魔人と狼は幸福を求めない   作:澱粉麺

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虚ろなる光

 

 

 

 

「どうぞ、入ってくれ」

 

「……邪魔をする」

 

 

ぎい、とぼろけた扉を開き、ノヴァの家に招待されたカリナは、その家の中の見窄らしさと狭さに驚愕した。

自分と同じほどの体躯があるこの男が、この家の中に住むのはそれだけでも苦痛を伴うだろう。

 

 

「はは、本当に大したものは無いんだけど」

 

「その、ようだ」

 

「改めてありがとう。

俺は君の優しさを受け取る程の男でもないが…けれど君には感謝は本当にしたいんだ」

 

「…カリナ。俺の名前だ。

ただ、本当に俺はそういう意図でやったわけではない。もっと利己的で、自分勝手な理由だ」

 

「…もしかして、喧嘩でもしたかったのかい?はは、もしそうだとしたら…知り合いに、そういう人が居たなぁ。懐かしいな」

 

 

 

暫く、そんな他愛のない会話をしていた。が、まだ会ったばかりということもあり、会話は少しずつ途切れる。

 

きょろきょろと、不躾と分かりつつも周りを観察してしまったのはこの環境の拙さからによるものだったが、その中でカリナは部屋の隅に何かを見つける。ぼろぼろの毛布を折って重ねた上に、置いてある。

 

乱雑なような、大切にしているような。そんな固体に触れようとしてから、しかし自制心がそれを止めた。

 

 

「これは…?」

 

 

くすんだ、炭。いいや、それよりも、輝きを放っていないようだった。

 

 

「あー、それは、だね……」

 

 

ごん、ごん。

乱暴な来客だということがわかるノック。

壊れかけた扉を、ただ二回だけ鳴らしたことから礼儀については無く、そうしてまた、手慣れている行動であることもわかる。

ノヴァはただそれに力無く微笑んで、カリナに頭を下げた。その、炭のようなものを懐にそっとしまってから。

 

 

「…?」

 

 

「すまない、カリナくん。

少しの間だけ奥で隠れていてくれないか。

大丈夫、すぐに終わるはずだから」

 

「…あ、あ」

 

 

奥など、この狭い家の何処に、と聞こうとした途端に彼は唯一ちゃんとしていた戸棚を開き、その奥の板を取り除いた。これが、必要な身なのだろう。ひとまず黙って、その通りにした。

 

 

 

……そこからは音だけの認識になりはしたものの、しかし獣由来の異常な嗅覚と聴覚を持っているカリナには視覚情報は無くてもその空間は観えていた。

 

 

「…よお、うちの奴らがよお、ぼろぼろになって戻ってきたんだよ。どういうことだこれはよ?ン?」

 

「すみません。それは俺では無…」

 

 

だからだ。

ぼろ家に入ってきた人物の、粗野な様子も分かれば。その男に、ごきりと腹を蹴られ、顔を膝で強かに何度も何度も打ち、倒れ込むノヴァの姿も。

 

 

「お前はさあ、馬鹿のふりをしてるのか?それとも、馬鹿で愚鈍でそのものなのか?どちらにせよ、俺だったら堪えられないがな。こんな無能を晒して生きるのは。はははは」

 

「…ええ、そうですね。すみません」

 

 

そんな風な、人格も存在までも否定するような腹正しい侮辱が延々と続き、それでも媚びへつらうような笑みを横たわりながら向けて、ただただすみません、すみませんと繰り返すノヴァの姿も。命ぜられるままに靴先を舐める姿も。全てが詳らかに分かった。

 

ぺちゃ、ぺちゃ。靴の、裏にまでも舌を這わせる音。

そうしながら、頭を踏まれていながら。

 

 

(………ッ!)

 

 

狼はただそれに激怒して、棚を壊して奥から出てきて。

ばぎ、り。

粗野な男の顔面を思い切り殴り抜けた。

自分の楽しさだとか、助けるだとかではない。

ただただ、純粋に怒りから。

 

そうだ、怒りだ。

怒りがカリナを支配していた。

ノヴァが、彼が何かをされたからではない。びくぴくと、痙攣する殴られた男もどうでもよく、彼はその怒りの対象に思い切り掴み掛かる。倒れ込んだままのノヴァの胸元をぐいと無理矢理上に上に引き上げて立たせ、その額に頭突きをした。

 

「ふざけるな、ふざけるなよッ!あんたにあんたなりの、受け入れる理由はあったとしても、だ!俺はそれを見過ごす事は出来ん!目の前で、あんたが虐げられてる所を黙って見ていろ、だと!目の前で踏み躙られている所を見てろだと!?」

 

