『あ、あ、あった、あったかい…力が…心が…きえてく…』『どこも動かない…あは、は、おち、おちつく…あっ、あっ…あっ…ひひ、あいい…』
守る。みんなを守る。私は女王。みんなをまとめる人として国を、この国にいるみんなを守る。それが、それだけが私がやらなければならないこと。全てに優先されること。
『体、体が!繭の中で溶け…あ、ああ。からだが、もうマユになってる…ぎいいい!』『どんどん自分が、自分が無くなって、なにがなんだか、わからない…ころし、ころし…たすけて、女王様…』
ああ、苦しみを覚える声がする。大丈夫、もう苦しむ事はない。考える事もなくていい。私が全部、溶かして混ぜて、一つにして守る。だからただ、微睡んでいるだけでいいの。そう思いながら、彼女は安らぐ香を更に濃くした。その繭紐に更に濃縮したそれの原料を流し込みながら。
月が照らすのは繭紐と、それに繋がる彼女自身。
リーフィ・グリーンは疲労困憊で、目の下に濃い隈を作りながら、そうして全てを行っていた。
蔓草が、露草の根が気が付けば家屋の柱に巻き付いているように。少し距離を離していても、高く上に棒にまとわりつくように。これらの植物には何かを探知する力がある。
だから、生き物を感知するというのも可能な話。
そんな拡大解釈を『八つ星』と″侵食″の力で無理を通して行った支配の力がこの繭だ。
生物を感知させ、それに巻き取らせ。
食虫植物の要領でそれらを溶かして。
『思い出の花』で意識と記憶を均して。
そうしてそのものらを集めて、一つにする。
何のためにか、と問われればただ守るため。
シズクの武器を持った、謀反人が現れた。そしてそれを捉えきれもせず、逃げ出された。いつくるかもわからない。
ノヴァの反乱。狼と少女の齎す災害。
それらから全部を守るのだ。
跛行は、進む。果てのない滅亡に向かって。その足が壊れていることに気づいていないのは、ただ彼女のみ。
月明かりに狂った行進を止める者はいない。
その、忠臣の一人に至るまで。
月明かり。
ただ足を引き摺る女帝の横に、一つの人影。
人など影も形も無いところからの出現。
ただ、代わりに。羽虫のような、ぶううん、という機械的な飛行音が響いていた。
『やっ。久しぶり、リーフィ』
「へぇ〜。いたんだ、ウィン」
『いたよう。ずっと居た。それこそ、お前がカリナくんをいじめてる時もずっと!』
機械の羽虫が中空に投影する映像は、笑顔の爽やかな好青年。これが最も、英雄たちが共に旅していた時の見た目に似ている、ということなのだろう。
「見てた上で、手出しもせずに見ないふりをしていたのね。人でなしねぇ、あなた」
『人でなしさでは敵わないさ。それに、邪魔をしちゃあ悪いだろ?彼らの物語に不純物を入れたら勿体ないじゃないか。カリナくんがあそこで死んだら、それはそれで美味しかったしな』
ホログラムを通し、事もなげに茶を啜りながらウィン・J・エアルフはずれた眼鏡を、ひゅるりと風で直した。そうしてから敢えて周りを見渡すようなモーションをした。
『酷い有様だ』
「素敵でしょ。これが私の国。私の、楽園」
『これが楽園、か。まったく、あの頃の優しいお前はどこ行っちゃったんだろうなぁ。あの虫も殺せない甘ちゃんだったお前は…』
「……ふざけないで。貴方が唆したくせに」
『んー?なんのこと?』
「ウィン!貴方、貴方が…!」
『責任転嫁はやめてくれ。俺は、ただ迷ってたお前の相談に乗っただけだよ。それにするって選択はリーフィ。お前がしたことだろう?どんな事しても守る、ってさ』
「…そう。私が決めたの。私はこの子たちを守るの。守る。みんなを守るの。守って、守って…」
「…まもっ、て…」
まもって。ぐい、と身体についたままの無数の繭紐を、ぼうっとしばらく眺めていた。まもる。こうしている、中の溶液は多分元はいきもので。
「……なに、まもるんだっけ?」
答える相手は誰もいない。羽虫の飛ぶ音もいつのまにか消えて、夜半はすっかりと静かになっていた。
さっきまで誰と話していたのだったか?
