魔人と狼は幸福を求めない   作:澱粉麺

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冷めた雨と体温

 

 

『…よし。ここまで来れば、臭線も切ったろう』

 

「オッケ、なら無理せずここらで止まっとこうか。

お前も僕も散々に消耗した後だし」

 

『ああ』

 

 

逃げ走り、暫くの後。

ある森の中で、二人は足をとめた。森の中の野営は、身を隠す場も多く、しかし襲ってくる刺客への隠れ蓑にもなる危険な場でもある。

それでも狼はここでいい、と言った。

そしてルーチェが命じる前に、キャンプや屋根の準備を影から取り出し、設置を始めていた。

 

 

「なんだ、物分かりが良くなったな」

 

「流石に慣れるさ。あんたとの会話も、やることも」

 

「またそんなこと言って。ほんとは、野宿なんかよりずっと気に入ったんじゃあないのか?」

 

「そうかもな」

 

「まあなんにせよ、頼れるじゃあないか。さすがに身体もだるいし、力仕事はお前にお任せしちゃうぞーっ、と…」

 

 

ぽつ。

ぽつ。

鼻先に触れるような小さな予兆から。

 

ざああ。その音になるのにそう時間はかからなかった。

急な雨。そして、にわか雨というほどにすぐは過ぎ去らないだろう雲の様子。

 

 

「ふむ。やはり雨が降ってきたな」

 

「…なるほど?お前が珍しく森の中の方がいい、って言ってたのはこれのせいか」

 

「ああ。濡れて身体が冷えるのは良くない。だから今日は木の陰とキャンプで雨風を凌ぐぞ」

 

「カリナ、お前の判断はだいたい正しいよ。でも一つ大きな間違いを犯してる」

 

 

だいたい、の部分に強めのイントネーションを置いた嫌味たらしい言い方をしてから杖を拾いあげ。そうして幾らか物色したと思えば、その中でも大きな木をいくつか、つん、つん、つんと杖で叩いた。

 

そして、その複数の木はすぐに変化を生じる。それらを絡み合わせて、一本の木になろうと不自然にその身たちをよじらせていく。

 

「雨が分かってたなら、僕に言えばもっと簡単に対処できた、ってコトだな」

 

「……おお」

 

木たちはほんの数瞬で、みるみるうちに形を形成しはじめて、カリナが首を上げるときには、そこにあるのはすでに木の複数集合体よりも、もっと建築的なもの。

つまりは立派な木の家が出来ていた。どちらかというともっと、木の根的な、話に出てくる魔女の隠れ家的な、そう云うものだったが。

 

 

「さ、これ以上濡れる前に入ろっか」

 

「ああ。…どうなっているんだ?あんたの魔術は」

 

「悪いが説明はできない。

言えるとすれば僕が凄いってことさ」

 

「そうか」

 

まともに答える気の無いそんな返答に、さほど期待はしていなかった、というように狼はのそりと屈んでその木の中に入っていく。

置く本も、無いだろうに、本棚まで作られてあるその内装は彼女の虚栄心や、一種の無駄を愛する心の表れに見えた。

 

そうしてから、外に置きぱなしだった荷物をゆっくりとその中に運び入れて、二人は暫くぶりの休息を取った。

激しい雨はそれには幸いだった。匂い、足跡、痕跡の全てを消し去り、彼らを追う者たちへの手がかりを消してくれていたからだ。

 

ふう。

次に戦ったり、走るための休息ではない。

ただ、息を抜ける時間は久しぶりだった。

 

 

「疑問があるんだ」

 

ぽつり、と声を漏らしたのはカリナ。横になって、目も覆ったままの夢うつつという状態だったが、故に饒舌になる。そしていつもと反転したように、ルーチェが無言でその言葉を受ける。

 

「最初の英雄…ノヴァ・ブラウンのことだ。あいつは星を砕いた後に何故死ななかった?」

 

「へえ?死んで欲しかったのかい?」

 

「いや、そうではなく…ドグ・シアンは星に願って、老衰と病気でほぼ死にかけていたんだろう?ならば、ノヴァも『星』を砕かれた後にそうならなければおかしいじゃないか。不死を砕かれたのなら、その分…」

 

「なるほど、星の齎す不死性と時間の性質の話か…それについては仮説を立ててたから、恐らく、の話はできる。確実性があるわけでもないがそれでもいい?」

 

既に、嫌な予感がする、と。カリナはむ、と眉間に皺を寄せたが、気にはなる話ではある。なんなら、自分が振った話なのだから、とこくりと頷いた。

 

「オーケー、じゃあ話そうか。

おそらくだが、『星』を持っている時の不死性は、完全状態への健康状態や生命エネルギーの補填といったものより、譲渡された時を基準とした、老化による細胞劣化や傷病によるダメージのベクトル停止に近しいものなんだろう。つまり星が無くなったことで起こるのは、生命の力や元の状態に戻らんとする効果の不足での死亡、餓死にも似たようなそれというよりか、は。それまでの停滞が進むだけであり停止していた要項がその不自然状態から放たれるだけであり本来受けるべき力は……」

 

 

一瞬の沈黙。どうして話を止めるんだ、良いところだったのに!というような言葉は、理解をしてればここで言うべきだったろう。

 

「…あー、よそう。

よしよし。もっと簡単に言うからそう拗ねるな」

 

「拗ねてはないが…なにもわからんのは確かだ」

 

「そうだな。たとえば、物に例えよう。

時間と老衰を水やその流れだとして。『星』のもたらす不死はつまり、水を堰き止めている、という感じではなく。水の流れをそもそも止めてしまう。そういうものだってことだ。これならわかる?」

 

「ああ。それならわかる気がする」

 

