿ばっかりだ」
…
……
狼が目を覚ました時、血の匂いがしてすぐに立ち上がり臨戦態勢になった。だが周りに気配はなく。そして代わりに、こんな中で呑気に気を失っていた自らの愚かさを恥じた。
青嵐との戦いを終えた彼は、間違っても立ち上がれるような状態ではなかった、ということなのだが、当人はそれに気づかない。
「ルーチェ…ッ!」
「ああ、終わったよ」
相棒の名前を呼んだ。目の前に、立っていた。
月が照らすその顔には笑顔を浮かべていた。
その三日月より、薄っぺらな笑顔だった。
「…あ、ああ。
その、なんだ。すまん!
俺は、お前が戦っている中…眠り呆けて…」
「いやいや。
…正直、ドグ・シアンは出涸らしだった。だから星の力の大半を、正面から砕いたのはお前さ、カリナ。だからそう思い詰めなくていい」
異常だった。
ルーチェが、こいつがこんなに優しかったことなどあったろうか?少なくともカリナの知るこの少女は、英雄と戦ってる最中に眠っていた、ということについて小一時間はねちこく詰めてくる、そんな人物だった。
それが、狼には不安で。
そしてとても、心配な気分にさせた。
「ま、だからさ。そんな気にするんだったら…僕たちは半分ずつ星を砕いた。それで、いいじゃないか」
「…ああ。…そうだな」
気づけば脚は、身体は傷一つ無くなっている。
これも、明らかに異常な速度。これはこの目の前の魔人の献身による治癒のおかげだとも、わかっていた。
だから。
ぐるるる。
狼の姿に転化し。彼はただ言うのだ。
『……俺は、あんたの元から去らんよ』
ただ、それだけを。
「…はん。さっきまで死にかけておいて何言ってんだ馬鹿。
本当に、馬鹿ばっかりだ」
まだ、闘技場の喧騒鳴り止まぬまま。
彼らは逃げるように、竜の都リェン・ランを跳び発った。
翌日に、老婆の死体は発見されるだろう。誰一人、それがこの都を築いた英雄とすら気づかず。
英雄を殺して、更なる星の元へ。
『八つ星』の数は、あと六個。
…
……
…一部でも星の力を、引き継いでいる、ということは。
その不死性も、多少引き継いでいるということ。
絶対的な不死ではない。
だが、だから。簡単に言うなら。
異常に、死ににくい。
カリナは殺しに慣れている。
『だから』、必要以上に殺さなかった。余力を使わなかった。
使えなかった、という方が正しいが。
故に、その死体は動いた。
否、周りの全てに死体と思われていた、その男の身体は動いたのだ。男の頑強と、女のしなやかを兼ね備えたそれは、元から男と当て嵌めるには不適切な者ではあった。
その者に、名前は無い。ただ通り名だけがある。
青嵐、と。
「ぐはっ、くはは、ははははっ」
がばり、立ち上がって血泡混じりに笑う。
元々の中性的な美しい声は、消えた後だ。
「…カリナ、カリナ!カリナ!覚えましたよ、貴方の顔も名前も匂いも、私を負かした、この煮え立つような悔しさも!この感情は、これは素晴らしい!ドグに負けた時よりも、更にずっとずっと!」
周囲の人間が、再びパニックに陥る。死んだはずの人間が蘇って、なにやら正気でない様子で捲し立て始めたのだ、当然だ。
だがそんなことは、青嵐にはどうでもいい。
「…この、雪辱を晴らした時。
私はもっともっと高みに立てる。
…私は、これよりずっと強くなれる…!」
ごぎり。
食いちぎられた喉笛と共にずれた骨を戻す。
黒狼槍の残骸、先の刃を青嵐が拾い上げた。折れた柄のみを持っていった彼と再び逢えるように。
「待っていて、待っていてくださいカリナ…!あなたが旅をするというなら、私はあなたに追いつきましょう!あなたが死出の旅路を歩くというなら、私もその旅路に!ですから待っていてくださいね、私を、私を忘れず…私を、また見てください…ふふっ、はははは…」
「…はははははッ!」
嵐の後に。