血の代償に花束を
頭は酸素の不足で回らない。膝はがくがくとまともに動きたくない状態。僕の状態は、そんな感じだ。
…こうして自分の足で歩みを進めることで、普段の足役がどれほどありがたいものだったかを、実感する。
寝込んでいたせいで想定以上に衰弱していたこともあるが、それだけで言い訳がつくような状態でも無いだろう。
そういうこともあり、僕がきっと、『風の祠』に着く頃にはカリナは花の園にてとっくに行動を開始してるだろう、と確信する。距離こそずっとこちらの方が近いが、それでも。
ふん。祠、か。
思考の中で自身の言葉を鼻で笑う。
英雄たちは望むにせよ望まないにせよ、それぞれ一つの支配する区域を持った。元よりあった故郷の、そのトップになったもの、新しく作り出したものに、改革したもの。それぞれではあったが、その唯一の例外がエアルフだった。
この者には、周りに人は必要ない。
だから一人で完結をする、場所だけを作った。
造って作り上げて、創り終わった。
祠という名称は、つまり嘲りと恐怖混じりの蔑称だ。恐ろしげな呪術を用いる、英雄への。
「ふーっ、やっと到着、到着っと…」
自分の達成感に餌をやるように一人ごちる。そして目の前には祠という、古々しい呼名とは真逆の存在がある。
鉄の色を無骨に出したままの外壁には、その至る所に仰々しい機械の目が張り付いている。そしてまた共に、銃器がぬらりと輝きを放ちながら許可のない侵入者を拒む。
呪われし祠、だとさ。なるほど、許可なしにそこに近づいたものが戻ることはない戦慄の場。理解できない存在であるなら、つまり結局その実態は関係ない。
まあ、どれも今の僕には関係ない。
それらを正確に認識する知識があり、そして許可されない侵入者でなく、招待された客であるのだから。
うぃん、と機械的な音を立てて鉄壁が横にスライドする。そこから手を広げて現れたのは、薄く緑がかった髪の色をした、女性だった。
「やあ、やあやあやあ!いらっしゃいルーチェ!」
僕はその女の首に針を刺した。
「げひゅー…」
そんな、穴から漏れる間抜けな空気音と血泡の混じったごぼごぼという音と共にその女はそのまま斃れた。
そしてそれを、眺めていた子どもが騒ぐ。
「ああっ、やめてくれよ!入り口付近でやられると開閉部分の滑りが悪くなる!」
「まあいいんじゃない?
そろそろ変えようともしてたんだし」
『ドア周りのメンテナンスはしばらくしてなかったしいい機会かもね』
「うわーっ、また掃除が大変だ」
ぞろぞろと、次々と出てくる同じ髪色の人間たち。その中の一つには僕らを呼びに来たあの小さな羽虫のような機械もある。耳障りな光景、狂気じみた光景。
いいやきっとむしろ、何も知らない人が見たら普通の光景なのだろう。建物の中に人が沢山いるという、それだけ。
だが、本質を知っているからこそ、狂気の光景だ。
「まったく、『この私』はお気に召さなかったか?同じ女性の方が話しやすいと思ったんだけど」
そうして奥から出てきた男がそう話す。
英雄記の中と、全く同じ見た目。
『星』の老朽化の停止故に当然、と言いたいが。多分この男のそれは、別の方法での見た目の固定だ。
「なら『俺』で対応しようか。
いらっしゃい、ルーチェ」
青年が、そう手を差し伸べる。さらりとした薄緑混じりの髪を揺らして、その端正な顔を下手くそな笑顔で歪める。周りにいる全員もまた、同じ言葉を言った。
声が重なりはしなかった。全く同じタイミングで全く同じ声音で発せられた四方八方からのエアルフの声は、ただ一つになって呼びかけられた。
どれが、誰がウィン・J・エアルフなのか。
答えは簡単だ。
この場の全員が、そうなのだ。
「相変わらず気持ちの悪いことだな、ウィン」
「だろう?」
僕は入り口にある死体を踏み躙って、差し出された手を握った。嫌悪と、不信を露わにして。それを見ても、ウィンの笑顔はまるで揺るがない。
…
……
「まったく、酷いことをするな。
俺たちは友達じゃないか!」
「過去の話だろ、もう」
「俺にとっては思い切り現在進行形なんだがなぁ」
部屋の中は殺風景極まり無い。広い空間の中を占めるのは剥き出しの機材の諸々と、そしてカメラの先にある光景を映し出す巨大な画面。そういったものだけで、装飾品などは何もない。ただ、無数の同一人物だけが忙しく動き回る。
「ああ、それは遠慮せず飲んでくれていいよ」
目の前に座っているエアルフがそう笑う。湯気を立てる茶を置いたのはまた、エアルフ。その光景を遠くから見てくる子供も、また。その目の奥の光が、同じだ。それらを油虫を眺めるように見る。
「俺には俺を成立させる意思がある。
だから、全部俺だよ、これは」
…心の中を読んだように、そう言った。意思を、意識を移す技術など無いはず。ならばこの者たちの中は誰なのか、ということ。それが示すお前は一体誰という先読み。
まあ、それらはどうでもいいんだ。僕は目の前の茶を一息で飲み干…そうとして、その熱さにヤケドし、ひとすすりだけして机に置く。
「あちち…さて、単刀直入に行かせてくれ、ウィン。お前は一体何をしたい。何が目的で僕らを招待した?」
「そうだね、結論から言おう。
俺は、君たちに仲良くなってほしいんだ」
そう言って、落ち着き払った様子で茶を啜る英雄。そうしてから、にっこりとまた笑った。
「その為に。強力に、君たちに協力したい」
「帰る」
「ああ、待ってくれ!違うんだ、今のは駄洒落とかのつもりじゃないんだ!だから帰ろうとしないでくれ!」
無論、踵を返そうとしたのは、駄洒落がどうとかそういう理由では無い。その提案のあまりの怪しさ故だ。何を企んでいる。何を考えている?