それすら、わからなくなって。ひょっとしたら、誰かと話していたというのも微睡の中の夢だったのかもしれない。
後は眠り続けるだけ。二度と目覚めることのない皆の眠りを、見守るように、外敵を追い払えるように自らも惰眠を貪る。繭を作る。全ての生き物を繭にしていく。自分の楽園に住む人以外も、きっと、我が子にしてもいいように。
そんな微睡みを無遠慮に邪魔をする音が聞こえる。無造作にちぎり取る音が聞こえる。苦痛と現実を見せようとする、押し付けがましさを隠そうともしない音。
足音は聞こえなかった。
夜闇に溶けて紛れる、無に近い音。
それは気がつけば、すぐ近くに居た。
「…以前は。世話になったな、女王よ」
そして。その上に乗っていた者が一人。
すとり、と小さい音を立てて降りた。
「……ここに来た理由は三つだ。
一つ。僕は『八つ星』を砕く。まずそれが目的としてあったからな。
二つ。君がやろうとしていることは間違ってるから、かつての友人として止めないといけないと思っている」
「そして三つ。これがもっとも大きい理由。
よくも僕の相棒を可愛がってくれたな」
「…へえ。最近、懐かしい来客が多いわねぇ」
カリナと、ルーチェ。
ただこの国で唯一動く二人はそうして英雄に相対した。
「落とし前をつけさせてやる。
この花の園は、お前の処刑場にしてやるよ」
…
……
否。彼らが唯一動く存在では、ない。
…
……
マモる。まモる。マもる。リーフィさまを護る。じょおうさまに近づくものを全て排除する。
考えることは必要ない。
思考も必要がない。意志も必要がない。
望んだことだった。自らが望んだ。それが良かった。
「あアー…」
女騎士の頭部は今や、その半分が肉を失い、それを補うようにざわざわと木枝が蠢いている。口も目も、脳も全てが機能を失おうとしてあり、その、隷従するという意思を思う以外の全て生き物としての機能がない動くだけの人形になりつつある。
女王を守る騎士団の近衛長にして、唯一の女性。ティータという名前が、その木偶人形の元の名前だった。女帝の狂った跛行に、唯一同じ歩幅で歩いているのは、あるいはこの忠臣だけなのかもしれない。
それは動いているというよりはただの徘徊というにも相応しいのであろう。だがそれでも、ノヴァとの戦いで壊れ果てた玉座に向かおうとしたのは彼女の唯一残っていた人間としての意思だったか。もしくは、なにか音が聞こえるという、原始的で、いっそ動く死体のような単細胞的な反応だったのか。
少なくとも、彼女は剣を持ちながら、女王とその侵入者の元へと歩を進めようとしていた。おまもりしなければ、と。
そして、その足を止めさせたのは。
「おや。見下げ果てた様ですねぇ。
まあ、私にはそれの方が都合が良いですが」
爽やかなようでいて、じとりと害意と見下しが染みた声。口調は丁寧そのもの。故にこそ、慇懃無礼という言葉がこの上なく似合う声音。中性的な声。低めの女性のようであれば高い声の男のようでもある。その紺色の編みこみを揺らしながら、そいつは言った。
「本来ならば、私は貴女と戦う理由もないのですが。彼らの邪魔をされてしまうのはこちらとしても不本意なの、と。
…単に、気に食わないのですよ。一度でも刃を交わした相手が。私に勝ったわけでもないのに、のうのうと生きているのがねぇ」
青嵐は、ただそう言ってぎらりと凶刃を向ける。彼女、あるいは彼のその腕は、一つだけ。
いつの間にか切り落とされた片方の腕の断面は、まるで凍える針に切り落とされたかのように凍傷の真紫の色をしていた。
その言われたことを何一つ理解はできていない。それをする脳すら、無くしたから。自分の主人を疑ってしまう脳を無くしてくれと、女王に頼んだから。だからティータは、剣を向けてきた相手に、ただ緩慢に剣を向き合わせた。
「では、改めて。よろしくお願いします」
…
……
全ての生き物が繭に寝静まる、ミーグメィル。
その中で、二つの戦いが始まる。
この二つの戦いはただ死をもってしか終わらず。
故にここは、処刑場となる。
この血生臭い、花の園にまったくもって相応しい。