魔人と狼は幸福を求めない   作:澱粉麺

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濡れた蕾

 

 

「よう。目が覚めたか?『カリナ』」

 

次に目覚めた時、狼はそう呼ばれた。痛みから一睡も出来なかった、思考の速度が遅まる状態でしかし、自分の呼称の違和感に眉を顰める。

 

「…それは俺の、部族の名だ。俺の個体名では…」

 

「どうせお前しか生き延びてないんだろ。

なら同じだよ。お前はその民族代表でカリナ」

 

死んだ。そうだ、皆、死んだのだ。

自分以外は死んだ。妻も兄も、親も村長も教官もなにもかも死に絶えた。

実感は未だ湧かない。哀しいかと言われればそうなのかもしれない。だけれど、どちらかというよりも。今は失われた喪失を受け入れることを出来ていなかった。

 

「…」

 

「ふん。異論が無いなら話を進めるぞ。お前を生かしておいたのには理由がある。文字通り僕の走狗になってもらうためだ」

 

そうく、という言葉に首を傾げる様を見て、少女は何を思ったろうか。ただ鼻を鳴らして嘲るような目をして言い方を変える。

嘲りの視線は、ずっと向けていたのだろうが。

 

「ま、使いっ走りに行け。その傷のリハビリにもちょうどいいだろうよ」

 

まだまだ完治していない傷を、しかし確かにもう動けるくらいにはなった事を見抜かれていることへの、どこか不快感。カリナ、と名付けられてしまった犬はしかし何も返答はしない。

 

「ケレスの蕾って知ってるかい?今から場所を説明する村に置いてある、ちょっとした遺物さ。英雄の女王の一人が守るべく、そこを支配下に置くべく作った物さ」

 

そうして、持っている小さな杖で空中を描く。次の瞬間には、ただ紙の代わりに硬質なものが出来ている。氷が、地図の形になっていた。

 

「その村における至宝として、仰々しく保管してあるらしい。まあだから、逆にわかりやすく保管してあるだろうよ」

 

形はこんな感じだ、と中空にぱきぱきと霜が張ってその形に彩られる。精巧な故にどのようなものかは即座にわかった。

 

「そう簡単に譲り受けてもらえるだろうか」

 

「はあ?譲る?馬鹿か、お前は」

 

はん、と鼻で笑う。

滑稽なほどに、幼女の姿に似合っていない。

 

「殺してこいよ。奪え。ていうか、もし渡されたとしても殺してこいよ。足取りは隠滅してこい。そっちのが確実だろ」

 

「……」

 

「おや、不服かよ?何が不服だ。お前だって、散々殺してる身だろう。血の匂いがぷんぷんするぞ、お前からは。命じられて殺すのだけは嫌か?」

 

「……いいや。そうではない」

 

「ふん、久しぶりに返事をしたな。

じゃあ何が嫌なんだ?」

 

「あんたの命令に従うのが気に食わん」

 

「はは、うっざ」

 

そう舌打ちをしたきり、彼女はただ背中を向けてその場から去る。もう何も話すことはないと言うように。

 

見張りなどがあるようにも思えない。そういったものがないなら、この場から逃げてしまうことも可能だ。言われたことなど、生かしてもらった恩などすててしまって、そのままに。

 

「……」

 

ふぉん。

風が吹くように狼の姿となり、男は、カリナはその場を後にした。

 

 

 

……

 

 

(…良し、出るか)

 

出発したのは、夜半だった。別にどちらでも、成功してくればいいと投げやりな指示ではあったが、殺し盗み奪うという目的なら真夜中のほうが良いだろう、という判断。

 

魔人の言う事を、結局聞く気になったのは何かバチが当たりそうだとか、恩を返すだとかそういったセンチメンタルやスピリチュアルな理由ではない。ただもっと、単純に。彼には、何かやることが欲しかった。

失ったという喪失感を、ただ行動で埋めておきたかった。

 

真夜中における狼の漆黒の毛並みは、黒すぎてむしろ目につくものだ。だがそれすら気取られない動きは、つまり自然と一体になる術を身につけているほどにそうした隠密に熟知しているということであり。

そして、また。こういう事に、慣れているということでもある。

 

