忌むべき英雄譚
黒風は本物の疾風よりも早く、道を、草原を、荒野を走り抜けた。
駆ける、駆ける。
そうして、人の営みと文化の痕跡が見えてきたあたりで、その黒い風の背に座った銀色の少女はとんとん、と脇腹を杖で叩いた。止まるようにと、合図だ。馬などの家畜にやるような。
「ふー、凄いスピードだ!偉いぞ〜。
どうどう、止まれ止まれ…よしよし」
「…ルーチェ、俺を畜生扱いはするな」
「くくくっ、軽い冗談じゃないか」
「簡単な事だ、あんたの冗談は俺にとっての冗談じゃない。それがわかったなら二度とするな」
心底の怒気を、しかしわざとらしく首を傾げるばかりでまるでわからないふりをして少女は惚けるのみ。その悪意までもを読み取って、狼はぐるる、と唸ったきりでその話は打ち切った。
「しかし、もう止まっていいのか?
まだ目的地は遠いぞ」
「人目の無い所で人の姿に戻っておいてくれ。
でなきゃ、でかい狼なんて目立ちすぎる」
「成る程」
それもそうだ、と納得し、背中から降りたことを確認してからカリナは大男の姿に戻る。それを見てルーチェはため息を吐く。確かに巨大な狼よりかはマシだが、しかしそれでもこの男は、単に体躯の問題で目立つ。真っ黒な格好のせいかとも思うが、結局のところどんな変装をさせようとも同じだと思い、諦めた。
「さて、八つ星の破壊についてだが…
それは僕に一任してほしい。まあまず君がその見た目を知らないだろうから僕がやらざるを得ないだろうが…」
「………」
そうして歩きながら目的地に向かっていると、ふと、前を歩くカリナが神妙な顔をしていることに気がついた。輪をかけて、無口だ。打っても響かないのはいつものことなのだが。
「ふふ、怖気付いたか?」
「……ん?ああ、すまない。なんと言った」
返事から察するに、それはどちらかというと、呆けたり怯えるというよりかは、考え事をしているといった感じだった。率直に、どうしたのか、と問いただしたところ。ルーチェに信じられないような答えが返ってきた。
「…今更なんだが…『八つ星』とはなんだ?」
「は?」
冗談か、と聞き直そうとして、その表情から違うのだと確信し、そう確信したのならば、息を思い切り吸って。
「……あっ……」
ぐっ、と、息を吐き切るくらいまで、長く溜めて。
「……っきれた!長い人生ここまで呆れたことはないよ!お前はそこまで世間知らずなのか?それとも記憶喪失?はたまた病的なまでの箱入り娘…いやいや息子だったのか?それほどまでにお前、お前は……」
「…いくら俺を貶しても知らないものは知らない。知っていた方がいいはずだ、教えてくれ」
「……貶したところで何も変わらない、か。そうだな、まあその通りだ…うん、ようやく冷静になってきた。
いや、しかし、まさかなぁ……」
動揺から、ぺらぺらと語る口すら微妙に困惑気味に止まり、そうして頭を抑えたかと思えば、まずどこから説明したものか、と杖でこん、こんと地面を突き始める。
「まずはこの世界における、建国史。
八英雄の、天を壊す旅があるだろ?