水、流れ、川。そうした、彼に近しいもので例えたのが良かったようだ。カリナは追想するように頷きながら口を動かす。

 

 

「水を止める時はあった。だがそれは堰き止めるものが無くなった瞬間、抑えていた分の水がすべて流れ出る。全てを壊す、大水だ。

そして水がそもそも枯れているなら…なにかの拍子に水が出ようと、それまでの渇きを癒すことはない」

 

「うん、理解としてはそれに近い。水の堰き止め…つまり老衰、傷病、その他、死を齎すものを、ただくい止めるのみで蓄積累積していたなら、『星』を壊した瞬間に彼らは死ぬだろう。それこそ、貯まってた水が鉄砲水になって下流の全部をぶっ壊すように。だがきっと、もう一度老衰という水を流しだすだけなら…また流れ出したから、歳こそ取るようになったが、時間がこれまでの嘘を取り立てたりはしないのだろう」

 

「…大まかには理解したよ。感謝する」

 

「どういたしまして」

 

 

なんとか、言葉を噛み砕きながら。しかし以前までとは違い、完全とまではいかずとも、理解した状態の顔でカリナは礼を言う。

そう、ここで質問と回答は終わった。

だからそこからのルーチェの言葉は。

ただの、独り言だ。

 

 

「……そうだな…だから、ドグは、相当前に、星に願っていたことになる。『私を普通に老いさせてくれ』、『私の時間の流れを戻して』、とな…彼女はどんな気持ちでそれを願った。どんな気持ちで過ごした?」

 

「…?」

 

「見て、感じたんだけどな。

だけど僕には理解できなかった。幼い子どもが辞書を読んで言葉の意味だけを知っても、本の中身は理解できないように…」

 

「あんたは、殺した相手を随分と気にするんだな…?」

 

「…」

 

「…気に障ったら済まない。

他意はない、ただそう思っただけだ」

 

「いや、お前の言う通りだ。僕が殺した相手だ。不慮の事故とかでもない。殺すことを望んで、殺した相手に、何をしているんだろうな。僕は復讐を望んだんだよ、英雄たちに」

 

 

むくり、と横になっていた状態から立ち上がる少女。いつものきりきりとした様子とは違い、ぽう、としたゆっくりとしたモーションで、彼女はカリナのほうに向かってくる。熱に浮かされたように、ゆっくりと。

 

そうして、横になっているカリナの胸元に飛び込む。そしてそのまま、這いずるように彼の顔を覗き込む。

 

 

「幻滅した?この半端者め、と」

 

「しない。俺は俺の理想をあんたに求めたりしない」

 

「そうか。僕はして欲しかったな」

 

じっと、至近距離で顔を見つめる少女。

その頬は、赤く染まっている。

 

 

「お前は、いつまで僕のそばにいる?」

 

「言ったろう。俺はあんたの側から去らな…」

 

唇を、指先で閉じさせる。

小さい指先は口を閉めさせるには足りない大きさだったが、カリナはそれを察して、喋らないようにした。そして、バツが悪そうに目の前にある少女の顔から目を横に逸らした。

 

 

「カリナ。お前はそんな言葉を言うな。言葉は嘘になる。そのつもりでなくても、いつかは。だから、そのまま静かにしてくれ」

 

「……近い」

 

「僕は、お前のその寡黙なとこが、結構好きなんだ」

 

 

何か、おかしい。

目の前の少女はどうしたのだろうか?

疲れが出たのか、はたまた何かの副作用か。

どうにもその目が、蕩けていた。

 

「おい、ルーチェ。あんたなにか…」

 

あまりにも近い彼女の、その肩を掴もうとした。

そしてその手は空を切った。

更に更に近づくようにしなだれかかってきたから。

ぐらり、と重心の崩れた寄りかかり。

 

は、とそこでようやく気付く。

カリナは自らの迂闊さに牙を剥き出した。

 

 

(高熱…!)

 

いつからだろう。先の英雄戦で力を使いすぎたか?それともこの家を作った時か?いつもの通りに多弁だったから、という言い訳は自分の中で噛み殺した。そんなことを言っている場合ではない。

 

 

「…はっ、はっ……」

 

ぐったりと、倒れ込み気を失う寸前の少女を、ぐいと強く抱きしめる。そしてそのまま、自らの身体に縛り付けた。少し乱暴に揺れてしまっても、万一にも落としてしまわないように。

 

狼の姿にはなれない。雨具を、彼女の上から纏うということができないから。人間の姿のままの足で、走っていくしかない。

 

 

(血の匂い…!どこからか出血もしているのか。

毒の可能性もあるか…?)

 

簡易的な処置も考えた。だが、下手に悪化を招き、ましてや追手に追いつかれるリスクを孕んでまでそれをするのは、あまりにも危険だ。

ならば、彼が一番にやるべきことは。

 

影の中から、ずるりと地図を取り出す。その中に書いてある文字を、だんだんと読めるようになっていてよかったと、心の底から思った。もし今で読めなかったらと思うとぞっとする。

やはり距離は、近い。

ならば。

 

 

 

「……聞こえてるか、聞こえてないかわからないが、一応言っておく。話すなよ、舌を噛む」

 

背の少女はそれに少しの反応もない。

血の匂いが、また色濃くなった気がする。

 

 

ぱん。

水を含んだ草地が爆ぜる音。

猛然と、黒い影が駆けていく。

 

彼が向かう先は、次なる目的地。

水と恵みの集落、マル・ナク。

 

そこに向かい、治療を。

カリナが下した判断はそれだった。

 

 

冷めた雨が、背の熱い体温を強調しながら。

ただ狼は焦燥と共に走っていく。






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