魔人と狼は幸福を求めない   作:澱粉麺

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追憶、翠玉の森
二度と無い


 

…それは、いつのことだったか。

僕がいつから、そいつに惹かれていったのか。いつから、その歪な支配欲を浴びせるに至ったか。

それは記憶と共にある。

『ルーチェ』を構築するものは記憶のみだ。

それ以外は、なにも確かなものはない。

 

 

この記憶は、水の廃墟から離れた時のものだったか。初めて、歪んだ嫉妬を表してしまった時だったか。

 

(…なぜ、僕以外の言うことに従う。何故)

 

(お前は、そうだ。その口で宣ったろうが。

僕と共にいることと、復讐だけが全てだと)

 

…いいや、これは、違う。嫉妬を抱くということは、その以前に既に多かれ少なかれ惹かれていた、ということだ。ならば更に前、龍なる都、リェン・ランに着く前の話だったか?

 

『ハ。あのな、お前は僕に気を遣いすぎだ。見た目と身体こそそうだけど、僕は少女のそのままじゃないんだぞ?そういうのは過保護ってんだ』

 

『……それでも?

ふーん…ま、悪い気はしないけどね』

 

…ああ、違う、違う。こんなにも惚けた顔をしているならば。その過保護に対して、確かな温かさを感じているならば、きっとその時にはもうとっくに、この気持ちを抱いていたのだろう。

 

ならばそれよりも前。初めの町であるカーラディウムに着いた、その後の話か。

 

『あははっ、変な顔!

なんだ、この匂いは気に召さなかったかい?

それなら、この香水は無しにしとくか』

 

『ん?別にお前に遠慮なんてしてないよ。ただまあ、お前は僕の相棒に足る成果を示した。だから僕もそれに誠意を示してはおきたくてね』

 

これも違う。もっと、前だ。

相棒だなんて、そんな言葉を。

かけられて、そしてかけているのならば。僕はもうその時にはとっくに心を絆されていた。

 

ならば、それよりももっともっと、前のこと。この旅に出る時。違う。それよりももっと前。どこまで、遡らねばならないだろうか。

 

 

 

 

……

 

 

…これは、魔人どもの追憶だ。

この記憶は、遡った源流は、彼らのはじめての時。

故郷を追われ、死にかけた黒狼が翠玉の森に逃げ込んで。そして、魔人がそれを拾った時の追憶。

旅が始まる、その幾年ほど前のこと、だ。

 

 

 

……

 

 

 

…なんということだ、世界がこれを望んでいた!

ならば人としての欲望を…しか…

 

…二度と、この村に来れる事はない。

我らも……で終わりだ。

 

……『カリナ』。

お前が最後だ。お前は、逃げよ。まだ、一番若い。

 

 

「ぐあぁっッ!!」

 

元、狼は一際大きいうめき声と共に、胸を掻きむしりながら起き上がった。数分前まで巨大な狼だった『それ』は、気を失ったその間に人の姿となっていた。その境界線は彼にとって、非常に曖昧なものだった。

 

はっ、はっ、はっ。息を荒げて頭を抑える。

抉れかけていた脳には、包帯が巻かれている。

カリナ。そう、一番新しい記憶に呼ばれた者は、その身を知らない寝床に横たわらせていた。

 

そう。彼の最後の、最新の記憶は故郷が滅びた事。いいや、もう一つ、微かな意思でやった事だけが辛うじて記憶に残っている。

それは近くにあった、森の中に逃げ込んだこと。生きる意味はなくとも、ただ生きる為に、一番追跡がされないだろう場所に逃げたのだという事だけが、記憶に残っている。

 

その森は元々が曰く付きであり、その上でここ十年ほど、良い噂を聞かなかった。だからそこに逃げたのだ。ならば、ここは何処だ?屋根があり、ぱちぱちと火が爆ぜる暖かな暖炉があるここは、森の中とは思えないほど牧歌的で、心を落ち着かせるようで。

 

だのに、狩場よりも居心地が悪かった。

 

 

「目覚めたか」

 

その声は、鈴が鳴るように甲高く、そして幼い声。

そしてそんな印象が覆る程に冷たい声だった。

暖炉の熱すら忘れて、薄寒く感じるほどに。

 

ぎいい、かつん、かつん。

扉を開け、靴音を鳴らす人物は、小さい。

いいやもっと適切に言うには、幼い。きっとまだ十歳にも達していないその少女、否、幼女の目はまだ、その時は冷徹な青色だった。

その奥の光も、じっとりとした黒青だった。

 

綺麗な銀色の、肩にかかるほどの髪。乱雑に切り揃えた前髪に、活発的な短いズボン、それと身幅のある服はその姿の年齢を誤魔化そうとしているかのようだった。

 

 

「なら率直に言うぞ。お前は誰だ?」

 

その見た目からは想像も出来ない、冷徹な質問だった。

質問の内容がどう、ではない。もっとその、全てが。

致命的にあり得ない様子だったが故に、カリナはそれに顔を顰めたのだ。それはまるで、蝿が可愛らしい子猫の声をあげながら飛び回るような、違和。小さな赤ん坊が、ぺらぺらと老人の声で喋るような。