ぐおるるる、喉から漏れる怒りの唸りと、再度の頭突き。それは音からしても凄まじい勢いのものではあったが、お互いにそれに怯む様子は、なかった。

 

「こんな、こんなくだらないものを見せつけるために俺をここまで呼んだのなら、俺はあんたを蔑如する!俺はあんたに軽蔑を向けるぞ!」

 

「…ありがとう。カリナくんは、優しいんだな…

だが、いいんだ。俺には君のそれを受ける価値はない」

 

「知ったことかッ!あんたが俺を優しく思うかとか、それを受け取るかなど!そんな独りよがりな考えが薄気味悪いんだ!あんたの、あんたの個としての誇りは何処にある!?」

 

 

その激昂は、ノヴァにとって予想外のものだった。しかしてカリナの怒りは止まらない。

彼の怒りはつまり、ノヴァの、全てを受け入れるような目への気に入らなさ。

自分の価値を最底辺に置くことによって、それが当然だと思うことによって、誇りを完璧に捨て去ってしまっていること。

 

そうだ、彼には気に食わない事がある。

それは、プライドやみみっちい自己満足すら存在しない。誇りを完全に捨て切った者の姿だ。

 

「…………そうだな。

俺は、もうそれを捨てた後なんだ。

だから、そんなに責めないでくれよ…」

 

「まだ言うのか、貴様…ッ!」

 

 

 

「いいんだよカリナ。

そこまで真剣になることはない。

こんなマゾヒストに、付き合う必要はね」

 

びたり、と。その細く高い声に家の中の二人の動きがそのまま止まった。強いて動いている者は、先にカリナに殴り倒されてまだ痙攣している男のみだった。

そして代わりに口を動かすのは、銀色の髪と小さな体躯の女性。女性的な姿と、中性的な口調の、アンバランスな存在。

 

「や、ただいま。まだ早いけど、お前がそうボルテージを上げるもんだから僕も急いで買い物を終わらせてきたよ…はいよ、お土産」

 

「……ルーチェ。何故、ここに?」

 

「あー、そういう話よりも先に荷物持っておくれ、カリナ。僕のこの可憐な腕じゃ重くて重くてしょうがないんだ」

 

「自分で言うのか、そういうことを…」

 

「ならお前が先に言ってよ。紳士的に、あんたの細腕じゃ重いだろうから、とね」

 

いつもの調子のくだらない軽口。

しかしその声音はいつもよりも心なしか、抑揚が少なかった。だからだろうか、その銀縁の眼鏡の奥の視線もまた、狼よりも、もう一人の男に向けられていた。

 

「……何にせよ、でかしたぞ猟犬。

さすが、いい嗅覚をしている」

 

ノヴァは、呆然と口を開いていた。

ほんの少しの震えを、伴って。

どれだけ侮辱されようと、殴られようと、蹴られようと何をしようと柔和で、何かを諦めたような微笑みを崩していなかったこの男が、初めて顔を歪めていた。

 

 

「…………あ、あ…きみ、は…」

 

「…く。『初めまして』ノヴァ・ブラウン。

長々とした口上も要らないだろうから、省略」

 

恭しい礼を、する。

わざとらしく、そして慇懃無礼に。

馬鹿にすることを隠さないままに。

 

「英雄さま、英雄さま。

あなたの星を、砕かせてちょうだいな」

 

「う…」

 

「うわあああああああッ!!」

 

 

ごが、が、ばごぉん!

破砕音がけたたましく鳴り響いた。

その光景に唖然としたのはカリナのみではなく、ルーチェもぎょっと目を剥いていた。

 

ノヴァは、手を半狂乱に動かして。

壁に突撃したと思えば、その壁に激しく衝突、いいや、破壊して、そのまま通り過ぎて行った。その恐ろしい勢いのまま、障害物など無いかのように走り去って行ったのだ。

 

 

「チィッ、追うぞ、カリナ!」

 

「あ、ああ…だが」

 

「いいから追えッ!僕は別道から追い詰める!

ちなみに、了解、以外の言葉は求めてない!」

 

「…ならば了解した!」

 

駆ける。その速さはつまり、ルーチェが背に乗ってその身で体感したばかりだった。ふ、と倒れ込むように巨大な男の姿は四足のけだものの姿に変わり、走り抜けた。巨大な狼はその逃げた男に追いつくはず、ではあったのだ。だがノヴァという男は、異常だ。

 

 

(……なんだ、あいつは…!?)

