魔人と狼は幸福を求めない   作:澱粉麺

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水の廃墟、マル・ナク
時雨のち矢


 

 

 

雨が

オレの心に雨が降る…

 

 

 

 

 

……

 

 

 

止まない雨の中を走って、走って。思えば先から走ってばかりだと、一瞬自嘲してから、また走った。

少しでも動きを止めれば死ぬ魚のように、休みを忘れて走る。そうしている間にこの背中の温度が消え失せてしまうのではないかと、恐れて。

 

恐れる。

そうだ、狼は恐れた。

この背負った共犯者が、協力者がいなくなることを。

超然とした彼女が、こんなにも軽い事を。

 

 

「…はぁっ、はぁッ!」

 

「…はっ、…はっ…」

 

…どれほど走ったろう。話す相手のいない、焦燥感に追われた疾走は、体感の時間だけをいたずらに長く感じさせた。

そうしてカリナは、ようやく足を止める。

急ブレーキのように止まるのではなく、徐々に、静かに。その理由は疲れでも無ければ何か別の要因でも無い。もっともっと、単純な理由。息切れをしながら、滂沱のような汗を掻きながら、止まった理由は。

 

 

「なぜ…誰も、いない…!?」

 

 

そう。目的地に着いたから、だ。

水と恵みの集落、マル・ナク。

水と雨の恵みを一心に受けた場所。心優しき者どもの住む、規模こそそこまでは大きくないが健気に食糧、薬を作り栄えていた場所である。というのが彼がルーチェから教えてもらった話だった。実際、最初に寄った町であるカーラディウムで仕入れた地図にもそれは書いてあったのだ。

 

なのに。

人の気配が何一つ、ない。

寂れて、錆れはじめた建物たち。

流れを止めて、腐った水が溜まりかけた噴水。

雑草まみれになった、畑。どれもこれも、人がいれば牧歌的で、優しい風景だったろう。しかし目の前にはその全てがない。

 

 

(場所は、間違えていない。

この辺りに、他に集落はない、はずだ。

だからここしかない、ここである、は……)

 

人の気配が、何一つない。先にも感じた事だ。その感覚に間違いは無かった。背に負った、少しずつ雨で体温を失っていく少女以外に全ての気配を感じていなかったのだ。

 

だけれど情報を確かめるために地図を開いて周りを見渡すカリナの、その視線の先には、確かに姿があった。

雨にさらされて浴びている人影があった。

存在しないはずの、影が。

 

 

「……」

 

ざああ──

 

黒い長い髪を高く結び上げて、それを一つの細い川のように後ろに流した女性。切れ長の目は虚空を眺めて、ただ、雨を浴びている。涙の代わりのように。もう流れないものを、少しでも真似るように。

 

 

(………あいつだ)

 

どくん、どくん。

すぐにわかった。

今までのように、存在を隠す理由もない。それまでのように、力を無くす理由もない。当然だ。この集落に、人がもう一人しかいないのだから。隠す理由もなにも、そこには存在し得ない。

 

 

すぐに、わかった。

こいつが、『英雄』だ。

 

早鐘を打つ心臓と共に、反射的に身体から敵意、殺意と言えるものを出したカリナ。

 

 

 

刹那に、目が合った。

 

 

いつの間に此方を向いたのだろう。

いつの間に、その手に弓を握ったのだろう。

いつの間に、矢をつがえたのだろう。

その女には、腕が片方無い。代わりに一つの腕で支え、口で矢筈を持ち、引いている。はったりのようなそれが、しかしそうではないと分かるのは何故だろう。

 

一本の矢。矢筒は無く、ただ一本。

それを既に構えている。こちらの心臓を照準に。

 

先まで虚だった目には一つの感情のみがある。

『消す』。

ただ、それのみ。

氷水のように冷たい目。

命を奪う事に、何の感情も無い目だ。

 

 

(…まずい、どうする…どう、すべきだ…!)