「エアルフ。お前も知っての通り、僕らの目的はお前も含めての殺害
だ。八つ星の破壊と英雄全ての殺害。それを協力するだと?頭がおかしくなったのか」
「頭ならずっとおかしくて冴えたままさ、現在進行形でね。俺には理由がある上で君たちに協力するし、敵対する理由はない。それならこの提案も地に足着いたものに聞こえるかな」
「…」
足を止める。呆れと疑念のまま退出し、この場にいるウィンの全員を殺すことはできたかもしれない。だが感情のまま振る舞い後悔した事が直近なだけに、歯止めが効いた。
「まず、俺の『星』ならもうとっくに無い。結構前に壊しちゃった。いじくり回しているうちになんだかこう、ぼろぼろっとな」
「…簡単に言うなぁ。
なら今のお前がそんな若々しい姿なのは…
いや、やっぱやめた。聞きたくない」
「聞きたくないならやめておくか。
少し自慢したかったんだけどな!」
散見、できてしまうほどにある身体。星が無くてもつまり、幾らでも見た目をあの時のままにする方法はあるのだろう。きっと予想よりずっと悍ましく、人道にもとるやり方が。代わりに別の質問を。
「理由がないだろ。
敵対をする理由がそれで無いなら。
協力をする理由も、また無い」
「あるよ。
俺は、君が大好きなんだ。『スノウ』」
にっこりと笑って、僕を見つめる。
ルーチェではない名前を呼んで。
その、名前を。
呼ばれると反射的に身体が固まる。今は自分を示していない人物が、確かに自分である違和感のなんと喩えたものか。
自分である名前が自分を指していない事。
自分でない名前が自分を指している事。
その気持ち悪さを的確に喩える手段は、今のところない。きっとこの世界にはまだ言語が足りてない。
そう。僕はスノウだ。
英雄の一人、スノウ・ホワイト。
否、だった。今は違うという自意識があり、そしてそれを否定する自分もある。この感覚が形容し難く、ただ胸が胃液で辛くなる。
「……本気で言ってるのか?
本気で、それが理由だと?」
「座って話そう。ルーチェ」
微笑みが全部の方向から向けられる。
気分の良い光景ではなかった。
笑顔だけだが、だから故に威圧的だった。
「……オーケー、そうしようか」
そしてだから僕はまた踵を返し、席に座る。
それが必要だと思ったから、だ。
「スノウ。君は、完璧だった。
高潔で勇猛、明るく優しく、強く賢い。
ドグマティックで、そして揺るぎない。
エゴイスティックで、そしてそれが正しかった」
「だから、君にはわからないんだ『ルーチェ』。女の子の身体になって、感情に振り回されてる人物を、自分を受け入れる姿勢が出来てない。そうなる人間の機微を頭で理解して、本質を心で理解しきれていない」
「…持って回った言い方は、どちらかというと僕の領分なんだがな。まあいいや、何が言いたい?」
「感情は理屈を凌駕するものだよ。感情に振り回されるなんて、普通のこと。そして俺は、その振り回されるままにされたいってことが前提。ここまではいい?」
なるほど、つまりやたらと偉そうに語るその姿にイラっとくるのも当然のことなんだな。という言葉は話が脱線するだけだから飲み込んで、ただ続きを促す。
「で、ここからが本題。俺はね、お前にちゃんと、女の子になってほしいんだ。特に女の子としての感情に素直になってほしい。そしてその為に、カリナくんと仲良くなってほしい。まあつまり簡単に言うと…」
「俺はお前に心の底から女の子になってもらう為に。カリナくんとくっついてほしい!というわけだ!」
がたん。
よし。今度こそ何を言われても帰ろう。
そう決心した瞬間だった。
「…まあ、そう思ってたんだけど…
それの必要はあんまり無さそうかな」
「……は?なぜ?」
「だってもう好きだろう?彼のこと」
…
……何を言ってやがるこいつは。やはりこいつはとうの昔に狂っていて、それを隠すことすら出来なくなったのだろう。可哀想に。哀れだ。その思いをそのまま、吐き捨てるために口を開く。
「なっ!?なにをびゃ、馬鹿な!僕が!?ぼく、そんな、んなわけがないだろ!」
あれ?どうしたことだ。
口から出た言葉は、うまく機能していない。
そのザマを、また笑顔で見つめるウィン。
「ありえない。ありえない、ありえない!僕は男だぞ?」
「昔はね。今は違う」
「ありえない!僕の自意識はまだ身体と違う!スノウと呼ばれて反応してるくらいだ。実感はない!」
「お。まだ、と言ったな。ならまるで、いつかは自意識が身体にふさわしくなると自覚してるかのようじゃないか。そしてそれが今ではないという保証もないぞ」
「……ば、馬鹿げてる!そんな、僕があいつの?カリナのことを好きになるなんてこと…!」
「…無い!無いよあんな馬鹿犬を!」
「うんうん、好きに『なる』のは無いな。
だってもう好きなんだろうから」
「違うっ!」
声がうわずる。頬の上気と、鼓動の速化は明らかに身体の異常を表している。言葉が上手に出ない。心の底で思った冷笑を埋め尽くすほどの別の感情。先に飲んだ茶に何か入れられていたか?まさか。
「まあまあ、それなら本人と話してみたら?