…さすがにそれくらいは知ってる…よな?」
「………」
少女は再び、冷静さを失い茫然とする。
ただ二回目となると、どちらかというと驚きや仰天というよりかは無知の相手への悩みという風体だ。
「…おいおい。家畜や獣扱いされたくないならまず、ヒトとして当然の知識くらいまともに身につけた方がいいぞ、カリナ」
「……ぐう」
「はは、ぐうの音が出てる所を初めて見たよ。…まあでも、知らないなら寧ろ好都合かもしれない。
過去に、ある恐ろしーい敵たちと戦って世界を救った八人の英雄が居た。それさえ知ってればいいしね」
「ふむ」
「そして神は、その英雄たちに褒美としてあるものを渡し、くれてやった。それが…」
「なるほど、『星』か。
八人の英雄に渡された、八つの星」
「その通り。英雄はその星に運命を支配され、不死と願いを手に入れた。
僕らが破壊を狙うのは、そういうものだ」
ここが学校ならばもっと色々と教えなければならない事もあるだろうが、と減らず口を叩きながらも、最低限お前が知っておくのはそれだけだとルーチェが言う。
それを聞いて、カリナは深く、息を吸った。
「…神が実際にいるのか、とか、その星は本当に存在するのか、とかどういう物なのか、という疑問もあるが…それはどうでもいいことだ」
つまりは、と。男が微笑んだ。口を歪めるように、虚空を睨め付けるように。到底笑うような話ではない時に、到底笑いではないような顔で、この男は笑う。そうだ、つまりこの旅の目的は。
「英雄殺しか。悪くない」
「だろう?」
こつん。瞬間に少女が石を蹴って、前を歩くカリナに当てる。そこで一度、止まるように。だんだんと増えていた人の気配は、つまりここに集まる人の営みだ。
「と、いうことで第一の目的地だ。
心の準備はいいかな?」
地と炭の町、カーラディウム。
至る所から見える黒い煙と、それに汚れた彫り物のような建物が遠く、遠くにまで見える。
カリナはただ、ルーチェの問いに鼻笑いを返し。
そのまま、無言で前に歩を進めた。
…
……
「……うーん」
「独特な味だな」
「いいんだよこういうのは遠慮なく不味いって言って。変なとこだけマナーがあるな、カリナは」
がやがやと騒がしい店の中で、二人は皿を挟んで顔を歪ませていた。手に持った食器を止めて、そう苦笑を向け合う。正確には向けたのは少女のみだったが、内に籠った感情は二人とも変わらない。
町に入るなり。
腹ごしらえだ。せっかく大都市に来たんだから、食事でも摂ろうか。とルーチェは陽気に声を掛けてきた。
やる気に満ち満ちていたカリナは拍子が抜けたものの、なるほど食べる事は大事だし、断る理由もない。そうして二人はこの町ですぐに食事所に足を運んだ。
そこで出た料理は、量こそ多いものの、食感は柔らかい石というようなほどに固く、味もまた塩辛く、それ以外の味がない代物で、辟易とするようだった所だ。
「そういえば、カネはあるのか」
「ん?ああ沢山あるよ、じゃーん」
そう笑った少女の小さな掌には、大量の金貨が握られている。ちゃりちゃりと音を立てた、と思えば、ぱっ、と開いた掌からは一枚も落ちる事なく霧のように消えた。
「偽物か」
「おや、人聞きの悪い。偽物じゃないさ。お店の人が勝手に見間違えるだけ」
手を動かしたと思えば、金貨は再び現れて、そして弾いたと思えば、そのまま視界からふと消える羽虫のようにまた見えなくなった。
それをじろりと眺めるごろつきの視線は、彼らの背中に刺さってまあ痛いかのようだ。
少女は肩をすくめる。
「ここ、カーラディウムは炭鉱の町でね。
治安は…まあ、あまり良くない」
「の、ようだな。…それを分かっていて金貨を見せびらかすのは、迂闊なんじゃないのか?」
「仕方ないだろう?持たざる者に見せびらかすのは面白いんだ」
そう、けらけらとねじくれた笑いをする自分の相棒を見て、狼は呆れたように口角を上げた。そうして、食事もそこそこに店を出る。
「さて、じゃ次は買い物に行ってくる。旅を続ける為でもあるし、後は嗜好品もかな。色々あるとこで買っておかないと、後で見つからないってなったら嫌だし」
さて今度こそ本題に、と思っていた男は、その発言にまた、拍子抜けする。焦る様な気持ちで、口を開くほどに。
どちらかというと問い詰めるように、カリナは言う。
「なんだか…ルーチェ。
あんた、随分と、こう、楽しんでないか?