瞬時に人化して、見張り番らしき者の一人の口を抑えながら首を掻っ切る。こうした腕を使っての殺害は人の状態でなくては出来ないことだ。

そうしてから、その姿に気づき、声を上げようとしたもう一人の首を握り締める。聞くべき事を聞けるように。

 

「ケレスの蕾は」

 

「……な、なんのことだ」

 

カリナはただ無言で、その男の歯を一本へし折った。大きな悲鳴を、無理矢理首を絞める事で空気を足りなくして黙らせる。

この拷し方も、慣れていることだ。

 

「ケレスの蕾は」

 

「たっ、助けっ」

 

カリナは再び、無言のまま。そうした。

しばらく、しばらくそうした。……

 

…そのしばらくの、後。それを何度か繰り返す内にお目当ての場所だけを力無く指差してもらい、知った。

そうしてからそれの始末もした。あの魔人の言う通りに。

 

さあ、さて。指を向けられた先。そこにひたすら向かえば、彼女が地図で示したような場所が見えてくる。鬱蒼とした林の奥だ。到底そこに、大切なものがあるようには思えないが。

 

「…いや、これは」

 

木が、木ではない。我が事ながら何のことだろう。だが確かに感覚がそう囁く。これは、今カリナが触ろうとしている木は、木ではないのだ。ではこの木はなんたるか。

 

(……)

 

この木たちは、『人』だ。元々は人だったものだ。

健気にそれを証明するかのように、べきべきべき、と凝った肩や首を動かすような音を鳴らしながらその林は、林たちは動き始めた。

 

なるほど、先の見張り番は自分のような外敵から身を護るべくあったものではない。『これ』の、暴走を伝えるためのものなのだろう。

ふう、と息を吐く。

ああ。

死ぬ寸前の程の大怪我を負い、そして得られるものはまた闘争。全てを失っても尚、この手に残るものはこれか。血みどろのそれだけか。

カリナは天を仰いだ。

 

「…悪くない」

 

…契機は、そこからだ。

その手にあるものを全て、失って。

そして残ったのがただこれだと示されたこの時。

ぐにゃりと、脳が歪むような快楽が放たれた。それはあまりの絶望を誤魔化すために彼の脳が幸福物質を出していたのか、もしくは奥底に、理性と生活が押し潰していた本性が明らかになったのか。

 

カリナは、こうして『イカれ』始めたのだ。

 

ぎしり、と笑って牙を伸ばす。

奇形のように一本、ぎりぎりぎりと鋭く研磨され伸びていく自らの牙を、思い切りへし折る。そうして目の前の呪われた木の枝を切り落とした。枝からはワインのような色の液体がぼだぼだと流れる。

そしてその、人肌のような、木のような感触の、手に馴染む手頃な棒のその先にへし折った牙を巻き留めた。

 

「『黒狼槍』…それでいい」

 

襲いかかってくる、木の枝たち。どず、四方八方から飛んでくる枝の一撃に、打撲のような刺突のような音が何度も鳴り、カリナを痛めつける。だがそうして痛めつけるたびに、枝が切り落とされていく。その度に枝の断面からはワイン色の、血と樹液の間のそれがぼだぼだと流れていく。

 

「くく、はははっはは!

そうだ、確かに丁度いいな、俺の戦いに!」

 

失った血液を、それをかっくらい、飲み補って。

ただただ目の前に来る化け木の枝を、幹を、切り裂き続けた。無理を賭した戦いはしかし、それでも夜中に続いた。

 

「ははっ、はははは…」

 

「……はははははははっ!」

 

 

 

……

 

 

 

はっ、はっ。

流石に、息を荒くして、カリナは村を後にする。

片方の腕を抑えながら、絶え絶えに歩く姿は、陰気で見窄らしく、少なくとも先まで鬼のように呪木を切り捌いていた者には見えない。

 

(流石に、疲れたな…)

 

抑えている側の腕に、血色に濡れた蕾が収まっている。

蠢き回る木の、一際大きい幹。その奥からぶちぶちと無理矢理にむしり取ったものだった。人の形をした、悲嘆の姿の心臓部分。

それが、このケレスの蕾だった。

 

こんなものを、何に使うのだろう。

あの魔人は、どう言っていたか。

英雄の女王がどうとか言っていたような気がする。それ以上は、身体全体に広がる倦怠感で思考が回らなかった。

 