 

戦う。本音としては、それをしたい。

そうすべきだと叫ぶ自分がいる。

しかし駄目だ。両手が塞がっている。

いやそういう問題では無い。

 

ならこの一矢を避け、逃げる。

戦うよりかは良いだろう。だがその後はどうする。そもそも高速の移動からくる負荷に、ルーチェは耐えられないのではないか。

ならば一度降ろして。いやそんな余裕はない。そんな無防備を許すとは到底思えないし、もし出来た所で、少女を狙われたらどうする。

 

戦えない。避ければルーチェが死ぬのでは。

立ち向かうことも避けるも出来ない。いいや、出来ないことはない。この背の少女を見捨てれば。自らの闘争を優先してしまえば。

 

 

「……」

 

判断は一瞬で片がついた。

狼は即座に背負う手を離した。

 

 

そして、そのまま地面に手を付いた。

頭を地面に垂れ下げて、叫んだ。

 

 

「無茶な願いと分かり、言う。

助けてくれ。助けが必要なんだ…!

俺では無い。知識がある、他の誰かの」

 

「……頼む」

 

 

ぬかるんだ地面に、額を沈み込ませる。あまりにも屈辱的なその行動は、いつぞやのカリナ自身が見れば唾棄し果てていただろう行動だ。闘争を放棄して、無様に頭を下げる。力のない、誇りの捨てた者だ、と。最期まで争うことをやめた者の末路だと。

 

しばらく、沈黙が続いた。

ただ、降っていく雨だけが響く。

背中の温度は、その間も容赦なく冷たくなっていく。

 

 

「へェ」

 

「それぁ、オレに言ってんのかい」

 

 

雨の沈黙を裂いたのは、低く掠れた声。

しゃがれた女の声。

 

頭を下げた狼を、見下すように英雄は立っていた。

弓をまだ片手に持ったまま、矢から口を外し。

 

 

ごがっ。

下げたままの狼の頭を、女は一度、蹴り上げた。

ボールを蹴飛ばすように、いっそ破るように。

狼は避けもしない。

だが、動きもしなかった。

 

 

「好し。ついてきな」

 

英雄は弓を持った手を振るう。

瞬間に弓は泡のように弾けて消えた。

尻尾のように纏まった髪を、さらりと振るう。

さらりと。先まで、雨に濡れていた筈なのに。

 

首をくい、と動かし歩き出す。

狼はただそれに産まれたての雛のように着いていった。英雄はそのまま、廃墟の中の一つに入っていって、物を漁り出す。

 

 

「あァ、記憶違いじゃ無かったな。

薬もここいらに…そら有った。

医師の家だったとこだ、品質は確かさ」

 

「…勝手に取っていいのか?」

 

「ハ。もう居ねぇんだ、文句を言う奴もいねぇよう」

 

そんな会話のままに針を取り出し、処置をしていく。医者の真似事、などと嘯いていたが、その動きにはぶれは無く、正確だった。隻腕とは思えないほどに鮮やかで、確実だった。

 

 

「単に熱、されど熱、だな。消耗に小せえ身体がもう耐えられねぇってとこだ。危なかったな。だが逆に言やそれだけさ。熱さえ抑えて、栄養を取れりゃ十二分よ。伝染病とかの騒ぐもんじゃねえ」

 

 

色々な消耗、疲労が祟ったのだろう。思えば旅を始めてからまともな休息など一つも取ってはいなかった。鍛え上げてあるこの身や、ルーチェの『元』には大丈夫だったのかもしれない。だが今の身体では耐えられなかった。そういうことだろう。

 

「ま、しかし本当に消耗が激しいからな。

まだしばらく意識は戻んねえだろうよ。

ちったあ休ませてやんな」

 

ふと、嗅いだ血の匂いについても、聞いた。

怪我や膿などは無かったのか、と。

 

「血ィ?傷は無かったが…ああ、ハハッ」

 

嘲るように狼を眺めてから、明言することを避けて、未だ意識の戻らない少女を優しく撫でてから独り言のように呟いた。

 

「初めて、みてぇだし、本当は祝うべきなんだろうかねぇ。ま、何にせよつれェことに変わりはないさな。これも相まっての熱なんだろう」

 

 