 

壁のある場所に、何度も追い詰めた。

だがその度に彼は、拳を振るう。そうしてただ一発で壁を瓦礫の塊に変えて、その先を走り抜ける。その予想のできない動きに翻弄され…

否、そういったことも関係なく。

ただただ、足が速い。

狼である、カリナからも見て。

 

(ルーチェの言う内容からすれば、あいつが、あんな情けない男が『八英雄』の一人?馬鹿な、信じられない…いや、それは俺の偏見か)

 

そうだ。おかしい、とは思っていた。

私刑を受けていた時も、先の暴力を振るわれていた時も、かなり手酷く攻撃自体は、喰らっていた筈なのだ。それなのに、それ自体を痛がる様子は一つも無かった。土や埃の汚れはあろうと、怪我は、なかった。

 

 

「うわあああっ、あっ、あっ!?

なんで、なんでこんなとこに山なんか!

こんなとこに、無かった、ないだろう!」

 

しかし思考の途中で追いかけっこは等々唐突に終わる。そんなうわごとのような言葉を叫びながら、ノヴァは巨大な巨大な岩山肌をがん、がんと叩いていた。

 

いつから、いたのだろう。

そうして錯乱する男を見下ろすように、その山の上からルーチェの声が朗々と聞こえてくる。

 

「逃げられると思うなよ、ノヴァ。

浮浪者の見た目をしてようが僕がお前を見間違うと思うな。僕から逃げきれるなどと思うな」

 

赤赤と光る、魔人の杖。

なるほど、何かとはわからないがこの山岩は彼女が行使した力の効能なのだろう。

 

 

「さあ、忌々しい英雄譚の、続きを書く時だ。

お前の持っている八つ星を出せ」

 

「うあ…はっ、ははっ、あははあはははは!

いひひ、ひひあははははは!」

 

狂い、笑い続ける男。

カリナはただ、人姿に戻って、見下して語る自らの相棒と哄笑を続ける、この町に来てからの初めての知り合いをじっと見つめていた。

 

「とうとう俺はここまで狂ったのか、狂っちまって仕方ないのか!なんでそれなら君が出てくるんだ、なんで君が見えて仕方ないんだ!

俺はもう君に会う資格だって会いたいだなんて思うこともなかったはずなのに、俺は、はははは!つくづく身勝手だ!」

 

 

会話が、通じていない。

彼は何を言っているのか、カリナにはわからない。そしてきっと、ルーチェもそうなのだろう。怪訝な目つきでその独り言を見た。

 

「ああ、ああああ…もう、いい。

俺がこんなにも狂ったんなら、もういい。せめてほんの少しだけでも、ぶっこわして壊してから俺は、俺は…どうすればいいんだ?俺は何がしたいんだっけ、俺はそうだ、おれ、は、おれはあああ…」

 

がり、ぶち、ぶち、がりがりぐちぐちぶち。ぶぢぶぢぶぢぶぢ。

 

頭を狂乱的に掻きむしる両腕の指先は目元の方まで下りてきて。そのまま、目の下の皮膚を引っ掻くままに、引き裂いて、下におろして肉が露出した。血の涙を流す、ではなく血の道がそのまま作られて。

 

その目に正気は既に、存在してない。

 

 

「ああああああああああッ!!」

 

喉までもが裂けたのが見て取れる絶叫。

それをあげてから、ノヴァは。落ちぶれた英雄のその姿は、目の前に存在する生き物にただ襲い掛かった。

 

黒々とした、巨大な男に。

先まで、握手をしていたその男に。

 

 

「ノヴァ。あんた……」

 

「…まずい…!カリナ、逃げろ!

そいつは今、正気じゃない!」

 

 

「……あんた──」

 

「──いいじゃあないか」

 

 

ぎし、ぎちぃ。歯を食いしばる男。

食いしばり、笑う。口角いっぱいに笑う。

この町に来てから、一番の破顔。

 

ルーチェは、発言を後悔した。

そうだ、正気こそ失ってはいないが。

この男は、カリナという狼は。

ちゃんと、イカれているのだ。

 

 

 

……

 

 

人の姿のまま、カリナはまずそのがら空きの脚に蹴りをかました。当たる。

続けてこめかみに蹴り。これも当たる。

だがいずれもまるで効いたようには見えない。

 

そしてそれを咎めるように、両腕を振り上げての槌じみた攻撃をしようとするノヴァ。

だが動きは緩慢だ。

ゆっくり、それを受け止めようとして…

 

「まずい!それは、避けろ!カリナっ!」

 

言う通りに、避けた。

そしてそのお陰で、命を拾った。

外れたその一撃は勢いそのままに地に当たり。そして、地面そのものが、へこんだ。クレーターが出来て、周囲の建物が全てその形に沿って、斜めに傾いた。

 