これはあくまで復讐の為の旅じゃないのか」
「そりゃそうだけどもさ。復讐の旅路を、楽しんじゃあいけないなんて理屈もないだろ?」
「……」
そう返されて、ぽかんと口を開ける。
呆れというよりかは、まるで想定していない答えによる、想定外からくる空白の時間。思考が飲み込むことに戸惑っている時間だった。
「復讐って言うとなんだか陰鬱としなきゃいけない、なんてイメージもつまらないし、そんな印象は投げ捨てるべきさ。良く生きる事こそが最上の復讐なんてジョークもあるくらいだしね」
「……それは、よくわからない冗談だが」
「はは、だろ?それじゃ行ってくるよ。
お前もこの間、何かぶらついてていいよ〜」
そう言うと少女はさらりと髪をかき上げてから、仰々しい杖を持って人混みに紛れていってしまった。
その背姿をじっと見つめてから、カリナはため息を吐いた。
復讐の旅路を、楽しんではいけないという理屈もない。
その言葉を、反芻して。
「……確かに。それもそうか」
そう、ぼそりと呟いてから、ならばまあ、と。
彼もこの町をしばらく歩いてみることにした。
…
……
(……うーむ…)
歩いて、しばらく。
それだけでカリナは何やら気疲れしてしまった。
彼は少数民族の出であり、このような人混みに慣れておらず、すっかりと目が回ってしまったのだ。おまけに、その図体のせいでよく絡まれる。反応も面倒臭いと、彼はあっという間に人通りの少ない、裏路地の方まで足を伸ばし、そこで座って休憩をしてしまっていた。
「フーっ…」
治安が良くない。
ルーチェが言っていた通りに、この町はずいぶんと人が多くて、その分心が荒れているものが多いようだ。
彼の目の前で繰り広げられていたものは、正にその通りの光景だった。休憩していた彼がいた所に、がこおん、と一人が転がり込んできて。それを追ってきた複数人の柄の悪い男がそいつを蹴って、蹴って、囲んで殴って、砂にしていた。
「……ちょうどいい、か」
楽しんではいけない、という理屈もない。
その言葉を再び思い返して。カリナはすくりと立ち上がり、その私刑をしている男のうちの一人に猛然と掴み掛かった。
「!?お前誰…ぎゃっ!」
「急になにをし…ひぃっ!」
「うわあぁっ、なんだ、なんだお前!」
皆が皆、その暴行していた者たちは似たような反応の仕方をしてから、大した抵抗もしないままに慌てて立ち去って行ってしまった。
それを見て、カリナは内心肩を落とす。
彼に趣味と呼べるようなものは、今のところ無い。
だから、唯一。戦うことは、楽しい。今の干渉にはつまりそれを求めていたのだが、結果としてはそう上手くいくことはなかった。
「あ、ありがとう…助かったよ」
「…すまないが俺はあんたを助けたつもりはない。
結果的にそうなっただけだから礼も必要ない」
「そう、なのか…?でも、何にせよ助かったのは変わらないから、ありがとうは言わせてくれ。…そうだ、うちに来ないかい。大したものはないけど、ちょっとの礼くらいはさ」
無精髭を生やした、冴えない男だった。
気弱そうな目元と、その下にくっきりとある隈。汚い風体と傷でそうは見えなかったが、まだ若い人物のようだ。その申し出を別に断る理由も見つからず。カリナは首を縦に振った。
「俺の名前は、ノヴァ。
なににせよ、ありがとうな」
がしり、と握手をする。
その身体は、力は、思いの外。
力強く、まるで大地に根ざしているようだった。
…
……
ばた。ばたばたばたばた。
少女の服と、無造作に伸びた髪が風に揺れている。
建物の上。
いいや、巨大な炭鉱山の煙突の、更に先。
人どころか鳥すら寄りつかない場所に立っていた。
仰々しい杖と、豪華な装帳の本を手に。
ルーチェは、彼方から光景を見つめていた。
「見つけた」
銀色の眼鏡の奥から覗くその目は、ひたすらに冷酷で、何の感情も無く。そのエメラルドの瞳が、黒く、どす黒く染まっているようだった。
眺める先は、ただ一つ。
黒々とした男と握手を交わす、ある男の姿。
無表情に、無感情に、ただ。
「まず一人目。ひとつ目だ」
手にした、装帳本。過去の英雄記。
そのうちの一人の挿絵を、ぐりぐりと塗り潰した。
ノヴァ・ブラウン。
その名前までも、執拗に、忌々しいように塗り潰す。
「お前を、砕いてやる」