結局、狼にはそれは何を言っているかはよくわからなかった。示しているものの、知識としては知っていることではあったが、そこの会話ですぐに出てくるほどに身近な物ではなかった為だ。

 

そうして、ここでひとまず、ひと段落がつき。先の殺伐として以来初めて。

カリナと英雄は、座って向かい合った。

 

 

「さて。ま、改めて自己紹介でもしてくかぁ。

オレはシズク・カラスバ。

知っていようが知らんが、どうでもいいがな」

 

「カリナだ。ただの、カリナ」

 

「おう、カリナ。

殺り合いの続きはしとくかい」

 

「今は、俺にその気は無い」

 

女傑、シズクがそう返答されてからからと笑う。

ひとしきり笑った後に、今度は鋭い目を向ける。

片膝を立てて、それに肘を掛け。

その奥の目つきは先の矢よりも鋭く。

 

 

「…てめぇらがどんな関係かは分からないが、こんな小さい子を連れての旅なんてぇやめときな。少なくとも手前には大切なんだろう?」

 

「……」

 

「じゃあなきゃ、頭なんざ下げんだろ」

 

「…そうだな。大切、なのだと思う」

 

 

それでも、旅をやめるわけにはいかない。

彼女とは、共犯者であり、共にする相棒だ。

だから身勝手にそれをやめることはできない。

かいつまんで、そう説明した。

 

そして。

 

 

「俺は…

俺たちは、英雄を殺す旅をしているんだ。

つまり、あんたたちをだ」

 

そう、言った。

ぎろりと睨むばかりだったシズクの顔が、歪んだ。

今何を言った、と疑うように。

 

 

「……だから、すまない。俺は…俺は、あんたへのこの恩を返すことはしたいが、結局は、その恩を仇で返すことになるんだ」

 

 

しん。

また、空気が冷え込んで静かになる。

建物の中、外からの雨音だけが響く。

先にもあったような状況だ。

 

 

「…てめぇ、さっきオレとの殺りあいはもうしたくないって言ってたよな」

 

「ああ。だけど、そうしなければならない時もあるだろう」

 

「で。その同じ口でオレを恩人と言うのかい」

 

「ああ。そう思っていることは確かだ。

その気持ちに嘘はない」

 

 

間が、あって。

シズクはそのまま俯いた。

 

その片膝を立てたまま、顔を手で覆い。

くっくっく、くく、くくく。

壊れた時計のように音を立てて、から。

 

 

「あっはっはっはっは!はぁっ、はっはっはぁ!!なんだ手前、ちっと賢そうな顔してんのにすんげえバカだな!」

 

「なっ…」

 

心外、というようなカリナの顔を見て、更にシズクはげらげらと笑い転げる。目の端から涙まで流れん勢いに、笑い続ける。

 

「いやぁ、馬鹿だねぇ、てめぇ!

バカで大バカで、そんで馬鹿正直だ!」

 

「くくく、好し。そういうのは嫌いじゃねぇ。

ますます、気に入ったぁ」

 

 

にたり、と笑った女傑は片方しかない腕を、そのまま狼の胸元を担ぎ上げるように掴んだ。そうして無理矢理に視線を同じにして、思い切り頭突きをした。互いの額から血が滲むほどに。

 

 

「決めた。てめぇ、カリナ。そこの女の子が目覚めるまではここにいな。恩返しをしてぇって言ってたろう?オレが望むのはそれさ。一人にも飽きたとこだ。少しの間だけ、オレと一緒の雨を浴びろ」

 

「…そんなことで、いいのか」

 

「ああ、そうしろ。そんなことで、なんて言えるのがいつまで保つか知らねぇがな。はぁっ、はっはっはぁ!」

 

 

大音声と言うに足る、大笑い。ただ横になったルーチェが、うるさそうに顔を顰めていたが、しかしまだ意識が戻りはしていなかった。

 

 

そうして。水と恵みの廃墟、マル・ナクにて、英雄、シズクとそれを殺しに来たカリナの。奇妙なしばらくの共生生活が始まった。

 

 

 

 

 






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