「ハハっ、無茶苦茶だ…!ノヴァ。あんた、すごくいいな。ただやはり、惜しむらくは、やはり正気の取り戻したあんたと。誇りを取り戻したあんたとやりたかったよ」

 

距離を取った。

そして地面に手を付ける。

それはノヴァ・ブラウンが行った破壊に対抗するというわけではない。自らの足元にある影に、触ったのだ。

 

「…『黒狼槍』」

 

ずるりと、影の中から、取り出されたのは狼の牙が加工された短槍。刃先の下には黒い毛が付いている。ただそれだけの槍だが、しかし牙刃には幾戦をも繰り広げた傷が残っている。

 

奇怪な構えだった。上からの攻撃を受け止めた、後のような。右手で上段に槍を構えて、左手を牽制のように前に伸ばす。

 

すぅ、ふう。

呼吸を整えて。

 

跳躍。

 

刹那。ノヴァの身体を大量の茨と蛇が地面に結んだ。その動きを止めたのは本当に一瞬ではあったが、それから解き放たれようと動きを変えたということそのものが、大きい。

これは、これもまたルーチェの技か。

 

しゅ、ざん。

槍が四肢を切り裂き、首も貫いた。

だけれどその傷は治っていく。

黒い輝きと共に、無かったことのように。

 

なるほどこれが、『八つ星』の力。

運命を司る星は英雄に不死を与えた。

それはつまり外的要因による致死の傷をも、無に帰すということ。

彼がいくら痛めつけられようとも、それでも無傷だったのは彼が並外れて頑強だったから、というだけではなく、つまりはこれだ。

 

 

「…………くだらない」

 

そうだ。くだらない。

カリナは溜息をついた。

ノヴァに?星に?そうではない。

どれにも違い、自分自身にだ。

 

「ああ、くだらない!お前の″おつかい″のせいでこんな、盗みばかり上手くなってしまったぞ、俺は!だが…」

 

ああそうだ、やはり。やっぱり、俺は正気の取り戻したあんたとやりたい。こんな穢れた力などない状態のあんたと。だから楽しみは一度お預けで、だ。そう心中で呟いて。

 

まだ悠然と遠くでこっちを眺めていた、少女に向けて声を張り上げた。

 

「だがそのおかげで、今回は助かったッ!

だからルーチェ!『これ』を…」

 

「………破壊、しろッ!」

 

 

…そうして、手の中にある物を思い切り、少女にぶん投げた。その、先に斬撃でノヴァの服を切り裂き、懐から奪い去ったもの。それは、つい先にノヴァが懐に仕舞い込んでいた、炭の出来損ないのような、それ。

 

「ほう」

 

びたり。

少女の胸元にぶち当たる寸前に、その炭は。否、ノヴァ・ブラウンが有していた、『八つ星』のうちの一つは。何かに遮られたように動きを止めた。そして、下で待ち構えていた掌の上にぽとりと落下する。

 

「いいじゃないか。完璧な仕事だ、カリナ。

ならば残りは僕に、任せておけ」

 

彼女はそう言いながら自らの眼鏡を、ずらした。エメラルド・グリーンの眼が激しく、揺れた。片方、眼鏡がずれ裸眼になった眼が、ぎりりりり、と激しく光る。

 

「…フン。随分と、これそのものも落ちぶれてるな。が、腐っても神の被造物だ、常人ならばこれを砕くどころか傷を付けることすら出来ないだろうな」

 

「……だが、僕なら出来る」

 

 

黒々とした、光。星が溜め込んでいた汚れと穢れ。ルーチェは押し殺した悲鳴と共にそれを『観』る。

 

「………ッ!!グ、ううううう…ッ!」

 

「………ああああッ!」

 

 

ばきぃん。英雄と少女がどちらも叫ぶ。

二種類の絶叫と共に、虚な光が内側から割れて爆ぜた。とうにくすんだ輝き故に、欠片も炭のかけらのようだった。

不死を与えた星が消えた瞬間。その身に降り掛かっていたはずの傷は、その所有者にとてつもない苦痛と傷を同時に与えた。

 

そして、その度を越した激痛が、皮肉にも。ノヴァ・ブラウンに正気を取り戻させた。

 

 

「…ああ、あああ。

俺の、俺の星が…星が砕けた…」

 

 

「………やった。ようやく、なくなった。あははは、ははは…死ねる…ようやく、死ねる…

ようやく、おれは……」

 

 

感涙に咽び泣く、ノヴァ。

それを、どのような感情で見たものか。

ひとまず、まあ。

やるべきことは終わったのだろう。

そして戦いの続き、という雰囲気でもなさそうだ。

カリナはそう思い、槍を影の中に仕舞った。

 

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