カリナくんに渡しておいたんだよ通信機。
話そうと思えばいつでも出来るように」
「え…今!?ま、待ってくれそんな急にっ…」
けらけらと笑いを深めながら、ウィンは僕に向けてそう小さな小さな通信機を手渡す。ひゅるりと風を纏って手元に来たそれを、僕は何故かこうにも慌てて耳に当てる。繋がった音と共に、唾まで飲んで。
「あ、その、カリナか?ええと、えっと…」
『…!良かった…
つな、がったか……!』
ぴく。
眉根を寄せたのはウィン・エアルフ。
その通信の様子が明らかにおかしい。
まるで、壊れかけた音のよう。
ざざ、ざぁ、という砂の混ざったように。
『…来るな……!
あんた、ここに来てはだめだ…!ここは恐ろ』
ぷつん、通信が切れた。
ばきんという破壊音と共に。
「…」
「……これは」
…先までの雰囲気が一転。
部屋の中はぴり、と恐ろしげに変わる。
僕自身、わかっていたことだ。僕が『風の祠』に着く頃にはきっとカリナは花の園にてとっくに行動を開始してるだろうということ。
だがその予想以上に彼が辿り着くのは早く、その深淵に辿り着くまでをこなしてしまったのか。もしくは、その『花の園』の異常が、僕らの想像を遥かに絶するものだったか。
わからない。
だがやるべき事は決まった。
「待て。なにをしにいくつもりだルーチェ」
「決まってるだろう。ミーグメィルに行く」
これが、今のこの感情が何なのか区別はつかないが。
だがこれに振り回されることは、普通の事なのだろう?ならば僕はそれを大義名分にさせてもらう。心から思うこの、これの手を取ろう。
「彼に来るなと言われていたのに?」
「駄犬が。僕を心配するなんて百年早いんだよ」
…胸の奥から湧き上がってくる、炎の温度よりも熱いこれは、そしてそれを強烈に焚き上げる想いは多分、僕がいつか情熱的に想ったことがある代物と同じもの。
「ウィン。…二つ質問だ。
まず一つ。本当に協力をするというなら。
僕の、僕らのサポートを命ずる。やるか?」
「勿論だ。ここで信頼を得るとしよう」
「はっ、僕好みの返事だ。
ならばそしてもう一つ。……僕は」
「……」
「今の僕はカリナの事を考えると、どうにもおかしい。あいつが他の人間に傅く所を見るとどす黒い気持ちが湧いてくる。あいつが知らない所で酷い目に遭うと思うと、それもまた。
これは、なんだ。ただの、歪な支配欲か」
「ああ、そうかもしれない。
そしてそれをひっくるめて。人はそれを愛と呼ぶんだ」
「……」
独善的。偏見的。そして、偏執的。そして困ったことにそれを否定するほどの論拠もなければ、なにより余裕が、無い。
「…分かった。ならばそれでいい。僕は今から花の園ミーグメィルに向かう。『スノウ・ホワイト』としてではない。『ルーチェ』として。あいつの、相棒として奴を救いに行く」
そうだ。あいつにとっては、僕はそれだ。それだけだ。ならばこそ、そうあれかしと。
「これが愛だというならば僕は、それも肯定する!
愛する彼の為に、さあ、急ぐこととしようッ!」
魔術の行使。
最も、迅く目的地に着けるように。
最も早く、最も速く最も疾く。
もっとも迅速であると思ってるものを真似ろ。
出来たものは、黒狼のレプリカ。
もっとも疾く、運んでくれる信頼の形。
「さあ、奔れッ!」
偽の偶像が空に向かって咆哮した。
向かう先は、花の園ミーグメィル。
狂った女王、リーフィ・グリーンの統治する場。
そして。
……僕らの関係が、一つ終わる場所。