と、気がつけば、ただあてもなく歩いていた筈なのに、自分があの翠玉の森に辿り着いていることに気がつく。

意識をしたわけではないのに、不思議だ。

何か、魔法をかけられた後だったのかもしれない。ならばあの場で、おつかいを投げ出して逃げたとしても無駄だったというわけだ。

 

「…ん」

 

幻聴か。何かの絹を裂くような声。

動物の悲鳴、にしてはまた繊細な声だ。

人の声。誰の声だろうか。裂帛のそれは、男の足が進む方向から、断続的に聞こえてきていた。

 

 

「……ぁぁぁっ、ぁぁぁ…!」

 

…悲鳴が聞こえる先へ。

その木屋の扉を開ける。その中には、自分の身を抱きしめるようにがたがたと震える幼女の姿があった。

 

「ひっ…」

 

ドアの開閉音にびくりと身体を震わせて、こっちを恐怖に塗れた視線で見据えてくる、魔人の姿にまず狼は驚き。

そして、咄嗟に手を差し出そうとした。

 

「やめろ…やめろッ!!近寄るな僕に!

馴れ馴れしく、近くに来るなってんだよッ!」

 

その剣幕に気押された、というよりかは、その必死さにどうにも同情的になるような感覚で。男はそこで歩みも手も止める。

 

「触るなッ!触るな触るな…

男が、近寄るな、僕に寄ってくるな…やめろ…」

 

「はぁっ、はぁっ…!」

 

過呼吸気味に、虚無に向かって拒絶の言葉を繰り返す彼女を見て。カリナは、手にある血濡れた蕾を机に置いて、ただその場を後にした。

 

 

 

……

 

 

(……)

 

自らの誇りを踏み躙り、あまつさえ使い走りの犬として用いてきた、いけすかない魔人。それの痴態をざまあないと思って終わりであれば、よかったのだろう。ただそれで溜飲を下げれば。

 

だが、その時点で、そういう魔法でもかけられていたか。

男にはどうにもそう思えなかった。

 

がたがたと、虚無に震えるその姿を見て。

 

 

(……奴も、何かを失った後か)

 

…自分と重ね合わせてしまった。

 

 

 

……

 

 

「…は?」

 

『…この、姿なら、抵抗は少ないのではないか』

 

「…なに、お前。その犬の状態でも喋れんの?

ははっ、変なの。すごい違和感」

 

『……』

 

「ふふっははは。なんだよ、気ぃ使ってんのか?

いらねえ気遣いだなあ。だけど、まあ…」

 

『話せるようにはなったようだな』

 

「ふん、おかげでな。

…さっきのは見なかった事にしろ」

 

巨大な狼の姿に変幻し、かり、かりと苦戦しながら扉を開けて中に入ってきたカリナを見て、魔人は最初は唖然として。

そうしてから苦笑いを漏らした。

虚像が襲う恐怖は、それらにより正気づいて。

 

そこからの会話は、まあ事務的なもの。

確かに、これはケレスの蕾だ。

ご苦労。

何に使うのだ、それは。

お前が知る必要は無い。

ただ、そんなやりとりで終わった。

 

だが一つ。ちゃっ、ちゃっと部屋の中を出ようとした狼はその姿のままで、問いかけた。

 

『そういえば、あんたの名前はなんだ。

魔人、のままでは呼びづらい』

 

「僕か?僕の、名前か…」

 

「……僕は、ルーチェだ。

そう、名乗ることにした。今からな」

 

『…それはつまり偽名、ということか?』

 

「ふん、気に食わないなら呼ばないままでいいよ」

 

『……分かった、ルーチェ。

ひとまずは…俺も、休むことにする』

 

 

今度こそ、出て行った狼の後ろ姿を見て。

『ルーチェ』は、気丈に振る舞っていた膝ががくりと崩れて、そのまま椅子に向けて倒れ込む。

 

はぁーっ。そうして、動悸かため息かわからない長い息を吐いた。

フラッシュバックが、彼女の全身を汗で濡らす。

 

 

「……イヌなんぞに、気を使われるとはな。

…僕も、落ちぶれたもんだ」

 

 

そう、自嘲ぎみに呟いた。

 

 





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