 

生理的な嫌悪が、湧き出た。

生物としてのあり得なさが、その顔になった。

そしてその表情は、その魔人の気を、害した。

 

「僕が、気持ち悪いって顔だな。それは良いさ。僕が、一番それを思っている。気味が悪くて気味が悪くて仕方ない」

 

「が、よく知りもしない奴にそう思われるのは不愉快だ」

 

 

刹那、男の足からは針が生えた。激痛と共に、急激に発生したそれが彼の太腿を貫く。

だが身体がその痛みに屈する前に、それより先に彼は足元の影をまさぐる。その『影』の内から取り出した槍がそのまま、足が動かなくなる前に全身を駆動させ前に進んで、頸を狩りとらんとした。

 

 

「ああ。それ以上動くなよ。

瞬間お前の身体は串刺しになる」

 

 

その脚をも止めるほど。大量の針が彼を包んだ。

一歩でも、少しでも身じろぎをすればそれらが全て突き刺さるように。鉄の処女を彷彿とさせるほどの針。どこから現れたのか?それすらもわからない。ただ一つ、その部屋はとてもとても、寒かった。

 

「まったく、命の恩人にやる態度かよそれが」

 

こつ、こつと中空に浮いたままの針を一つ、二つ、ちりちりちりんと木琴のように杖で鳴らしてそう嘲り笑う。

 

 

「で?いい加減に話したらどうだ。お前はどこの誰?僕を殺しに来たわけではないか。なら何故この森に入ってきた?ただの野盗崩れか?」

 

「…ん。ああ、すまんすまん。一言でも喋ったら喉に刺さって死ぬのか!ははは、あはははっ」

 

そしてその小さな杖を振った瞬間、全ての針はぱしゃんと消える。消えた、わけではない。周りには先まであったそれと同量の水が床を濡らしていた。ただ、観察こそそこまでで、狼の男はそこで初めて治りきっていない傷と太腿の出血で再び膝をついた。

 

「はは。よくもまあその傷で動いたもんだな。

無駄な努力、ご苦労様」

 

「……質問には、答えよう。

俺の名は…無い。ただ、カリナ族の者だ…」

 

「カリナ族…?知らないな。僕が死んでる間に何やら出来たやつらか?まあいい、それで?」

 

「…俺以外は全員、死んだ。

そして俺だけは生き延びた。だから逃げてきた」

 

もう、それ以上言うことはない、と言うようにむっつりと黙ったその狼男に、幼女は顔を歪め手に持った杖で太腿に付いた傷を抉る。

 

「……ッ!」

 

「ふうん。ま、それはどうでもいい。

ただ大事なことは一つ。僕が助けなきゃお前はおっ死んでたってこと。それと、そしてお前の生殺与奪は僕が握ってるってことだ」

 

ん、これでは二つか、とぼやきながらけらけらと笑う幼女のその目をじっと見る。その目は全く笑ってはいない。

 

「だから、なんだ。今日からお前は下僕だ。

お前は、僕の忠実な奴隷だ」

 

「断る」

 

刹那、彼女の青い眼がギン、と妖しく光った。

そうしてから男は、何かに矯正をされるように背筋を正し。何かに強制されるように、ぎりぎりと身体を動かし始めた。

 

「……なっ…ぐっ…!」

 

「んだよ、躾けのなってねぇ犬だな。

お前に求めてる言葉はそんなんじゃねえ。

『はい』だけだ」

 

そうして這いつくばった、狼の前にそっと手のひらを上にして手を差し伸べる。そうして、一言言った。

 

 

「そら。『お手』」

 

──ほおら、『お手』をしなよワンちゃん!

 

 

「……ッ…!ぐ…うッ…!」

 

男がその声に思い出したのは、この怪我を負う前の直前の姿。故郷を追い、皆殺しにした男が、生かして欲しいならやれと言ってきたその言葉。自らの誇りすらも殺してきたその男の発した声。

そいつの名前。侵食。イロウシェン。

 

身体が無理矢理に動いていく。

幾ら抗おうと、身体が震えながら。

その、幼女の掌に、すとん、と手を置いた。

唇をその屈辱で、噛み切りながら。

 

「っく、はははは!そうそう、それでいい!いいね、お前みたいなスカした格好つけがそうする姿が一番見ていて面白いんだ!」

 

「…ん?なんだい、その目は」

 

 

寡黙な男は、ただ何も言わず息を荒げる。

憎しみの籠った目で、目の前の魔人を睨みながら。

 

 

 

……

 

 

…互いのファースト・インプレッションは最悪だった。互いが互いを、人と見做していない。互いが互いに、良感情など抱かない。

 

「ああ。もしかして優しく来客として招かれて、仲良く話をする、なんてのを期待してたかい?悪いけどそういうのは無いよ」

 

それが、お互いがお互い、背中を任せる存在になるというのだ。人との出会いというのは、わからないものだ。

常々、そう思うよ。

 

「僕が、他人を信用することは二度とない。

二度と、だ」

 

 

……ああ。何も、言わないでくれ。






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